2016年9月30日金曜日

何が言いたいのだろう。

結構疲れが溜まってきたようである。
身体が思うように動かない。
まあ、ジジイなのだからしょうがないのでしょうがね。
どなたか癒しの言葉のお恵みを。

夜、テレビコマーシャルを見ていると、よく分からないコマーシャルがあった。
老人がテニスをやっているのだが、途中ニシコリケイ選手の「エアーK」を炸裂させる。
ところが、そこに大型送風機のようなものが登場してきて打った球が戻されてしまう。
(どうもこれは人生何が起こるか分からない」の意らしいが。)
人生何が起こるか分からないのだったら、老人が「ジャンピング・スマッシュ」をすること自体のほうが、何が起こるか分からないこととしてインパクトがあるであろう。

そこですかさず流される「JA年金口座」。
な、なにが言いたいのだ。
このコマーシャルは。

「残りの人生何が起こるかわかりませんよ。」だとしたら、このコマーシャルあまりにも残酷ではありませんか。



2016年9月29日木曜日

蒸し暑い

蒸し暑い、実に蒸し暑い日であった。
もう九月も末、週末には十月になろうかというのに。
湿度が高いことは、歳をとってくると身体にこたえる。

昨日、プロ野球のパシフィックリーグで日本ハムが優勝した。
驚くべきは、昨日先発で完投をした投手「大谷翔平」であろう。
優勝のプレッシャーがかかる試合で、1対0の1安打完封、15奪三振のおまけ付きというのだから。

もっとも、今シーズンの彼の活躍、投手として10勝、打者として3割2分2厘の打率、22本のホームランを考えると、こんなこと当たり前なのかも知れない。
今までこのような選手はいなかったし、これからも現れることはないだろう。
ただ、忘れてならないのは、あえて二刀流を支持した栗山監督の英断である。


2016年9月28日水曜日

筋肉痛

水曜テニスだった。
今日は午前中から曇り空であり、午後からのテニスはちょいと無理かなと思っていたのだが、とんでもなかった。
午後のテニスは、ほぼバッチリ。
しかも今日はフルメンバーの八人。
二つのコートを使って二時間、こちらもフルタイムで身体を動かしたのである。
おかげであちこち筋肉痛。

夜、「あいつ、今何をしてる?」という番組をみていると、仙台出身のお笑いコンビ「サンドイッチマン」が出ていた。
彼らが高校時代の友人をあげて「今、何をしてる?」といった按配の番組である。
さて、その中に「山田強(つよし)」という人物が出てきたのだが、なんと兄の名が「勉(つとむ)」。
兄弟二人を合わせて「勉強」になるのだ。

この兄弟二人のご両親はエライね。



2016年9月27日火曜日

奇遇②

展覧会のあと片づけに会場まで出掛ける。
同じところに、ひと月も通っていると何となく愛着もでてきて、また土曜や日曜になると、会場となった「芹沢光治良記念館」に足を向けてしまいそうだ。

昨日は「奇遇」について書いてみたのだが、実はもうひとつ「奇遇」があった。

今回展示した女生徒の写真を、本人に提供しようとして写っている生徒に来てもらった。
(写真は体育祭の折、まったく自由に撮っていたものであり、当然、写した生徒の名前など知らない。)
すると、私のところにやってきた女生徒が言ったのである。

「先生はN東にいませんでしたか?」
「うん、いたよ。」
「私の兄が先生に教わったと言っていました。」

ん?
おおー、彼女の兄はN東の理数科の生徒であったのだ。
N東の理数科は三年間、クラスメンバーが替わらない。
一・二年と副担任をしていたので、彼女の兄はよく知った生徒だったのである。





2016年9月26日月曜日

奇遇

何日か前、「ずんぶり浸る展」の会場から窓越しに下を見ていると、なにやら犬のような、猫のような動物が下を通っていった。
ん?
あれは何だ?
たまたま、来場していた男性と目を合わせた。
「うーん、どうみてもあれはタヌキ。」
そう、窓の下を野生のタヌキが通り過ぎたのである。
確実にタヌキであるという根拠は、目を合わせた男性が自衛隊員であり、野戦訓練などでよくタヌキを見かけていたからである。
それにしても、こんなところでタヌキを見るとは。
なんか化かされたようだ。

新潟の駅弁会社を経営している友人からメールあり。
沼津の仲見世商店街から駅弁の注文があったとのこと。
その注文の会話の中で、どのような経緯があったのかはわからないが、「ずんぶり浸る展」が登場。
商店街では書道のSさんに書道パフォーマンスでお世話になっていますとなり、新潟の駅弁と沼津の仲見世商店街と「ずんぶり浸る展」が繋がったのである。

