2013年2月28日木曜日

きゃりーぱみゅぱみゅ

昨日、「角大師」の絵を「大津絵」の中に見たような気がする、と言ったのだが、今日あらためて大津絵を見てみると、「角大師」の絵はひとつも見られなかった。
いい加減なことは言ってはいけませんね。
参考までに大津絵というのは下のような絵です。(大津は滋賀県の大津のことです。)
これは、「鬼の念仏」という絵。







さて、話は変わって、今日は「きゃりーぱみゅぱみゅ」。

最近気になるコマーシャルに「au」のコマーシャルに流れる歌がある。
きゃりーぱみゅぱみゅという女性歌手が歌っていて、この歌詞が妙に耳に残ってしまうのだ。
何故耳に残るのかよく考えてみると、歌詞が何を言っているのかよくわからないからである。
これは、コマーシャルとしては、成功だ。人間というのは相手が何を言っているのか分からない場合、必死になってそれを確かめようとする。これが人間の性(さが)というものなのだろう。この時点でコマーシャルとしては大成功と言えるだろう。

で、仕方がないので、歌詞をインターネットで検索したところ、このコマーシャルを歌っているのが、
「きゃりーぱみゅぱみゅ」という歌手(フルネームは、きゃろらいんちゃろんぷきゃりーぱみゅぱみゅ)で、歌のタイトルが「にんじゃり ばんばん」。
そうです。「にんじゃり ばんばん」です。ふざけたタイトルなんて言ってはいけません。
「にんじゃり」は「忍者り」です。

以下その歌詞を示してみる。



「にんじゃり ばんばん」   作詞・作曲 中田ヤスタカ



鮮やかに恋してにんじゃりばんばん なんだかにんじゃりばんばん 

dloomdloomdloom花びらの舞う 飛んでけにんじゃりばんばん 常識わかるかな

驚きが日常に 恋してにんじゃりばんばん 愛してにんじゃりばんばん

リンリンリンならないメロディー ふんわり煙巻き

空をかけるのは にんにんにん君だけだから

見えていたものが七色に 変わる時にはきみは きっと

手を伸ばしても さわれない光のようだから

鮮やかに恋してにんじゃりばんばん なんだかにんじゃりばんばん

dloomdloomdloom 花びらの舞う

飛んでけにんじゃりばんばん 常識わかるかな 驚きが日常に

恋してにんじゃりばんばん 愛してにんじゃりばんばん

リンリンリンならないメロディー ふんわり煙巻き

空をかけるのは にんにんにん君だけだから



どんな色にもならないで きみは町を染めるよ

広がってゆくね ころがる巻物みたいね

道はつくる

鮮やかに恋してにんじゃりばんばん なんだかにんじゃりばんばん 

dloomdloomdloom花びらの舞う飛んでけにんじゃりばんばん 常識わかるかな

驚きが日常に恋してにんじゃりばんばん 愛してにんじゃりばんばん

リンリンリンならないメロディー ふんわり煙巻き

空をかけるのは にんにんにん君だけだから



鮮やかに恋してにんじゃりばんばん なんだかにんじゃりばんばん 

dloomdloomdloom花びらの舞う 飛んでけにんじゃりばんばん 常識わかるかな

驚きが日常に 恋してにんじゃりばんばん 愛してにんじゃりばんばん

リンリンリンならないメロディー 

ふんわり煙巻き

空をかけるのは にんにんにん君だけだから



 この歌の「こころ」は「常識わかるかな」にあるような気がする。さらに「驚きが日常に」でかなり理解できる。なかなかやるね。




2013年2月27日水曜日

元三大師

何日か前に、「キャイーン」のウド鈴木が登場する旅行番組を見ていると、「元三大師」という名が出てきた。
元三(がんざん)慈恵大師良源上人(元三大師・912~985比叡山延暦寺の中興の祖)は仏教各宗の寺院や神社で行われている「おみくじ」の創始者である。そして、元来「おみくじ」には吉凶7種類があるそうだ。
それは次の7種類である。

















