2012年4月30日月曜日

「労」という字

「労」は不思議な字である。「労働」の「労」は、任務に服する(働く)の意があるし、疲労」の「労」は身体が疲れるの意味をもっている。また「慰労」の「労」はねぎらう・いたわるの意味である。一つの漢字が「任務に服する(働く)」意味から始まって、さらに「疲れる」と「いたわる」の意をもっているのだ。これは、「働くと(身体が)疲れるので、(身体を)いたわった」と一字ですべてを完結している字ということになるのだ。因みに「労る(いたわる)」という意味は、「疲れて(落ち込んで・年をとって)いる人や、衰えて(病んで)いる部位の、速やかな回復を願って、やさしい対応を心掛ける。」ということだそうだ。だれかワタシを労ってくれ。

2012年4月29日日曜日

微妙について

「微妙」とは仏教用語であり、仏教の方では「ミミョウ」と読むらしい。そして「微妙」というのは感覚のことで、識別不可能なもののこと。だからそれは言い表しようのない美しさであり、さらに、たとえようのない思いのことでもあるようだ。従って、最近若い人の間でよく使われる、弱い否定の意味での「ビミョー」はおかしいのである。しかしながら、前にもどこかで言ったような気がするが、言葉を発した方と、受け取った方が同じ意味で考えていれば、それはそれで良いということになる。また、よーく観察してみると「弱い否定」というよりも、「ワタシよくワカンナーイ」という意味で使う例も多いのではないか。だとすれば、これはこれで正しい使い方なのである。

2012年4月28日土曜日

歓送迎会

N東の国語科の先生達が、歓送迎会を開いてくれた。勿論私は、送の方である。色々な話をしたが、やはり気になるのは現三年生の様子である。みんな元気でやっていますか?これから香陵祭を迎えるN東の三年生はたいへんだ。課題・授業・部活・準備・塾?塾はどうだか分からんが、盛りだくさんの日程が待っている。連休どころではないよね。でも、ここを切り抜けていくのが三年生だ。体調に気をつけて。陰から応援していますよ。
 国語科の皆様今日はありがとうございました。

2012年4月27日金曜日

簡単適当料理のススメ

みなさんごめんなさい。金曜日はお休みです。週休日なので、ゆっくりさせていただきます。
 ところで、今日は不精きわまりない簡単適当料理をご紹介します。
用意するもの。タマネギ・コンビーフ・じゃがいも、以上です。
作り方。①タマネギ・コンビーフ・じゃがいもをそれぞれ適当にスライスする。
     ②鍋を用意し、タマネギ、コンビーフ、じゃがいもの順に、適当に重ねて敷く。
     ③鍋を火にかけ、上から適当に胡椒をふり、適当に鍋の蓋をする。
     ④できるのを適当に待つ。
      (タマネギに十分水分があるので水は入れない。味付けはコンビーフにまかせる。) 
     ⑤タマネギが適当に焦げたら出来上がり。
これが驚くほど美味い・・・・・と思うのですが、美味くなくても責任はとりません。
何はともあれ、だまされたと思って適当に作ってみて下さい。

2012年4月26日木曜日

さらに「二階堂」コマーシャル

「空に憧れた日」

今でも
空に憧れた日々を思い出す。
教科書も
地図も
とうに失ってしまった。

僕の一日が、
僕の一生が、
からっぽではありませんように。

やはり、「二階堂酒造」のコマーシャルは良い。

一日がからっぽでも、一生はからっぽであって欲しくないものだ。
最近の私が、急にドタバタ始めたのも、実はこのことを恐れたのかもしれない。
自分の人生の中に、無理矢理、何かを詰め込みたかったのかもしれない。

2012年4月25日水曜日

個性とは何か?

