2012年6月30日土曜日

小説とは何か?

一昨日、漢文「捜神記(そうじんき)」のことについて、「捜神記」は「志怪小説」であると書いたのであるが、そこで「志怪小説」の「小説」とは一体何だろう?ということに思い至った。(「志怪」は勿論怪異の意味である)さらに「小説」があるのだから、きっと「大説」もあるのだろうとも、当てずっぽうで思った。こんな時「調べるの大好きオジサン」には、「調べなあかんなスイッチ」が付いていて、スイッチが入った時には、(このスイッチは気まぐれなので、時によってはスイッチが入らないこともある。)すぐに調べるのである。
 まず、「小説」であるが「個人が持つ哲学的概念や人生観などの主張を、一般大衆により具体的に分かりやすく表現して示す、小編の言説」これが「小説」とある。それに対して「大説」というのは、「君主が国家や政治に対する志を書く言説」なのである。「ふーん、そうか。やっぱり大説てえのもあるではないか。」調子にのって、さらに「小説」と「物語」の違いも調べてみた。
 「話の展開に内容から導かれる必然性がある」のが小説であり、「内容とはかかわりなく、偶然のつながりによって話を進めて行く」のが物語ということである。今日はチョイとカタイ話になってしまった。

2012年6月29日金曜日

アウトドアの話

アウトドアの話である。昨夜の「怒り新党」において、アウトドアが話題になった。彼ら二人(有吉ナントカとマツコデラックス)のことだから、きっとアウトドアを馬鹿にした話になるのだろうと思ったのだが、よく聞いていると、それはすべてが馬鹿にした話ではなかった。
 さて、私自身はと言えば、アウトドアというのは、その言葉自体が変だと思っている。なぜなら、今のアウトドアというのは、アウトドアではないからだ。本当のアウトドアであるならば、すべてをアウトドアで調達すべきだ。家から持ってきた調理道具とレトルト食品で食事をして、何がアウトドアなのだろう。そんな気がする。・・・・・とぐちゃぐちゃ言っているのだが、本当のところは、アウトドアなんぞには興味がないのである。なぜなら、私の小さいころは毎日がアウトドアであったので、「なにを好きこのんで、あんなに不自由な生活をせねばならんのだ。」というのが本音なのである。

2012年6月28日木曜日

今日は漢文だ。

漢文の話である。中国には怪異な話を集めた「志怪小説」というジャンルがあり、その代表作が「捜神記」である。「捜神」とは、鬼や神を捜し求めたという意である。「捜神記」は受験問題でもよく出題される作品なので、受験生は必読。
 その「捜神記」に曰く。「晋武帝世、河間郡有男女私悦、許相配適。」(「私」は「ひそかに」と読むのですよ。受験生は注意。)口語訳は「晋の武帝の世、河間郡にひそかに愛し合い、結婚の約束をしていた男女がいた。」となる。
 さて、「許相配適」だが「相配適スルヲ許シアフモノ」と読むが、問題は「配適」だ。「配適」とはなんだ?実は(実はも何もないのだが)「配」には「つれあい」という意味がある。さらに「適」であるが、
「適」とは「たまたま」の意を持つ。すなわち「配適」とは「たまたま、連れ合って夫婦になる」ことなのである。そう言えば、「配偶者」という言葉があるが、これもまったく同じ意味で「偶然、連れ合いになった者」なのだろう。そうか、夫婦というのは「偶然」連れ合いになる男女なのだ。
 明日は「アウトドア」の話。

2012年6月27日水曜日

カロリー比較

現在テレビ放映している番組でこんなものをやっていた。ガストというファミリーレストランで出されている「焼きたてりんごパイのバニラ添え」と「マンゴーと白桃のフルーツパフェ」のどちらがカロリーが高いのか?という問題をゲストが判定するという趣向。「くだらん番組だなー。」と思いつつ、何となく気になって最後まで見てしまった。答えは「焼きたてりんご」のほうが430キロカロリー、「マンゴー」のほうが357キロカロリーで、結局「焼きたてりんご」のカロリーの勝ちであった。「勝ち」も何もあったものではないが。
 こんなふうに二つのもののカロリー比較なんてえのも面白い。早速手元にある炭酸飲料「シュエップスのブリティシュレモントニック」と「ジンジャーエール」の比較をしてみた。
「レモントニック」の方が100ミリリットルあたり12キロカロリーなので410ミリリットルだと49.2キロカロリーになる。さて、「ジンジャーエール」の方が100ミリリットルあたり35キロカロリー、こっちは500ミリリットルなので175キロカロリーである。容量が違うので単純比較はできないが、「ジンジャーエール」は結構カロリーが高いぞ。