 
 
 
 

























 
 
 



















 
 
 



















 
 






















 
 
 























 
 
 

























ウーン。
どのような過程を経て「おみくじ」が出来上がったのかは定かではないが、おそらく寺や神社への参詣を促すための、ひとつの手段ではなかろうか。
これを見ると、大吉から凶まで、その意味を正確には理解していなかったような気がする。

また、元三大師は角(つの)大師ともいわれている。
伝説によると、都に疫病が流行った時、良源が鬼の姿になって、疫病神を追い払った。これが起源となって、以後角大師の護符が比叡山の麓の坂本や京都の民家に貼られるようになったのだそうだ。「角大師」の護符が上の絵。
今ふっと思い出したのであるが、滋賀県を旅行した時に「大津絵」というのがあった。その時の絵の中に、この「角大師」があったような気がする。
何となく恐ろしく、またユーモラスな絵だ。


2013年2月26日火曜日

命の授業

昨日、テレビの深夜番組を見ていると、なかなか鋭い切り口のドキュメンタリーをやっていた。
 それは、ある県の(福岡だったような気がするのであるが)農業高校の話。
 ここでは、三年生になると一人一羽のニワトリを卵の時から育てあげ、面倒をみる。
ドキュメンタリーは一人の女子高校生を追って、彼女がニワトリの世話をしている様子をみせる。
 たまたま彼女のニワトリは足が悪く、彼女も必死になって世話をする。またニワトリの方も彼女に対して全幅の信頼を置く。
 ところがである。
この学校のルールで、育てあげたニワトリは、最後に必ず肉用に処分されるのである。
その処分には二つの方法があって、食肉業者に渡すか、自分の手で処分するか、本人が選択をしなければならない。
彼女にとってこれ程辛い選択はないだろう。
結局、彼女は自分で処分する方を選択するのであるが、生命の大切さを自覚するのに、これ程素晴らしい授業はないように思えた。

2013年2月25日月曜日

歩行者用信号

いよいよ国公立の個別試験である。
N西の三年生もN東の三年生も全力を尽くしてガンバレ・ガンバレ。

最近自分の移動の手段として、我が足をよく使う。いわゆる歩いて移動なのだが、歩く故にいろいろわかることもある。
それは今日のこと。
御殿場には旧国道246号と旧国道138号が交じわる交差点があるのだが、(両方とも旧の国道なので交通量はかなり多い。)その交差点を歩いて横断しようとした。
ところが、信号がなかなか青にならない。おかしいと思って、目を凝らすと、「歩行者用押しボタン」というのがあって、その押しボタンを押さないと歩行者用の信号は青にならないのだ。
「歩行者用押しボタン」というのは、交通量の多い直線道路を横断するためのものとばかり理解していたが、最近は交差点にもあって、このボタンを押さない限り、歩行者用の信号は青にならないのである。なんと歩行者をバカにした、歩行者に優しくない信号なのだろう。
「道路を渡りたかったら、歩行者よ、一手間かけなさいよ。」ということなのだろう。

2013年2月24日日曜日

脱脂粉乳

中学の同窓会があった。
もう四十年以上昔の中学生故、いろいろな話題があったのだが、なかでも給食の話が俄然もりあがる。
まあ、当たり障りのない話題だからであろうが、今の給食と比較すると、やはり隔世の感があるようだ。
なんと言っても、飲み物が脱脂粉乳なのだから。
アルミの器(アルマイト?)に入った液体は牛乳とは似て非なるものである。
脱脂粉乳は現在では家畜が食べているというではないか。
時代が時代なのでしょうがないのだよね。

2013年2月23日土曜日

どら焼き

「餡こたっぷりどら焼き」である。
「餡こ」の厚さが並みではなかった。
これは、北海道の札幌の店で販売しているのだが、近所のスーパーの北海道物産展で購入したものである。
 さて、「どら焼き」の語源であるがウィキペディアには次のようにあった。
 