奇遇ですなあ。


2016年9月25日日曜日

「ずんぶり浸る展」終了

「ずんぶり浸る展」の終了である。
帰りがけに記念館のIさんから「期間中の入場者は508名
ですよ。」の報告あり。
これは当然、観光客でふらりとやってきた入場者の数も、多少含まれるのであろうが、「それでもたいしたものだ。」と、自画自賛する私とSさんであった。
これも偏に来場して頂いた皆様のおかげです。

さて、今回Sさんと話をているうちに気づいたことがある。
「我々は実に理屈っぽい」ということである。

それは「感覚の中の理屈」とでも言うのだろうか。
書にしても写真にしても最初は感覚から始まる。
感覚で対象を決定するのだ。
従って「この対象は作品に出来る、これは出来ない。」と、感覚で決定する。
そして、次にすることが理由づけなのである。
これは所謂「後付け」というものではない。
謂わば感覚で選んだものから、何故その対象を選んだのかを引っ張り出す作業なのである。
なかなか上手く表現できないが、我々の感覚の中には「無意識の理屈」が含まれている。
それを探して引っ張り出すのである。
これが理由付けだ。

何はともあれ、「ずんぶり浸る展」が終わった。
ホッーである。



2016年9月24日土曜日

豪栄道の優勝

展覧会も今日と明日の残り二日間となった。
雨の降る中、朝から沢山の来場者。
たいへん有り難いことである。

会場からの帰りみち、大相撲秋場所を聴きながら車を走らせた。
今場所は、日本人の優勝が確実(無敗の豪栄道か二敗の遠藤)であったので、誠に気分良く放送を聴いていた。

さて、結果は大関豪栄道が今日も勝って、優勝を決定させる。
チョット前に、大関琴奨菊が日本人力士何年ぶりかの優勝を結果してくれたが、いよいよモンゴル人時代も終わるのだろうか。

それにしても情けないのは大関稀勢里、横綱を目の前にして、また期待はずれの結果となってしまった。
今まで、これほど期待を裏切った力士は居るまい。
相撲というスポーツは極めてメンタルなスポーツなのだろう。
今日の豪栄道の初優勝でそれがはっきりわかった。
気力が実に充実しているのだ。
稀勢里が鍛えるべきものは、技なんかではない。
彼が鍛えるのは気力に他ならない。
稽古なんていくらやってもムダ。
座禅でも組んで、修行すべきなんだがね。



2016年9月23日金曜日

「換骨奪胎」

「ずんぶり浸る展」の解説がやっと終了。
何だか的はずれの表記もあるように思われるが、ここは毎日毎日頑張って解説したことに免じて許してもらおう。

昨日の「沼津朝日(沼津で発行されているタブロイド版の地方紙)」にFさんから過分な評価を頂いた。
(Fさんは我々のもっとも良き理解者である。)
タイトルは「奏(あつ)まり 奏(かなで)る」である。
ここに一部を抜粋してみよう。

今年は、「沼西教員 本気の綱引き」と書かれているだけあって、どの句を取り上げるか「写真家」「書家」二人の、なかなか緊張した綱引きがあったようです。
しかし、山頭火の詠みを換骨奪胎し、現代の眼で評釈、表現しようと作品から伝わってくるのは、作者二人の「協奏」の妙味です。

「私は理系」とおっしゃるFさんだが、とんでもない。
特に、「山頭火の詠みを換骨奪胎し、現代の眼で評釈」のくだりは、ちょいと生意気な言い方をすれば「言い得て妙」である。
このように評価していただけることは、幸せこの上ない。
何はともあれ、Fさんに感謝である。

さて、N西の受験生諸君、よいか「換骨奪胎」だぞ。
この四字熟語、試験に出ます。
意味は、古人の作った詩文について、あるいはその発想法を借用し、あるいはその表現をうまく踏襲して、自分独特の新しい詩文を作る技法だぞよ。


2016年9月22日木曜日

「ひとりの火もえさかりゆくを」

 「ひとりの火の燃えさかりゆくを」

いよいよ、今回紹介している「ずんぶり浸る展」の最後の句となった。

句は冬の句である。
ここは野宿ではない。
場所はどこかの庵、きっと世話をしてくれる人がいたのであろう。
しかし、その庵には自分ひとりしかいない。
外は寒い雨。
ひとり酒をのみながら、ジッといろりの火を見つめている。
そのような風景が目に浮かぶ。