2012年6月26日火曜日

こんなこともあるのだ。

先週レンタルビデオ屋にいった。そのレンタルビデオ屋には古着コーナーというのがあって、千円以上のものから三百円までの古着を販売している。ここには面白いシステムがあって、販売している古着は日数の経過につれて値段が下がって行く。そして最終的に三百円になるという次第。(三百円のあとにどうなるのかは、良くわからない。)
 さて、チラチラと古着を見ていると、三百円のデニムのジャケットで非常に状態の良いものがあった。「これはいいぞ。買ってみよう。」ということで、購入。家に帰って、着用してみると「おお、なかなかいいではないか。」と満足、満足。さらに全体をよく見てみると、胸のポケットが少々ふくらんでいる。「これは一体なんじゃろな。」と早速ポケットを探ってみる。「おおー。おおー。千円札じゃ。」こんなこともあるのだ。

2012年6月25日月曜日

サカナクション

iphone4sのテレビコマーシャルが妙に気になっていた。ケータイ(iphoneなのでケータイとは言わないか。)に向かって、自分のしたいことを話しかけるアレである。私が気になったのは、コマーシャルの若い女性が「サカナクション、流して。」という場面だ。これは実にうまいコマーシャルの作り方である。まず、「サカナクション」が何なのか考えてしまう。「流して」というからには、音楽であることが理解される。さらに、それを言っているのが若い女性なので、その音楽の傾向も何となく想像できる。しかし、「サカナクション」は曲なのか、アーチスト名なのか考えてしまうのである。そこでネットで検索してみると、なんとアーチスト名が「サカナクション」という妙な名であることが理解されるのだ。おそらく、このコマーシャルを見たオジサンたちは、このような経路でロックバンドである「サカナクション」にたどりつくのであろう。iphoneという商品と「サカナクション」というバンドを同時に相乗効果でコマーシャルする実にうまいコマーシャルである。
 2007年デビューのこのバンド「サカナクション」の名は、「魚」と「アクション」をくっつけたのだそうだ。トレンディードラマの主題歌を歌ったり、モード学園という専門学校のコマーシャルを歌ったりして、今売り出し中のバンドということである。
 私も実際ユーチューブで「サカナクション」を聴いてみた。あまり適切な表現ではないが、方向とすれば、ビートルズとYMOをたして二で割ったような感じであった。

2012年6月24日日曜日

スギちゃんのこと

TBSのニュースキャスターという番組を見ていると「日本人は世界で最もワイルドとは関係のない国民ではないか。」と誰かが言っていた。スギちゃん人気は、この「ワイルドでない日本人」による「ないものに対する憧れ」であると。
 確かに、日本人は礼儀を重んじる国民であるし、でしゃばらないところに美学を持とうする国民でもある。それは疑いようもない事実であるが、スギちゃん人気というのはチョイと違うような気がする。これは、個人の問題なのではないか。スギちゃんというキャラクターが如何にも真面目そうで、(実際、真面目かどうかは分からんが)いくらワイルドを装っても、とてもワイルドには成り得ない。にもかかわらず一生懸命ワイルドになろうとしている姿に、同情と共感を覚えているのだ。
 教員の目でみても、彼の直向きさというのは好感が持てるだけに、一発屋で終わって欲しくないものだ。

2012年6月23日土曜日

イングリッシュマフィン

私は「ベーグル」という種類のパンが最も好きなのであるが、次に好きなパンが「イングリッシュマフィン」である。普通「マフィン」というと「カップケーキ」のようなお菓子のことをいうが、「イングリッシュマフィン」というのは丸くて厚みのあるパンのことである。今、近所のスーパーで売られている「イングリッシュマフィン」は大体が敷島製パン(パスコ)かヤマザキ製パンの「イングリッシュマフィン」である。それぞれ人の好みがあるだろうが、私はパスコの「イングリッシュマフィン」を支持する。いわゆる「超熟マフィン」というやつだ。
 パスコの説明によると、1969年にパスコの社員がアメリカのホテルの朝食で、初めて「イングリッシュマフィン」と出会い「このパンは日本人に好まれるはずだ。」と直感したという。その理由が「トーストした表面がせんべいのようにカリッ、中は炊きたてのご飯のような食感だったから。」
 確かに外がカリッ、中がモチッなのである。因みに、マフィンに切れ目が入っているのは、手で割るためで、手で割った時に割った面が凹凸になってカリッとした食感が生まれやすく、またバターがしみこみやすくなるからなのだそうだ。
 さて、明日の朝食は「イングリッシュマフィン」にスクランブルエッグとベーコン・レタスをはさんで食べよっと。

