2017年12月31日日曜日

暮れ行く平成二十九年

平成二十九年が暮れて行く。
個人的にはイヤな歳であった。

二月の硬膜下血腫による手術、あるいは網膜裂孔から白内障手術、十二月にはまたトンデモナイことも起こり、何だか思い出すだけで気が重くなる。

まあ、人生というのはイロイロなことが起こるのだろうが、今年のような出来事は本当に勘弁してほしい。
これから迎える平成三十年は、是非良い年になることを祈るだけである。







2017年12月30日土曜日

リトグリ

昨日は、ユーチューブでだいぶ長い時間、「リトル・グリー・モンスター」という若い女性グループの歌を視聴した。

切っ掛けは、NHKの紅白歌合戦に初出場のグループとして、この名があったからである。

「リトル・グリー・モンスター」、略して「リトグリ」。
もう何年も前にデビューしていたらしいのだが、ワタシは今回初めてこの名を知った。

ユーチューブを観ていて、特に感心したのは、ゴスペラーズのヒット曲「永久に」をカヴァーして歌っている映像である。
ゴスペラーズというのは、実力派の男性グループであり、そのハーモニーは各方面で評価されている。
従って、それをカヴァーすることは、歌う方も相当な実力を持っていなければならない。
それを彼女たち(この映像の当時、みな十代の中高生?)は、ヤスヤスと歌っているのだ。
なんという才能。
デビュー時は六人で現在は五人(「永久に」のメインボーカルの女の子が残念ながら抜けてしまっているそうだ)であるが、そのパワー、ハーモニー、リズム感は、相変わらずである。

ユーチューブで「リトグリ」、是非お試しを。

2017年12月29日金曜日

「ウナギ丼ぶり」

今年の十二月の寒さは半端ではない。
例年の一月、二月の寒さではないかとおもわれる。(まだ雪が降らないだけマシなんだろうか。)

何か月ぶり、いや何年かぶりに「ウナギ丼ぶり」を食べる。
なんと、並みでも一人前三千二百円ときたもんだ。
なかなか庶民にはキビシイ値段なってしまったなあ。


2017年12月28日木曜日

曲がり具合

御殿場、二の岡神社の入り口にある柿の木である。

ここの柿の木は、十回以上は撮っている。
それ程魅力的な柿の木なのである。
何が魅力かというと、一言で言えば「枝ぶり」だ。
もう少し詳しく言うと、その枝の「曲がり具合」である。
写真真ん中の上の方にある枝の「曲がり具合」が何とも言えない。
「よくぞ、ここまで曲がったものだ」といつも感心している。

真っ直ぐなだけでなく、人間も多少「曲がって」いる方が魅力的なのかもしれない。

2017年12月27日水曜日

裾野のテニスコート

本年度最後の水曜テニスであった。
先週に続き、本日も愛鷹のコートは使用できず、裾野のコートで行なう。
愛鷹のコートは予約がいっぱいで、とることができなかったのだ。
一方、裾野の方は我々以外誰もやっていない。
何故こんなに差があるのだろう。
両コートとも、アクセスがそれほど良いとは言えないところなのだが。

沼津市にはテニスをやる人が多く、裾野市には多くないといったわけでもあるまいに。
実に不思議だ。

2017年12月26日火曜日

田子の浦ゆ

昨日か一昨日か、富士山に降った雪の量がだいぶ増えていた。

富士山と雪と言えば思い出されるのは、百人一首にもある山部赤人の和歌である。
「田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」
この和歌、実は誰かの手によって変えられてしまっている。初出は万葉集の
「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」なのだ。
誰が変えたか、犯人は決定的ではないが、鎌倉時代の「新古今和歌集」の選者であり、小倉百人一首の選者でもある藤原定家であることは、ほぼマチガイないだろう。

この二つの和歌には、大きな違いがあって、万葉集の「田子の浦にうち出でて見れば」を現代語訳すると、「田子の浦に出て仰ぎ見ると」となる。一方「田子の浦ゆうち出でて見ると」は、「ゆ」は「~から」の意があるので、田子の浦から(視界の開けたところに)出て見ると」である。
つまり、後者は視界の開ける海上から眺めているのだ。
また、万葉集の「雪は降りける」の「ける」は過去の助動詞であり、雪は過去の雪であるのに対して、「雪は降りつつ」となると現在雪が降っていることになる。

