2017年4月30日日曜日

「皐月」の「皐」

明日からは五月。
五月は皐月(さつき)とも書く。
「さつき」と読む理由は「早苗(さなえ)を植える月」、つまり「早苗月(さなえづき)」が「さつき」になったのだそうだ。

さて、この皐月の「皐」という漢字、音で読めば「こう」。
「皐(こう)」は感動詞で「ああ」。
声をゆるやかに長く引いて魂を呼ぶ意味だという。
また、「皐」の字は「白」+「大」+「十」。
白い光のさす大きな大地を示し、「明るい」「高い」「広がる」の意味も持つそうだ。

おー、なかなか奥が深い言葉だ。

そういえば、ワタシの知っている「皐月」の名を持つヒトも「明るい」ヒトだったなあ。

2017年4月29日土曜日

ミニ写真展

先日、当ブログにおいて「写真に関してのモチベーションの欠如」を述べたところ、昨日、敬愛する先輩の cello bow さんより写真を、との有り難いリクエストがあったので(ご要望はプリントアウトしたものをであったが)、急遽「ミニ写真展」をやってみることにした。テーマは「桜」である。

          ミニ写真展


















2017年4月28日金曜日

「あぶらや」という蕎麦屋

午前中早いうちに授業が終了したので、チョイト気になっていた御殿場原里の手打ち蕎麦屋「あぶらや」に出掛けてみた。
「あぶらや」には十二時少し前に到着。
駐車スペースは車二台分、そこはすでに先客の車が駐車されていたので、仕方なく店の前の道路に駐車。
(田舎ゆえ、車の通行にはまったく影響のないところであった。)

店内はテーブルが三つで二組の客。
二組ともすでに食事は終わっているようであったが、お喋りに夢中で店を出る気配はない。
まあ、こちらも駐車違反の切符をきられる心配はないので、安心して蕎麦を注文した。

およそ五分ほどで写真の蕎麦が出てきた。
なんと蕎麦には、いなり寿司と菜っ葉(なんという名の菜っ葉かは分からない)が付いていた。
このセットで五百円とは。
蕎麦自体も、蕎麦の香りがしっかりと感じられ満足のいくものであった。

「あぶらや」、また行くことにしよう。


2017年4月27日木曜日

確率69%

政府の地震調査委員会が、全国各地で今後三十年以内に大きな揺れ(震度6弱以上)に見舞われる確率を示した2017年版の「全国地震動予測地図」を発表した。
昨年同様太平洋側の地域が軒並み高い確率となっている。

気になる我々静岡はというと、静岡市が69%。
東京47%
名古屋46%
横浜81%
そして、もっとも高かったのが
千葉の85%だという。

かつて東海地方の地震が心配され、静岡県は要注意地帯となっていたが、結局、阪神大震災、東北大震災、熊本地震と、あまり注目されていなかった地域が被害を受けた。
しかし、だからと言って次も静岡県は安全かも知れないということはないだろう。
こればかりは「神のみぞ知る」である。

地震予測は年々精度が高くなっているはずなので、我々のできることは、今回の予測を好い加減にすることなく「地震はいつ起こっても不思議ではない」ことを肝に銘ずることだろう。












2017年4月26日水曜日

モチベーションの欠如

昨日の予報だと、今日の午後の天気は雨であり、水曜テニスは無理だと思っていたが、気圧の動きが遅いようで、テニスは問題なくプレイできた。
ただし、ワタシ的には病み上がりゆえ、今日は一休みしたかったのである。

昨日は二度の問題発言によって、復興大臣が辞職した。

まったくお粗末な出来事である。
東北で起きた震災からの復興のために任用された大臣が、被災者の心をまったく考えていないような発言を、一度ならず二度もする。
総理大臣も自ら任命責任を述べていたが、このように「懲りない人間」を任命した責任は相当重いだろう。

桜の写真をプリントアウトしてみたのだが、N西の時と異なり見せる人がいない。
今まで気づいていなかったのだが、このことはモチベーションの欠如につながるだろうなあ。




2017年4月25日火曜日

「カム・トゥゲザー」

ポール,裸足,topgear0825,ビートルズ,アビイロード,kk22mm77,ジャケット昨日に続いて「アビー・ロード」である。

「アビー・ロード」は、「カム・トゥゲザー」という、当時としては斬新な曲で始まる。
中山康樹という評論家は、この曲について次のように評論している。

「ジョンの声は存在感がある。ゆえに曲によってはうっとうしく響くこともある。とくにメロディーが一本調子で、しかも強引にしゃくりあげつつねじ曲げようとした場合、うっとうしさは増加する。ここがいわゆるジョンの声に対する好き嫌いの分かれ目だ。この「カム・トゥゲザー」は、その分かれ目に位置する微妙な曲だ。しかも名曲かといえば必ずそうではない。かといって駄曲でも凡曲でもない。要は変わった曲なのだ。」

