2016年2月29日月曜日

ディする

卒業式の前日ということで、久しぶりに三年生が登校してきた。
何だか随分顔を見ていないような気がしたが、まだひと月も経っていないのだよね。
三年生の顔を見ると、何か安心するなあ。

最近見たテレビ番組の中に「ディする」という言葉が頻繁に出てきた。
「ディする」とは何じゃ?

いろいろ調べてみると、この言葉の登場は、ヒップホップシーンであるという。
ヒップホップで相手を貶す(けなす)こと、つまり軽蔑の意味で「disrespect」という単語を使う。
リスペクトに「dis」の否定を表す接頭語を付けたものだ。
「dis」つまり、この英語で「不~・非~」といた否定を表す接頭語に、動詞化する接尾辞の「る」をつけ、軽蔑し、罵り、貶すことを「ディする」となったということである。

うーん、日英合体語だね。

2016年2月28日日曜日

スーパー・チューズデー

今日のニュースでは「スーパー・チューズデー」の言葉が盛んに使われていた。
早速ウィキペディアで調べてみると、そこには次のような説明があった。


スーパー・チューズデー (Super Tuesday) とは、アメリカ合衆国において、大統領選挙がある年の2月または3月初旬の一つの火曜日を通常さす。その日は多くの州で同時に予備選挙・党員集会(以下、しばしば予備選挙として総称)が開催され、一日で最大の代議員を獲得することができる日である。そのため、各候補は自党の大統領候補としての指名を確保するためには、この日を上手く乗り切る必要がある。
かつてはこの日には南部の諸州で予備選が開催されたため、「南部集中選挙日」「南部同時選挙日」と呼ばれることがあったが、現在は、この日に行われる予備選挙等が南部の諸州のものとは限らない。




  • なぜ投票日は火曜日なのか
アメリカ合衆国建国以前から選挙で選ばれた者が政治を行ってきた。選挙は開拓時代から行われたが、キリスト教徒であった人々は日曜日を安息日として休み、家族と共に過ごした。翌日の月曜日を投票日とすると、広大な国土のアメリカでは投票所から遠くに住む人は前日の日曜日の一日をかけて馬車などで来なければならないが、これでは安息日とはならない。遠方の人も日曜日は休み、月曜日の一日をかけて投票所をめざし、火曜日なら投票が行える。こうして、伝統的にアメリカでは投票日は火曜日となっている。
なるほどね。そういうことなんだ。



    2016年2月27日土曜日

    近代文学講座②

    御殿場図書館においての近代文学講座、「現代文無責任講座」の二回目を行なう。
    先週の一回目は、どうも余分なことを喋りすぎた。
    おかげで、予定の七割程度で終了してしまった。
    申し訳無いっす。
    しかし、テキストの目次には、予め次のように書かれているのである。
    講義予定項目(飽くまでも予定です。)・・・と。(そうです、ワタシは抜け目がないのです。)
    ここでの「飽くまでも」とは「どこまでも」という意味。
    したがって、予定項目はどこまでも予定であって、保証はしないことを宣言しているのである。

    と、まあ開き直ってみたものの、この講座は有料である故、まったく無責任にはできないのです。
    夏目漱石の「夢十夜」から始めて、芥川龍之介「羅生門」、太宰治の「富嶽百景」、三島由紀夫「美神」と一気に講義、そして最後の又吉直樹「火花」までしっかり終わったのです。(なんだ、やりゃあ出来るじゃあないか。パチパチ。)

    さて、終了後、図書館の方から「評判が良かったので(ナント評判が良いのですぞ。)次回もお願いしたい。」との言葉をいただいた。
    うーん、どうしようかいな。



    2016年2月26日金曜日

    乱高下

    昨日の御殿場は積雪。
    朝、5センチ程度積っただろうか。
    幸い、そのあと比較的暖かくなって、夕方ににはほとんど融けていた。
    最近の気候は、株と同様の乱高下だ。
    沼津あたりでは桜(河津桜)が満開で、だいぶ暖かくなったと思っていたら、昨日の雪。
    この先いったいどうなることやら。

    ところで「乱高下」の「高下」とは、程度が高いことと低いこと。
    また、高くなったり低くなったりすること。
    「高低」でもなく「上下」でもないのは、どうしてですかね。