どら焼きは、一般的に形が打楽器の銅鑼(どら)に似ていることからついたという説が有力である。しかし、異説として次のようなものもある。
 曰く、武蔵坊弁慶が手傷を負った際、あるところの民家にて治療を受けた。そのお礼に小麦粉を水で溶いて薄く伸ばしたものを熱した銅鑼に引き、丸く焼いた生地であんこを包み、振舞ったことが起源という。
 チョイと怪しいが語源というものはこんなものだ。
 関西方面では、今日どら焼きと呼ばれているものを「三笠」、「三笠焼き」、「三笠まんじゅう」なと呼ぶことが多い。菓子の外見が奈良県の「三笠山」に似た形であることに由来する名称で、古くから「三笠」にちなんだ名称が用いられてきたようである。近鉄奈良の近くの「ひがしむき商店街」にある菓子店などでは、通常のサイズのものの他に直径20cm弱の大きな「三笠」を売っているそうだ。
 

2013年2月22日金曜日

手巻き時計

手巻きのゼンマイの時計である。
実はこの時計、一年以上前にゼンマイが切れてしまって、そのまま放っておいた。
何故、放っておいたのかというと、切れたゼンマイを修理するのに高額な修理代が必要となるからだ。(たぶん三万円以上はかかるだろうと思っていた。)
 時計自体は非常に気に入っているもので、スイス製のオメガ・デヴィルの手巻き時計だ。三十七年前に、アンカレッジの免税店で100ドルで購入した。
 この時計はデザインがシンプル故、今でもまったく古い感じがしない。
当時は1ドル360円だったので、36000円で購入したことになる。
 さて、一月の終わりに写真展を開催したおりに、同じフロアに眼鏡屋さんがあって、その店は時計も扱っていたので、ためしに時計の修理代を聞いてみたところ、まず見積もりをとってみようということになり、お願いしたところ、21000円だという。
だいぶ迷ったのだが、この際、清水の舞台から飛び降りたつもりで修理をした。

うーん、やっぱりゼンマイの音はいい。
これからまた何時(いつ)切れるか分からないゼンマイと一緒に生きて行くことにしよう。
 

2013年2月21日木曜日

焼きそばパン

出勤途中に車の中から撮った写真である。
前日の夜から降り出した雪は、5センチ程度の積雪を記録していた。
 新潟の友人からTELがあって、いろいろ話したのであるが、現在、新潟市内の積雪も5センチくらいだということであった。
御殿場は、やはり静岡県ではないのだ。
 
深夜に久し振りの「怒り新党」を観た。
 番組では、焼きそばパン」についての話題があった。
内容は、「焼きそばパンを馬鹿にする人に腹がたちます。確かに、炭水化物に炭水化物を挟んである焼きそばパンですが、そのような人に限って、うどんに餅を入れた力うどんとか、スパゲッティーに小麦で作ったホワイトソースをかけて食べることに違和感を感じていないのです。」という意見であった。
 おおー、その通り。
食べるものの組み合わせなど、どうでも良いのだ。
自分が食べたいものくらい好きにしよう。




2013年2月20日水曜日

蘆排小船

ここ二週間ほど個別試験対策で「一橋大学」の国語の過去問を生徒と一緒に解いてきたのだが、「一橋大学」の問題は非常に興味のもてる文が多いように感じられる。
 国語は全部で三問あり、一問目が現代評論の問題、二問目が明治時代もしくは江戸時代の評論についての問題、そして三問目が要約の問題とパターンが決まっている。
 