うーん、同感である。
この曲を一言でいえば「危険なインパクト」である。
ポール・マッカートニーが万人受けする甘くのびやかな声なのに対して、ジョン・レノンは挑発的で突き刺すような声で攻めてくる。
これには一種の危うささえ感じてしまう。

実際、「カム・トゥゲザー」のイントロに聞こえる「シューッ」という声は「シュート・ミー(Shoot me)」、「撃ってみな」ということらしい。

まるでジョン・レノンの最後を暗示しているような叫び声だ。



2017年4月24日月曜日

「アイ・ウォント・ユー」

ポール・マッカートニーが来日した。
七十歳を超えて相変わらずの人気、大したものである。

ワタシ達の中高生時代は、ビートルズはリアルタイムなので、多かれ少なかれ影響は受けている。
もっともワタシの場合、中高生時代は「少なかれ」の方であった。

さて、そのワタシがいつの間にか「多かれ」に移行してしまっていた。
では何時からビートルズかというと、彼らの解散後、「アビー・ロード」というアルバムを聴いてからである。

よく言われるラストアルバム問題(ラストに発売されたアルバムは、「レット・イット・ビー」であるが、録音の順でいくと、「アビー・ロード」が最後のアルバムとなる。)のアルバムであるが、その内容は最初から最後まですばらしい。
ビートルズここに極まれり、である。

カム・トゥゲザーから始まり、サムシング、マックスウェルズ・シルバー・ハンマー、オー・ダーリンと続く。
中でも「アイ・ウォント・ユー」は、度肝を抜かれた。
これは「ジャムセッション」ではないか。
当時、ジャズばかり聴いていたワタシは、ここからビートルズにはまっていったのである。





2017年4月23日日曜日

名鉄菜館

昨日の夜は、近所にある中華料理の老舗(御殿場ではもう五十年近い歴史を持つ)「名鉄菜館」で食事をした。

「名鉄菜館」の料理、美味いか?
と言われれば、これは美味い。
コストは適当か?
と問われれば、これはちょいと高い。
美味いけれど、高い、これが老舗「名鉄菜館」なのである。

かつてG南高では、送別会をここで開催していたので、かなり馴染みのある店であったのだが、G南を離れていたここ11年は、ほとんど足を踏み入れることはなかった。
送別会の時には、特別に美味いとは思わなかったような気がする。

さて、昨夜は家族で食事をしたのであるが、昔よく食べていた宴会場ではなかった。
したがって、宴会と異なり料理を運んでくるレスポンスが良いので、非常に良いタイミングで食べることができたのが美味い原因なのだろう。

やはり、料理の基本は「暖かいものは暖かいうちに」なんだろうね。

2017年4月22日土曜日

あざとい

 最近、「あざとい」という言葉をよく聞く。

国語事典によると、この語は関西方言であり、「あ」は接辞とある。
「あ」は接頭語という意味だろう。
つまり「さとい」に「あ」を付けたものだ。
「さとい」は形容詞で、理解・判断が速く、的確であること。
批判的、揶揄的な(皮肉を言ってからかう)意味で用いられることもある。
例えば、「利にさとい人」となると、多少軽蔑てきなニュアンスをもつのだろう。

したがって、辞書には、
①浅はか(小利口)な点が批判の対象となる様子だ。
②あくどいところがあって、悪い印象を与える様子だ。
とある。

「さとい」は「聡い」と書くので、「聡明」の「聡」の印象が強く、「理解・判断が速く的確」であり、悪いイメージはないのだが、「あざとい」と「あ」を付けてしまうと、どうもあまり良い意味はなくなってしまうのだ。
なんとなく妙な感じである。





2017年4月21日金曜日

ポテトチップ騒動

昨日、福岡で三億八千万の強奪事件があったと思えば、今日は銀座で数千万の強奪事件あり。
お金ってえのはあるところにはあるものだ。

ポテトチップ騒動。

ポテトチップはワタシにとって、絶対になくてはならないものではないが、ここのところ、このポテトチップが品薄により、世の中の注目を浴びている。
スーパーなどからポテトチップが姿を消してしまったのだ。

じゃがいもの最大生産地である北海道のじゃがいもが、去年の台風により大きな被害を受けたのが原因だという。。
じゃがいもが品薄になれば、当然ポテトチップも品薄となるわけだ。

人間という生き物は、それがないと知ると、そのないものがとても欲しくなる。
以前のオイルショック時のトイレットペーパーと違って、ポテトチップは生活必需品ではない。
したがって、大騒ぎになる必要もないのだろうが、これが人間の哀しさなんだろうね。


2017年4月20日木曜日

「東海林」は何故「しょうじ」と読むのか?