藤原定家というのは、誰もが認める和歌の巨人ではあるのだが、もし定家がこの和歌を変えたのならば、チョイトやり過ぎではなかろうか。



2017年12月25日月曜日

卒業作品展

N西芸術科美術専攻の生徒の「卒業作品展」・「一二年生作品展」を観に出かける。

会場は沼津駅前の「プラザヴェルデ市民ギャラリー」だ。
この会場、駅前の一等地にあり、建物自体も素晴らしいのだが、どうも利用客が少ないような気がする。
勿論今日はウィークデーであり、利用客が少ないのは、当たり前と言えば当たり前なんだろうが、これでは少し可哀そうだ。
沼津市そのものが衰退してしまっているからだろうか。

さて、土曜講習で授業を担当した卒業生たちの作品は、どれも素晴らしく「さすが三年生」とタタエルほかはない。しかし、今の時代、展覧会の様子をネット配信できるようなシステムはできないものだろうかね。

2017年12月24日日曜日

ケーキとチキン

ケーキを食べて、チキンを食べて、どうも日本的クリスマスというのも、この形が定着してきたようだ。
もっとも、ケーキは不二家、チキンはケンタッキーフライドチキンが仕掛け人らしいが。

写真のネタが切れてきたので、二の岡神社まで出掛けてみる。
写真は途中の木の枝であるが、木の枝も細い部分が空を背景にすると、なかなかいい味が出てくる。

2017年12月23日土曜日

人間の自然からの自立

数日前の三年生の問題演習で、村上陽一郎の「人間の自然からの自立」という文章を読んだ。

人間の自然からの自立と人間による自然の支配を意味する文明のイデオロギーは、自然と人間とを分断する学問的知識の追求を可能にしたが、「人為」のなかに残った「第二の自然をも支配しなければならなくなった。

最初は何がなにやらといった感じの文章であるが、要はこういうことだ。
人間の人知により、人間は「第一の自然(山・川などのような所謂自然)」を御するようになったが、それにより「第二の自然(例えば、性欲・食欲・睡眠欲などのような欲動)」をも支配せざるを得なくなった。
太古の時代には、人間も人間以外の動物のように、欲動の赴くままに行動していたはずだ。
それが、文明のイデオロギーによって、欲動自体も人間の内に閉じ込めねばならなくなったということか。

うーん、そうだその通りだ。

2017年12月22日金曜日

あこがれの県

御殿場図書館から、廃本になった「現代の県民気質(NHK放送文化研究所・編」という書籍をもらってきた。

図書館では年に一度?ほど蔵書を減らすための、「必要な人持ってけデー」みたいな日を設けているのだ。
この日は、結構な冊数が外に出されているが、さすがに図書館でイラナイというだけあって、面白そうな本はほとんどなかった。
ただ、最初に書いた「現代の県民気質」だけがワタシの興味を引いたという次第。

さて、さっそく我らが「静岡県」の項を開いてみると、何はともあれ、「静岡県民は平均が好き」ということらしい。
JTでは、新発売するたばこの「需要見込み」を調べるのに静岡県でテスト販売をするが、これも日本全体の好みの「縮図」として、静岡県が選ばれているということだ。

また、温暖な気候のせいか「穏やかさ」がキーワードになっているとも。
気候の他にも人情の穏やかさも挙げられているようだ。
この「穏やかさ」のせいかどうか、「もし、住む場所を自由に変えることができるとしたら、どの都道府県に住みたいか」の問いに対しても、静岡県は上位にあるという。
言ってみれば「あこがれの県」なのだそうだ。

そう言えば、水曜テニスの方々、ワタシ以外はすべて他県の出身者だもんね。


2017年12月21日木曜日

駅弁大将軍

新潟の友人からメールが来て、彼の会社の駅弁(えび千両ちらし)が、JR東日本の駅弁頂上決戦「JR東日本駅弁味の陣2017」において、「駅弁大将軍」に選ばれたということである。

この「駅弁味の陣」というのは、ハガキ投票によりベスト駅弁を選ぶシステムで、総合評価のもっとも評価の高い駅弁を「駅弁大将軍」というのだそうである。
(総合評価とは、購入した駅弁の「味」「盛り付け」「掛け紙」の3項目を4段階で評価し、その平均値に駅弁ごとの投票数を加味して算出した値。)