現在、現代文の授業で「個性とは」という養老猛司の文章をやっている。これがなかなか面白い。日本人は「個性」というと、心の属性であると考える(「あの人はとても個性的な考え方をする。」などという言い方をよく聞く。)が、それはまちがっている。何故なら、心は脳の機能であり(よく考えると心というのは脳のことだ。)、さらに脳の機能(例えば教育とか常識など)には共有性がなければならない。したがって、「個性を心」と考えると、矛盾が生じてしまう。個性に共有性があるということになってしまうのだ。共有でないから個性というのだ。
 「個性=心=脳の機能=共有性」は、成立しない、矛盾するでしょうということだ。
では、人間の個性とは何か?それは身体だというのが養老猛司の答えである。自分が自分であることの証明は身体によって明らかになる。(現在、自分を確実に証明できるのは、DNAや目の光彩などの身体である。)したがって、人間の個性とは身体なのである。

2012年4月24日火曜日

コマーシャル再び

またコマーシャルの話である。焼酎のコマーシャルには割と印象的なものが多いが、偶然にも大分麦焼酎に秀逸なものがそろっている。例えば吹石一恵という女優が口ずさむ「し、し、しるしら、しらしんけん」という言葉を使った大分麦焼酎(宝酒造)のコマーシャル。「しらしんけん」は「知心剣」と書いて、「一生懸命」の意味らしい。物言いはストレートであるが、背景も含めた絵が美しい。さらに私が感動したのは、(二階堂酒造)のシリーズものだ。特に去年放映された「振り返ると明日」の題のあるコマーシャル。これは、使われている言葉も映像も美しい。
「思えば守れない約束ばかりだった
会いたい人と、会えない人
風の便りはいつも風向き次第
どうかタイムマシーンが発明されませんように
目を閉じるだけで十分です。」
この文句には参ってしまった。もっとも、この後には「私は麦100%、大分麦焼酎二階堂」と、しっかりコマーシャル文句が入っているのだが。
何でもこのシリーズにはファンクラブもあるそうだ。
うーん、私も入りたい。

2012年4月23日月曜日

平清盛

NHKの大河ドラマ「平清盛」が不評らしい。視聴率が10パーセントちょっということで、過去最低に近い数字なのだそうだが、その理由が私には納得がいかない。主な理由は「画面が暗くきたなく、ほこりっぽいのと、平清盛というあまり世間で評判のよくなかった人物を主人公にしている。」とのこと。
 何故なんだろう。画面が暗いのは、平安時代の家の中を忠実に表現したのだし、平清盛が悪人だというのもむちゃくちゃな話である。歴史というのは常に勝利した側によって書かれてしまうので、こんなことになるのだろうが、よく考えてみれば、源氏の頼朝なんぞは、兄弟でも平気で殺してしまう恐ろしい男であるのに、清盛の方は家族や知人をとても大事にしていたふしがある。歴史というのは怖いものだ。
 私が中学・高校時代に夢中になっていた作家に、山本周五郎という作家がいる。この作家は人間の本当の姿を描くことをポリシーとした作家だと私は思っている。彼が主人公とする人物は、決して正義の味方ではなかった。世間では所謂、悪人と言われていた人物であった。「栄華物語」の田沼意次だとか、「樅の木は残った」の原田甲斐、また「正雪記」の由井正雪などである。
 思うのは勝手だが、世間の評判というものほどあてにならないものは、ないのではないか。

2012年4月22日日曜日

でんでらりゅうば

私はテレビコマーシャルが大好きだ。ことによると番組そのものよりも好きかもしれない。
 最近のコマーシャルでは、「でんでらりゅうば」という長崎地方の方言を使ったトヨタパッソ(自動車)ののコマーシャルが面白かった。「でんでらりゅうば」というのは「出ようとして出られるならば」という意味で始まる、わらべ歌だそうだ。以下このように続く。「でてくるばってん、でんでられんけん、でーてこんけん、こんこられんけん、こられられんけん、こーんこん。」
 おおよその意味は「出ようとしても出られないから行かないよ。」ということらしい。コマーシャルは見る人に印象づけをするのが目的であるので、これは、十分にその役目を果たしたことになるだろう。なんでも方言をコマーシャルに使う手法を「コードスイッチング」というらしい。英語の中に突然日本語を入れると、非常に印象的な会話になる。それと同様に標準語の中に方言を入れると、これも非常に印象的になるということである。