さて、書は、壁面をすべて使ったスケールの大きい書である。
素人目にもその力強さが感じられる。
これはSさんの目指す書でもある。




書に対抗するには、まず迫力。
そこで写真は体育祭の女子の競技種目「棒取り」に決め、この競技の開始直前の顔で表現することにした。
ブログでは残念ながら、写真をハッキリさせることはできないが、みな迫力満点である。
これはほんとうに残念だ。

またサイズも書の大きさに見合うようA3サイズの写真を4枚揃えてみた。
ウーン、これでもなかなか勝負はできないな。





句の解釈の参考とするため、「ひとりの火燃えさかりゆくを」の出どころを調べてみた。


「其中日記」

十二月二十六日(昭和7年)


よいところがあればわるいところがある、
わるいところがあればよいところがある、
重点はその分量如何にある。
心一つ、  心一つの存在である。
雨そして酒、外に何の求むるところぞ。


冬ざれの水がたたへていつぱい
ひとりの火もえさかりゆくを



また、「三八九雑記」には次のようにある。

大根と新菊とはおしまいになった。ほうれんそうがだんだんとよくなった。こやし――それも自給自足――をうんと与えたためだろう。ちさはあいかわらず元気百パア、私も食気百パアというところ。
 畑地はずいぶん広い、とても全部へは手が届かないし、またそうする必要もない、その三分の二は雑草に委任、いや失地回復させてある。

よう燃える火で私ひとりで
大きな雪がふりだして一人
いたづらに寒うしてよごれた手
もう暮れたか火でも焚かうか
いちにち花がこぼれてひとり
雪あしたあるだけの米を粥にしてをく
ひとりの火の燃えさかりゆくを
 
 これらの句は、日記に記しただけで、たいがい捨てたのですが、わざとここに発表して、そしてこの発表を契機として、私はいわゆる孤独趣味、独りよがり、貧乏臭、等、を清算する、これも身心整理の一端です。




2016年9月21日水曜日

「本来の愚に帰れ、そしてその愚を守れ。」


「本来の愚に帰れ、そしてその愚を守れ。」

今日のお題である。
これは句ではなく、山頭火の随筆での一部ある。
書のSさんからこのフレーズを提示された時、抵抗はほとんどなかった。
多分、一枚の写真が頭に浮かんだからである。

個人の写真ゆえ、サイズは小とする。
体育祭の折、彼にカメラを向けると、ふざけて変顔をした。
この変顔があまりにも面白く写っていたのである。
おおー、これは何かに使えるぞと思っていたのだが、ここで使えるとは。
書はSさんの書風である「豪」が感じられる。
サイズは小さいが、画面からはち切れそうなタッチである。

「本来の愚に帰れ、そしてその愚を守れ」
うーん、インパクトのあるフレーズだ。

あまりにもインパクトあるので、以下、随筆の原文を載せてみる。


私を語る
(消息に代えて)

種田山頭火

私もいつのまにやら五十歳になった。五十歳は孔子の所謂、知命の年齢である。私にはまだ天の命は解らないけれど、人の性は多少解ったような気がする。少くとも自分の性だけは。――

 私は労れた。歩くことにも労れたが、それよりも行乞の矛盾を繰り返すことに労れた。袈裟のかげに隠れる、嘘の経文を読む、貰いの技巧を弄する、――応供の資格なくして供養を受ける苦ママには堪えきれなくなったのである。

 或る時は死ねない人生、そして或る時は死なない人生。生死去来真実人であることに間違はない。しかしその生死去来は仏の御命でなければならない。

 征服の世界であり、闘争の時代である。人間が自然を征服しようとする。人と人とが血みどろになって掴み合うている。
 敵か味方か、勝つか敗けるか、殺すか殺されるか、――白雲は峯頭に起るも、或は庵中閑打坐は許されないであろう。しかも私は、無能無力の私は、時代錯誤的性情の持主である私は、巷に立ってラッパを吹くほどの意力も持っていない。私は私に籠る、時代錯誤的生活に沈潜する。『空』の世界、『遊化』の寂光土に精進するより外ないのである。

 本来の愚に帰れ、そしてその愚を守れ。

 

2016年9月20日火曜日

「投げ出してまだ陽のある脚」

「投げ出してまだ陽のある脚」

「草木塔」の鉢の子
昭和二年、三年、或は山陽道、或は山陰道、或は四国九州をあてもなくさまよふ。

ひとりで蚊にくはれてゐる
投げ出してまだ陽のある脚
山の奥から繭負うて来た

とある。

山の中を歩き続けている山頭火であろう。
山頭火の句の好きなところは、かなりツライだろう状況にあっても、その深刻さをまったく出していないところだ。
そのツラサをむしろ笑いとばしている。
まだ陽はあるが、脚を投げ出して休んでしまおう。ワタシはもう先には進まないぞ。
そんな山頭火の呟きが聞こえてくる。