2012年6月22日金曜日

ジェット・ストリーム

昨日、「は」の字日記のアクセス状況を見てみると、午前三時頃のアクセスが何人かあった。夜中にブログを見てもらうこと、とても嬉しいことです。アクセスどうもありがとうございます。私自身も「ブログはいつも午前零時過ぎから」をモットーにしている。昔から、夜中にゴソゴソ何かをするのが好きであった。世の中が寝静まって、魔物がうごめきだす時間、私の目と脳が覚醒するのだ。なんちゃってね。
 高校から大学にかけて、ラジオでFM放送をよく聴いていたのだが、FM東京の「ジェット・ストリーム」という番組がたまらなかった。それは午前零時を過ぎると「ミスター・ロンリー」をバックミュージックに次のようなナレーションで始まった。

遠い地平線が消えて、
ふかぶかとした夜の闇に心を休める時、
はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は、
たゆみない宇宙の営みを告げています。
満天の星をいただくはてしない光の海を
ゆたかに流れゆく風に心を開けば、
きらめく星座の物語も聞こえてくる
夜の静寂(しじま)の、何と饒舌なことでしょうか。
光と影の境に消えていったはるかな地平線も
瞼に浮かんでまいります

「夜の静寂の、何と饒舌なこと」のくだりは、実に名文句である。静かであればあるほど、いろいろな「お喋り」が心の中に聞こえてくるのだ。
さて、今夜も「お喋り」聞くとしよう。

2012年6月21日木曜日

2012年6月20日水曜日

只管(ひたすら)そして「怒り新党」

「只管(ひたすら)」という言葉がある。「一向」とも書くようだが、その意味は、
 ①ただその事だけに向かうさま。
 ②すっかり、まったく。
という意味である。
 禅の言葉に「只管打坐」というのがあって、それはすなわち「余念を交えず、ただひたすら座禅すること」とある。「只管」はただひと筋にひとつのことに専念すること。「打坐」はすわること。座禅をすることである。ただし、「ひたすら」を「只管」と書くようになったのは、江戸時代以降のことで、それ以前は「永」とか「大」とか「混」とか書いたそうである。うーん分からん。漢字と意味が繋がらん。
 さて、おまけに「怒り新党」である。話が面接試験のことになったのだが、ひとつなるほどと思ったのは、「どのような人間を落とすか?」の問に対して、「その時に応じたボリュームの声が出せない人間。」とあった。なるほど、である。

台風だ。

台風である。六月の台風は七年振りであるとか。今回の台風四号は比較的バランスのとれた(台風にバランスもなにもないのだろうが)台風である。というのは、雨中心の台風でもないし、風中心の台風でもない。両方とも程よく、またスピードもそこそこ、さらに日本列島を串刺しにするような、つまり、大阪・名古屋・東京と大都市にそれぞれ影響を与えている、模範的(え、模範的?)な台風なのである。
 私自身の台風の思い出と言えば、伊勢湾台風であったか、狩野川台風であったか、定かではないのであるが、私が小学校へ上がる前後、台風の強い風により実家の屋根が飛ばされてしまい、部屋の中から★を見た思い出である。部屋に座ったまま★を見上げる、なにか笑ってしまうようなシチュエーションであるが、今思うと親にしてみれば、相当なショックではなかったろうか。
 屋根を飛ばされた後の我が家というのは、なによりも台風を意識した家に建て直された。

2012年6月19日火曜日

「クワバラ」って何?