今回は2012年度の問題を解いたのだが、二問目が本居宣長の「排蘆小船(あしわけおぶね)」という芸術論からの出題であった。
 設問はともかく、問題文が実に面白いところを引っ張り出してきている。
ここでの宣長は、和歌について論じているのであるが「僧侶が恋の歌を詠むのはけしからん。」という質問者に対して反論をする。僧が恋の歌(例えば、あまつ風雲の通い路吹き閉じよ乙女の姿しばしとどめむ 僧正遍昭)を詠んで何が悪い。誰が詠もうと歌は歌であって、その良し悪しは、作者の立場とは切り離して考えるべきだと。
 つまり、ひとつの作品はその作品自体の価値によって評価されるべきだという考えなのである。
ウーンさすが宣長ですね。
また、この部分を試験にもってきた試験の作成者にも拍手です。
 

2013年2月19日火曜日

続・会津

昨日に続いて会津である。
会津には「ならぬものはならぬ」の精神があるそうだ。「ダメなものはダメ」という意味なのだろうが、これは「頑固である」の言い換えのような気もする。
会津の殿様、松平容保もこの言葉をそっくり当てはめたような殿様であったようだ。
本人は真面目であり、人格の評価も高いのだが、そのために苦労したのがまわりの人間である。
この殿様、うまく立ち回ることが苦手で、会津は倒幕軍の憎しみを一気に背負ってしまった。
幕府の責任者であった、徳川慶喜などは、負けがわかるとさっさと恭順の意を示して、静岡に逃げてきてしまったのである。
一方、会津は有名な白虎隊で知られるように、それは悲惨な最期を迎えるのである。
指導者のメンツのために、一体何人の人間が死んでいったことだろう。
得てして歴史というのは、このような話になって行く。
 さて、その後の松平容保であるが、家来の多くが死んだのにもかかわらず、明治の時代まで生き延びて、息子は華族の位にまでついたという。

2013年2月18日月曜日

会津藩

今日もNHKの大河ドラマ「八重の桜」観た。
主人公の「ハンサムウーマン・新島八重」のことはどうであれ、当時の会津藩が如何についていなかったが、よく分かるドラマである。
 そもそも会津藩は京都の守護にあたる任などはなかったのである。本来守護にあたるのは彦根藩であったが、井伊直弼が「桜田門外の変」で殺されてしまい、その役が会津にまわってきたのだと。
 やがて、会津藩は「蛤御門の変」でも活躍するが、その時の火事によって京都が火の海となり、京都の人々は皆、会津藩を恨んだのである。
元々の責任は、御所に攻撃をかけた長州藩にあると思うのだが。

 それにしても、会津藩というのは、殆(ほとほと=①切実に体験したり、痛切に感じたりした事を、何遍繰り返し言っても、繰り返し過ぎることは無いという心境を表す。②十中八九、そう言っても差し支えないという判断を表す。)ついていない藩なのであろう。

2013年2月17日日曜日

不出来の真作

国公立の個別試験の演習をしているのだが、中には、「オオーこれは」という問題がいくつかでてくる。
 2008年の京都大学の問題文。
青柳瑞穂「真偽のむずかしさ」の中から。
 日本画?の小林古径画伯がまだ存命中に、美術研究家がある蒐集家のところで、古径の作品を見せられたが、どうもレベルが低く納得がいかない。
結局、作者自身に作品を見てもらったところ、古径がいうには、「まことにお恥ずかしい。わたしの描いたものです。」と言われたそうだ。
作者自身が不出来の真作と告白したのである。
 要するに、世の中には出来の悪い本物と、出来のよい偽者が入り乱れており、せまい目でみると、出来の悪い本物は偽物にされてしまう。そんなものは本物でも偽物と同じである、ということである。
 ブランド志向も、これに似たところはないだろうか。
質の悪い本物を選ぶ人と、質の良い偽物を選ぶ人では、どちらが賢いのでしょうかね。

2013年2月16日土曜日

またぎ

NHKの特集で環境問題を取り上げる番組があった。環境問題というと、よく取り上げられるのは公害であるとか、ゴミであるとかの問題なのであるが、この番組は「山野を荒らす獣の害」を特集していた。
原因は「猟師不足」である。
猟師の高齢化により、日本の山野から猟師が消えつつある。そしてそれが原因となり、山野に住む獣が増える。
獣たちは、山にある資源を食い荒らす。
悪循環である。
 かつては猟を生業とする人たち(「またぎ」などと呼ばれていた。)がいて、山に住む獣の数のバランスを程よくとっていたのである。