書はその「投げ出した感」を表現している。
全力で力を抜いて(こんな表現あるだろうか?)筆を動かしているのである。
写真はマラソン大会、ゴール直後に息を切らして倒れ込んでいる女生徒だ。
写真を掲載するにあたって本人の許可を得なければならないのだが、快く引き受けた彼女に感謝である。
個人の写真ゆえ、このブログではあえてボカシテいる。


2016年9月19日月曜日

「ヒヨコ孵るより売られてしまつた」


「ヒヨコ孵るより売られてしまつた」

この句も検索をかけると昭和7年、総集編とあった。
山頭火のメジャーな句ではないが、妙に心に引っかかってくる句だ。

写真はSさんとの伊香保温泉合宿の折、伊香保温泉の石段を登っている際に撮ったものである。
階段途中に小さなお宮のような小屋があり、その屋根の上に乗せられていたアヒルのオモチャである。

ちょっと前までは、きっとこのアヒルは小さい子の安全祈願ではないかと思っていたのだが、ネットで調べてみると、どうやらこのアヒル縁結びのアヒルのようだ。
石段添いには射的の店があり、そこの景品のアヒルを縁結びを願って「小さなお宮、実は消火栓のカバーを兼ねた小屋」の屋根に置いたものらしい。
誰が一番最初に置いたのか分からないが、これはヒットである。

尚、「ヒヨコ孵るより」とあるが、「アレレ写真はアヒルではないか。ニワトリのヒナがヒヨコではないか?」と、疑いをもたれる御仁もおありだろうが、ウィキペディアで調べてみると、アヒルのヒナも「ヒヨコ」ということである。
だから、これで良いのだぞよ。

さて、写真は以上のとおりであるが、書の方、実は「けさもよい日の」の句とは逆に、ワタシが無理を言って書いてもらった。最初に「カタカナ」があり、次に「孵る(かえる)」という複雑な字。
ワタシが書を書く立場であったならば、すぐさま「ゴメンネ」をして逃げ出してしまう。
しかし、そこは若いながらもよく出来たSさん、いやな顔ひとつせずに引き受けてくれた。

この世に折角生をうけたのに、すぐに売られてしまう。
その不安定なサガ、縦長の文字をあえて曲げることでこのサガを表現している。
うーん、流石だね。


2016年9月18日日曜日

「大空ただしく高圧線の列」

「大空ただしく高圧線の列」

送電線の鉄塔の写真を撮りためていたので、山頭火の句の中に何か送電線の句はないかと検索したところ、この句がヒットした。
昭和七年の作で、山頭火総集編の中におさめられている句である。

二人で句を選ぶ段階において、Sさんもこの句を快く引き受けてくれた。
おそらく、彼の頭の中には句を見た瞬間にイメージがわいたのではなかろうか。
実際、二つの作品を並べてみると、極めてフィットしている。

山頭火の句は、時として非常にモダンな雰囲気を出してくる。
一般的には野山を這いずり回っているような印象があるのだが、トンデモナイ。
ビルディングであるとかデパートであるとか、カタカナ文字も並んでいるのだ。
本当はこれが山頭火の本質なのかもしれないね。

写真は白黒に近い色を出してみた。
これにより曇り空に鉄塔と電線が浮かび上がる。
そして、この句の眼目である「列」、「列」は規則正しさを象徴する。
きっと山頭火は、「列」とは対極にある自分をここに置きたかったのであろう。
書の方は、高圧線を鋭い線で表現した。
また、スピード感も出ている。
高圧線の中を凄いスピードで電気は動いているのだ。



2016年9月17日土曜日

「日の光ちよろちよろとかげとかげ」

「日の光ちよろちよろとかげとかげ」

「草木塔」の「雑草風景」の見出しのある句である。

前後の句は
「月がいつしかあかるくなればきりぎりす」
「木かげは風がある旅人どうし」
「日の光ちよろちよろとかげとかげ」
「月のあかるさがうらもおもてもきりぎりす」
である。

「日の光」はとかげで「月の光」がきりぎりすとなっている。
確かに「日の光」がきりぎりすで、「月の光」がとかげでは妙な句となってしまう。
それは「ちよろちよろ」という擬態語にある。
とかげの素早い動きは「月の光」では追うことができないからだ。
いずれにしても、山頭火の小動物に対する優しさが感じられる句である。

さて、書のとかげは、字の傾きが右斜めであったり左斜めであったり、いかにもとかげのちょろちょろ感を出している。
一方、写真の方は、臍曲がりのワタシゆえ、敢えて逆にしてみた。
羊の句同様、札幌の丸山動物園で撮ったものである。
このとかげ、ちよろちよろとはかけ離れた動きであった。
いや、動きというよりも静止に近い。