昨日、最後に「クワバラ、クワバラ。」と書いた。この言葉、何か物騒なことがあった時に使用する言葉であるという認識はあるが、はっきりしたことはどうもよくわからない。そこで「クワバラ、クワバラ。」の意味をチョイト調べてみることにした。(さすが国語の先生である。エライ、エライ。)
「大辞泉」を参考。
「クワバラ」は「桑原」であって、文字通り「桑」の「原」すなわち「桑畑」のことである。では、何故「桑畑」かというと、
 ①これは「落雷」を防ぐために唱える呪い(まじない)で、実際に「雷」が鳴り出したら「桑畑」に隠れるのが良い、桑はそれほど背の高い木ではないので、その中に入ってしまえば、安全なのであるということ。
 ②藤原氏の陰謀により太宰府に流され憤死し、死後に雷神となったという菅原道真の領地が「桑原(京都)」にあって、そこには落雷がなかったところから、以後雷避けとして「クワバラ」と唱えるようになった。(道真の怨霊伝説)
いずれにしても、「恐ろしい場面から自分を守るための呪い」というのが「クワバラ」の正体であるようだ。

2012年6月18日月曜日

「学べるニュース」

「池上彰の学べるニュース」という番組を見た。何でも今の地球は氷河期なのだそうである。その証拠は、地球上には氷河が存在していることである、と。これは納得してしまう事実だ。ただし、氷河期といっても、そのサイクルが何千年とか何万年とかいった単位なので、今、特にどうこうという問題ではないらしい。
 むしろ不安なのは、太陽の方なのだそうだ。現在、太陽には異変が起こっているとのこと。ひとつは磁気の流れの異常、またもうひとつは黒点の異常ということだ。これによって、太陽の磁気の太陽系におけるバリアの威力が低下し、今までそのバリアで防いでいた宇宙線が、地球により多く降り注ぐようになるという。そしてその宇宙線の影響によって大気には多量の雲が発生して、それが地球に影響を与えるのだ。
 私は理系の人間ではないので、詳しい理論はよくわからないが、今、地球に異常気象が起こっていることは、なんとなく理解できるような気がする。クワバラ、クワバラ。

2012年6月17日日曜日

ピザである。

ピザである。本当の発音はピッツア。でも日本では「ピザーラ」というくらいだから、ピザで良いのだろう。しかしながら、イタリアでは「ピザ」と言うと、「ピサの斜塔」のある「ピサ」という地名のことになってしまうらしい。また、イタリアでは、土台の生地が薄い所謂クリスビーピザというやつで、一人一枚の丸いピザをフォークとナイフを使って食べるのが普通だということだ。それに対してアメリカ風ピザには土台の厚いピザもあり、その食べ方は、大きめのピザを、ピザカッターで放射線状に切って、手で食べる、これがアメリカ風。アメリカ風というよりもアメリカのピザはシカゴから広まっていったので、シカゴ風なのだそうだ。シカゴと言えばギャング、ギャングと言えばマフィア、マフィアと言えばイタリア、だからアメリカのピザはシカゴ発祥なのだろうか。何れにしろ、アメリカのピザはいくつにも切って食べるので、でかい。
 私がピザを初めて食したのは大学一年生の時、「おお、このパンはいったい何だ。」といった次第である。今から四十年も昔のこと、ピザーラもピザハットもシェーキーズもない昔のことである。仕方があるまい。今だったら、幼稚園の子供だってピザぐらい知っている。
 その後いろいろなピザを食べてはきたのだが、印象に残っているのは、10年以上前に食べた御殿場のキャンプ富士(米軍の駐屯地)のキャンプ内で販売しているピザ。兎も角でかい。安い。旨い。「米国人はいつもこんなピザを食べているのだ。」と正直驚いた。大きさは三十センチくらいだろうか(正確には何とかインチ)、値段もこれで当時は十ドル(千円)というのだから、ほんとうに驚きであった。
 さて、唐突に何故ピザのことを書いたのかというと、昨日久しぶりに美味しいピザを食べたからである。美味しいというと大げさだ。意外に美味しいピザを食べたというべきなのだろう。御殿場の旧ダイエーの近くに、輸入品なども販売しているちょっと変わった店があって、そこの冷凍ピザを買って食べたら、これが意外とイケたのだ。薄くて小さいピザであるが、グリーンの何か?アスパラか?
この歯ざわりが良く、チーズ自体も旨い。そしてなにより、値段が260円なのである。ブログを見ていただいた御殿場の住民のみなさん。これはお得ですぞ。