 ところで、番組の中では美術大学の女子学生が「またぎ」にあこがれて、とうとう自分自身が「またぎ」になってしまったことも紹介していた。もちろん「またぎ」では生活などできないので、彼女は役場の職員をしながら猟をしているのであるが。
 若者たちよ。将来「またぎ」という選択はどうだろうか。


2013年2月15日金曜日

続レスリング問題

レスリングの続き。
今日のスポーツニュースを見ていると、レスリングをオリンピック競技から除外することに関して世界各国の怒りが伝えられていた。
その怒っている国が、アメリカやらロシアやらフランスなど、所謂大国といわれている国であった。
 これは状況が変わって行くかもしれないね。
IOCももう少し分別(理性的な判断)を持つべきだ。
 ところで、分別という言葉。
仏教の方では「分別」は悪い意味を持った言葉であり、自分と他人を区別することであるそうだ。逆に「無分別」の方が、いい意味になるのである。



2013年2月14日木曜日

レスリング競技

最近の日本はどうも、いろいろな所から狙い打ちされているような感じがする。
 オリンピック競技からレスリングが外されるかもしれない、というニュースもそのひとつだろう。
ニュースのコメンテーターによると、残る競技にはテコンドーなどもあるそうだ。
どう考えてもテコンドーよりはレスリングのほうが、オリンピックに関しては、根幹競技、オリンピックの代表競技のような気がするが。(これは私だけの思いだろうか。)
 裏情報によると、オリンピック委員会の有力な委員がテコンドー協会の役員だというから、これはどうも?と考えてしまう。 

2013年2月13日水曜日

マラソン大会に関する疑問

先週行われたN西のマラソン大会、男子のスタート直前の写真である。
これからスタート地点まで、ソロソロと移動をして、いざスタートとなる。

 高校生のマラソン大会についての疑問。
オリンピックや世界陸上など、あるいは日本で行われる各マラソン大会において、女子は男子と同じ42.195キロを走るのに、どうして高校生のマラソン大会では、女子と男子の走る距離が異なるのだろうか?
 これは、女子に対して失礼ではないか。実際女子のほうが耐久力については、はるかに優れているような気がするのだが・・・・・
 という言葉を女子生徒に投げかけると、大抵否定されてしまう。
 
 長い距離を走るということは、やはり楽なことではないんだよね。

2013年2月12日火曜日

富士フィルムのこまーしゃる

最近気になるコマーシャル。
富士フイルムの化粧品のコマーシャルで松田聖子と小泉今日子が出ている「アスタリフト・ナノフィルト・ルメアナ」のコマーシャルがある。
まずバックに流れている音楽が近未来的(おそらくこれは狙いがあっての音楽だと思うのだが)妙に気にかかる。
不安定な音というか、ガラスを指でひっかくような感がある。
また、「進化した肌が食べる。」というフレーズも大胆であって、印象的だ。
なんてったって、アイドル(ちょっと古いか?)
ではなくて、
なんてったって、肌が化粧品を食うのですぞ。

2013年2月11日月曜日

ブログ一年

昨年の二月十日にブログを開始した。
故に一年が経過したことになる。
嬉しいことに、アクセス数も一万五千弱ほどに達した。
 これも、ひとえにブログを見て下さっている皆さんの御陰です。感謝致します。
 このブログ、どこの国からアクセスしているのかを見てみると、アメリカ、カナダ、ドイツ、フランス、韓国、インドネシア、ブラジル・・・と、様々な国が見られた。
ブログというのは本当にすごいね。
 
パソコンには疎い素人(「素人」という言葉は、中国で僧が黒い服を着ていたのに対して普通の人を「白い人」、つまり「素人」と呼んだ。)のブログであるが、よく一年続いたものである。少し自分で自分を褒めてあげたい気分でもある。