2012年4月21日土曜日

フェイク・クライム

フェイク・クライムという映画を観た。明らかにB級映画である。しかしながら、役者は豪華。なんてったって、今を時めくキアヌ・リーブスが主演であり、ジェームス・カーンやヴェラ・ファーミグという抜群に上手い役者が共演しているのだ。
 ヘンリーという目的も気力もない男(キアヌ・リーブス)が無実の罪(銀行強盗)で刑務所に入れられるのだが、刑務所で知りあった男に影響され、出所後ほんとうに銀行から金を盗み出す。簡単に言えばこんなストーリーなのだが、何がB級かというと、途中からストーリーが急に雑になってしまうところである。キアヌ・リーブスの出演する映画にはどうもこのような傾向があるそうだ。部分部分を見るととても面白い映画なのだがね。

2012年4月20日金曜日

N西レポート③

それぞれの学校にはそれぞれの文化がある。当たり前のことであるが、その中にはどうも馴染めない文化も存在するのである。
 N西に赴任して一番戸惑ったのは、A3文化である。A3文化というのは、テストプリントがA3のサイズになっていたことだ。換言すると、N西にはB4サイズのプリントが存在しないのである。B4サイズの紙すら、すべてが駆逐されてしまっていて、職員室でその姿を見ることができない。これは驚きであるとともに、私自身、落胆することこの上なかった。だいたいA3のテストプリントというのは、美しくないサイズなのである。でかすぎる。しかもそれが40枚ちかくになると重い。ものには、分相応ということがあるではないか。もともと、行政の方で紙の統一(おそらく効率化を図ることが目的なのだろうが。)を推し進めたために、学校組織もそれにならい、このようになってしまったのであろう。愚かなことである。
 声を大にして言うぞ。美しくないサイズのテストプリントには、美しくない問題しかできないぞ。(N西の悪口をいうつもりはないし、あと数ヶ月すると、私自身A3派になっているかも知れないが。)

2012年4月19日木曜日

二流のススメ

坂口安吾の小説に「二流の人」というのがある。戦国時代の武将「黒田如水」のことを書いた小説なのだが、実力を持ちながら人生のポイントポイントで失敗する運のない人物が「黒田如水」である。昨日の「メンチカツ」の流れから行くと、「黒田如水」はまさしく「メンチカツ」であり、坂口安吾という小説家自身も「メンチカツ」なのかもしれない。勿論私もメンチカツである。
 二流というのは実に気が楽である。だいたい変なプライドを持たなくてすむではないか。人生なども斜めから観察することができる。また、二流には悲哀がある。憂いもある。悲哀と憂いを持った人間のなんと素敵なことか。だから、二流はやめられないのだ。

2012年4月18日水曜日

私はメンチカツが好きだ。

昨日の日記は何だか変なので、書き直してみました。どう考えてもエトセトラではありません。
 ところで(前の話題に触れたくないときに私が好んで使う言葉である。)私はメンチカツがとても好きだ。「こいつ突然何を言い出すのだ。」と思われるだろうが、そんなことは無視して、とにかくメンチカツが好きなのである。(全日本メンチカツ協会があれば、まちがいなく会員になっているだろう。)理由は、あんなに美味しいのに評価がイマイチだからである。「何が好きですか?」と聞かれて「はいメンチカツです。」という人はまずいないだろう。やれトンカツだとか、ハンバーグだとか、ショウガ焼きなどということに、十中八九なるに違いない。実にかわいそうなメンチカツである。肉をミンチ(細かく刻む)するから、ミンチカツこれがメンチカツになったと推測されるのだが、同じ肉をミンチしたハンバーグに比べるとなんとマイナーなことか。しかし、このマイナーさがなんとも良いのである。「ほんとうは美味しいんだぞ。」と小声で言いながら控えめに世の中を生きている姿勢のなんと美しいことか。ここに感動するのだ。(ちょっと、ハイテンションになってしまったので今日はこれで終わりにする。明日また続きを・・・書くことができればいいのだがね。)

