2017年11月30日木曜日

今年の紅葉が美しい理由


今日のローカルニュースによると、今年の紅葉は例年よりもキレイなのだそうだ。

そう言われてみれば、確かに紅葉の写真写りが良いような気がする。
今年の天候の特徴は、気温の上下動が激しく、暖かいと思うと急に寒くなる。
これの繰り返しであった。

日本の刀剣も焼いたあとに急激に冷やす、そしてまた高温で焼いて急激に冷やす、これの繰り返しにより、世界で最も美しいと言われる日本刀の肌が出来上がるのだ。

したがって、紅葉の美しさもこれと同じ理屈ではないかと、かってな想像をするワタシであった。

2017年11月29日水曜日

太腿内側の内出血

右太腿の内側に内出血があり(内転筋を痛めたのは分かっていたが、実のところ内出血に気づいたのは一昨日で、あれ、こんなところアザがあるぞくらいの感覚であった。)、今日の水曜テニスは躊躇したのであるが、アザがあるだけで痛みはほとんどなかった。
これはテニスをやるしかないなと思い、乱暴にも、いつも通りの二時間のテニスをしてきた。
今のところ異常は感じられないようだ。

横綱の白馬富士が引退の意志を発表した。
人が人を殴るということは、社会的な常識で考えれば「酷いシワザ」、これは当然と言えば当然なのだが、相撲界ではこのような常識はなかったのであろう。
なんてったって、「張り手」という相手をひっぱたく技があるのだから。
テレヴィジョンで誰かが発言していた。
この事件は、相撲界の常識と社会の常識がより近くなるキッカケになるだろうと。

2017年11月28日火曜日

光線の良い紅葉

陽射しが丁度良かったので、学校終わりに紅葉を撮ってみた。
場所は近所の空き地?である。

紅葉の写真というのは、光半分である。
いくら見事に紅葉していても、光線が悪いとつまらない写真になってしまう。
また、紅色だけでも、黄色だけでも、魅力のある写真は出来上がらないような気もする。
空の青と、紅葉していない緑のモミジが入って、バランスのとれた配色となるのだ。

そういう意味で、今回の紅葉は良く撮れた。
と、自分で自分を褒めておこう。


2017年11月27日月曜日

「リボン北海道いちごソーダ」

「リボン北海道いちごソーダ」という
清涼飲料水を飲んだ。今日はやや気温も上がり、喉の渇き著しく、どうしても炭酸水を飲みたくなってしまったからである。

ドラッグストアに入ると、すぐに目に飛び込んできたのがこの「りぼん北海道イチゴソーダ」だったのである。
さらに、大好きな北海道の文字につられてすぐに購入してしまった。

まったく口にしたことのない飲料水を飲む時には、ギャンブルをする時のようなスリルがある。
果たして、今から口にする飲料は「当たりか外れか?」である。
さて、今回は「当たり」であった。
このソーダのウリは、「北海道豊浦産いちごの果実から抽出したエキスを限定使用」とある。
うーん、確かに「いちご感」には強いものがある、百パーセントのいちごジュースと言ってもいいくらいだ。
ただし、「無果汁」の表示はしっかりありますがね。

2017年11月26日日曜日

相撲という縦社会

大騒ぎとなった大相撲の九州場所が終わった。

がっかりしてしまうようなことばかりが続いた九州場所であったが、そもそもの原因は、古き伝統というか、縦社会には必ずといっていいほど出てくる上下関係のトラブルというやつだろう。

それは地位の上下であるし、親方と弟子であるし、先輩後輩でもある。
地位の上の者が下の者に、親方が弟子に、先輩が後輩に、立場を利用して所謂説教というものをする。
傍から見ていて極めて些細なことでもするのだ。(今回の説教が些細かどうかは分からんが)
言ってみれば、説教のための説教なのである。

