2015年4月30日木曜日

「夏目漱石、読んじゃえば」

面白そうな本の紹介があった。

奥泉光「夏目漱石、読んじゃえば?」
言わずと知れた文豪「夏目漱石」をどう読むか、というのがそのウリなんだろうが、なかなか視点が面白い。

最終ページでは、百年後の現在、自分の作品が広く読み継がれていることを知った漱石が言う。
「読み継がれるのはいいんだけれど、文豪とか純文学とか、教科書に載ってるとか、なんだか小難しいイメージなんだって?小難しく読みたい奴にゃ勝手に読ませときゃいいがね。」
さらに漱石は百年後の小説家(奥泉光)に尋ねる。
「きみは僕の作品をどう読むんだい?」

「夏目漱石、読んじゃえば?」は、このような問いに、著者の奥泉光が答えたものなのである。
例えば、奥泉は言う。
「坊っちゃんがキレる若者だとすれば、三四郎はシャイな草食系男子だ。」

うーん、そうか、そうきたかである。
N西の図書館も購入するよう、働きかけてみよう。


2015年4月29日水曜日

ゴールデンウィークの始まり

ゴールデンウィークの始まりである。
もっとも、今日(4月29日)を休んでも明日、明後日と仕事があるので、一般的には5月1日が連休の始まりとなるのだろう。
そのせいかどうか(一体どのせいだ?)今日は引きこもりの一日。

京都大学初のプロ野球選手となったロッテオリオンズ田中英祐投手の初登板の試合があった。
5失点という無惨な結果となってしまったが、観客の入りはとても良かったという。
もう少し一軍にとどまるということなので、次を期待しよう。

(写真は小山町の町営グランドの櫻。遠くには金時山も見える。)


2015年4月28日火曜日

ドッペルゲンガー

知り合いのブログを見ていると、「ドッペルゲンガー」について書かれていた。
友人に「あなたにソックリな人が本屋の店員にいる。」
と言われ、友人と一緒に出掛けたが、それはひょっとして「ドッペルゲンガー」ではないかと思い逃げ帰ったのだと。

さて「ドッペルゲンガー」とは何ぞや?

ネットで調べると、次のように書かれていた。
ドッペルゲンガーとは自分の生き写しのこと。
別の言い方をすれば、もう一人の自分が目の前に現れるという怪奇現象である。
ドイツ語のドッペルゲンガーは「二重の」を意味する「ドッペル」と「歩く者」を意味する「ゲンガー」との合成語であると言われている。
日本にも同様の現象を表す語は以前から存在しており「影の病」と言うそうだ。

ドッペルゲンガーの特徴としては、
・自らのドッペルゲンガーを見た者は近いうちに死を迎える。
・自分以外の人間には、ドッペルゲンガーは見えない。(これが正しいとすれば、私の友人のケースはドッペルゲンガーではありません。)
・本人と関係の深い場所に出現、出没する。
・女性より男性に起こりやすい。
等々、かなり多くのケースを持つようだ。

写真は、四月の中旬に撮った富士霊園の桜。
別にこのブログに合わせたわけではないが、雰囲気はぴったりとなってしまった。





2015年4月27日月曜日

ゆんぼだんぷ

先週撮った「雨上がりの鉄棒と散った桜の花びら」である。
場所は御殿場の馬車道公園。

今日の北海道はフェーン現象のため、気温が30度を越す真夏日だという。
ちょっと前まで雪が降っていたというのに。
やはり、地球がおかしくなってしまったのだ。

昨日、お笑い番組をみていると、ニューカマーが現れた。
その名は「ゆんぼだんぷ」。
上半身裸の、でっぷりした男二人が登場し、次のように言う。
「まるで鏡のような水面に雨の雫が一滴落ちる音」
一人が霧吹きで二人のお腹にに霧を吹く。
次の瞬間、お腹とお腹をくっつけ音を出す。
「ポッチャン」

まあ、百聞は一見に如かず。
ユーチューブで是非見てくださいな。



2015年4月26日日曜日

もずくサイダー

ユーチューブふうに言うならば、「もずくサイダーを作ってみた。」である。

先日、中学の同窓会があって、その時に出てきた料理のひとつが、この「もずくサイダー」であった。
「おおー、これなら私にも出来そうだ。」
とずっと思っていたのだが、なかなかチャンスがなかった。
本日、たまたま家の冷蔵庫を開けたところ、もずくを発見。
「サイダーもどこかにあったぞ。」と探すと、これも無事発見。