2012年4月17日火曜日

桜に纏わるエトセトラ

桜は何故桜か?以前、鹿児島旅行(桜島)の時にも書いたのだが(実際書いてはいなかった。)、桜の語源は「咲く」に複数を表す「等(ら)」をくっつけた「咲く等」というのが、一番有力なのだそうだ。確かに木全体に花が咲いていて、「咲く」がいっぱいという感じである。花が「咲く」「咲く」「咲く」である。
 実に不思議な桜。考えてみると桜ほどいろいろなものに使われる木はない。花を観賞することは勿論、その花や葉を塩漬けにして食用にする。あるいは、西洋種などは、サクランボとして実も食す。木の皮も負けてはいない。咳によく効く生薬として使い、さらに皮そのものをはり付けて茶筒を作ったりする。あげくの果てには木の皮を煮出して、染色にも使う。その色は桜色なのだそうだ。茶色い樹皮から桜色が作られるとは、なんとも不思議である。

2012年4月16日月曜日

花見じゃ、花見じゃ。

下界の桜はもう綻びはじめているが、御殿場は今が満開である。ということで今日は秩父宮邸の「桜祭り」であった。秩父宮邸の前の道が桜並木になっていて、そこに人が殺到する。私も人見たさ?にカメラを持って出かけてみた。並木道に沿って行ってみると、予想通り人でいっぱい、しかしながらその人というのは、家族連れとかカップルとか若い女の子のグループばかりであって、どうもオヤジ一人というのは見あたらない。それはそうだ。「花見にオヤジひとりは似合わない。」と昔からいうではないか。(ホントか?)それはそうと、宮邸付近は人でいっぱいであるのだが、北に向かってしばらく進んで行くと、東山のなんとか堂という御堂があって、実はここの桜が穴場なのである。何種類かの桜が重なって咲いていて、入り口には石仏などもあり、とても良い風情だ。せまい境内であるが人もそこそなので、圧迫感がなく桜が鑑賞できるのである。あと数日は大丈夫なのでチャンスのある方は、花見するがよろし。

2012年4月15日日曜日

今日はシャンプーの話

先ほど風呂に入って、シャンプーで洗髪をしようと思ったのだが、いつも使っているシャンプー(シーブリーズという資生堂のシャンプーである。)がきれていて(そう言えば、きれていることは気づいていたのだ。シーブリーズというシャンプーはリンスも一緒になっているので、不精者の私にはとても便利。従ってこれを探していたのだが、不思議と、どこの店も売り切れだったのだ。不思議、不思議。不精なおやじがいっぱいいるのだろうか?)しかたなく、娘のシャンプー(たぶんそうだと思う。)ついでにリンスもを借用した。これは、パンテーンというP&Gのシャンプーであった。(毛先の「オッ」がずっと続く・・・という「綾瀬はるか」のコマーシャルのあれである。)ところでP&Gというのは、米国の会社であり、ローソク販売をしていたウイリアム・プロクターという人物と石鹸の販売をしていたジェームス・ギャンブルという人物が共同で始めた会社なので、プロテクターのP、ギャンブルのGをとってP&Gとなったということである。それはともかく、女性用のシャンプーは何故こんなに匂いが強いのだろうか。明日になっても、こんなに匂いがするのだろうか。ちょっと恥ずかしい私であった。

2012年4月14日土曜日

金曜日は休みじゃ。

今年の金曜日は週休日である。月・火・水・木と仕事をして、金・土・日と休む。理想的な過ごし方だなとワクワクしながら金曜日を迎えたのであるが、これが意外と悲しい。だいたい、平日の午前中に外を歩いている人をよく見てみると、ほとんどが老人なのである。都会であれば、大学生や夜の勤務をする人などがいっぱいいて、あまり違和感はないのだが、私のまわりは老人ばかりなのである。まあ私も老人なのだがね。
 さて、今日はその週休日を利用して、N東に行った。やはり私にとっては、とても居心地の良いところである。生徒の顔を久しぶり(久しぶりと言ってもたかが二週間なのだが)に見て、教員との会話を久しぶりにして、何かほっとした気持ちになった。廊下ですれちがった生徒や教員が、最初は違和感がなかったらしく、いったん通り過ぎてから、「どうしてここにいるの?」。私にとって「違和感がないよ。」と言われることは、とても嬉しいことであった。

