2018年12月31日月曜日

「ボッサ」のピザ

三日目の昼食にはススキノ「ボッサ」のピザを食べた。
夕飯に、「もつ鍋」を予定していたので、ここはひとつ軽めに食事をしようと思って、ピザを注文したのであるが、これが写真のようにボリューム満点の本格的なもの。

そもそも、「ボッサ」というのは、ジャズを聴くため入った喫茶店なのだが、チョイト小腹が空いたので、軽くピザをと思ったのである。

それがどうだろう。
とてもボリュームのあるピザが登場した。
当然、夜のことを考え半分食べてあとは残そうと考えたのだが、このピザが旨い。
とてもジャズを聴く喫茶店のレベルではなかったのだ。
そこでワタシはダメ元で、持ち帰りのビニール袋を要求してみた。
するとどうだろう。
ここのマスターは実に親切。
ピザをアルミホイールに包んでくれた上に、ジップロックの袋(チャック付きポリ袋)に入れてくれたのである。

ススキノ「ボッサ」のマスターに感謝、感謝であった。

(左の写真は「ボッサ」の中。)

2018年12月30日日曜日

「博多ぶあいそ」のもつ鍋

三日目の夕食は「博多もつ鍋」であった。     
何も北海道まで来て、もつ鍋はないだろ
うと思われるかもしれないが、これが旨いのです。

「博多もつ鍋」というものを知ったのは、以前勤務していたN東高の国語科で九州旅行をした時である。
「博多」の名物でもあるこの料理、「もつ」などと言ってバカにしてはいけない。
当然、博多で食べると、どこの店でもそれ相応のクオリティは感じられるが、博多以外となると、これがなかなか難しい。

数年前、おおっー「博多」の名を冠した「もつ鍋」が札幌にあるぞ、ということで、「ぶあいそ」を試したのであるが、「博多」の名を冠すだけあって大変おいしゅうございました。
以来、札幌での「もつ鍋」はワタシの定番となっている。
今回は、かつて(十年以上前)の教え子Mちゃんを呼び出し、一緒に旅行をしているG君と三人で鍋を囲んだ。
Mちゃん、じじい達に付き合ってくれて、どうも有難うございました。


2018年12月29日土曜日

えりも亭

札幌二日目の昼には札幌駅にほど近い「えりも亭」というレストランでランチ。

「札幌駅西口より2分の仲小路に佇む一軒家。古い旅館を英国人デザイナーが改装し、扉を開けるとレトロモダンな雰囲気が漂う。」と、コマーシャルにある。

ここのランチは人気があり、当日予約ではなかなかとることが難しいらしいのだが、この日はたまたま空きがあり、すんなり座席につくことが出来た。
何でもコンセプトは、「和魂洋才」ということであった。

さてランチでセレクトしたのが、写真の紅御膳という紅い籠にはいった料理。
これに、冷たい蕎麦と珈琲・デザートがついて、千四百円というのだから、コストパフォーマンスも上々である。
やっぱり、札幌はスゴイなあ。

2018年12月28日金曜日

厚岸産焼き牡蠣

今回の北海道行きに関しては、スキーが出来なかった分、食の方に力がはいった。

初日の夕食は、狸小路にある「男のイタリアン屋台」という店のコース料理。
写真はその中の一品、「厚岸産焼きカキ」だ。

コース料理は、以下の内容で続く。


  
◆黒トリュフと北あかりのポタージュ

◆自家製フォカッチャ

◆南瓜のキッシュ

◆海の幸のカルパッチョ

◆自家製ベーコン男のシーザーサラダ

◆自家製玉子サラダのブルスケッタ

◆厚岸産焼カキ

◆ウニと海苔のクリームパスタ

◆富良野産モチ豚のロースト 自家製オニオンソース

◆自家製デザート

何れも美味いものばかりであった。
これに、二時間の飲み放題がついて、三千五百円なのだから、チョイトこちらでは信じられないコストパフォーマンスなのである。

2018年12月27日木曜日

雲海

高度一万メートルからの雲海の写真である。

十二月二十四日から二十七日までの北海道行き。
明日から全国的に天候が荒れるそうなので、ギリギリセーフだったのかもしれぬ。

今年は直前に右腕を痛めてしまったゆえ、スキーの方は諦めた。
スキーをやらなくても、北海道の楽しみ方はいくらでもあるのです。
美味い物を食べ、温泉に入って、ジャズを聴く。
今回の北海道はこれに尽きるのでした。