    昨日は国公立の二次試験もあったので、そちらの方も気にかかる。
    みんなしっかり受けただろうか。




    2016年2月25日木曜日

    ABC(アシッド・ブラック・チェリー)

    今、ABC(アッシド・ブラック・チェリー)というビジュアル系のバンド?にはまっている。キッカケはワタシがよく見るブログに、このバンドのことが書いてあったからだ。

    ウィキペディアによると、ABCは、Janne Da Arc(ジャンヌダルク)というバンドのメンバーであるyasu(ヴォーカル)のソロプロジェクトとして始動したのがABCなのだそうだ。
    (うーん、何だか複雑だぞ。)
    したがって、ABCはバンドというよりもソロボーカルの色彩が強いのだが、ライブはバンド形式で行い、そのサポートメンバーが流動的だ(曲によって、yasu自身が一番合うと思ったミュージシャンを選ぶ)ということだ。

    さて、ABCは「エロ」をコンセプトにしており、ポップス、ロック、ジャズなど幅広い楽曲をそろえているのが特徴だ。
    なお、全曲をyasuが作詩・作曲・編曲しており、キーボード&プログラミングも手がけているということである。

    ワタシが惹かれたのはやはり「エロ」と「ジャズ」の部分なのだろう。
    「エロ」はともかく、曲によってはかなりジャズテイストなところあり、グイグイ心の中に入ってきている。

    2016年2月24日水曜日

    バードマン

    バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) ポスター画像「バードマン」という映画を観る。
    アカデミー賞作品賞を受賞し、話題になった映画である。

    かつて、コミックヒーローの映画「バードマン」に主演し、人気俳優となった男がその後落ちぶれ、再起をかけて舞台劇にチャレンジしようとする。
    男は過去の栄光からなかなか抜け出すことが出来ていない。
    そして、それは虚構と現実の区別がはっきりできていない「総合失調症」の患者が見るような光景として、時々現れる。
    舞台劇のクライマックスでは、劇の主人公が妻帯者の友人と自分の妻が不倫をしている現場に遭遇し、自殺を図る場面があるのだが、実は男も劇を利用して自分も自殺を図る。
    幸い、銃弾は鼻を打ち抜いただけで命は救われた。

    映画は、迫真の演技が評価され、またそれまで上手くいっていなかった家族関係も修復されそうだ、というところで終了する。

    この映画のテーマは映画の副題でもある「無知がもたらす予期せぬ奇跡」であるのだろうが、なかなか見ごたえのある作品だった。



    2016年2月23日火曜日

    卒業生

    学校の方は高校入試に向けて動き始めた。

    今日は「富士山の日」ということで、生徒はお休み。
    することもなく、研究室でボーッとしていると、一昨年の卒業生が二人顔を見せてくれた。
    何れもフェンシングをやっていて、私とは仲良しだった卒業生である。
    一人は短大なので、四月からはもう幼稚園の先生である。
    もう一人は四大で、あと二年。
    彼女はNPOのボランティア活動で外国に行くという。

    二人ともしっかりレディーになったね。
    次のステージでも頑張ってください。


    2016年2月22日月曜日

    菅沼 稔 展

    No.1505 145.5×112.1cm 2015年 Oil on canvas菅沼 稔展
    昨日、一昨日は随分多忙であった。

    一昨日は御殿場図書館で講義のあとに沼津で中学の同窓会。
    ザンザン降る雨の中、車で沼津まで移動。
    チョイト疲れました。

    そして、昨日。
    一昨日の同窓会で、高校の友人である菅沼君の個展を三島の「さんしんギャラリー」において開催しているとの情報。
    昨日は三島まで出掛けた。

    彼は、現役で東京芸術大学美術学部絵画科に合格した、私にとってはトンデモナイ友人であった。油画専攻であるが、ワタシ個人としては彼の版画(エッチング)が好きである。
    神奈川県の高校教諭として定年まで勤め、大学の非常勤講師をしながら、創作活動をしている。