2012年4月13日金曜日

怒髪天

奈良に新薬師寺というお寺がある。そして、このお寺の仏像に、私の大好きな十二神将がいらっしゃる。(十二神将は本尊の仏様を守護する役目を持った仏像)この十二神将の中で、特に有名なのが所謂、怒髪天(婆娑羅大将)という仏像だ。「怒髪、天を衝く。」のあれである。髪の毛が逆立って、恐ろしい形相で、見る者をにらみつける大変迫力のある仏像である。今日、BSプレミアムの番組で、この十二神将の特集をやっていた。実に懐かしかったのであるが、一方、天井の梁にくっつけられた裸の蛍光灯が映っていて、それが妙にそぐわない蛍光灯だった。そして、「あそこにあれはないだろう。」の感が強くわき出てきた。「多少暗くてもいいから、蛍光灯だけはやめてちょうだい。」である。何年前であったか、しかとは覚えていないが、その時の印象は、薄暗いお堂の中に仏像群が浮かび上がるように立っており、それはそれはムードがあったのだ。仏像というのは、その背景とか照明も含めて仏像だと思うのだが。
 なんでも幕末から明治にかけての頃、廃仏毀釈運動の影響で、この寺も荒れ果て、仏像のあるお堂が博打場となっていたそうである。十二神将の中心には本尊の仏様があって、「この仏様はどんな顔をして博打を見ていたのだろうか。」と聊か気にはなるが、こちらのほうが蛍光灯よりは、まだましだろう。

2012年4月12日木曜日

N西レポート②

N西レポート②である。今日はテスト監督で、初めて生徒のいる教室に入った。ここでの違和感。
これは慣れてしまえば何ということはないのだが、教室に教壇がなく、フラットにに生徒と向かい合うことになる。変な話だが、教師にとって教壇はひとつの聖域であって、ここに入ったとたん、教えの神様が降臨するのである。(ホントか?)まあ、それはどうかわからんが、教壇の縁は私にとって結界にほかならないのだ。ここに踏み込むことにより「さあ授業をするぞ。」というスイッチが入るのである。やはり、これがないと、「なにも辛くないカレーであり、わさびを抜いた寿司」である。

2012年4月11日水曜日

ダルビッシュもやはり人間だったか。

ダルビッシュもやはり人間だったか。今日(10日)の大リーグの試合の感想である。
先日どこかのテレビ局の特集で、ダルビッシュを取り上げていた。その番組を見た限り、なんてクレバーなピッチャーなんだろうという印象であった。すべてを理詰めで考えている。「物事にはすべて理由がある。」とはよく言われる言葉であるが、その理由を分析して、自分をステップアップさせて行くのである。勿論ステップアップをさせるためには、それに合った肉体を備えていなければならない、彼はそのための肉体改造を計画的におこなっていたのだ。こう考えると、ダルビッシュというのは本当に非の打ち所のない野球選手だと、認めるしかなかった。ところがである。鍛えてもなお鍛えきれないのが、心なのであろう。本人もインタビューで答えていたが、「心と体がバラバラであった。」ということだ。ダルビッシュもやはり人間だったのである。

2012年4月10日火曜日

N西の入学式

今日(9日)のN西は、入学式であった。以前N東でもやっていたような気がするが、午前始業式、午後入学式のパターンであった。式はスムースに進み、「おお、これは早いぞ。一時間以内で終わってしまうな。」と思った次の瞬間である。いきなり、同窓会入会式というのが始まったのだ。着物やドレスのような洋服で正装した、五十代、六十代、七十代?のおばさま達が十人前後、颯爽と入場してきて、その会はあっという間に始まり、会長挨拶、新入生の言葉と続き、なんだかわからないうちに終わっていた。「ギョギョー。」である。N東の来賓の挨拶がずいぶん多い入学式にも違和感はあったが、これはそれ以上のショックであった。入学式当日に同窓会入会式?ウーンであったが、これがN西なのだろう。