説教のための説教など、聞いている方は真剣に聞くはずはない。
そこでまた説教、そして暴力となってしまう。

まあ、相撲なんてえのは本来そういうものなのだと、言われてしまえばそれまでだが、やはり何か釈然としないものが残るなあ。



2017年11月25日土曜日

生態系の変化



週刊誌に面白い記事があった。

アメリカの大学教授がアラスカ州からカリフォルニア州にかけての北アメリカ大陸の西海岸の海洋生物を数年にわたって追跡調査をした結果、「2012年以降アメリカ西海岸の生態系が大きく変化している」と指摘している。
過去五年間、少なくとも289種の新しい海洋生物が確認され、生態系が多様になったのだそうだ。
特に増えた種は、ウミウシなどの軟体動物、ゴカイなどの環形動物、クラゲやイソギンチャクなどの刺胞動物、カニやエビやフジツボなどの甲殻類、ウニやナマコなどの棘皮(きょくひ)動物、それに二枚貝やホヤといった無脊椎動物だが、一部には魚類もいるということだ。

なぜ生物の多様性が急増したのか?
新たに出現した生物の大半は、日本沿岸に生息する生物であることから理由は明らかとなる。
東日本大震災の津波が原因と考えられるのだ。
つまり津波によって日本の港や海岸から多くの木材や資材が海洋に流れだした。これらの浮遊物には元々多くの海洋生物が付着、これが海流に乗ってアメリカまで流れついたということである。

生態系の変化というのは、あまり好ましくないことなのだろうが、何か思わずニヤリとしてしまった。
日本はこれまで海外からの生物によって原種が駆逐され、散々な目にあってきたのではなかろうか。
アメリアザリガニなんてえのは、最たるものだ。
そう考えると、今回の出来事は・・・

なんて考えてはいけないのでしょうがね。

2017年11月24日金曜日

紅葉の「紅」

秩父宮記念公園の紅葉がライトアップされているということで、夕方出かけてみた。

確かにライトアップはされていたのであるが、もみじがイマイチだった。
写真では色がハッキリしないが、「紅さ」が足りないのである。
これは一体どういう分けだろうか。

何年か前のライトアップでは、「紅さ」が見事であったのだが。
やはり「紅葉」いうだけに、「紅」の色はしっかり欲しいよね。

2017年11月23日木曜日

小説「こころ」の「こころ」の意味



若松英輔の「『こころ』論ー『語られざる遺言』」の中に、なるほどと手を打ってしまうような記述があった。

文学における理想は、「感覚的」なことを記すことによって、感覚的領域を超えたものを描き出すこと、あるいは、感覚的なものを通じて「一種の情」、すなわち心の躍動を活写することだというのである。「情」の字は「じょう」と読むべきなのかもしれないが、その意味するところは本居宣長がしばしば書き記しているように、「こころ」と解してもよいだろう。
人間を描くことによってむしろ、生ける「情(こころ)」をまざまざと世に顕現させること、それが初期からすでに芽生えていた作家夏目漱石の挑戦だった。

高校生の現代文教科書に、必ず登場する小説「こころ」であるが、この小説の主人公は「私」でも「先生」でもなく、「こころ」と呼ばれる得体のしれない何者かであるとさえ言えるように思われるという部分は、まさに「そうだ、その通り」と大声で叫びたくなった。
いままで、小説「こころ」の「こころ」の意味が何となく、釈然としなかったのであるが、この小論を読み、スッキリしたような気がしたのである。

写真は富士吉田「御師(おし)の住宅」の入り口を撮ったもの。

2017年11月22日水曜日

スーパー祈祷師

天気予報では午後から雨、今日は水曜テニスはできまいと思っていたのだが、どうしてどうして、我らテニスグループには「雨天を晴天に変えてしまう」スーパー祈祷師がいたのである。
我らのグループYさんは、何だか分からないが、昔から晴れ男で有名だったとか