早速、作業にとりかかる。
作業といっても、もずくのパックを開けて、椀に投入。
さらにサイダーをやや多めに椀の中に注ぐ。
以上、である。

さて、恐る恐る食してみた。
「うん、うん、結構いけるではないか。」
満足、満足。

ひょっとしたら、この組み合わせ、宴会かなんかに出ていた「もずく」に、酔っ払いが誤って「サイダー」を溢してしまったところから始まったのではないだろうか。






2015年4月25日土曜日

バッテラ

ひさしぶりに「晴れたぞ」と思っていたのもつかの間、夕方ちかくには「雨ざあざあ」であった。

何の番組だったか忘れたが、バッテラ(しめ鯖の押し寿司)の語源は、ポルトガル語で小船を意味する「bateira(バッテイラ)」だと説明していた。
明治26年頃、大阪順慶町の寿司屋がコノシロの片身を寿司にのせた形が、小船に似ていたため「バッテラ」と名づけられた。
これが鯖寿司に応用され、次第にしめ鯖の押し寿司を「バッテラ」というようになったのだそうだ。

ところで「バッテラ」と同じように、ポルトガル語が日本語の中に入ってきた例は結構あって、おなじみの「タバコ」の他、「ミイラ」「オルガン」「ボタン」「キャラメル」と、随分日本語に馴染んでいるようだ。
そうそう、「雨合羽」の「かっぱ」もポルトガル語なんだって。


2015年4月24日金曜日

ジャン・コクトー

Expo 75 - Galerie Lucie Weill コレクターズプリント伊東の「池田二十世紀美術館」まで出掛ける。
新緑の山を見ながらのドライブは気分がいい。

この美術館は、シャガール、ピカソ、ルノワール等々、所謂有名作家の作品を所蔵しているのだが、今回はその所蔵作品展である。
「自前ですべて済まそうなんてえのは、少々虫がよすぎるな。」と思いつつ「でも、シャガールだよな。ピカソだよな。ムンクもあるぞ。」と、妙に納得して鑑賞してきた。

さて、その中でも特に気になったのが右のジャン・コクトーの描いたポスターである。
ポスターの色がなんといってもいい。
実際の色は、もう少し青が強い感じであるが、とても素敵な色であった。

ジャン・コクトーは、フランスの芸術家で、詩人・小説家・劇作家・評論家・映画監督・脚本家と様々な顔を持つが、私が一番好きなのはやはり画家のコクトーである(コクトー自身は詩人と呼ばれるこちを望んだという)。






2015年4月23日木曜日

整形美人のどこが悪い。

昨日の「責任という虚構」の中には、次のような文も見られた。

自分の美貌を褒められて喜ばない人はいないが、なぜだろう。
身体的属性は遺伝に大きく依存する。
美しいのは自らの努力の結果ではなく、そのような形質を両親が備えていたからだ。
それに対して整形手術や化粧で美しくなる場合は「自分の本当の美しさではない」とか「あの女性は整形美人にすぎない」と、逆に評価が下がる。
両親からの遺伝は単なる外的要因の結果にすぎない。
化粧や整形手術による美貌のほうが、その原因がより直接に本人の意志と結びつけられるので、因果関係からみると、自分の美貌をより誇れるはずだが、そうはならない。

「人間が主体的な存在である」という考えを否定する部分であるが、分かりやすい例えだ。
美貌を主体的に努力して手に入れても、周りはなかなか評価してはくれない。
とでもいったところか。

2015年4月22日水曜日

人間は主体的な存在ではない。

久しぶりの水曜テニス。
平均年齢は七十歳を越すが、皆さんお元気である。

明日は現代文の演習で、小坂井敏晶「責任という虚構」の説明をする。
なかなか骨が折れるが、面白い文章である。

要旨は、「人間が主体的な存在であるという考えは、実は誤りであり、我々が主体と考えているものは、社会環境の中で脳が不断に繰り返す虚構生成プロセスから生み出される、実体的にとらえられない幻想にすぎないものである。」といったもの。

もうすこし簡単にいうと、「意志が生じる前に無意識過程で行為が開始される」ことが、脳生理学の実験結果により証明された。
そして、この結果は、これまでの哲学や心理学が前提としていた「主体の存在」を否定することになる、ということだ。
まったく、自由かつ意識的に行為をする場合でも、意志が生じる前に行為の指令が出ているのである。