2012年6月16日土曜日

ビリー・キルソン

ビリー・キルソンというドラマーがいる。彼を最初に見たのは、2000年のモントルージャズフェスティバルのライブ映像であった。力強くエネルギッシュなドラムに驚いた。同じフェスティバルには、ハービー・メイソンという、いわゆる老舗の優良店みたいなドラマー(彼の特徴は、その正確無比なドラミングであり、誰とでも合わすことができるその器用さである。また、キルソンが体の感覚でたたくとすれば、メイソンは頭を使って理詰めでたたくのである。)も出演していたのだが、ビリー・キルソンはそのハービー・メイソンをすっかり食ってしまったような感があった。面白いのはビリー・キルソンが使用しているドラムが「dw(ドラム・ワークショップ)」というメーカーのドラムであることだ。「dw」は、どちらかというとロック向きのドラムで、激しくたたかれることを前提にして作られたドラムなのだそうだ。それほどキルソンのドラムはすさまじいのである。是非、ユー・チューブで見て下さいな。

2012年6月15日金曜日

マリリン・モンロー「七年目の浮気」

昨日に続いて今日は、マリリン・モンローの「七年目の浮気」を観た。(今、レンタルのTUTAYAでは、マリリン・モンローの特集をやっているのです。)1955年の作品というから昨日の「ドラゴンタトゥーの女」2012年よりも57年前の映画になる。「七年目の浮気」は、あまりにも有名な作品だ。
地下鉄の通風口から吹き上がる風で、白いモンローのスカートが捲くれ上がる例のあれである。そこを期待したわけでもないが(期待したのではないか?)、観てみるとそれなりに面白かった。兎にも角にもマリリン・モンローがかわいらしいのだ。映画自体はコメディー仕立ての映画で、私の趣味ではなかったのであるが、モンローの魅力爆発といった感じなのである。ただし、地下鉄通風口の場面は、予想に反してセクシーさはほとんど感じられなかった。(ホラ、やっぱり期待していたのだ。)

2012年6月14日木曜日

ドラゴンタトゥーの女

ひさしぶりに面白い映画を観た。「ドラゴンタトゥーの女」。資産家より40年前に行方不明となった少女の事件の調査を頼まれた雑誌編集者が、この事件の謎にワケありの助手と挑むというストーリーである。この映画は2009年にスエーデン映画としてヒットした同名作品をリメークしたものであるそうだが、今回は監督がデヴィッド・フィンチャー(ブラッド・ビッド主演のミステリー映画「セブン」など)主演がダニエル・クレイブ(007のジェームス・ボンド役)というアメリカ映画である。両人とも有名な監督・俳優ではあるが、ここで注目したいのは、主人公の助手となるルーニー・マーラという女優だ。役柄からくるところもあるのだが、存在感が抜群なのだ。典型的なアウトサイダーであり、鼻ピアスに口ピアス、鶏冠ヘアーに眉毛ナシ、極めつけは身体にドラゴンタトゥー。さらに格闘技に秀で、名うてのハッカーという強烈なキャラクターの女性を演じている。この女優の出自は名家のお嬢様らしいのだが、この役はそれとは真逆の設定である。これが良いのかも知れない。何はともあれ、是非観て欲しい映画である。

2012年6月13日水曜日

対オーストラリア戦

サッカーW杯アジア最終予選、対オーストラリア戦を観た。
なんだか審判に翻弄されてしまった試合だったような気がする。スポーツというのは、審判にイチャモンをつけることは御法度なんだろうが、それにしても、酷いジャッジであった。初めは、ばかに日本有利にジャッジをしていたかと思うと、日本に点が入ったとたん、今度は一転してオーストラリア有利の笛を吹き始めたのである。どちらか一方のかたを持っている、ということではなく、ジャッジ自体がメチャクチャなのである。極めつきは、試合の終了の仕方。常識的に考えて、選手にフリーキックを与えておいて、その動作の途中で試合終了の笛を吹くなどということは、絶対にあり得ないことだ。

2012年6月12日火曜日

西頴娃

以前、「焼酎のコマーシャルには秀逸なものが多い。」ということを書いたのだが、今日も薩摩焼酎「白波」の現在放映しているコマーシャルを見ていて、「おおー。」と思った。それは、鹿児島のなんとか線の「西頴娃(にしえい)」という駅がでてくるコマーシャルである。いかにも停車場という雰囲気の駅で、駅自体が絵になるのだ。実際、TBSの二時間ドラマ「パナソニックなんとか」で使用されたそうである。
 この駅を見ていて思ったのだが、御殿場線にもドラマで使えそうな駅があるのではないか。例えば、スイッチバックの面影が残る「岩波」とか、まわりに何もない「南御殿場」とか、「駿河小山」から先には「谷峨」という完全木造の駅もある。
 コマーシャルでもドラマでもいいから、是非一度使って欲しいものである。