2013年2月10日日曜日

再会

F高とG南高でお世話になったF先生が亡くなり、お通夜に行ってきた。
G南で一緒に勤務していたテニス仲間の先生達も多く見えており、久し振りの再会であった。
F先生はテニス仲間のうちでも、取り分けパワフルであったので、ちょっと信じられない感である。
 自分の歳を考えると、これから先はこのようなシチュエーションでの再会が増えていくのだろう。

写真の鳩は、N西のマラソン大会の日に防波堤の上で撮ったもの。
風が強い海岸にどうして沢山の鳩がいるのだろう。

2013年2月9日土曜日

学問の独立

近所の秩父宮記念公園の駐車場から見た富士山である。
 
話は変わって、受験問題の演習の中に、福沢諭吉の「学問の独立」という文章があった。
 曰く 「学問と政治は国家の幸福を増進するという目的は同じでも、その働きには違いがある。それは学問は現実社会との接触が少なく、政治は人間生活に直接関わっているからである。」
 さらに諭吉はいう。「学問と政治を分離して活動を区分することが、社会の利益となる。西洋諸国でも、政治が学問に介入したり、学者が政治に干渉したりして弊害を招いた例がある。」
 この文章が書かれたのは明治十年前後であるから、今から百四十年以上昔である。
 なんと鋭い感覚なのだろう。
平成の今、どうも雲行きが怪しくなってきた。
政治が学問に介入しようとしている気がする。

2013年2月8日金曜日

金の鯱


飛行機雲の続きである。
左の写真左側に飛行機雲が見えるが、これは前回、前々回とは別の雲である。
画面左が西、右が東、すなわち大阪方面から東京方面に飛行している。

この写真でもう一つ注目して欲しいのが、右に見える民家の屋根。
なんと鯱(しゃちほこ)があるのだ。
普通の民家の屋根に金色の鯱、御殿場というところは凄いところなのです。

2013年2月7日木曜日

津波注意報

前回の写真の続きである。
ジェット機が左から右に飛んで行った。
(東京方面から大阪方面に飛行)
御殿場という所は飛行機の空の道における重要なポイントになっているようで(たぶん富士山が位置しているからであろう。)、一日に何度も機影を見かける。
青空に、一筋の飛行機雲が描かれて行く様は、好きである。

今日(2.6)沼津地域に津波注意報が発令された。
南太平洋のソロモン諸島でM8の地震があったのだという。東日本の震災以来、津波に対しての反応は極めて敏感になってきたような気がする。
内容は大したことはなかったが、N西でも地震関係の緊急の職員会議が招集された。

2013年2月6日水曜日

三重県は、東日本?西日本?

昨日、深夜のテレビ番組において「三重県は東日本か西日本か。」という問題が語られていた。
 実際、テレビは東海地方なので東日本系であるし、新聞は関西系の新聞だという。
さらに、行政区分でいうと、これは東日本なのだが、文化を考えると、言葉が関西弁であるので西日本の色が強いようだ。
 番組では、元旦に食べる雑煮の餅について、追跡調査をしていた。
関東は角餅であるのに対して、関西は丸餅であるからだ。
「どこまで角餅を食べているのか」を追跡して行くと、結局、鈴鹿峠で分かれることが実証された。
つまり、三重県というのは、東日本でもあるし、西日本でもあるのだ。

2013年2月5日火曜日

足。
単純な言葉だが、では「一体足とは何か?」
これを説明するとなると、結構面倒くさい。
しかしながら、辞書で引いてみると、これがなかなか面白いものであった。

①人やサルなどの動物の胴体下部から左右に分かれ伸びている部分で(その付け根は股【もも】)、からだを支える外に、歩いたり走ったり飛んだり跳ねたり蹴ったりする用を果たす、重要な部位。(狭義では、すねに対して直角に曲がる足首から先の地面を踏みしめる部分を指す。
「足の甲」「足の裏」。