人間は主体的な存在ではないのである。

2015年4月21日火曜日

成人病検診


昨日は成人病検診の日。

採血、血圧測定から始まって、最後に待っているのが胃のレントゲン検査である。
バリウムを飲んで(最近はバリウムも慣れてきて快感さえ感じられる程)、くるくる回される。
まあ、そこまでは良いのだが、問題は下剤を飲むタイミングなのである。

下剤を胃の中に入れるということは、当然胃の中の物を外に出す作用が働くのだ。
したがって、下剤を飲んだ後に授業が続く時は、いつその作用が働くか、気が気ではない。

やはり、教員というのは因果な職業なのですかね。

2015年4月20日月曜日

ぶつかり女

夜八時半、御殿場地方に大雨警報。
風も結構強い。
もう春の嵐でもなかろう。
やはり、異常気象の一つか。

大阪で「ぶつかり女」のニュース。
えっ?
「ぶつかり女」?
昔、「口裂け女」とういう怪談じみた話はあったが、「ぶつかり女」とは。

記事は、「ぶつかり女逮捕。」
大阪府枚方市で、通学時の児童50人にタックルをしたり、故意にぶつかってケガをさせた看護師の女が逮捕された。

へぇー、予想はできるが、看護師という職業は、相当ストレスが溜まるのだろうね。



2015年4月19日日曜日

日本人なら箸を知れ。

相変わらず妙な天気が続く。
今日も、晴れてるなと思っていると、突然の雨。
そのまま雨が続くと思うとパタリの止む。

車の定期点検で日産のディーラーに出掛ける。
およそ一時間半の待ち時間があった。
そこで、ディーラーにあった雑誌「サライ」を読む。

特集「日本人なら箸を知れ。」
なかなか面白いキャッチフレーズである。
そうだよな。
箸のことなどあまりじっくり考えたことなどはなかったなあ。
雑誌では箸の産地をいくつか挙げていた。

青森 津軽塗箸
秋田 川連塗箸
福島 会津塗箸
石川 輪島塗箸

等々、さすが日本人である。
いろいろな所に優れた「塗り」があり、それぞれが個性的な箸を作っているのである。

ちなみに、静岡県は駿府塗箸である。



2015年4月18日土曜日

意表をつく料理

御殿場東山の幹線道路沿いにあった看板である。
この看板を見て、「はいはい」と言って帰る暴走族も、まずないだろう。
しかし、「帰れ」でなく「帰って」と、なんとなく「お願い」気分が感じられ、謙虚な姿勢に好感が持てるのである。

夜は、中学校時代のクラス会。
年に一、二回のペースで行なっている。
同窓会であるので、当然皆同じ年齢であるのだが、老け方というのは人それぞれ。
まあ、それが人生というものなのだろう。

会場は沼津の「栞菜(かんな)」というお店。
千本にある寿司屋「志摩津」の系列店なのだそうだ。
コンセプトは、「意表をつく料理」か?
「もづく」にサイダーが入ったようなものがあったり、「アスパラの肉まき」の横に、フレンチトーストが添えられていたり、実に意表をついたものであった。



2015年4月17日金曜日

最初の一週間

フル授業の一週間が終わった。

考えてみると、一月に三年生の授業が終了してから、講義形態の授業はやっていなかったのである。
三年生の国公立大学個別試験用指導を、二月末まで行なっていたので、時間的に暇だったわけではない。
ただ、教室での集団授業と離れていただけなのだ。
しかし、このブランクが曲者。
授業で話をすることは何でもないのだが、家に帰ってきてからの疲労が半端でないのである。

まあ、そのうち慣れるのでしょうがね。

2015年4月16日木曜日

箱根 彫刻の森美術館

御殿場東山湖の前にある看板である。
御殿場から乙女峠を抜けると箱根の「彫刻の森美術館」まではあっという間。
写真はその「彫刻の森美術館」の案内看板だ。
東山湖に桜を撮りに出掛けた際、目立つ看板だったので、思わずパチリ。

看板左側に見えるのが代表オブジェ。
近くにあるので行くチャンスはいくらでもあるのだが、それが実現できていないのが、この美術館である。

広島空港での航空機事故。
いろいろ問題がありそうだ。
今回はどうやら航空機のパイロットに責任がありそうだが、この空港周辺は霧なども多いということなので、その設置場所に疑問を感じる