    今回の個展は、上の油絵(筆を使用せず、独自の方法で色を塗り重ねてたもの サイズは1455×1121cm)のような作品が中心であった。

    そう言えば、彼と二人で詩集を作って、無謀にも売り歩いたことがあったなあ。


    2016年2月21日日曜日

    「無責任講座②」

    昨日の「近代文学講座」の続きである。

    昨日ブログで書いたように、聴講者は最年少が十八歳。
    そして、これが現役高校生で、「近代文学講座」始まって以来の高校生だということであった。
    へー驚いた、高校生は非常に珍しいのか、そんなに高年齢の講座だったのかと、会場に行ってみると、確かに高年齢の方ばかり。
    高校生はひときわ目立っていた。
    実は、その高校生、現在の勤務校であるN西の女生徒であった。
    直接教えてはいなかったが、土曜講習などで顔は知っていた。
    何でも、本人が御殿場在住で御殿場図書館の「近代文学講座」告知を見て、申し込んだのだという。
    ウン、いいぞ、いいぞ。
    三年生は受験の真っ最中なのに「無責任講座」なんか聴いていて果たして良いものかと心配したが、推薦入試ですでに国立大学に合格が決まっているという。
    ありがたいコッチャである。

    一方、最年長は九十歳の方であったのだが、この方は全盲だということあった。
    付き添いの方がいて、黒板に記述したことについては、講義終了後に説明をするのだと。
    こちらも、ありがたいコッチャである。

    二時間休みなしで講義を終える。
    最後はトンデモナク変な場所で切れた。(まさに、無責任講座である。)

    聴講者の皆様ゴメンナサイ次回頑張ります。






    2016年2月20日土曜日

    「現代文無責任講座」

    昨年、御殿場市の図書館から私宛に、文学講座講師の依頼があった。
    講座のコンセプトは「近代文学」である。
    開講日が二月二十日と二月二十七日の二日間。
    そして、本日その一回目の講座を開催した。

    題して「現代文無責任講座」。
    副題として「鴎外、漱石から又吉直樹までを読み散らかす。」と付けた。
    図書館主催の文学講座としては、相当ふざけたタイトルであったのだが、それが幸いしたのか雨の中、二十四、五人の受講者が来てくれた。
    驚くべきは、受講者の年齢構成。
    なんと、十八歳から九十歳まで。
    その差七十二歳である。
    また、平均年齢が六十七歳だという。


    2016年2月19日金曜日

    「近代」

    N西では三年生の登校日。

    三年生の顔を見るのは久しぶりである。
    学年の集会があったのだが、どうも生徒よりも教員の方が思い入れが強いようで、卒業式には一体どうなることかと、多少心配に思われた。
    今の三年生は幸せだ。
    こんなに生徒を愛している教員に囲まれて。

    よく分からない言葉に「近代」という言葉がある。
    辞書を引くと「近代」とは「現代に近い時代」とある。
    では「現代」とは何かと辞書を引くと、「われわれが現に今、生きている時代」とある。さらに「第一次世界大戦、第二次世界大戦以後」ともある。
    これを整理すると「近代」とは明治時代から世界大戦の前までの時代であり、大戦後から現在までが「現代」ということになる。

    では、「近代的な建物」とは「明治・大正時代のような建物」ということになるのか。
    ワタシが学校で教えている「現代文」の中に、明治の文豪、森鴎外や夏目漱石の作品が登場してくるのは、「現代文」だから本当は入れないほうが良いのか。

    2016年2月18日木曜日

    税の申告


    国会議員の失言が続く。
    まあ、失言ではなく本心と言ったほうが良いのかもしれない。
    もっとも、そういう国会議員を選んだ国民に一番責任があるのだろうね。

    昨日は税金の申告に出かけたのだが、どうも納得がいかん。

    申告というのは給料の源泉徴収票と年金の源泉徴収票を持参して、自分の収入のすべてを明らかにする。
    次に、そこから健康保険の控除証明書とか生命保険、火災保険などの証明書などで、控除されるべき金額を算出。
    そして、収入額と控除額から新たに納税するか、還付されるかが決定するのだ。

    結果どうなったかというと、アタシの場合、新たな納税となってしまった。
    こんなに慎ましく生活していても、これだけ真面目に納税していても、まだ納める税金が足りないというのか。
    やはり、この国は何かがおかしい。

    2016年2月17日水曜日

    はごろもチョーク

    NHK(最近ジジイになったのか、NHKばかり見ております。)の「クローズアップ現代」において、優良であるはずの中小企業の経営者が、次世代に上手くバトンタッチができず、廃業しているケースが多くなってきたことを紹介していた。