テニス開始後に、ちょいとだけポツリと雨が落ちてきたことを除けば、ほぼ最後までプレできのである。

もっともワタシは途中で、先週同様内転筋が痛くなってきて、棄権をしてしまったのであるが。


2017年11月21日火曜日

冬の始まり

十一月二日に同じような構図(G南高校一棟四階から)で写真を撮り、ブログにも写真を載せたのだが、その時と比べて富士山の雪が、だいぶ下に降りてきたようだ。
今日もその日同様、晴天、雲一つない空であった。
富士山のこの雪がだんだん下に降りて来るんですな。

冬の始まりです。












2017年11月20日月曜日

ジャズ三昧

いきなり冬である。
ワタシの個人的な感覚でいうと、冬は部屋の温度が10℃をきったとこから始まる。
今日は、その10℃を見事にきっていた。
こんな日、オジサンは炬燵にもぐって、ジャズを聴きまくるのです。

昨日、お茶の水の「ディスクユニオン」という中古CD販売店から、ピアノトリオのCD三枚を買ってきた。

・Bill Charlap「All through night」
・Super Jazz Trio「PLEASE  REQUEST」
(リーダーはトミー・フラナガン)
・Roland Hanna Trio「Dream」

写真は「Dream」のジャケット写真だ。
モネの「水蓮」が使われている。
有名な絵画をジャケットに使用するのは、少々安易な気もしないわけではないが、このCDに関しては、音楽の内容と実にマッチしているので、思わず納得してしまった。

ビル・チャーラップは、ワタシがビーナスレコードのシリーズで知った「タッチ、スイング感、音色、リズムの正確さ」、どれをとっても一級品というプレーヤー。
最近の若い?
もう若くはないのかも知れんが、なにはともあれ若いプレーヤーの中ではピカ一である。

スーパー・トリオのトミー・フラナガン・は、地味ではあるがあの古典的名作「サキソフォン・コロサッス」とか、「ジャイアント・ステップ」のピアニストである。

ローランド・ハナも地味さにおいては、トミー・フラナガンに負けず劣らず。
しかし、このふたりテクニック抜群。
バイプレーヤーとしては、超一級なのである。





2017年11月19日日曜日

銀杏並木

所用があって、東京の表参道まで出掛ける。

学生時代に東京の近くで生活していたこともあったのだが、原宿だとか表参道などというところは、自分には無縁の場所であった。
(もっとも、その頃は今のように人出も多くなかったような気もするが。)
従って写真のような銀杏並木は、未だかつて見たことがない。
地下鉄「表参道」の駅から、総武線「信濃町」までの間にある景色である。

こういう景色は日本の伝統的な景色ではないよね。

それにしても、なんて人の多いことか。
しかも三分の一は外国人である。

2017年11月18日土曜日

ショボショボの雨

朝からショボショボした雨、スッキリしない天気であった。
ここのところ本当に「土曜の雨」が続く。
不思議なくらい続く。
何か理由でもあるのだろうか。

本日も土曜講習のダブルヘッダーであった。
何だか分からないが身体は楽であった。
人の身体というのも不思なものだ。
同じように生活していても、身体の楽な日と辛い日があるのだから。
何か理由でもあるのだろうか。

2017年11月17日金曜日

やっぱり、何だか分からない実。

以前「何だか分からない実」としてブログに登場した木の実である。

これだけ大きくなったのであるが、やはりまだ何の実かよく分からない。
ネット検索でいろいろ調べたものの、似ている実はあるのだが、決定的な判断が出来ていない。
何だか不思議な実だ。

大相撲の「横綱の暴行事件」は、いよいよ「藪の中」化してしまっているようで、事実が確認出来ていないようだ。
以前、このブログにも書いたのだが、「事実は揺らぐもの」なのだから、いくら調べても意味はないのかもしれないね。
それよりも何よりも、横綱という地位にある人物が、後輩に手を出した時点で、もうオワッテいるのですがね。

2017年11月16日木曜日

クリスマスショコラケーキ(ノワール)