2015年4月15日水曜日

イコライザー

 水曜テニスは今週も雨天中止となってしまった。
四月は、これで十五日間連続一日晴れた日がないという異常な四月となっている。
朝夕のニュースでも盛んにこのことについて触れるニュースが多く、今日などはそれに伴う野菜の高騰なども話題となっていた。

テニスが中止になったので、午後はDVD鑑賞。
デンゼル・ワシントン主演の「イコライザー」を観る。
特殊工作員の過去を持つ男が、カフェで知り合った娼婦の少女をマフィアから解放し、マフィアや悪徳警官に対して制裁を加える、といった内容の映画であるが、まあ言ってみれば西洋版「必殺仕事人」なのだろう。

この映画開始とともに、マーク・トウェインの言葉「人生で最も大事な日は二日ある。生まれた日と、生きる意味を見つけた日だ。」が映し出される。
これは「肉体の誕生と精神の誕生」を示す言葉とされるが、なかなか含蓄のある言葉だ。
かつて国のために命を懸けて働いてきた男が、自分の意志により自分には何の得にもならない人助けをする。
映画のテーマは、こんなところだろうか。

話の展開がスピーディーで観ていてあきないが、主人公と少女の絡みがやや淡白で、深みに欠ける部分もあった。

なお、「イコライザー」とは音響機器で音声信号の周波数特性を変更する機器で、音質の補正(平均化)や改善に使用されるいう。この映画の場合は、「(世の中の)均衡を保つ者」の意味らしい。






2015年4月14日火曜日

菜種梅雨

四月になってから続く雨降りが、ニュースになっていた。
ニュースになるということは、その天候がふつうではないことを意味している。
晴れてないなあ、が実感だ。

三月下旬から四月にかけて降り続く、寒々とした春の長雨を菜種梅雨(なたねづゆ)と言うらしい。
なぜ菜種梅雨か、それは菜の花(アブラナの花)が盛りの頃に降るからだ。
あまり面白みのないネーミングであるが、黄色い菜の花に、しとしと雨が降りかかる様子は、マッコト絵になる風景だ。


2015年4月13日月曜日

坂本冬休み

先日、桜の花でも撮ってみようと、東山のあたりを散歩したのであるが、その折に御殿場東山観音堂に立てられていた板看板である。

看板には「東山子安観世音大祭」とカラー印刷のポスターが貼り付けられていた。
どうやら、次の土曜日にここでショーがあるらしい。
太鼓だとかカラオケだとか、出し物はいろいろある様子。

よく見ると、その中に「ものまね歌謡」というのがあった。
さらによく見ると、出演者が書いてあったのだが、私はその出演者の名前に思わず仰け反ってしまった。
出演者は「そのまんま美川・坂本冬休み」である。

なんてったって、坂本冬休みですぜ。
「坂本冬美」という女性歌手がいるが、その物まねをする芸人が「坂本冬休み」とは。

ちょっと気になったので、早速ユーチューブで調べてみた。
おおー、なかなか上手いではないか。
勿論、ものまねで営業しているからには、その歌の上手さは十分に予想されるのであるが、それにしても上手い。
レパートリーは、坂本冬美から由紀さおり、テレサ・テン、スーパーフライ、等々。
さすが、ものまね芸人だね。

2015年4月12日日曜日

富士霊園の桜

「日曜日の富士霊園など、超満員だろう。(富士霊園は花見の名所なのです。)」と思いつつ小山町の霊園まで出掛ける。
案の定、国道246から東へ行く道は数珠つながりの混雑。
しかしながら、私は地元民の端くれ。
裏道、裏道によってなんなく到着することができた。

霊園の桜は満開。
人も満員。
桜の並木道は、人また人であふれていた。
世の中、平和だ。

帰り道は、小山町のかつての勤務先、小山分校跡地に寄ってみた。
建物は遠い昔になくなってしまっているのだが、現在あるグランドに、わずかに昔の面影をみることができた。
あれから四十年かあ。





2015年4月11日土曜日

ナルコ・コリード

ドキュメンタリー映画、「皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇」という映画が公開された。

この映画は、常に死と隣合わせの勤務に自ら志願して続けるメキシコの警官と、麻薬カルテルのボスを英雄視する歌でのし上がるメキシコ系米国人を中心に展開する。
映画の中で、米国やメキシコで人気の音楽ジャンル「「ナルコ・コリード(麻薬の歌)」が歌われているそうだが、その歌詞が恐ろしい。
「邪魔するヤツは頭を吹っ飛ばす!」