2012年6月11日月曜日

But Beautiful

「But Beautiful」 というジャズのスタンダードナンバーがある。今日はこの曲をチャールス・マクファーソン(サックスプレーヤー)カルテットで聴いてみた。チャールス・マクファーソンというよりも、ピアノが私の大好きなピアノ弾き、スティーブ・キューンだったので聴いたのである。
 実はジェフ・ダイヤーというアメリカの作家の作品を村上春樹が翻訳しているのだが、そのタイトルが「But Beautiful」であった。この本、「伝説的なジャズプレーヤーの姿を、想像力と自由な文体で即興演奏する、ジャズを描いた八つの物語」の宣伝文句があった。
 さて、「But Beautiful」であるが、この英語の意味が良くわからなかった。そのまま受け取れば「しかし、美しい」となってしまうのだが、この言葉が出てくる前の文句はこうだ。「恋とは楽しく、また悲しい、そして、静かなものだったり、狂おしかったりするけれども、But Beautiful」となる。やはり「しかし、美しい」では、しっくりこない。そこでいろいろ調べてみると、どうもこの言葉には「そんなもの」というニュアンスがあるようだった。つまり、「恋とは楽しく、また悲しい、そして、静かなものだったり、狂おしかったりするけれども、恋とはそんなもの。」となるのである。うんこっちの方がはるかにいい。

2012年6月10日日曜日

MEGA QUAKE

MEGA QUAKE (巨大地震)という番組がNHKで放送された。今回は3回目なのだろうか。ドキッとする番組であった。日本はどうも現在、大変動期という時期に入っているらしい。前回の大変動期は9世紀後半というから平安時代にあたる。大地震や火山の噴火がいくつか起こっている。まあ、この歴史的にこうだった、だけなら大しておどろかないが、今日の番組を見ていると、そこに科学的な根拠を交えて説明しているから恐ろしい。実際、首都圏の直下、千葉県、茨城県の三つの地域の地下で異常な群発地震が起こっているのだそうだ。また、もう一つの危機が富士山の噴火である。火山に関しては富士山とは限らないようだが、M9以上の地震が起こった後には、間違いなく大きな火山の噴火が起こっているという。中でも富士山は最も危ない山のようだ。
 大地震や火山の噴火に対して自分自身どのような準備ができているか?何もできていない。今日の番組を見て、まったく無関心だった私も、流石に心の準備だけはせねばと、思うようになったのである。

2012年6月9日土曜日

神社の鳥居

この間は仏像の話だったので、今日は神社の話である。
 神社の鳥居。外国人が神社に行って、一番妙に思い、興味を持つのが鳥居らしい。そう言えば御殿場にあるキャンプ富士(米軍の駐屯地)にも変な鳥居がある。キャンプの中には神社などないのだが。あれは何かのシンボルとして作られたのだろうか。
 鳥居というのは、神が降りてくる聖域と、人間が住む俗界を区別する門らしい。鳥居のルーツには、インド、中国、朝鮮の説と日本古来の説があるということだ。インド説は、古代インドには、仏舎利をおさめる塔のまわりを垣でかこんだ「トラーナ」という門があり、このトラーナという発音や門の形が鳥居に似ていることから生まれた説である。また中国には、陵墓の前などに建てられた華表(かひょう)という門があり、それが原型だという説。一方、日本古来説は「古事記」の記述にルーツがあるという。天照大神が天の岩戸に隠れた時に、そのお出ましを願って、ニワトリを止まり木に止まらせて、鳴かせたのが、鳥居の起源だという。
 おまけ、鳥居の通り方は、中央は神様が通る道なので、我々は鳥居の端を歩くのがマナー。