2012年4月9日月曜日

続パレルモ・シューティング

昨日に続いて、ヴィム・ヴェンダースの「パレルモ・シューティング」である。彼の表現したかったこと「デジタル」についての反発。デジタルの世界によって、多くの人が苦しんでいる「現実の喪失」また「オリジナル」と「フェイク」の差に対する疑問。
 パソコンを使ってブログなるものを書いている私に、こんなことを言う資格はないのだが、確かに「デジタル」は多くの人を苦しめているケースがある。それは、年金問題で明らかになった。現実に存在していた記録がパソコンのキーひとつで変わってしまったり、失われてしまったりするのだ。あるいは、最近よく騒がれている「個人情報の流出」などもそうなのかも知れぬ。私個人の些末なことで言えば、インターネットで必要な、パスワードであるとかIDであるとか、それを忘れてしまうと、二進も三進も行かなくなることである。暗証番号さえ知っていれば、「オリジナル」と「フェイク」に差がなくなって、オレはオレであるのにオレでなくなってしまうのだ。朝の第一番目にする仕事がパソコンを立ち上げることなんて、ああ、いやじゃいやじゃ。

2012年4月8日日曜日

パレルモ・シューティング

ヴィム・ヴェンダースの「パレルモ・シューティング」をレンタル屋からDVDを借りて来て観た。ヴェンダースは私の好きな映画監督の一人で、有名な作品としては「パリ・テキサス」とか「ベルリン天使の歌」などがある。今回も「監督借り」であったが、やはりヴェンダースは裏切らなかった。なんと言ってもワンシーン、ワンシーンのカットが美しいのだ。どのシーンをとっても絵になるカットなのである。ストーリーは、売れっ子のドイツ人写真家が死に神と出会うことを中心に展開する。すべてにおいて満たされている彼が興味を持ったイタリアのシチリア島にあるパレルモに出かける。そこでは死に神に命をねらわれたり、イタリア人の美女と巡り会ったり、いろいろな事件が起こるといった案配だ。愛・生・死といった言葉がテーマになっているのだが、「デジタルは実在を保証しない。好き勝手に手を加えられる。すべてが混乱し、いい加減なものになり本質は失われる。」と言う死に神役のデニス・ホッパーがたまらない。デニス・ホッパーと言えば「イージー・ライダー」で一躍有名になった役者だが、死に神役で、実にいい味を出している。この作品出演後、彼は亡くなってしまったが素晴らしい役者であることはまちがいない。他にも妊娠中のミラ・ジョボビッチが、そのままモデルとしてのミラ・ジョボビッチで出演しているし、ルー・リードというロック・シンガーが音楽を担当したりしている。時間があれば是非観て欲しい作品だ。

2012年4月7日土曜日

続へそまがり

「へそまがり」についてコメントあり。ありがとうございました。
「へそまがり」とは根性がひねくれていることではないか」と。そう言われてみれば、「曲がる」と「ひねくれる」は言葉的によく似ている。さらに「『綜』は人間の性を象徴しているのでは」とも。確かに「へそ」というのは「石臼や櫓(ろ)などの二つのものが重なりあう部分にある、小さな突起。」とある。なかなか面白くなってきたぞ。
 さて、今日は8:30から16:30まで会議の連続であった。最近は持続力がなくなってきて、疲労困憊である。情けないこっちゃ。

2012年4月6日金曜日

へそまがり

「へそまがり」=「臍曲がり」と書くのが当たり前と思うが、語源を調べてみると、正しくは「綜麻(へそ)曲がり」と書くようだ。「綜麻」とは織物を織る時に使う、糸が巻いてあるもので、これが曲がっていると、上手に布が織れないということである。、そこから「ことごとく他人の言うことに、突っかかったり、逆らったりする人」を「へそまがり」の意味としたのである。これが語源であるようだが、どうもいまいち納得がいかない。「綜麻」が「臍」に置き換えられたのは何故だろう。同じ音だと言ってしまえば、それで片が付くのだろうが、なんといっても「曲がっている」のは臍なのである。臍は果たして曲がるのだろうか?出臍というパターンならともかく、へこんでいる臍は曲げることが出来るのだろうか。考えれば考えるほど謎の残る言葉なのである。