余談。
この句をジーッと見ていたある人が言った。
これは「ちよろちよろ、とかげとかげ」ではなく「ちよろちよろ、かげと、かげ」ではないですか?
一瞬「ギクリ」である。
しかしながら、昭和十年「層雲」に発表した句の中に「日の光ちよろちよろと とかげとかげ」の句があるので、「かげとかげ」ではないことが確認された。
良かった。、良かった。

2016年9月16日金曜日

「照れば鳴いて曇れば鳴いて山羊がいつぴき」

「照れば鳴いて曇ればないて山羊がいつぴき」

書は横長サイズに左右分割の趣きで書かれている。
素人が言うのも何だが、なかなか味のある書である。

写真は北海道の札幌丸山動物園で撮ったものだ。
山羊を探したのだが見あたらず、ふと見ると羊。
「おおー、これだこれだ。山羊と羊の差は山があるかないかだ。基本的には同じではないか。」と、勝手な理屈をつけて、これにすることにした。
「羊よ、君は山羊だ。」

さて、この句は「草木塔」の「雑草風景」の見出しの中の句である。
昭和十年の日記には、フクロウの句?が三句?並んだあとにこの句が出てきている。
日記には「正身心を持して不動の生活に入ることが出来たのである。」
と書かれているが、泰然自若の感がある句だ。


山頭火の日記(昭和10年4月21日~) 

四月二十一日 晴、そとをあるけば初夏を感じる。 
昨日は朝寝、今朝は早起、それもよし、あれもよし、私の境涯では「物みなよろし」でなければならないから(なかなか実際はさうでもないけれど)。常に死を前に――否、いつも死が前にゐる! この一ヶ年の間に私はたしかに十年ほど老いた、それは必ずしも白髪が多くなり歯が抜けた事実ばかりではない。しづかなるかな、あたたかなるかな。午後、歩いて山口へ行つた、帰途は湯田で一浴してバス、バスは嫌だが温泉はほんたうにうれしい、あふれこぼれる熱い湯にひたつてゐると、生きてゐるよろこびを感じる。晩酌一本、うまいうまい、明日の米はないのに。私はまさしく転換した、転換したといふよりも常態に復したといふべきであらう、正身心を持して不動の生活に入ることが出来たのである。 
 ふるつくふうふうわたしはなぐさまない(ナ) 
 ふるつくふうふうお月さんがのぼつた 
 ふるつくふうふとないてゐる 
    (ふるつくはその鳴声をあらはすふくろうの方言) 
 照れば鳴いて曇れば鳴いて山羊がいつぴき 
 てふてふもつれつつ草から空へ(ナ) 

2016年9月15日木曜日

「葦の穂風の行きたい方へ行く」

「葦の穂風の行きたい方へ行く」

この句は書のSさんの方から提示された。
書は斬新である。
一枚の紙を真ん中で切断、それをずらして置き、ずらしたまま一気に書きあげている。
これは「オレはやりたいことをヤルゾ」宣言のような気もする。

一方、この注文を受けたワタシはちょいと迷った。
この句の中心は勿論「行きたい方へ行く」である。
考えた挙げ句、体育祭のムカデ競争で表現することにした。

ムカデ競争は言ってみれば「行きたい方には行けない」競技である。
しかも、ひもで繋がった集団は自分の動きも拘束されてしまう。
しかしながら、この集団はゴールに向かっているのだ。
「行きたい方に行けない」ことを犠牲として、ゴールインすることができるのである。

それに比べ、「行きたい方に行く」人間、それはゴールにたどり着く保証は得られない。それは生涯たどり着くことができないかも知れない。
しかし、彼は言うのである。
「行きたい方へ行く」



▽葦の穂風の行きたい方へ行く・草木塔
▽葦の穂風の行ける方へあるいてゆく・昭和十三年・「層雲」発表句

2016年9月14日水曜日

「夕焼けふかく何かを待ってゐる」

「夕焼けふかく何かを待ってゐる」

種田山頭火の俳句検索でひっかかってきた句である。
資料には昭和九年総集編としか書かれていない。
もう少し時間を費やして調べれば良いのだろうが、今のところこれだけである。

真っ赤な夕焼けの中、何かを待っている。
何かとは何か?
人だろうか、物事だろうか?
待っているのは、自分だろうか、それとも今自分の目の前にいる他人だろうか?