NHKのナントカいう番組を見ていると、次週のこの番組のタイトルが、「東海林」は何故「しょうじ」と読むのか?であることを告げていた。
ん?
そう言われてみれば、「東海林」が「しょうじ」に繋がるのは、実に妙だ。

チョイト調べてみたくなり、番組に先駆けてネットで検索してみた。
ネットではいくつかの説が紹介されていたが、要はこんなところである。

まず、「しょうじ」とは「庄司」であるという。
「庄司」とは、「庄」を治める「司」であり、かつて荘園を治める者の職業名であった。
その「庄司」になったのが「東海林」、つまり「東の海」からやってきた(どうも渡来人のようだ)「林」氏であったということらしい。
つまり「庄司(しょうじ)」=「東海林」なのだ。

うーん、納得できると言えば納得できるなあ。




2017年4月19日水曜日

過去の思い出


水曜テニスの前にN西まで出掛ける。
国語研究室で珈琲を入れることが目的であったのだが、実際一時間ほどのお喋りが楽しく、こっちの方が目的だったような気もする。
いづれにしろ、今まで親しくしてもらった元同僚とのお喋りの時間は、かけがえのない時間となった。

過去の思い出に浸ってはいけないのだろうが、この歳になると、過去の思い出と未来への夢を比べてみれば、当然前者のウエイトが重くなるのだ。

これが歳をとる、ということなのだろう。

2017年4月18日火曜日

臍曲がり

昨日から今日にかけて、日本列島(特に太平洋側)は、低気圧の通過に伴いとても大荒れの天気となった。
御殿場は幸いなことに大した影響はなかったのであるが、静岡県でも浜松と伊豆の方で、土砂災害があったようだ。

そして午後からは一転して夏日の暑さ。

群馬県の高崎では三十度を超す暑さ、また静岡県の清水では二十七度を超す暑さとなった。

本当に、何があってもおかしくない日本列島なのだ。

午前中に授業が終了したので、東山湖の桜を撮る。

東山湖というのは、人工湖で周りに桜の木が植えられている。
桜の木の向こうには富士山も見え、写真を撮る人間には絶好のポイントなんだろうが、臍曲がりのワタシは、どうもこの風景が好きになれない。
好きでないのに何故撮りにでかけたのかというと、「これもひとつのチャレンジ」と思ったからである。
出来すぎた風景から、出来るだけ出来すぎた部分を排除したならば、どんなものか。
これを試したのである。

やっぱりワタシは臍曲がりだ。






2017年4月17日月曜日

理解し合えるはず

朝刊の「折々のことば」に、村上龍の小説「ラブ&ポップ」の文章が引用されていた。

「理解し合えるはずだという前提に立つと、少しでも理解できないことがあった時に、事態はうまくいかなくなる」

この文章に対して、鷲田清一は言う。

対話は、他人と同じ考え、同じ気持ちになるためになされると考えると、いずれかが理解を断念したとき、対話は閉じられる。
理解できなくてあたりまえ、むしろ語り合えば語り合うほど相手と自分との違いがより微細に見えてくる、それを対話だと考えれば、理解しえずとも共にいられる場所は少し広がる。

うーん、その通りだ。

同じ紙面の「天声人語」にはこんなことも書かれていた。

「善処します」
かつて永田町や霞ヶ関界隈で盛んに使われた言葉である。
前向きと見せて放置しておく場合に便利である。

この言葉の危ういところは、一歩間違えると、とんでもないことになるらしい。
「天声人語」ではこう続けられている。

1969年、日米首脳会談で佐藤栄作首相が「善処します」と発言。
日本人の通訳は「アイ・ウィル・ドゥ・マイ・ベスト」と訳したとされる。
相手のニクソン大統領は輸出規制の確約を得たと受け止めた。この「誤訳」が両国の関係悪化を招いたと語り継がれてきた。