2012年4月5日木曜日

昨日はひどい風であった。

昨日はひどい風であった。春の嵐とはよく言ったものだ。家の前の電柱にもビニールのひもが絡まっていて、ちょっと心配である。そして今日はというと昨日の風がうそのように、おだやかであり、いかにも春の日である・・・とこような書き方はどうも性に合わない。生来のへそまがりなのだろう。へそまがりといえば、なぜへそまがりと言うのか?へそって曲がるものなのか?これは、次回までに調べることにしよう。

2012年4月4日水曜日

エリック・クラプトンのこと。

今日は暴風雨警報が出るほどの風と雨。ちょうど良いので、午後からは、家でエリック・クラプトンの「ライブ・オン・ツアー2001」DVDを観ていた。彼ほど幅広いファンを持ったミュージシャンはいないのではなかろうか。彼自身1945年生まれなので、もう67歳になるのだがその人気はすごいものだ。例えば10代である音楽部のギタリストI君はとてもよく聴くというし、この間私の退職に際して、わざわざ会いにきてくれた20代の卒業生のKさんも、兄さんの影響で好きになり、年末の北海道スキーではいつもお世話になっている旅行会社の30代?のTさんも、クラプトンのことになると、話題にことかかない。極めつけは、私の大学時代の女友達、勿論60代のIさんであり、彼女は日本でのコンサートには何回も出かけている筋金入りのファンでもある。クラプトンの何がそれ程人を引きつけるのか。私生活においては、麻薬とかコカインに手を出し、他人(ビートルズのジョージ・ハリスン)の奥さんを略奪し、その女性がいるにもかかわらず、浮気をしてしまう。ちょいと問題ありのクラプトンだが、ことミュージシャンとしての彼はまったく欠点のない人物に見える。実際に会ったこともないし話したこともないのに、こんなことを言うのはおかしいが、クラプトンのライブDVDを観ながらそう思ったのである。これは直感だ。クラプトンを知りたい方は、何かサインを送って下さいな。

2012年4月3日火曜日

みかんの皮

私のブログタイムは、大体、夜中の12時前後である。風呂に入って頭をやや温めてから始めると極めてリラックスできる。最近のマイブームは、その風呂に入る時に赤いネット(駅で売っている冷凍みかんを入れてある、あれである。)に自分が食したみかんの皮を入れ、それを風呂の中に、という具合である。柚(ゆず)湯というのがあって、それは柚を直接お湯の中に入れるのであるが、直接入れると中身が風呂の中に拡散してしまうことがあるので、私は皮だけを使用するのである。今日は贅沢に「たんかん」の皮と「サワーポメロ」の皮をいれたのだぞよ。柑橘系の爽やかな匂いと、なんだか身体が温まる(これは気のセイかも知れない。)気持ちになるのである。

2012年4月2日月曜日

GATAがきたぞ。

肩・腰・腕の筋、今日、痛いところ。年度末の行事がほぼ終了したので、急に「がた」がきたのか?もうヘロヘロじゃー。ところで「がた」というのは名詞なのであろうが、それなりの意味を持っているようだ。基本的には人や機会などを、使い過ぎて調子が悪くなった状態。さらに①機械などが古くなって具合が悪くなること。②人間が歳をとって、身体のあちこちに具合の悪いところが出てくる状態。
 当然、私の今の状態は②である。年寄りだからしょうがないか。(ちょっと弱気な私。)誰か何とかしておくれ。

2012年4月1日日曜日

吹奏楽部定演

吹奏楽部の定期演奏会を観てきた。吹奏楽部の皆さん、素晴らしい演奏会だったよ。「オペラ座の怪人」で歌を歌ったO君、Sさん、Hさん、君達の潜在能力には本当に感心してしまいます。ジャズも良かったよ。楽譜を譜面通りに演奏する吹奏楽と、譜面通りに演奏しないジャズでは根本的な違いがあるのに、よくがんばりました。ひとつだけ注文をつけるならば、どうせジャズをやるなら、ミッシェル・ルグランの「キャラバンの到着」ではなくて、デューク・エリントンの「キャラバン」をやって欲しかったよ。今後も是非、フォービート、アフタービートを追求してください。