2018年12月24日月曜日

前兆なき津波

「前兆なき津波」というのがインドネシアであったそうだ。
これは恐ろしい。
ワタシの知っている「津波」は、大きな地震があって、その後何分か経ってから襲ってくるというものだ。
前触れのない津波では、これは百パーセント逃げられないのではないか。

ニュース映像では、海にほど近いところでコンサートをしていたバンドが、背後から津波に襲われる場面が映っていた。

おおー、クワバラ、クワバラ。

2018年12月23日日曜日

御厨蕎麦

落ち着かない天候の日が続く。

久しぶりに「金○郎」という蕎麦屋に出かける。
ここの「もつ煮」と「たぬき蕎麦」が好きで、以前はよく足を運んだのであるが、最近はあまり行く機会がなかった。

本日は「御殿場鶏そば」という温かい蕎麦を食べてみた。
この蕎麦は、御殿場地方の基本蕎麦のような蕎麦で、鶏肉・椎茸・人参などが入っている蕎麦だ。
御殿場地方では「御厨(みくりや)蕎麦」の名で提供されている。



2018年12月22日土曜日

キャー

今日も「チコちゃんに叱られる」から。
土曜日にはこの番組の再放送があるのです。

番組には「女性は何故キャー叫ぶのか?」という問題があった。

答えは「かまって欲しいから」。

かつて(たぶん原始時代)、腕力からすると女性の方が弱かった(現在ではこの説あたらないだろうが)。
そのため、女性は自分に危険が迫った時に助けを大声で呼ぶ必要があった。
その大声の一番効率の良い叫び方(周波数で他人に聞こえやすい)が「キャー」であったということだ。

2018年12月21日金曜日

アイドル

「チコちゃんに叱られる」という番組で、「アイドル」とは何か、の問題が出ていた。

「アイドル」とは「形を与えられた神」なのだそうだ。

もともとは、「偶像」のことを指し、「偶像崇拝」を禁じているキリスト教圏のアメリカなどでは、あまり良い意味では使われていなかったということである。

それが、「偶像崇拝」に抵抗のない日本(仏像とか七福神などを拝んでいる)に入ってきた時に、良い意味に変化したとのこと。

2018年12月20日木曜日

タータン

左の写真は陸上競技場などによくある「タータン」の上に散り敷いた紅葉である。
御殿場の「樹空の森」近くにあるスポーツ施設で撮ったものだ。

さて、ここでは鮮やかなブルーの「タータン」であるのだが、この「タータン」とは、商標名であるらしい。
合成ゴムで固めて作った陸上競技用の全天候走路をタータン」という。

 もとはアメリカの「ミネソタ・マイニング・アンド・マニュファクチュアリング社」の商標名だったが、長じて一般名詞として使われるようになった。なお全天候型トラックに使われる舗装材として他にポリウレタンなどがあるが、舗装材に関係なく、「全天候型トラック」の意味で「タータン」と言ったり、あるいは単に「トラック」のことを意味したりするものとして「タータン」と称する、といった場面もしばしば見受けられるということである。

ふーん、知らなかったなあ。

2018年12月19日水曜日

年末は寒波か?