偶然だろうが、何か繋がる記事であった。




2017年4月16日日曜日

蠢動(しゅんどう)

春らしい天気となり、気温もあがってきた。
そのせいかどうか、道を歩く人も多く見られた。
今日も秩父宮記念公園まで散歩に出掛けたのだが、公園近辺は大勢の人であふれかえっていた。

人間てえのはやっぱり生き物の一種なんだろうね。
春になると、その本能なのか、身体が動くことを欲するのであろう。

春になって虫が動き始めることを「蠢動(しゅんどう)」という。

辞書で引いてみると、「蠢」は、動詞で虫類が動く。騒ぐ。
また形容詞では、愚かな。不遜なさま、ふとどきな。さらにとりまぜたさま。
そして、「蠢動」の意味には、「取るに足りないものが、陰で策動すること」の意味があるのです。

うーん、あんまり良い意味はないのです。
そもそも、虫のイメージてえのがよくないのだろうね。





2017年4月15日土曜日

桜三昧

桜三昧。

少し暖かくなって、御殿場では一気に桜の開花が始まった。
明日はもう東京では気温が二十五度以上になるとか。
今年は春からいきなり夏になってしまうのだろうか。

桜の花が開花したゆえ、今日も近所の桜を撮ろうと、夕方に近い時間に外に出てみた。
夕方は光が良いのだ。

花を撮るのは夕方に限るのである。

2017年4月14日金曜日

桜を撮る

金曜日は授業が二限だけなので、「今日は桜の花でも撮りにに行くべー。」と決め、ハンドルを握った。

目的地は特になく、フラフラ出掛けたのであるが、結局、去年の桜を思い出し、着いたところは、昔ワタシが勤務していたG高校の定時制の建物があったところ。
現在は建物は撤去され、跡地は広いグランドとなっている。
このグランドの周りに桜の木が植えられているのだ。

今から四十年以上前には、桜の木などはなかったように記憶しているので、今日撮った桜は樹齢はそれほどではないのだろうが、妙に貫禄のある木が多かった。
不思議だ。



2017年4月13日木曜日

MRI

二月に手術・入院でお世話になった脳神経外科まで二ヶ月検診にでかける。
定期検診のようなものだ。
頭の中を調べるMRIを受け、その後に診断という流れだ。

ところで、MRIとは一体何だ?
CTスキャンとどう違うのだ?
この際しっかり調べてみようと思い、ネットで検索してみた。

どちらも丸い機械の中に入って身体の断層を見る検査技術のことで、MRIは、強力な電波を使って、体内にある水分に作用して断層を撮影する方法。正確には「核磁気共鳴画像法」という。
一方のCTスキャンは、X線検査の立体版で、レントゲン照射したあとにコンピュータで画像を作り出す技術のこと。

ヘー、そうなんだ。
つまり、MRIってえのは、強力な磁気でできた筒の中に入り、磁気の力を利用して身体の臓器や血管を撮影する検査なのだ。

さて、診断は順調に快復しているとのこと。
確かに入院当時の画像と今日の画像を比較すると、脳のシワにかかっていたカゲのようなものが、ずっと少なくなっていた。

写真は今夜写した「秩父宮記念公園」の夜桜。
チョット失敗ですな。

2017年4月12日水曜日

「間」の概念

健康体に復帰してから二度目の水曜テニス。
一度目よりは、多少身体は動くようになったのだが、まだまだ反応が鈍いようだ。

下界の沼津は桜が満開。
ここ一日、二日で一気に花が開いたらしい。
御殿場も「時の栖」あたりは、結構満開に近い。
直にこのへんも満開となるだろう。

以前に書いた「八つの日本の美意識」の続きである。
作者の黒川雅之は言う。
俵屋宗達の「風神雷神」では二つの神の目線が中間の空白のところに集まっている。
この空白で目線がぶつかることによって、今度はそこに独特な意味合いが生まれる。
主体性をもった複数の人物やものが相互に見えない関係で結ばれているのだ。
そういう関係を「並(並列性)」という。
そしてこれが「間」を作る。
「間」の概念とは、「個人相互の並列関係」なのである。

つまり、こういうことだ。
風神雷神図では、風神と雷神の間には空間が存在する。
じつはこの空間こそ風神雷神図の、第三の部分を形成していて、これが日本の美意識の中核を成す「間」なのである。