ローソンのクリスマス・スイーツというやつを食べてみた。

写真右のクリスマスショコラケーキ(ノワール)というケーキである。
このケーキ、ローソンのコマーシャルでは「チョコレートスポンジ・アーモンドジャンドゥーヤ・アーモンドムース・チョコレートムースを重ね、艶やかなグラサージュでデコレーションしたケーキ」とある。

良いところは、所謂クリスマスケーキのホールサイズを、「一人で食べきった」感として味わうことができる点である。
もし、正常サイズのものを一人で食べたならば、胃薬のお世話になってしまうだろう。
一方、悪いところは、ケーキの縁につけられたプラスチックガードを剥がす時に、中身のケーキ部分がかなりくっついてしまうところだ。

ローソンさん、これは何とかしなければいけませんぜ。

2017年11月15日水曜日

内転筋を痛める。

水曜テニスの日であった。

今日は自分の脚にトラブルが発生してしまった。
それほど過激なプレイをしたわけでもないのに、右足太ももの内転筋を痛めてしまったのである。
これは初めての経験だ。
左足の膝に関しては、以前から痛めており、その痛みには慣れた感あったのだが、何の問題もなかった右足太ももとは。

左の膝をかばうあまり、右脚に負荷がかかってしまったのだろうか。

夜、風呂に入った時にマッサージをしてみると、その痛みはだいぶ改善された。

2017年11月14日火曜日

事実は揺らぐもの。

三年生の選択国語の授業では今、入試問題を解いている。
今日は成城大学の問題であったのだが、問題文がなかなか面白かった。

書くという行為は自由を内にはらみ、同時に社会の共通の約束事から自分を切り離す恐ろしさも持つ。
書く際に私たちを縛るものに事実へ妄信がある。
事実は揺らぐもので、詳細な事実を記録することに意味はない。
事実だけではなく、そこに想像力が加わる時に、事実が意味を持つのだが、事実信仰者は想像力の介在と「嘘」を恐れる。
事実は誰が見ても同じという安心感に安住するかぎり、書くことにはつながらない。
書くことは、一人で闇夜の冒険に出かける子供のような、怖いけれどもわくわくする自由があるのだ。
(「ことばのの処方箋」高田宏)

うーんこの文章、普段ワタシの言いたかったことを、代弁してくれているような文章で嬉しかった。
「事実は揺らぐものであり、さらに事実は誰が見ても同じものではない。」のである。
見方の相違、歴史の専門家が聞くと目をむいてしまうような文言であるが、今我々が学習している歴史は、ある一方の方向から見た歴史であるような気がする。(多方面から見た歴史となると、既成の歴史観に混乱が生じるのは分かっている。)
勿論、歴史の専門家からすれば、そんなことは百も承知、分かり切ったことと一蹴されてしまうのだろうが、それでもなお言いたいのだ。
「事実は揺らぐものであり、事実は誰が見ても同じものではない。」





2017年11月13日月曜日

紅葉を見に。



チョイト山中湖まで出掛ける。
紅葉はどうなっているのだろう、が目的のドライブである。

結果は写真のような見事な紅葉であった。
さて、家を出た時には、紅葉だけが目的であったのだが、天気の良さにに誘われて、日帰り温泉の「紅富士の湯」に入ってきてしまった。

ここ露天風呂は、庭園露天風呂であり、天気の良い日に入ると気分爽快デンネン。
富士山を見ながら、ゆったりと湯に浸かることができるのです。

2017年11月12日日曜日

迂闊なことをしてしまった。

迂闊(うかつ)なことをしてしまった。

自分の車の走行距離が十万キロになることを数日前に意識して、これは十万キロになる瞬間を、我が目で確認しようと張り切っていた。
なんてったって、六桁の数字がすべて変わるのである。

丁度、現在の車に乗り始めてから六年経過した。
この年数が短いのか、長いのかよく分からないが、十万キロというのは、これは結構な距離である。
この間、トラブルが一切なかった車を褒めてあげたい。