年末、二十八日あたりから強烈な寒波がくるとの予報である。

こ数年、二十日過ぎあたりからどうも天候がよろしくない。
このあたりは、かつては天候も安定しており、ウインタースポーツにはモッテコイの期間であったのですがね。

所用があり、沼津、三島、函南を走り回る。
この地区から御殿場まで上がってくると、やはり御殿場の寒さを認識するのです。

2018年12月18日火曜日

器用さ

今日は家の大工仕事をしてしまった。
傷んだトビラを修理したのであるが、これが思った以上に上手に出来た。


ワタシは、小さい頃から手先が不器用だと言われてきたのだが、自分では意外と器用だと思っている。


不器用だと言われる理由は、ひとつのことをやるのに時間がかかるからであろう。
もっとも、時間がかかることが不器用だと言われてしまえそれまでだが。

人間、ひとつのことを成し遂げるには時間の、早い遅いがあるだろう。
人にものを教える立場の人間は、これをココロしなければいけませんな。



2018年12月17日月曜日

雑種

朝刊に文学や美術、政治まで論じた加藤周一のことが特集されていた。

加藤には「雑種文化論」というのがあて、日本の問題は、西洋化を目標にしたところで解決しない。
西洋化は日本の深いところに入ったが、英仏の文化が「純粋種」なのに対して、日本文化は根本が伝統外来の双方から養われてきた「雑種」である。
伝統と外来のどちらかに徹しようとすると、失敗する歴史を持っている。

そりゃあそうだ。
加藤周一が言うまでもなく、日本の宗教を見るがいい、日本の食を考えてみるがいい、家の中には神様と仏様が同居しておられるし、アンコとパンを合体させて、アンパンを創作しているではないか。

2018年12月16日日曜日

寒い

何の写真か分かりにくいのであるが、空に一筋の飛行機雲である。

寒い。
この寒さは、御殿場に限ったことではなく、東京都心で12月中旬までに、最高気温が6℃に届かないのは、2014年12月16日以来、4年ぶりであり、2000年代に入ってからは4度目のことであるという。










2018年12月15日土曜日

音楽室の肖像画

「チコちゃんに叱られる」というテレビ番組で、「音楽室にバッハとかベートーベンなどの肖像画があるのはなぜか?」の質問があった。

確かに、理科室にはガリレオとかニュートンの肖像画はない。

答えはこうであった。
「肖像画は、楽器を購入した時の業者からオマケ」。
うーん、なるほど。
考えてみれば、不思議でも何でもないなあ。

2018年12月14日金曜日

イチゴハウス

先日、静岡の久能山東照宮まで出掛けてきた。
写真は、東照宮まで登る石段の途中で撮ったイチゴのビニールハウスである。(向こう側は駿河湾)
昔、このあたりは「石垣イチゴ」と言って、石垣の間にイチゴを植えていたような気がするが、今ではどうなんだろう。
イチゴ狩りにはまだチョイとい時期なのであろうか、ハウスが開いている様子はなかった。

2018年12月13日木曜日

撚糸

火野正平の「こころ旅」を観ていると、神奈川県相川町の
半原というところが出てきて、この町は「撚糸(ねんし)業」で栄えた町であるということであった。
「撚糸業」?
ん?
「撚」という字は「撚(よ)る」と読む。
「撚糸業」っていったいなんだ。

ワタシは早速、調べてみることにした。(こういう時の反応はまだ比較的早いのです)

撚糸とは糸に撚(よ)りをかけること、または撚りをかけた糸のこと。
糸に撚りをかけることは、糸にとっても、その糸を使って作られる繊維製品にとっても大変重要な役割を持っている。
例えば蚕(かいこ)からとれる生糸は繭(まゆ)からほぐし出したままではとても細く、そのままでは使えない。そこで何本かを束にして軽く撚りをかけると、丈夫な一本の糸として使えるようになる。また撚りをかける回数を変えたり、太さの異なる2本の糸を撚りあわせたり、一度撚りをかけた糸を何本かそろえて逆方向に回転させて一本の糸にしたりという工夫をしているうちに、その糸で作られる生地の風あいや肌ざわり、丈夫さなどが変わってくる。
繊維製品の製造工程は、「糸の製造」「糸の加工・生地の製造・縫製」「製品の流通」と、段階的区分けとしては大きく3つに分かれるが、その中において製造された原糸を受け取り、糸を引きそろえて撚りをかけ、生地の製造を行う業者へと渡すのが撚糸業の役割となる。