    中でも驚いたのは「はごろもチョーク」。
    写真のチョークである。
    この我々がもっとも馴染んでいるチョークの会社が、後継者が見当たらず、2015年に廃業。
    その技術をすべて韓国の会社に譲渡販売したということである。
    抜群の商品価値を持ったチョークなのに、これは実に口惜しい。
    結局、将来を見据えたときに電子機器に取って代わられるのではないかという不安が大きく、このような結果になったのだそうだ。

    はごろもチョークを廃業に追いやったのは、教育者にも責任の一端はあるようだ。
    学校というところは、新しいものにすぐ飛びつく習性がある。
    研究授業などでも盛んに電子機器を利用したがる。
    やれ、パワーポイントがどうだとか、電子黒板がどうだとか。
    しかし、毎日毎日パワーポイントを使った授業などとてもできまい。
    やはり、チョーク一本での授業にはかなわないと思う。
    だいたい、ワタシなんぞは、先輩教員のチョーク一本、教科書一冊をもって授業に行く格好よさに憧れたものだ。

    そんなこと、今はないのだろうかなあ。






    2016年2月16日火曜日

    名こそ惜しけれ

    日曜日のNHKスペシャル。
    司馬遼太郎の「日本のかたち」では幕末期の志士、彼が「人間の芸術品」とまで語った武士たちのことについて触れていた。

    十二世紀の終わり、世の中は貴族の世から武士の世に移り鎌倉時代となる。
    そして、この鎌倉時代の武士が育んだ、私利私欲を恥とする「名こそ惜しけれ」の精神が以後七百年の遺産となる。
    この精神が「痛々しいほど清潔に」近代産業の育成に努めた明治国家を生み出す原動力となった、司馬遼太郎はこう言っている。

    「名こそ惜しけれ、恥ずかしいことをするな」これが日本人の精神ではないか。
    今の世の中、日本を動かすべき人間に、恥ずかしいことをする人間がいっぱい居やしないか。

    2016年2月15日月曜日

    陰影礼賛

    夕方、御殿場地方に雪。
    幸い、薄っすらと白いものが見える程度で、明日の通勤には差し支えないだろう。

    谷崎潤一郎の「陰影礼賛」という評論文を読んだ。そこには、このような部分が見られた。

    日本料理は明るいと所でしらっちゃけた器で食べては確かに食欲が半減する。たとえばわれわれが毎朝食べる赤味噌の汁なども、あの色を考えると、昔の薄暗い家の中で発達したものであることが分かる。

    そもそも「陰影礼賛」とは「陰影」つまり「光の当たらない暗い部分部分」を礼賛することである。
    スープは薄暗い部屋では似合わないが、味噌汁は薄暗い部屋にとてもフィットするということだろうね。

    2016年2月14日日曜日

    春一番

    昨日の夜から強い風。
    気象台が「春一番が吹いた」と発表したそうである。
    「春一番」とは、立春から春分の日の間に初めて吹く暖かくて強い南風のことである。
    いよいよ「春が来た」ということか。
    チョイト前に「節分」があったので、道理とすれば「春が来た」ことは確かなのであろう。
    今年は二月の三日が節分であり、二月の四日が立春だ。

    さて、今日は「バレンタインデー」ということで、娘が珍しくチョコレートをくれた。
    写真のチンパンジーがそれである。
    一見ゴリラ風ではあるが、よく見るとやはりチンパンジーである。
    バレンタインの行事も、最近はマンネリ化してきたらしく、今年なんぞは、男性が女性に花などを贈るのがバレンタインなんていうことをマスコミが盛んに言い始めた。

    まあ、どうでもいいがマスコミに踊らされるのだけは避けたいね。

    2016年2月13日土曜日

    日本人とは何か

    NHKスペシャル、「司馬遼太郎 思索紀行 この国のかたち 日本人とは何か」を見た。

    日本人とは何か?
    結論からいうと、「好奇心と柔軟性」である。
    確かにその通り。
    番組では、幕末期に外国人に頼らず「大砲をつくるための反射炉」を造ってしまったこと。番組ではこれを「好奇心」と結び付けている。
    そして、六世紀に当時の大宗教である「仏教」が日本に輸入された時、それまでの日本古来の神と反目しないように、「神仏習合」という技を作り上げたこと。これが柔軟性だ。
    「YESかNOの世界」から考えれば、これは信じられないことだろう。