2012年6月8日金曜日

フェルメール「真珠の耳飾りの少女」

6月30日から「マウリッツハイス美術館展」という展覧会が東京で開催される。要するにフェルメールの展覧会である。もっと極端にいうと、「真珠の耳飾りの少女」展である。レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」のように、極めて人気の高い絵画がこのフェルメール(オランダ人)の「真珠の耳飾りの少女」だ。写実的な絵にはあまり興味のない私だが、この「少女」の目線には参ってしまって、はるか昔に大阪の市立美術館までこの絵を観に行ってしまった。
 フェルメールという人間は実に不思議な人物で、17世紀に生き、19世紀に突然その名前が知れわたった人物である。画家というよりも、居酒屋の経営者だったり、宿屋の主人だったり、はたまた、画商、投機家でもあった。なにが本業かわからないような男だが、絵は天才的に上手だったそうだ。また、フェルメールは金にこだわらず(とんでもない値段の絵の具材を使用している。)、男にも女にも優しく、自分のことは語らず、画才を誇らず、粋で鯔背(いなせ)でもあったということである。
 フェルメールの「少女」にもどるが、この少女がしている耳飾りだが、これは大きなバロック真珠というやつで、この時代、一艘の船が買えてしまうほどの値段であったそうだ。それはそうと、私がこの絵で好きなところは、少女の目線は勿論だが、背景になにも描かなかったところである。これによって少女の表情が実に生き生きとするのである。
 話は変わるが、武井咲という「国民的美少女」がいる。彼女がこの「真珠の少女」に扮して展覧会のコマーシャルポスターに出ていたが、ベリー・グッドである。それらしく化粧をして、撮影したのだろうが、よく似ている。NHKの大河ドラマ「平清盛」で常磐御前(源義経の母親)役で出演しているが、こんなに「真珠の少女」にピッタリするとは。

2012年6月7日木曜日

またまたまた、「怒り新党」

またまたまた、「怒り新党」である。水曜の深夜は「怒り新党。」まてまて、水曜の深夜という言い方はおかしい。もう日にちが変わって いるのだから木曜の深夜にもなる。水曜の夜11:30から木曜の00:00過ぎまでやる番組なのだから、これは水曜の深夜番組で良いと思うが、木曜の00:30に始まる番組は、木曜の深夜番組になるのだろうか。これは素朴な疑問である。
 さて、今日のお題「何かと他人と比較したがる人に腹がたちます。」という意見。「おお、そうそう、これも教員がよくやってしまうことだ。」である。絶対にやってはいけないことだと思っていても、ついつい比較する。去年の三年生と比べて、どうたらこうたら、他の学校と比べてどうたらこうたら、教員という人種はよっぽど比較が好きな人種なのであろう。私も恐らく過去に何回かやっているのではないかと思う。心から反省。

2012年6月6日水曜日

救世観音

ひさしぶりに図書館から本を借りてきた。借りた本の中には「日本人なら知っておきたいお寺と神社」というのがあって、これがなかなか面白い。見出しに「あの仏像が秘める深い意味と教え」の項があり、いくつかの仏像が紹介されていた。その中に「奈良法隆寺金堂・救世観音像」がでていた。
 この仏像は、法隆寺において長年秘仏となっており白い布で覆われ、寺の僧さえ見ることがなかった。ところが明治17年(1884)アメリカ人のフェノロサと岡倉天心によって、この秘仏は強引に人の目にさらされたのである。背丈が180センチ近くあって、身体のかたちは独特でやや扁平、S字状のポーズをとっている。「救世観音」というのは、正式な名称ではなく、「上宮王(聖徳太子)等身観世音菩薩像」が本来の名称だと言う。聖徳太子というのは、結構大男だったのだろうか。顔は目が見開かれ、口元はニヤッとした感じで妙に愛嬌があるのだが、角度を変えると恐ろしい顔にも見え、不気味とある。(私が実際に見た時にも、何か不気味な印象をもった。)
 実はこの仏像、1227年大講堂に、この仏像の模像が造られることになった。しかしながら、その仕事をした仏師が、彫り終えたその場で死んでしまった。そのため、これは見てはいけない仏像ということになり、秘仏となったそうだ。

2012年6月5日火曜日

体育祭

体育祭。N西の体育祭は、体育祭から祭の字をとってしまったような体育祭であった。もっとも体育祭ではなく、潮音祭(体育の部)というのが正式名称のようだが。100M走とか、女子は1000M走、男子が1500M走とか、とにかく真面目に走る競技がほとんどである。生徒達も実にしっかり競技をこなしていた。生徒自身がプランを立て、生徒自身が仕切るN東とは、かなり仕様がちがう感である。これは、どちらが良くてどちらが悪いということではない。両方とも意義のあるイヴェントであると思う。今日は一日外に出ていたのでチカレタぞよ。