ふーん、そういうことか。

2018年12月12日水曜日

N西中毒

久しぶりにN西まで出掛ける。

何となく定期的に訪れないと、落ち着かないような気がして出掛けたのである。
(ワタシはN西中毒か。)
まあ、それはともかく、やはり現在勤務しているG南との違いは、学校全体の雰囲気が、良い意味でポワーンとしていて居心地の良さを感じるからであろう。
このようなワタシを快く迎え入れてくれるN西の国語科の先生たちにも感謝である。

2018年12月11日火曜日

霙(みぞれ)

御殿場に霙(みぞれ)という天気予報であったが、いまのところまだ霙にはなっていないようだ。
日本中が冷蔵庫に入ったような寒さだという。
先週のポカポカ天気からイキナリ冬である。

G南では、答案返却から二学期の成績評定と、忙しい時間を過ごしてきた。
昔はこの一連の作業を何の苦痛もなく熟(こな)していたのだが、最近はコタエルなあ。

2018年12月10日月曜日

講師依頼

図書館から文学講座の講師依頼がきた。
今年度で四回目となる講師であるが、去年からチョイト受ける時に迷いが出てくるようになった。

一回目、二回目は百二十分の二本立てであったが、三回目は九十分の四本立てである。
こちらも毎年、歳をとって行くわけであって、回数が多くなるとソレダケしんどくなってくるのだ。

歳をとるということは、こういうことなんですな。

2018年12月9日日曜日

一転して寒さ

天気予報通り、ここ数日の暖かさはどこかへ行ってしまい、一転して冬らしい寒さとなった。

フランスがどうも騒がしいようだ。
物価の高騰とマクロン大統領の政策に反対するデモが全土に広がっているという。
要するに「庶民は怒っている」のメッセージを国民が体現しているのだろうが、このデモは隣のベルギーに飛び火しているそうだ。
どこかの国も、国民をなめていると、とんでもないことになるかも知れないね。

2018年12月8日土曜日

火星の風の音

ニュース番組で「火星の風の音」について触れていた。

火星でも風が吹いており、風の音も聞こえるそうだ。
ただし、その音は低い音であり、二オクターブ程度上げないと人間の耳には聞こえにくいということである。

そして、何より興味が持たれたのは、その音を聞くと、皆「この世のものとは思えない」という感想を持つことである。
「この世のものとは思えない」とは、いったいどのような音なのだろうか。
もっとも「この世のものではない」のであるから、表現のしようもないのだろうね。


2018年12月7日金曜日

寒暖差疲労

病名に「寒暖差疲労」というのがあるそうである。

気温の差がが七℃以上の日が続くと、自律神経に異常が出て頭痛などが起こるという。

このところの日本列島は、何回もの寒暖差に見舞われているようだ。
これも異常気象のひとつなのだろうが、去年から今年にかけて一体いくつの異常気象があったのだろうか。

町内会の忘年会があった。
ワタシの町内も、年々年寄りが増えてきて、忘年会も参加者減少の傾向にある。
暗い話ばかりになってしまったが、これが今日この頃の現実である。

2018年12月6日木曜日

「な、なんだ。」


「な、なんだ。」
ということがひとつ。

昨日、2013年のある日のブログに、863のアクセスがあったのである。
いくらなんでも、一度にこの数は異常ではなかろうか。
原因はさっぱり分からない。
まあ、ブログを見ていただけるのは嬉しい限りなのだが、原因が分からないのは何だか不安でもある。

右腕の上腕二頭筋の方は、昨日よりも痛みが引いてきた。
これから年末につき行事が重なってくる、早く良くなってほしいものだ。

車のタイヤをスタッドレスタイヤに交換する。
暦の上では明日は「大雪(だいせつ)」なのだそうだ。
「大雪」とは、雪が激しく降り始めるころ。『暦便覧』では「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」と説明している。
鰤(ぶり)などの冬の魚の漁が盛んになり、熊が冬眠に入り、南天の実が赤く色付くころでもある。