この句に関しては、まず写真が先だった。
三月にあった職員の送別会の折、待ち時間に夕焼けを撮ろうと、会場近くの防潮堤に出たところ
N西の職員がタバコを吸いながら海を眺めていた。
シルエットが美しかったので一枚だけシャッターを切った。
気に入っていた写真だったので、山頭火の句を検索すると、ドンピシャの句が見つかった。
今回の「ずんぶり展」にあたり、Sさんに無理を言って、この句を採ってもらったのである。
書は、白い紙、白い額に赤い文字。
ずいぶんモダンである。

写真をクリックすると、写真が大きくなると思うので、シルエットを是非見ていただきたい。

2016年9月13日火曜日

「けさもよい日の星一つ」

「けさもよい日の星一つ」

昭和五年もまた歩きつづけるより外なかった。
あなたこなたと九州地方を流浪したことである。

前二句同様「草木塔」からの句である。
小見出し「昧昧居」の後にある句で、直前には「しきりに落ちる大きい葉かな」
直後には、「すっかり枯れて豆となつてゐる」の句がある。
「昧昧居(まいまいきょ)」とは、「層雲」の同人、松垣昧昧の家の意か。

少し落ち着いた気分なのであろう。
今日も良い日になるような気がする、歩きつづけるより外ない山頭火の束の間の安息か。

書は、横書きの右始まりである。
上の空間を大胆に使っている。
これだけの間(ま)は気分爽快だろうなあ。
S先生会心の作にちがいない。
一方、写真は苦労した。
「こんな句は無理」と最初は思った。
しかし、ここで負けてはこれから先の力関係がマイナスとなってしまう。
「よし、がんばるぞ」の精神でどうにか間に合わせた。

サイズを小さくしたので、このブログからはよく分からないと思うが、N西の裏にある千本浜の防波堤で撮った写真である。
防波堤に座った老人が海を眺めているところを後ろから撮ったものである。
右上に星、ただしこれはパソコンで作った星。
ひとつの写真ではバランスが悪いので、右の写真をパソコンで細工したものを付け加えた。

うーん、何とも言えんが、ワタシとしてはよく頑張ったのである。





2016年9月12日月曜日

「青空したしくしんかんとして」

「青空したしくしんかんとして」

「したしく」は親しく
「しんかん」は深閑もしくは森閑であろう。
あたりに、音のしない、ひっそりとした様子である。

「青空には親しみを感じる、そしてその青空は実にひっそりとして静かである。」
こんな意味ではなかろうか。
写真は富士吉田の神社にあった枝をおとされた杉の木である。
中心に集まって行く木の間に「青空」が見える構図だが、主人公はあくまでも「青空」だ。
一方、書の方は中心を開けて、左右に字が広がって行く。
二人で意図したわけではないが、対照的な構図となった。



この句も昨日の「おちついて」の句と同様「草木塔」に記載されている句。
山頭火の昭和九年六月十二日の日記にはこう書かれている。

六月十二日 
早朝、砂君を見送つて駅へ。砂君はまろい人だつたが、二十年の歳月が君をいよいよまろくした、逢うて嬉しい人だ。何だか遣りきれなくて飲む、酔うて辛うじて戻つて寝た。或る時は善人、或る時は悪人、或は賢、或は愚、是非正邪のこんがらがるのが人間の生活だ。 
 
 てふてふよつかれたかわたしはやすんでゐる 
 ふつと逢へて初夏の感情(追加) 
 青空したしくしんかんとして 
 朝じめりへぽとりと一つ柿の花 
 けさはじめての筍によつこり 
 こんなところに筍がこんなにながく(再録) 
 あひびきの朝風の薊の花がちります 
 酔ざめはくちなしの花のあまりあざやか 

2016年9月11日日曜日

「おちついて柿もうれてくる」

「おちついて柿もうれてくる」

山頭火「草木塔」の「山行水行(千人風呂)」の中にある句である。
「草木塔」は1940年、山頭火57歳の時に発行された句集だ。
この句の前には

「秋風の、腹立ててゐるかまきりで」
があり、後には
「重荷を負うてめくらである」
がある。

「草木塔」とは、草木に感謝し、その成長を願って建立されたと伝えられる石碑のこと。

さて、作品であるが、写真は熟れた柿の色を強調したかったので、背景を空にした。
こうすると、柿の木がくっきり浮かびあがり、柿色も鮮やかになる。
まわりの黒枠も効果的であった。
撮影場所は山形県の上山。
去年の12月だったか。

一方書の方は、比較的スタンダードな表現の仕方である。

まあ、両方とも無難な作品ですな。

2016年9月10日土曜日

記念コンサート、そして「うしろすがたのしぐれてゆくか」

「ずんぶり浸る展」記念コンサート。
いつもはオープニングコンサートであるが、今年は都合により、二週目の土曜となった。
やはり、コンサートの威力は抜群、入場者は今日一日で、九十人以上あったということである。