うーん、何だか分からないがスゴイぞ。
以前、このブログでも「えび千両ちらし」については触れたが、何はともあれ美味い。

新潟のI君、本当におめでとう。

2017年12月20日水曜日

裾野のコート

今日の水曜テニスは、いつもの愛鷹のコートではなく、裾野のコートで行なった。
やはり、標高が高くなるなるだけあって、多少の寒さを感じる。

裾野のコートは裾野(富士山の裾野)というだけあって、富士山が近くに見えて、寒いのを別にすれば気分の良いコートである。

左ひざの状態は、まだ完治ではないが、以前よりは楽である。
これから寒さは増していく故、油断はできないのである。


2017年12月19日火曜日

インディオのガーデニング

G南の授業日であった。
受け持っているクラスの中には、今年は今日で授業終了のクラスもあった。
いよいよ今年も押し迫ってきたのか。

本日の三年の演習には「古代ガーデニングと森林社会」という文章が出てきた。

地力を維持しながらいろいろな作物から収穫できる森林農業は、アマゾンで古くからインディオのガーデニングといわれる古代農法である。
森を切り開いて、ココヤシなど一種類の作物を植えるプランテーション方式だと、生態系の多様性が失われて、病害虫の被害を受けやすくなる。ところが何種類もの作物を混植する森林農業方式だと、一斉に被害を受けることがない。
また、バナナや樹木の葉は肥料になり、農薬や化学肥料を使わない有機栽培なのに安定した収穫が期待できる。

効率ばかりを考えている現代人は、ここらでチョイト考えるべきなんでしょうな。

2017年12月18日月曜日

本格的な冬か?

寒い、寒い、寒い。
東京都心でも零℃を下回ったということである。
いよいよ本格的な冬なのだろうか。

故あって、御殿場・沼津間を昨日も今日も二往復する。
さすがに疲れた。
やはり、もうジジイなんですな。


2017年12月17日日曜日

ヒラメとカレイ

御殿場では今シーズン初めての雪。
ほんのわずかで、パラパラっと降っただけではあるが、白い雪にはちがいないのである。

夜のテレビ番組で「カレイとヒラメの違い」というのをやっていた。

まず見た目であるが
「左ヒラメに右カレイ」などといい、目を上にして置いたとき、右向きになるのが「カレイ」、下の画像のように左向きになるのが「ヒラメ」とされている。
「カレイ」「ヒラメ」ともに海底に擬態で隠れ捕食する魚であるが、「ヒラメ」が自らの体色を変化させるのに対し、「カレイ」は海底の砂に潜って身を隠すためでである。
また、獲物も「ヒラメ」は成魚になると近づいてきた小魚などを海底から舞いあがって捕食するが、「カレイ」はゴカイなどを待ち伏せして捕食するため、「ヒラメ」のほうが口が大きく、歯も鋭く尖っている。
このため、「カレイ」は煮つけやから揚げで食されることが多いが、「カレイ」よりよく動く「ヒラメ」は、身が締まっているため火を通すと硬くなるので、刺身などで食されることが多い。
ちなみに「カレイ」「ヒラメ」も稚魚の時は、普通の魚同様、体の両側に目があり、成長とともに移動していく。

この先どうなるか分からないが、少なくとも現在はヒラメが高級魚、カレイは大衆魚である。
同じような魚でも、ずいぶん差が出たものだ。



2017年12月16日土曜日

「見れる」

今日の夕刊に、抜けている言葉「ら」ではない?
の見出し記事があった。

「見れる」「食べれる」といった、「ら抜き言葉」で抜けているのは「ら」ではない。?
ツイッターでのある大学教授の講義が話題になった。
ら抜き言葉は可能助動詞「られる」の「ら」が抜けたと取られるのが一般的である。
ただ、抜けているのは「ar」だとする見方も成り立つ。
例えば「見られる→見れる」の変化をローマ字で書くと、「mirareru→mireru」で途中の「ar」が抜けたとも捉えられる。これは「行く」の可能の形「行かれる→行ける」という変化にも当てはまる。「ar」抜きの現象は、室町時代ごろから続く。
大正・昭和から登場した「ら抜き言葉」だけが、言葉の乱れとしてやり玉にあげられている。
我々は長い時間かけて生じた言葉の「時代差」は許容できても、リアルタイムで起こる「世代差」は認めたがらない。

記事は「言葉は生き物、新しい時代の新しい言葉づかいに対して、『正しい』『正しくない』ではなく『言葉が変化している』とのまなざしを持つべき」でまとめられているが、ワタシもまったく同感である。

ただ、「見れる」は使いたくはありませんがね。

2017年12月15日金曜日

「喪中」の「喪」

年末となり、最近「喪中はがき」をよくいただくのであるが、さて「喪中はがき」の「喪」とは一体何なのであろうか?
「喪」自体の意味は
①死者を悼み葬る儀礼
②人の遺体、しかばね
③人が死ぬような災い
とある。


では「喪」という字成り立ちは?