それにしても迂闊だったなあ。

2017年11月11日土曜日

土曜講習のダブルヘッダー

土曜講習のダブルヘッダーであった。

朝6時半起きをして沼津まで出掛け、1限のN西の講習を8時30分から9時30まで、次に車で御殿場まで移動して、G南3限の講習を10時55分から12時まで。
今月はこれを3回ほどやる予定だ。

若ければ、勢いでやってしまうのであるが、ジジイになると流石にこのパターンはきつくなってくる。
授業自体は楽しく、何の問題もないのだが、やはり1時間前後の(往復だと2時間)移動時間がこたえるのだ。

まあ、引き受けたからには、これを全うしなければ恥ずかしいことですな。


2017年11月10日金曜日

心の重さ

何だか分からないが、身体が重い。
もちろん、最近食べ過ぎで体重が重くなったこともあるのだが、それ以上に心の重さもあるようだ。

虚脱感というか、空虚感というか、何かがすっぽり抜けて、抜け殻だけが残ってしまったような感じである。

やはりワタシにとって「ずんぶり浸る展」という展覧会は、心を充実させる何かがあったのだと思う。
歳を取り、生活のモチベーションがだんだん欠けてきている時であり、心の飢えを感じていたのであろう。
そんな時の「ずんぶり浸る展」、張り切らないはずがない。
充実した毎日であったことはマチガイナイ。

それが終わってしまったのである、うーん、来年また頑張ることにしよう。





2017年11月9日木曜日

ニッチ

最近よく使用される言葉で「ニッチ」という言葉がある。

例えば、今日の朝刊のスポーツ欄には、かつてラグビー日本代表の監督であったエディ・ジョーンズが、「これからの日本代表はどうあるべきか。」の問いに対して語る部分がある。
「来年のサッカーワールドカップに人口わずか三十万人のアイスランドが出場を決めた。三十万人の小国が世界で最も人気があるサッカーで、出来たわけです。ニッチな競技であるラグビーにチャンスはあります。強くならないことの言い訳は、通じません。」
ここでは、ラグビーのことを「ニッチな競技」と言っているのだ。

では「ニッチ」とは何か。

もともとは、建築用語で、壁面を半円または方形にくぼめた部分であるという。
また、トンネル・橋などの脇に設けられた退避所。
さらに、生物学では生態的地位(ひとつの種が利用する、あるまとまった範囲の環境要因)、経済分野では隙間市場なのだそうだ。
まあ、大雑把には「隙間」や「適所」ということなのだろう。

ラグビーを「ニッチな競技」と言っているのは、感覚的には「マイナーな競技」と同じような気がする。
うーん、でも「隙間」「適所」で考えるとチョイト違うような気もするなあ。




2017年11月8日水曜日

男装の女性

次の土曜日には、N西で土曜講習をやる。
問題文は漢文で、「説苑(ぜいえん)」という春秋時代から漢の初めまでの逸話を集めたものである。
作者は劉向(りゅうきょう)で、彼自身の政治的主張を述べているものだ。

男装をした女性を好む景公が、宮廷内では男装させて、宮廷の外では禁止させようとしたが、効果はなかった。
そこで晏子の言葉に従って宮廷内で男装を禁止したところ、宮廷の外でも男装するものはいなくなった。

つまり言いたいことは「君主が自らを正すことの必要性」
なのである。
まあ、「隗(かい)より始めよ」に似ているような気がしないでもないが。

ところで、ワタシが興味を持ったのは、景公が何故「男装の女性」を好んだのか?である。
残念ながら、その点については、ここでは何も触れられていないのである。
景公は「宝塚」のファンだったのでしょうかね。


2017年11月7日火曜日

休み明けの授業

先週の金曜日から四連休(もともと月曜日は休業日なのです)だったので、久しぶりの授業に疲れてしまった。

授業というもの、無ければ無いで、物足りないのだが、休み明けに一限から三限までの三連続授業というのも、ナカナカである。
連投がきかなくなっている今日この頃なのです。