2012年6月4日月曜日

過去と現在のすれ違い

N西は潮音祭(学校祭)二日目、昨日(6.2)は校内向けの発表だったが、今日は一般向けでもある。N東の三年生は、昨日も今日も、外部模試の予定のようだ。三年生になって初めての模試、出来はどうだったろうか?午後になって、模試帰りのN東の三年生がN西の私のところまで、何人か訪ねてくれた。ありがたいことだ。
 昨日の朝、出勤の途中に、車から外を見ていると、現在教えているN西の生徒と去年まで教えていたN東の生徒が、同じ道をチャリンコですれ違っていった。(「すれ違う」とは、互いにすれあうほど近くを通って、それぞれ反対の方向へ行くこと。)両方とも私にとっては、顔見知りの生徒である。
 N西の生徒は学校祭に向かい、N東の生徒は模試に向かって、それぞれ登校して行くのであるが、何か自分の過去と現在を見ているようで、不思議な感じがした。

2012年6月3日日曜日

陽水の歌詞

N西は文化祭の一日目、午前中の主なイヴェントは芸術科の演奏・パフォーマンスであった。さすがに芸大を目指す連中の演奏は凄い。ピアノ・チェロ・フルート・独唱等々、どれをとっても、普通の高校生のレベルではないものであった。

さて、昨日挙げたメッセージである。
もう過去の歌手?になってしまったのかもしれないが、井上陽水の歌のメッセージは強烈であった。たとえば、「傘がない」という歌詞(部分)はこうである。
 
「傘がない」

都会では自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨 傘がない

行かなくちゃ 君に逢いにいかなくちゃ

テレビでは我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をしてしゃべってる
だけども問題は今日の雨 傘がない

行かなくちゃ 君に逢いにいかなくちゃ

陽水はこう言い切る。「世の中の他人がどうした、こうしたということより、自分にとっては、これから雨の中、彼女に逢いに行くための傘がないことのほうが、何倍も大きな問題である。」勿論これが、陽水の本音かどうかはわからないが、「人との連帯感」が盛んに叫ばれていた当時にしてみれば、結構強烈なメッセージであった。

2012年6月2日土曜日

Mr.Childrenのこと


TSUTAYAに行って音楽CDをレンタルしてきた。借りてきたのは、Mr.Children<micro>と<macro>(所謂ベスト版である)、井上陽水のスーパー・ベスト、BENIのFortune、さらにADELEのADELE21というアルバムである。今更自分で言うのも変ではあるが、「聴くものが結構若いな。」である。
 Mr.Childrenは1992年の5月にメジャーデビュー、とクレジットに書いてあったので、もうデビューしてから20年もたったのだ。20年前に「Tomorrow never knows」という曲を初めて聴いた時、「なんて、字余りの歌、なんてメッセージ性の強い歌だろう。」というのが印象であった。それから、20年、あれよあれよと言う間に彼らは日本のポップス界の頂点に立った。このグループは実に不思議なグループである。これもクレジットの受け売りだが、「最初は地味だったが、あらためて聴いたらめっちゃいい曲だった。」とか「ポップでありながら、こんな実験もしていたのか。」というファンの声が非常によくわかる。また、好みであるかどうかは別にして、これほど明確な意図を持って曲づくりやアルバムづくりをしているグループは、そうないだろう。
 さて、今日はこれくらいにして、明日はメッセージ性なら負けていない、井上陽水から始めよう。

2012年6月1日金曜日

一炊の夢

今日のN西は、午前中授業、午後は体育大会の練習であった。主な練習というのが入場行進の練習というのには少々驚いた。手足をそろえて皆一生懸命に行進していた。練習を見ているだけではヒマだったので、このチャンスにN西芸術棟の探検。芸術科の先生の許可をもらって中に入ってみた。さすが芸術科である。音楽専攻の部屋をのぞいてみると、グランドピアノだけ置いてある小部屋(レッスン室)が二つ、アップライトピアノだけおいてある部屋が三つあった。そう言えばN東にも吹奏楽部の部室付近に、レッスン室のおもかげがある小部屋があったなと、今更おもうのであった。
 N西からの帰り道、N東の近くで赤信号で停止した際に、馴染みのN東生が偶然通りかかった。
昨年、漢文の授業で「一炊の夢」という話を講義した。この話と同様、「四月以来いろいろなことを経験したのだが、実はまだ二ヶ月しかたっていなかったんだな。」と、実感する私であった。
 手で合図をしたのだけれど、気がついてくれただろうか?