そういえば、ちょっと前にメキシコで不正をただすように訴えた大学生の集団を、ギャングが襲って皆殺しにしてしまった事件があった。
市長や警察もグルになっていたというのだから、これはもう救いようがない。

世の中には、我々の常識などまったく通じないことがまだまだ多いのだ。

2015年4月10日金曜日

歓迎会

不思議な写真が撮れた。

これは三島大社の桜である。
撮った日の天気は晴天、逆光で撮っているので桜の花自体は黒くつぶれている。
左上に突き出ているのが神社の屋根。
奥の方の木々や雲も、なかなかイイ感じをだしている。

N西では教員の歓迎会。
つい先日送別会があったと思えば、もう歓迎会。
会場リバーサイドホテルの料理は、今ブームの和食であった。


2015年4月9日木曜日

梁甫吟

三年生の漢文教材に「孔明臥竜」という逸話がある。

孔明は勿論、諸葛孔明のことであるが、「孔明臥竜」の中には、その孔明が好んで吟じていた詩が紹介されている。
それが孔明自身の作った「梁甫(りょうほ)吟」だ。
「梁甫」とは山の名であるが、この詩の主題は、斉の宰相晏子の策略(力ばかり強くて無礼な三人の男を、たった二つの桃で殺した。)に、孔明が感心したことである。
「梁甫吟」とは、策士の晏子を讃える詩なのだ。

しかし、よく考えてみると、自分に対して多少礼を失した人間を、気に入らないからといって殺してしまうなんぞは、結構残酷な話ですな。




2015年4月8日水曜日

都心で雪

都心では雪が降ったという。
4月の雪は何年ぶりなのだろう。
御殿場でも雪とまではいかなかったが、パラパラと雨ではないものが。
幹線道路を走って行く車の屋根に十センチ以上の雪がのっているのにはさすがに驚いた。

昨年は「異常気象」の文字が多く飛び交っていたような気がするが、今年も同様なのだろうか。

水曜日は週休日でテニスの日、なのだが今日は中止、すこし身体がなまってきた。
まあ、こんな天候ではしょうがないね。


2015年4月7日火曜日

ポテそば

今日の夕刊の社会面に「ポテそば」「ポテうどん」なるもののことが載っていた。
かけそば、かけうどんのトッピングにフライドポテト、ということだ。
これは、大阪十三(じゅうそう)の蕎麦店が、若者客を増やそうとして二月から「ポテそば」「ポテうどん」の販売を始めたところ、一ヶ月の売り上げ記録を更新、3000食以上が売れる人気となった。
そば・うどんは、ポテトと別の皿で提供される。
ツイッターなどで「組み合わせが新すぎる」と評判になり、土・日は一日約150食が売れ、三月には3000食を突破、これまでの最高だった海老天そば約1800食の記録を抜いたのだそうだ。

この人気を受けて、首都圏でもあの「名代 富士そば」が、「関西で密かなブーム」とか「噂の商品、東京上陸」と紹介、ポテそばの販売を始めたそうである。

うーん、抜け目ないね。

2015年4月6日月曜日

いよいよ新年度

N西は職員会議。
いよいよ新年度が始まる。
教員をしている限り、この時期の落ち着かない気分は、常に付きまとうことだろう。
毎年、毎年、新しい環境にチェンジするのだから。

ところで、今ニュースをみていると、面白いニュースがあった。
スマホのニュースである。
信州大学の入学式において、学長が「スマホやめますか、それとも信大生やめますか。」と学生に投げかけたということである。
入学生に対して、スマホばかり見ていて良いのか?本を読もう、友達と話そう、と訴えているのだ。

一方、立教大学ではそれとは逆に、スマホを有効に利用しようということで、大学が情報提供アプリ「SPIRIT-Mobile」を使って、休講情報や教室変更の通知をしているのだと。

うーん、いろいろ考えてしまうなあ。

2015年4月5日日曜日

わたぼうし

先日、三島大社に出掛けた際に撮った写真である。
たまたま結婚式を挙げた直後の花嫁、花婿が桜の前で記念撮影をしていた。
これはチャンスと、どさくさに紛れて写真を撮ってみた。

花嫁が被っている布状のものは「綿帽子」という。
「綿帽子は」は室町から安土時代にかけて、武家婦人の外出着として、小袖を頭から被って着られていた「被衣(かづき)」が起源であるという。
おおー、そういえば着物を頭に被っている絵は時々見ることがあるな。