早速インターネットで調べてみると、「喪」の漢字の成り立ちは会意文字であり、「耳を立てた犬」の象形と「人の死体に何か物を添えた」象形から、人の死に臨んで犬をいけにえとし、多くの人が口を開けて大声で泣く事を意味だという。

フーンと思いながら、念のため漢和辞典の「漢辞海」でも調べてみた。
するとどうだろう。
こちらは、「喪」は形声文字だという。
「哭」=「声をあげて泣く」と、かくれる(Lの中に人)から構成されるとある。

なんじゃこれは。
要は「よく分からん」ということだね。

2017年12月14日木曜日

ハワイコナのお土産

G南高の二年生は、先週修学旅行でハワイに行ってきたのであるが、二年生担当の先生や生徒諸君に、そのお土産をいくつか頂いた。
ハワイと言えば、コナ珈琲、チョコレート、クッキーであるようだ。
皆さん、どうもありがとうございました。

昨日の水曜テニスでの疲労がまだ抜けきれないでいる。
また、以前痛めた膝のじん帯もイケナイようだ。
この古傷は、寒くなるとじわじわッとアタマをもたげてくる。
痛いには痛いのであるが、だからと言って運動ができないわけではない。
このへんが厄介なところだ。
痛くて動けないのであれば諦めはつくのであろうが。




2017年12月13日水曜日

北極振動

日本列島に寒波が襲来。
御殿場でも朝は零下4度前後になったということである。

寒波は、例年ならばもう少し後のタイミングでやってくるのだそうだが、今年は特に早まったということだ。
そして、これは日本だけでなく、アメリカやヨーロッパにも寒波は訪れている。
この寒さ、夜のニュースでは「北極振動」が原因だと説明していた。

北極振動とは、北極と北半球中緯度地域の気圧が相反して変動する現象のことである。テレコネクション(大気振動)の一種で、気温や上空のジェット気流路等にも変化をもたらす。冬季にこの振動の幅が大きくなると、北半球の高緯度・中緯度地域で寒波やそれに伴う大雪、異常高温が起きる現象。

今シーズンも御殿場は大雪に見舞われるのだろうか。






2017年12月12日火曜日

温泉プラス忘年会

昨日は月曜であったが月曜テニス、そしてその後に温泉プラステニス仲間の忘年会という豪華版であった。

温泉は三島市内にある「湯郷三島」という温泉。
まさか三島に温泉があるとは。
「湯郷三島」温泉のコマーシャルには、次のようにある。

「なんといっても日本の霊峰富士山と、駿河湾から伊豆半島まで一望できる大展望露天風呂が、日帰り天然温泉湯郷 三島温泉の自慢。地下1200メートルから毎分200リットルが湧き出る、100%天然の温泉です。泉質は、肌ざわりがやさしいアルカリ性単純温泉。ゆっくり入って温泉の良さを実感してください。」

確かに露天風呂は広々としていて、気分の良いものであった。
昨日は生憎「駿河湾から伊豆半島」までの一望はできなかったのであるが、次回は期待することにしよう。



2017年12月11日月曜日

黒い落ち葉

右の写真の葉は、昨日と同じ場所の葉である。
色が妙に黒かったので拾ってきた。

昨日の葉、今日の葉と、いづれも秩父宮記念公園のシンボル的な存在である「紅葉ばふう」の落ち葉であるのだが、ずいぶん色が異なっている。

この真っ黒さは一体何なんだ?
他の落ち葉は、このように黒くなかったのである。
枝についている時に黒かったのか、はたまた落ちてから黒くなったのか定かではない。

2017年12月10日日曜日

炉の間落語会

秩父宮記念公園の「炉の間落語会」に出かける。

記念公園にはかつて宮様が住んでいらっしゃった建物が現存しており、その母屋の「炉の間」では、落語好きの宮様が東京から落語家を呼んで落語を聴いていたそうである。
今日の落語会は、その「炉の間」で同じように落語聴くといった趣向であった。