2018年12月5日水曜日

上腕二頭筋長頭腱断裂

水曜テニスをしている最中に、どうも上腕二頭筋を損傷したようである。
ボールを強打したときに「ブチッ」と音がしたような気がする。
家に帰ってネットで調べてみると、「上腕二頭筋長頭腱断裂」の可能性が高い。

そこにはこのように書かれていた。

どの年齢層にも腱板断裂を伴わない長頭腱断裂が生じます。肉体労働やスポーツに伴って、急に力を入れた時にブチッという音とともに断裂します。長頭腱の断裂では、肩から二の腕の前面に痛みを感じます。
肘を曲げて重い物を持ったり、手のひらを力いっぱい上に向けたりすると痛みが増します。

数日たつと痛みは薄れますが、力こぶの前面の皮膚に出血による青あざが出ます。長頭腱の完全断裂は、それ自体ではとくに日常生活に支障がないので、高齢者の場合は、痛みがとれるまで比較的安静を守るだけで構いません。

数日たって痛みが薄れ、力こぶの前面の皮膚に出血があれば、これはマチガイないですな。
写真のように、ガハハと笑って日を過ごすしかないですな。

2018年12月4日火曜日

トミー・フラナガン

「おいおい、そんなに急いでどこへ行く。」
といった感じの像である。
これも箱根の長安寺。

夜、久しぶりにトミー・フラナガンを聴く。

トミー・フラナガン(1930年3月16日ー2001年11月16日)は、アメリカ合衆国のジャズ・ピアニスト。とりわけエラ・フィッツジェラルド(ジャズボーカル史上最高の?ジャズシンガー)の伴奏者として名高い。
また、ジョン・コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』(1959)やソニー・ロリンズの『サキソフォン・コロサッス』(1956)、さらにカーティス・フラーの『ブルース・エット』(1959)など、批評家に評価の高い録音の数々で演奏を披露した。生涯に4度グラミー賞にノミネートされている。

本当に不思議である。
彼は、世にジャズの名盤と言われているアルバムに、実に多く顔を出している、しかしながら決して主役ではないのだ。
バイプレーヤーに徹底しているのである。
テクニックも創造力も一流であるのに、前に出ない。
世の中にはこういう生き方もあるのだなあ。
しかも





2018年12月3日月曜日

十二月の暖かさ

沖縄の西表島では気温が二十九℃以上あって、もう少しで三十℃だったらしい。
今年は異常気象続きと言われていたが、年末になっても、日本中がどうもおかしいようだ。
長野県でも雪がなく、スキー場がオープンできないのだと。
ニュースは、大根が育ちすぎ、市場に出回りすぎて、安値が続いていることを告げていた。
寒ければ寒くて困るのだけれど、冬は寒くなってくれないと困るところも、いっぱいあるようだ。

2018年12月2日日曜日

待ち人来たらず

今年は町内会の会計をやっているのだが、午前中に訪れるはずの人がやって来ず、すっかり時間を無駄にしてしまった。
「待ち人来たらず」である。
まあ、こんな日もあるもんですな。

写真は、昨日行った箱根長安寺の弁天池に設置されていた「大鯰にのった坊主?」である。
何かこの坊主について逸話があるのかどうか、よくは分からないが、なかなか面白い像であった。

2018年12月1日土曜日

石仏

テニス仲間の先生から石仏の面白いものがある、ということで箱根仙石原の長安寺を紹介された。
昨日は比較的暇な日であったので、御殿場よりピューンと出掛けてみた。
時間的には車で二十分程度の距離である。


この寺の石仏は五百羅漢であった。
五百羅漢というのは表情が豊かであるので、撮っていてとても楽しい。
寺の由緒はよく分からないが、どうも古い石仏と新しい石仏(制作年代)が混在しているような感じである。

別に、古かろうと新しかろうと、石仏にはかわりがないのだろうが、何か古い方に引かれてしまうのは、ブランド信仰のようなものだろうか。