2017年4月11日火曜日

ワタシにとっての新年度

正規の教員とは異なり、非常勤講師というのは、授業さえやっていれば良いので、ワンテンポ遅れて新年度が始まる。

今日がワタシにとっての年度始まりであった。

G南の生徒は一体どんな生徒なんだろう?
久し振りの授業、約三ヶ月ぶりとなる授業なので大丈夫なんだろうか?
不安はそこそこあったのだが、それはそれ、もう四十年以上教鞭を執ってきたワタシは、なんのこともなく、ずうずうしく授業に入っていった。

まあ、どこに行っても高校生は高校生である。
どの生徒もみんなカワイイのである。
むしろ、この生徒は一体どんな生徒なんだろう?
という興味の方が不安よりも優先するようだ。

(写真はチョット前に出掛けた静岡県立美術館ロダン館の「考える人」像。おそらく、バブル期にまとめてロダンの作品を購入したのだろうが、とても良い選択だったと思う。彫刻だからだろうか、ここではカメラのシャッターをきることが許されていたので何枚もの写真を撮ることができた。)


2017年4月10日月曜日

久し振りの「紅富士の湯」

久し振りに「紅富士の湯」まで出掛ける。
ワタシの好きな山梨県忍野村にある日帰り湯である。

好きな理由は「気持ちの良い露天風呂」。
内湯から出て、階段を降りると、植木の植えられた庭がある。
そしてそこには、大きな木製の浴槽と大きな岩風呂。

ワタシは決まって岩風呂に入る。
こちらの方がより開放感があるからだ。
今日は平日の月曜日ゆえ、この岩風呂を独り占めすることができた。
天気が良ければ、富士山を風呂につかりながら眺めることもできる。
うーん、なんという贅沢。




2017年4月9日日曜日

建築家の黒川雅之の「八つの日本の美意識」という本を読んでいる。
その中の、「微」の項に日本建築の思想を伝える数寄屋に言及している部分があるのだが、これがなかなか面白い。

数寄屋には、必ず亭主の座があり、この亭主の座という一点からの風景として世界が取り込まれる、つまりこれは一点から世界を見つめるということであり、さらに世界を自分の一点に収斂(しゅうれん)させていることにもなる。

まあ、なんとなく分かりにくい言い回しであるが、要はこういうことらしい。
「微細なものに全体が含まれる」
この発想が「俳句」を生み、「幕の内弁当」を作らせたのであると。
俳句は五・七・五という、極めて短い語の中に、自分の世界を表現しようとする文学である。
また、幕の内弁当は、自己主張する多くのオカズを配置することにより、ひとつの完成形としての弁当を作り出す。
これが、「微細なものに全体が含まれる」であり、いわば「マルチパースペクティブ」なのであると。

2017年4月8日土曜日

中学のクラス会

中学時代のクラス会を沼津の「ひろ」という海鮮料理の店で行なう。
魚のさしみが非常に充実した店であった。
例えば、鰤、真鯛、金目鯛、縞鰺、太刀魚、三文魚(サーモン)などというのもあった。
魚好きには、たまらないラインナップであろう。

さて、クラス会は、当然のことであるが、話は怪我であるとか病気のことが多くなる。
この年齢にはつきものの病気自慢だ。

ワタシも今回は、それに乗り遅れず、手術・入院の話ができたのである。
(別に自慢するわけでもありませんがね。)

2017年4月7日金曜日

只管

ナゾ検証・日本語の達人?という番組の中で、俳優の武田鉄矢が、読めそうで読めない漢字とか、間違えやすい意味というジャンルの問題を答えていた。
彼は、金八先生という国語の先生役をやっていたので、この解答をすることになったんだろうが、さすが金八先生。
五十問の問題をすべて正解した。

ただ、すべての問題がスムーズに答えられたわけではなく、漢字の読み方では「只管」、語句の意味では「やぶさか」の意味を答えるのに苦労していた。

「只管」は「ひたすら」、「一向」とも書く。
「やぶさか」は「吝か」と書いて、「そうする必要も無かろうと、ためらうこと」である。
他にも「柳葉魚」の詠み。
これは「ししゃも」なんてえのもあって、高校の国語教師であるワタシも結構苦労したのである。

やはり、いくつになっても修行は怠ってはならないのだ。


午前に驚きのニュースあり。

「米軍がミサイルでシリアの空軍基地を攻撃」
アメリカの方針転換である。
これから何日かの中東情勢は目が離せないことであろう。

2017年4月6日木曜日

ホンモノのおカネの作り方

来週より、いよいよG南での授業が始まる。

授業らしい授業は(N西では三年生担当であったので、問題演習ばかりをやっていた)一月以来およそ三ヶ月ぶりである。
途中、御殿場図書館での「古典講座」があったので、しゃべることに関しては、あまり不安はないのだが、こと生徒を前にしての授業展開ということでは、やや不安を覚える。