演者は、笑福亭羽光といって笑福亭鶴光の弟子である。
今は三島市在住ということで今回の落語会となったようだ。

落語の腕前は「可も無し不可もなし」といったところか。
本人が大阪出身なので、上方落語ではあるのだが、それほど関西風のニオイはしなかった。
短い話を四本、最後は人情話で終わった。
話は二本で良いからもう少しじっくり聴きたかった気もする。

実はワタシ、高校時代に落語研究会に入っていたのです。


2017年12月9日土曜日

歎異抄

週刊朝日という週刊誌に「哲学と親鸞」のタイトルで面白い記事が載っていた。
この記事は、作家司馬遼太郎の言動を中心にまとめられたものだ。

司馬遼太郎は言う。
浄土真宗の開祖、親鸞には「教行信証」という教義書があるが、一方で教えを弟子の唯円が聞き書きしてまとめた「歎異抄(たんにしょう)」は非常に読みやすい書でもある。

その「歎異抄」を読むと、宗教家というより、むしろ個人にこだわる思想家の親鸞が浮かび上がる。
「念仏は他人のためにあるのではない。親鸞一人のためにある。」
のくだりは、じつにはげしいもの。一人の弟子も持ち候っわずと言って、教団をも否定してしまっているのだ。

浄土真宗を大教団にした蓮如は「歎異抄」について、「信者にみだりに読ませてはいけない書」としている。


宗教というものはなかなか厄介なもので、教義を開いた人間の意志とはまったく異なった方向に行ってしまうこともママあるようだ。

2017年12月8日金曜日

戊戌(つちのえいぬ)

来年の干支は「戌(いぬ)」であるが、これを六十干支で表すと、戊戌(つちのえいぬ)となる。

六十干支とは、「子(ね)」から始まり「亥(い)」で終わる十二支に、「甲(きのえ)」で始まり「癸(みずのと)」で終わる十干を組み合わせたものである。

従って六十干支の始まりは「甲子(きのえね)」であり、終わりが「癸亥(みずのとい)」となる。
因みに「甲子園」の「甲子」は1924年の「きのえね」の年に造られたということだ。

さて、「干支」を「えと」と読むのは何故かというと、これは中国の「陰陽五行説」からきているという。
陰陽を「兄(え)=陽」と「弟(と)=陰」になぞらえて「えと」言う。
また「きのえ」の「き」は、「五行」の「木・火・土・金・水」からきている。
つまり、「木と兄」を合わせて「きのえ」なのだそうだ。

なかなか複雑なんですな。

2017年12月7日木曜日

木曜休み

本来の木曜は、G南に行って二年生と三年生の授業をやらねばならぬ日であるのだが、今日は二年生が修学旅行の代休、また三年生は学年行事ということでお休みとなってしまった。
二年生諸君は、何事もなく無事帰国出来ただろうか?

さて、ヒマとなったワタシは、今年の紅葉も最後と思い、近所に写真を撮りに出かける。
出かけたのは昼過ぎであった。
なぜ昼過ぎかというと、このあたりの光の具合がワタシの好物だからである。

写真を撮る人は、早朝とか夕暮れ時を好む人が多いのだが、ワタシはネッカラの怠け者ゆえ、必然的にこうなってしまったのかもしれない。
しかしながら、昼過ぎの上からの光線は、たまらなく良いものなのです。

2017年12月6日水曜日

カメさんデー

テニス前にスーパーに、と思い近所のスーパーマーケットに出かけたのだが、お店は大変な混雑。
まだ十時前なのに一体これはなんだと、まわりを見渡すこと暫し、あれれ、年長者ばかりだぞ。
ここでやっと気がついた。
そうです、今日はカメさカードで一割引きの「カメさんデー」なのです。
うーん、失敗したなあ。(ワタシもカメさんなのですがね。)

さて、今日のテニス時に、ワタシのスキー・テニスの師匠であるK先生から「は」の字日記の誤りを指摘されてしまった。
九月二日の日記の記述に「第三コーナーを回って直線に」という個所があったのだが、あれは「第四コーナー」ではないか?
はい、おっしゃる通りです。
第三コーナーだとすぐにまたカーブになってしまうのです。ごめんなさい。