2017年11月6日月曜日

プチテニス

月曜のプチテニス、軽くやったつもりであったが、時間が立つに連れ少々腕が痛くなってきた。
久しぶりのSさんは、もっとだろうか。
ご苦労様でした。

写真は、昨日「秩父宮記念公園」で撮った「菊祭り」の一端として作られた?「ニワトリ菊」。
なかなか考えられていると思う。
赤い鶏冠が効いている。



2017年11月5日日曜日

ダスコ・ゴイコヴィッチ

晴れて平穏無事な日が続いている。
ナンデこの天気を先週にしてくれなかったのかと、多少僻んでいるワタシであった。

ダスコ・ゴイコヴィッチというユーゴスラヴィア出身のトランぺッターがいる。
これはワタシが言っているのだから、勿論彼はジャズのトランペット吹きだ。
このゴイコヴィッチが「エンヤ・ジャズ・マスターワークス」というレーベルから1995年にアルバム「BEBOP CITY」を出した。
今、それを聴いているのだが、BEBOPを冠しているだけあって、実にファンキーなテイストを持ったアルバムとなっている。

ユーゴ生まれのゴイコヴィッチが何故こんなにファンキーなんだろうか。

2017年11月4日土曜日

魂振り

先日のテレビ 番組に、「人が手を振るのは何故か」の問いが出ていた。
番組ではその理由を「魂(たま)振り」だと言っていた。
では、「魂振り」とは何か?

「魂振り」とは神社の参拝の「二拝 二拍手 一拝」で拍手を打つ時の音や、鈴を鳴らしたりする音によって、神様の魂を奮い立たせて、招き寄せる、神ががりの儀式である。
これは中国の歴史書『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん)にも書かれていると言う。
それが、やがて人に対しても行なわれてようになり、『万葉集』でも恋する相手に袖を振ることが、相手の魂を引き寄せる『おまじない』になっている。

日本人が「いってらっしゃい!」と手を振るのも合図的な意味があるわけでなく、『魂振り』の意味なのだそうだ。
昔の人は出掛ける人に対して、手や袖を振ることによって神霊を招き寄せ、その神霊の御加護よって安全に旅にでかけるようにと祈ったものらしい。

ワタシ自身、生徒が手を振ってくれたり、ワタシが手を振ることは、所謂親愛の情だと解釈していたが、これからはこのことも頭に入れておこう。

2017年11月3日金曜日

何の実?

写真は、ワタシの家の前の家にある樹木の実である。
これが何だかさっぱりわからない。
一見サクランボのような実であるのだが、今どき、こんなところでサクランボが実ることはあり得ないことであるし、大きさも微妙に異なっている。
遠くから見ると、サクランボそのもなんですがね。

昼間、沼津の「芹沢光治良記念館」まで出掛けて清算をしてくる。
良い天気であった。
何故、先週の休日は雨だったんですかね。

2017年11月2日木曜日

校舎四階からの富士山

先日撮ったG南高、校舎四階からの富士山である。

この風景は見慣れた風景。
何と言っても、G南高には二十年という長い間務めていた。
これはG南歴代教員の中でもベストスリーに入る長い勤務期間である。

十一年のブランクはあったが、再び同じ教室から同じ景色を眺めると、何か感慨深いものがある。


2017年11月1日水曜日

「ずんぶり浸る展」雑感③

今回の「ずんぶり浸る展」案内状に使用した「万治の石仏」全体像である。

大阪万博「太陽の塔」でお馴染みの、岡本太郎が絶賛した石仏だ。
案内状は、この石仏の手の部分をアップにしたものである。
長野県の諏訪湖にほど近い、下諏訪神社春宮に隣接、田んぼの中デンとかまえている。

我々の展覧会もこの石仏のおかげで、何とか無事終了できたのかもしれない。

南無阿弥陀仏。