さて、今日から作品解説をしたいと思う。

「うしろすがたのしぐれてゆくか」
有名な句である。
1931(昭和6年)12月24日、福岡県八女市での作という。
冬の寒い日の托鉢。
修行を続ける山頭火だが、相変わらず失敗を繰り返し、まわりの人間に迷惑をかけてしまう。
そういう自分、時雨のなかに埋もれそうになっている自分を、もうひとりの自分が黙って見つめているのである。


書の方はうすい墨で文字を左右に分けて書いている。
いかにも不安な感じ。
一方、写真の方は何年か前のN東高時代、海浜教室からの一場面だ。
後ろ姿、この後ろ姿には不安などまったく感じられないが、あえてこの写真をぶつけてみた。

2016年9月9日金曜日

静岡新聞に展覧会の記事

「ずんぶり浸る展」のクライマックスとなるのが、おそらく明日の「記念コンサート」になるだろう。

今朝の静岡新聞伊豆東部版には「山頭火の句 書と写真で
沼西2教諭 明日記念コンサートも」
の見出しで記事が掲載された。
本文には次のようにある。

種田山頭火の自由律俳句を、沼津西高の2人の教員が書と写真で表現した作品展「ずんぶり浸る展3rd」が25日まで沼津市我入道の芹沢光治良記念館で開かれている。
2人は二年前から毎年9月に、同館で同じコンセプトの展覧会を開いている。
3回目の今年は13句を題材に作品を制作した。
「青空したしくしんかんとして」では、薄墨を使った直線的な筆致の書に、青空に向かってどっしりとそびえ立つ木々の写真を組み合わせた。

流石にプロの新聞記者。
そつなく文章をまとめてあるなあ。

2016年9月8日木曜日

弱気

台風13号の動きが心配されたが、幸い、静岡県にはそれ程の被害を及ぼすことはなかったようだ。

木曜日は授業が四つるため、なかなか体力、気力の必要な日である。
さすがにこの歳になると、四つはキビシイ。
特に気温の高い時期は、身体に応える。
要するに、冷房無しで授業をやれば、気温三十度前後の室内で汗タラタラとなる。
また冷房を入れると、これはこれで部屋から出たときの温度差にやられてしまう。
きっと、自律神経がついていけないのだろう。
最後は気力でやらねばならないのだろうが、その気力が最近はイマイチなのだ。

と、多少弱気になるワタシであった。




2016年9月7日水曜日

卒業生現れる

昨日、卒業生から連絡があり、「ずんぶり展」に行きたいとのこと。
今日水曜日は、水曜テニスの日であったが、昨夜の天気予報では雨。
「これはテニスができん、ちょうど都合がいいわい。」と来場OKの連絡。

ところがである。
一夜明け、朝のうちは強い雨であったが、昼前には完全に晴れ。
卒業生とはもう約束しているぞ。
あわてて、テニス欠席の連絡。
テニスの先輩方、御免なさい。

さて、会場には四人の卒業生が来てくれた。
彼女たちには去年も来てもらったのだが、今年も相変わらずの楽しい時間を提供してくれた。

高校卒業後、まだ半年しかたっていないのだが、皆ずいぶん成長したように見えたよ。



2016年9月6日火曜日

碌山

写真は安曇野、「碌山美術館」の遠景。

碌山、本名荻原守衛(おぎわらもりえ)は明治期の彫刻家。
五人兄弟の末っ子として安曇野で生まれる。
この守衛が芸術家をめざすキッカケが面白い。

守衛は幼い頃から病弱で、読書や絵を描いて過ごしていた。
彼が17歳の時、通りがかりの女性に声をかけられる。
田舎では珍しい白いパラソルをさし、大きな黒い瞳をした美女であった。
美女の名は相馬黒光(そうまこっこう)。
尊敬する郷里の先輩相馬愛蔵(この人物が新宿中村屋の生みの親)の新妻で、守衛の三歳年上であった。
東京の女学校で学んだ黒光は、文学や芸術を愛する才気あふれる女性。
守衛はそんな黒光から、あらゆる芸術についての知識を授けられ未知なる扉を開いた。
やがて彼は芸術への情熱に目覚めて行く。
(やはり、美女の影響力というのは偉大だね。)

