2013年4月1日月曜日

作曲家「佐村河内守」

芹沢光治良記念館での「フォト2人展」が終了した。写真展を観に来てくださった皆様、記念館のスタッフの皆様に感謝申し上げます。


三十一日夜、NHKの特集番組「魂の旋律(音を失った作曲家)」を見た。
佐村河内守(さむらごうちまもる)という聴力を失った作曲家(ベートーベンと同じだ。)のドキュメンタリー番組である。
すさまじい生き様である。
恥ずかしながら彼のことは、この番組を見るまでまったく知らなかった。

例によってウィキペディアで調べてみると、(かなり長くなるので、ウィキペディアを更ににコンパクトにまとめてみた。コンパクトと言ってもかなり長いのだ。)まるでジェットコースターのような半生を送っていた。

四歳から母親によるピアノの英才教育を受け、四年生でバッハやベートーベンを弾きこなし、十歳の時には母親が教えることは何もなかったという。中学生時代は音楽に邁進する一方、悪童としても名をあげ、番長との喧嘩や他校への出張抗争に明け暮れていた。しかしながら十七歳の時に原因不明の偏頭痛や聴覚障害を発症する。高校卒業後上京するが現代音楽の作曲法を嫌い音楽大学へは行かず、肉体労働者として働きつつ独学で作曲を学ぶ。十九歳の時には家賃が払えず、アパートを追い出され、ホームレスになる。
以後ロック歌手としてデビューしたり、バンド活動をしたりしたが、二十九歳で聴覚異常により歌手を引退。三十三歳で映画音楽「秋桜」を手がけ、さらにゲームソフト「鬼武者」において確固たる地位を築く。ところが、このころから抑鬱神経症や不安神経症に悩まされ、常に頭の中に轟音が鳴り響いている状態があり苦しい中、作曲活動を継続。そして、ついに完成後五年の間、日の目をみなかった大曲「交響曲第一番」が2008年広島サミットで上演され(彼は広島の被爆二世である。)、一躍脚光を浴びる。現在は耳が聞こえない状態で作曲活動をするかたわら、精神科に通院し、一日に十五錠の薬を飲む生活を続けている。

なんという生き様。
「恐れ入る」としか言いようがないのである。


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