一歩踏み出した距離を単位として算える時にも用いられる。ただし、多く使うのは「三(み)足」「四(よ)足」くらいまでで、それ以上にはあまり用いない。

①だけでこれだけの意味を持つ。
私の辞書では①から⑥まであるので、これは大変な数である。

たかが足、されど足である。

2013年2月4日月曜日

写真展終了

写真展終了。
最後の方は青色吐息(本当は青息吐息=きわめて苦しいときに発する元気のないため息、またそのような状態)であった。
肉体的な疲れというよりも精神的な疲れなのであろう。
何とかやりきれてホットしている。
来場者も延べ200人以上であったので、目標は達成できたのではないかと思う。
S先生お疲れ様でした。
受付嬢のSさん、Nさんご苦労様でした。とても助かりました。
何人かの人に「次はいつやるのか。」とプレッシャーをかけられたのだが、今はなんとも。
何はともあれ、終わって良かった。



2013年2月3日日曜日

自己との対話

写真の方も最終コーナーを回った感じである。
疲れもピーク。
何をするでもないが何となく疲れるのだろう。
 今日来場された方に感謝。
N東で写真展のきっかけを作っていただいたK先生、S先生、市民ランナーY先生、事務のSさん有り難うございます。
F高時代の教え子で、今は同業者のM君にSさん、去年に続いて有り難う。中学の同級生G君有り難う。

 さて、応対の合間に、現在指導している国公立の個別試験の問題を解いてみた。
これがなかなか面白い文章であった。
「演劇的知」について著述している安田雅弘氏の文章である。
 「演劇的知」のひとつは自分の身体の歴史を掘り返し、埋もれている感覚を再確認し、それらにかかわる心の動きを思い起こすことにある。いわば発掘を通じた、身体との対話である。身体への感動は実在感の基礎であって、そこから尊厳も発生する。その感動を忘却することは、自己の喪失感に、ひいては他者への思いやりのなさや周囲への無配慮につながると考えられる。
 つまり、「他人に対する思いやりは、自分の身体の歴史、感覚を認識し、身体と対話することから生まれる。」ということである。今、日本人に決定的に欠けているのは、自己との、つまり身体との対話なのだと。


2013年2月2日土曜日

ご苦労様でした。

N東が千本浜でマラソン大会。
ということで、帰りがけに何人かのN東の先生が写真展に立ち寄ってくれた。
 Eさん、「ももや」のかつサンドありがとうございます。美味しくいただきました。KさんBさん図書の選定もご苦労様でした。Hさん、Kさん、そして
Y護のMさん、Iさん(いやいやHさんだったね。)ワイン、美味しくいただきます。

また、午前中に来てくれたN東の卒業生のTさん、お花を有り難う。教師がんばるんだよ。

そして今日はなんといっても、学生時代の友人Oが静岡からわざわざ来てくれた。もう十年以上会っていなかったね。遠路ご苦労様。


2013年2月1日金曜日

チョイス

写真展も五日目となった。

N西の芸術科三年生卒業展が近くのギャラリーで行われたこともあって、芸術科の生徒がこちらの写真展にも大勢きてくれた。
大変ありがたいことである。
やはり、芸術科の生徒というのは視点が面白い。
彼女たちのいろいろなコメントを聞くことは、私自身勉強になる。
 
 また今日は、書道のS先生も姿を見せてくれた。
S先生との会話の中から。

S先生「ここにある写真を選ぶのには、どのくらい時間がかかるのですか?」
私は、質問の意図がよく理解できなかったので次のように答えた。
私「時間は、ほとんどかかりません。」
答えてから、おお、これはしまったぞと思った。

つまり、こういうことだ。
書道では、いくつか作品を書いて、その中からたったひとつの作品をチョイスする。
同じ文字で二つの作品はあり得ないわけだ。
したがって、自分で気に入った作品が二つあれば、どちらかを落とさねばならない。この作業に悩むのだそうだ。

芸術というのは斯くまでにきびしいのである。