そして、これが江戸時代に、真綿で作られた「綿帽子」として、若い女性のものに定着していったのだそうだ。
うーん、それで「綿帽子」か。

では、それを何故花嫁が被るようになったのかというと、西洋のウエディングドレスのベールの影響で、「挙式が済むまで、花嫁は新郎以外の人に顔を見られないように」をという風習を踏襲したのだと。
また婚礼衣装に白無垢が用いられるようになったのに合わせて、白い「綿帽子」を取り入れるようになったということだ。

なお、結婚式で花嫁が被るものに「角隠し」があるが、これは幕末から明治にかけてあらわれ、現在では白無垢の場合にのみ「綿帽子」、色掛けと白無垢には「角隠し」を着用するらしい。
ふーん、そういうことだったのか。
色の付いた着物に、「綿帽子」は似合わないものな。



2015年4月4日土曜日

曇り空の桜

何だかはっきりしない天気が続く。
四月の天気というのはこんな感じだったかなあ。

御殿場の桜の偵察にでかけてみた。

曇り空の桜はそれなり。
それなりの桜はそれなりなのだがそれはそれでそれなりの良さがある。
それは墨絵のそれ。
薄墨のそれ。

曇り空の中に桜の白が溶け込んで、それはそれで良いのである。




2015年4月3日金曜日

セーラー服と桜

昨日は天気もまあまあ、三島大社に行ってみた。
平日にもかかわらず人でいっぱい。
さすが三島大社だね。

目的は桜。
満開をやや過ぎた感ではあったが、こちらもまあまあ。
老若男女、各世代取り揃え、である。

桜を堪能。
桜を堪能。

写真は大社に程近い三島K高の女性徒。
彼女たちも花見であろう。
沼津N高と同様セーラー服である。
桜にセーラー服、よく似合う。
(これは私の思い入れか?)

御殿場の桜はこれから。
来週あたりが満開となりそうだ。


2015年4月2日木曜日

レッド・アルバム

ビートルズのドキュメンタリーDVD「ザ・ビートルズ/ レッド・アルバム 1962-1966」を観た。
これはビートルズのベスト盤、通称「赤盤」に収録された曲に、ビートルズの演奏映像を交えて、その編集者や記者、プロデューサーなどが、それぞれの視点でコメントをして行くといった体裁のDVDである。

この中で特に印象深かったのが、ビートルズの作品の中で最も知られていると思われる曲、「イエスタディー」に関しての識者のコメントだ。
「イエスタディー」はポール・マッカートニーが作曲した曲であるのだが、ポールはこの曲が夢の中で出来たと説明したのだそうだ。

よく言われていることだが、ビートルズの曲というのは、ほとんどがジョン・レノンとポール・マッカートニーが作曲している(勿論、ジョージ・ハリスンも素晴らしい曲は作っているのです)。
しかしながら、その作り方には大きな差があって、ジョンは苦しんで苦しんで自分の身体から絞りだすように作曲するが、ポールはまるで好きなお菓子でも食べるように、いとも簡単に作曲する、のだそうだ。その典型的な例が「イエスタディー」なのである。

ふーん、才能というのは、こういうことなのですね。

2015年4月1日水曜日

インサイド・ルーティン・デイヴィス

コーエン兄弟の映画「インサイド・ルーティン・デイヴィス」を観る。
コーエン兄弟というのは、兄のジョエル、弟のイーサンの兄弟でハリウッドの映画会社20世紀フォックスと契約、次々と話題作を製作していった兄弟である。

私が初めて彼らの作品を知ったのは、「バートンフィンク」だった。
この映画はカンヌ国際映画祭でパルム・ドール、監督賞、男優賞の三部門を制覇した。
ホテルの隣室に居を構える大男チャーリーに対する主人公の不信と恐怖の念が錯綜して行く、といった按配の映画で、私がショックを受けたのは、そのストーリーの展開がまったく読めなかったことである。

さて、今回観た「インサイド・ルーティン・デイヴィス」は、60年代のニューヨーク、売れないシンガーソングライターの一週間をユーモラスに綴ったもので、ボブ・ディランが敬愛したフォーク・シンガー、デイヴ・ヴァン・ロンクの姿を描いたものだという。

派手さはまったくないのだが、その映像の妙と、展開の見えないストーリーの不思議さは、いかにもコーエン兄弟の作品であった。