卒業生が「ずんぶり展」を観たいということで案内する。
大学生は今ちょうど夏休みなのです。
年々成長して行く姿は、見ていて頼もしいね。




2016年9月5日月曜日

鯖江の萬慶寺

写真は信州「安曇野」にある「緑山美術館」の窓。
此処何回かのブログ写真は「緑山美術館」の写真を使っている。

夜、「鶴瓶の家族に乾杯」という番組を見ていると、鯖江の「萬慶寺」が出てきた。
このお寺、本堂の天井に、間部詮勝(まなべあきかつ)の絵が描かれている。
番組では、その絵が放映されたのだが、これが素晴らしかった。
言ってみれば、鯖江藩の殿様が絵を描いて、それをお寺に奉納したのであるが、この殿様の日本画の腕前が並ではないのだ。
天井には、風神・雷神、そして龍が迫力のある姿で描かれていた。

間部詮勝と言えば幕末時、大老井伊直弼と共に、攘夷派を弾圧した老中である。
のち、失脚してしまうのだが、日本の政治の表舞台に立った人物が、こにように素晴らしい絵を描くとは。

恐れ入ったね。

2016年9月4日日曜日

「ずんぶり」二日目

「ずんぶり」二日目。

一番最初にやってきたのは、中学時代の友人、N君とH君、N君は娘さんと一緒だった。
家が近所ということで、今年も早いうちに来てくれた。
次に現れたたのが、G南高時代の教え子Tさん。
家族連れで三島からやってきてくれた。
昼前には高校時代の仲良しだった友人。(おやつの差し入れご馳走様でした。)
さらにトビコミの来場者も三組。
なかなか忙しい日である。

そして三時前後には、コンビSさんの奥方のご両親。
また、芸術科の音楽専攻生徒はお父さんと一緒に。
早速やってきてくれてありがとう。
彼女たちのお父さんとは、なんか趣味が似ているようだ。

今日来ていただいた来場者に感謝である。

さて、今日実は気になったことがひとつ。
どうも、我々の会場の近辺が「ポケモンゴー」の目的地(なんの目的地なんだかよくわからんが)になっているようで、スマホを片手にした老若男女がワサワサ現れた。
これがまるで、ゾンビ映画を観ているような感じなのだ。
まあ、人間いろいろな趣味を持つのは否定しないが、他人に迷惑をかける趣味は、これはいけません。
スマホ片手のゾンビどもは、車でやってきて、会場利用者のための駐車場を勝手に占領してしまうのだ。

腹がたつこと、この上ないね。



2016年9月3日土曜日

「ずんぶり浸る展」初日

「ずんぶり浸る展」初日であった。

前回、前々回と、初日にはオープニングコンサートを企画していたのだが、今回は音楽の先生の都合がつかず、一週先送りにすることとなった。
従って、本日は地味なオープニングとなったが、来場者の方は、思ったよりも多彩であり、それなりの満足感が得られた。
うん、こんなオープニングでも良いかもしれないな。

さて、今日は土曜日なので「土曜講習」あり。
ワタシの講義時間は12:00から。
展示会場より学校まであわてて戻り、講義をして再び帰ってくるという、聊か忙しい日であった。

講義が終わると質問の生徒あり、嬉しいことに、このブログを時々見てくれているとのこと。
これからもよろしくね。

2016年9月2日金曜日

偶然

「ずんぶり浸る展」の準備のため、芹沢光治良記念館まで出掛ける。
いよいよ明日より開催である。
記念館のスタッフに会うと、もう一年経ってしまったのだなあと、感慨深いものがあった。

さて、準備をしている最中、美術館とか博物館の学芸員実習だという大学生が3人ほどやってきた。
そして、その中のひとりの女学生がワタシに声をかけてきたのである。
おおー、そう言えば何か見覚えのある顔だ。
それは、以前勤務していたN東の卒業生だったのだ。
さらに驚いたのは、今回の展覧会に展示していた作品にN東時代に撮ったものがあり、なんと彼女はその写真を見て、「ああー、これはナントカちゃんだ。」と叫んだのである。

うーん、こんな偶然もあるんだね。



2016年9月1日木曜日

不可解な判定

写真は底の抜けた柄杓である。

どのような意味があるかというと、無事出産。
すなわち、安産祈願のための柄杓だという。
何事もなくスッと赤ん坊が抜けてくる、ということだろう。

サッカーのワールドカップ最終戦、対UAE戦を観た。
レフリーがカタール人だということを聞いた時点で不吉な予感がしたのだが、案の定、妙な判定が多くあった。
日本の完全なゴールが認められなかったり、明らかなペナルティーキック(あれだけ近くで見ていてPKをとらないのは、何かあると勘ぐられてもしかたがないぞ)のはずが流されたり、判定の不公平にもほどがある。

しかしながら、これが世界基準なのだろう。
これが現実というものなのだろう。
今どきバレーボールにしてもテニスにしてもビデオ判定があるのだから、サッカーも考えても良いのではないでしょうかね。