G南では二年生の古典と三年生の現代文を担当する。
昨年度のN西では、ひたすら古典を教えていたので、現代文を教えるのは久しぶりだ。
ここからと、指示のあった単元はどんなものかなあと、教科書を捲ってみたところ、岩井克人の「ホンモノのおカネの作り方」という評論であった。

なかなか面白い評論で、貨幣経済の根本的な発想について書かれた文章である。

要は、江戸時代に存在した小判(いくらかはホンモノの金を使用している)の「ニセガネ作り」は捕まれば思い罰を科せられるが、現在我々が使用している紙幣は、ホンモノの金(カネ)を使用していないにもかかわらず、罰を科せられることはない、ということである。

紙幣というのは、便宜上つくられたニセの金であり、その価値は人間同士のお互いのルールによって定められたもの、ということであろう。

2017年4月5日水曜日

充実の一日

なかなか充実した一日であった。
午前中はG南の国語科に行き、新年度の授業のついての打ち合わせ。

午後は沼津の愛鷹テニスコートで水曜テニス。
眼科・脳神経外科での手術後、初めてのテニスである。
外科の先生には、運動をしても大丈夫という許可をもらっていたのだが、流石に激しい運動は怖かった。

最初は恐る恐る球を打っていたのだが、途中からは我を忘れて打ってしまった。
(これは老人の無鉄砲ですな。)

テニスの後は、沼津の「九十厨」でN西国語科の送別会。
「九十厨」は料理が美味しい居酒屋である。
N西での五年間は実に楽しい五年間であったのだが、それはこの国語科があったからであろう。



2017年4月4日火曜日

もうないだろう時間

離任の際の餞別御礼のためにN西まで出掛ける。
たった四日間しか離れていなかったN西であったが、もう何年も月日が経ったような感じがした。
愛着のあるところから離れるということは、こういうことかと、しみじみ思うワタシなのであった。

N西では今まで毎日のように顔を合わせていた同僚に挨拶。
国語の研究室で一時間以上のおしゃべり。
これからは、もうないだろう時間を満喫してきた。


2017年4月3日月曜日

桜の開花

今年は桜の開花が遅い。
例年ならもう満開でもオカシクないはずなのに。

東京では昨日のニュースで、満開に近い状態の桜の花を紹介していた。
御殿場での開花は無理だとしても、静岡などは東京より暖かいはずなんだがなあ。
この遅さ、日本列島の去年からの異常気象を象徴するような出来事である。

写真はN西の去年の桜。
N西から海岸に向かう通路際に咲いていた桜である。





2017年4月2日日曜日

雨はやさしく


雨は、やさしく - 醤油ラーメン札幌に「雨はやさしく」という名のラーメン屋さんがあるそうだ。
「そうだ」というのは、札幌にはもう三十年以上通い続けているワタシも、このような妙な店名は初めて聞いたし、また店のある場所もいわゆる「観光客」には分かりにくく、車でないとなかなか行けないようなところであるからだ。

その「雨はやさしく」というラーメン屋さんが、この間テレビで紹介されていた。
ウリは、煮干しや昆布で出汁をとった、動物系の汁を使用していないスープだという。
特徴的なのは、「鶏肝ペースト」が麺の上にのっかっており、それを徐徐に溶かして食べるのだという。
また、写真では分かりにくいがゴボウの天麩羅がのっているのも特徴である。

店名同様変わったラーメンのようである。
今年はチャンスがあったら是非挑戦したいと思う。

2017年4月1日土曜日

無常迅速

生涯十二万体の神仏を彫るという誓願を立て、現在五千四百体ほどが確認されている「円空」。
この「円空」についてのテレビ番組を観ていると、「無常迅速」という禅で使われる言葉が出てきた。
禅の方では「生死事大、無常迅速」となる。

「事大」とは重要なこと。
人生で「生死」は重要なことである。

そして「無常迅速」。

人の世の移り変わりは常に儚(はかな)く変転してやまない。時は移りゆき、形あるものは必ず滅する。一切が無常であり、生滅するその理(ことわり)を凝視して、ぼやぼやしていたらすぐに死ぬのだから、あたら無駄に過ごしてはならない。

二月に手術・入院、三月には退職、そして新規に非常勤講師となったワタシには、なかなか重みのある言葉であった。