2017年12月5日火曜日

少子高齢化の行きつくところ

テレヴィジョンで「少子高齢化」について触れた番組を見た。

いろいろショッキングな情報を提示していたのであるが、すぐそこにやってくる現実として、2020年に「女性の半分が50歳以上になる」という情報があった。
まあ、これは高齢化に伴う現実なのであろうが、「少子高齢化」の一番根っこにある問題であろう。

さらにその先にある、2030年には「日本人の半分が65歳以上」となる、につながって行くのだ。
うーん、ワタシもジジイの一員であるが、問題は極めて深刻である。



2017年12月4日月曜日

美味しいパン

月曜休みなので、本日も日帰り温泉プラスワタシの大好きなパン購入ツアーに出かける。
月曜日の温泉はいつも空いている。
なんてったって、露天風呂を独占できるのは快感である。
また、風呂の中から富士山が眺められる贅沢は、何とも言えない。
おおー、極楽、極楽である。

さて、プラスのパンは写真のパン。
富士吉田のスーパーの中にあるパン屋さんのパンだ。
向かって左がイタリアントマト?フランスパンの生地の中に甘めのミートソースが入っている。
一方、右のパンは中身がクルミチーズ。
パンの種類はよく分からないが、何はともあれ両方とも美味い。
これで価格がひとつ98円というのだから、おススメである。



2017年12月3日日曜日

句読点

書家であり、評論家の石川九楊(きゅうよう)の文章に、なかなか面白いものがあった。

文を記す時に欠かせない句読点の形状は、その意味を象徴していて、なかなか味がある。
例えば読点。「、」はそれ以前の句をいったん区切りながらも次に連続する形。
句点「。」は完全に円環(丸くつながった輪)、閉鎖した形で、文の終止の符号としてとても似合っている。
「 」や( )などの括弧は、いずれも語句を内に閉じ込める形をしていて、」「 のように外に開く形状で使われることはない。
これは括弧内の語句を地の文と区別し、合流しないように内閉している姿なのだろう。

さて、石川九楊はこのように書いているのだが、一体「。」や「、」の句読点はいつから我々身近なものとなったのであろうか。
句読点の歴史を調べてみた。

中国では古くからテンやマルが句切り記号として使われていたが、その使い方は一定せず、点を打つ位置によって句点と読点を区別したり、句点と読点の区別がなかったり、また句読点自体が印刷されておらず、読者の側で句読を切る必要のあるものもあった。
日本でも古くは中国と同様であり、明治以降活版印刷が行われるようになって以降、欧文の翻訳文への終止符・疑問符・感嘆符の替わりとして使用されはじめ、純粋な日本語文書にも定着した。しかし大正新脩大蔵経のような書物ではマルのみが使われている。

要は、日本で句読点が日常的に使用されるようになったのは明治以降であり、印刷技術が発達するにつれ、一般的になってきたということなのだろう。







2017年12月2日土曜日

ギャラリーカフェ

N西の土曜講習の最終日であった。

三年生はセンターテストまで、あとひと月ちょっと、いよいよ第四コーナーを回って直線コースに入ったというところだろうか。
ワタシが講義してきたのは、芸術科の生徒と文系普通科の生徒が少し、皆それぞれ持てる力を発揮して欲しい。

講習終了後、富士川のカフェまで書道教師のSさんと、一月より展示する「ずんぶり浸る展4th・番外編」の展示スペース確認に出かける。
実は、ワタシのF高時代の教え子N君が富士川でカフェを開いており、このカフェ言ってみればギャラリーカフェなのである。
そこで、来年一月六日より二月三日まで、「ずんぶり浸る展4th」の続編を開催する運びとなったのだ。

はたしてどうなることやら。
でも、とっても楽しみでもある。


2017年12月1日金曜日

タイヤ交換

車のタイヤを冬用タイヤに履き替える。

所謂スタッドレスタイヤであるのだが、静岡県でこの時期スタッドレス替える地域は珍しいのです。

タイヤ交換は、以前自分でやるのが当たり前であったが、最近は自分の年齢と反比例してタイヤサイズを大きくしてしまったが故、車のディーラーに頼んでしまう。
17インチ・215・55というサイズは年寄りにはチョイトキツイのです。

因みに、我が家のもう二台の車、マーチとモコはワタシが自らタイヤ交換しております。はい。