    さて、今の世の中、日本人の特質を無視してあまりにも「グローバル、グローバル」と大きな声を出しすぎてはいないか。
    何でもYESかNOで片付けようとしていないか。

    日本人には日本人のやり方があるんじゃ。






    2016年2月12日金曜日

    冬の桜

    昨日、御殿場の秩父宮記念公園に出かけた。
    記念公園は、今年の一月より御殿場市民に限り、入場料が無料となって、より利用しやすくなったのである。

    春は桜、秋は紅葉と、みるべきものが沢山あるなかで、ワタシにとって特に魅力を感じるのが、冬の桜である。
    イヤイヤ、桜の樹である。
    「徒然草」でも「花の咲く前の桜の枝」についてその魅力が語られているが、実際その枝や幹には力がある。

    写真は記念公園のスターとも言える桜の樹である。
    勿論この樹の力も並ではなかった。



    2016年2月11日木曜日

    吉田拓郎のこと

    報道ステーションという番組の中で、古館一郎と吉田拓郎のトーク場面があった。
    五十代から七十代の、特に男性の場合には若い時、少なからず興味を示した歌手が吉田拓郎だ。

    因みにワタシもその当時、マチガイナク興味を持っていた。
    興味は持っていたが、ナントナク「何か違うなあ」とも感じていた。(それが証拠に拓郎のレコードは一枚も買ったことがなかった。)
    その「何か違うなあ」が今日のトークで、よくわかったような気がする。

    拓郎の作った曲や歌詞には同調し、思いを入れるのであるが、そのスタイルには、何か違和感があった。
    岡林信康とか高田渡といった、所謂フォークシンガーとは何か違うのである。

    今日の番組では、それを拓郎自身が明らかにしてくれたのだ。
    それは、「自分がめざしたいのはタイガースのジュリー(沢田研二)だった」という言葉である。
    また「自分はフォークの世界には違和感があった」という言葉である。
    つまり、拓郎はフォークの人間ではなく芸能人の人間にあこがれていたのだと。

    彼の言うことは、冗談半分かもしれないが、ワタシにとっては実に納得できる言葉であった。

    2016年2月10日水曜日

    またまた「友だち地獄」

    昨日に続いて、土井隆義の「友だち地獄」である。

    最近の若者が、友だちとの衝突を避けるために多用するテクニックが「ぼかし表現」だろう。
    「とりあえず食事とかする?」
    「ワタシ的にはこれに決めた、みたいな」
    といった断定を避ける表現や、「あ、そうなんだぁ」といった半独言・半クエスチョンと呼ばれる表現がそれである。
    彼らは、これらの表現を駆使することで自らの発言をぼかし、相手との微妙な距離感を保とうとする。

    「友だちがいない」ということは、そこまでツライことなのだろうか。
    ここが、よく分からない。

    2016年2月9日火曜日

    友だち地獄

    本日の二次試験過去問題。
    土井隆義「友だち地獄ー空気を読む世代のサバイバル」
    なかなか面白い文章であった。

    「現代のいじめの加害と被害の関係が固定化されたものではなく、時と場合に応じて両者が容易に入れ替わる流動的なものだということも徐徐に分かってきた。・・・・・いじめがきわめて流動的な現象であり、その理由に客観的な根拠を見出すことが難しいのは、それが加害者や被害者の内面に固有のものとして存在するわけではないからである。あくまでも人間関係の重さを軽くするためのテクニックとして生まれたものだからである。」

    つまり、現代のいじめというのは、どこにでも、誰にでも起こりうる現象だというのだ。

    2016年2月8日月曜日

    北斎

    冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏葛飾北斎を話題にしたテレビ番組を見た。
    北斎については、その神業的なテクニックや変わった行動をする絵師として、あまりにも有名であるが、やはりその絵(版画)には驚かされてしまう。

    左の版画は、北斎の作品のなかでも特に有名な「神奈川 沖裏波」という「富嶽三十六景」の一点である。
    富士と波で表される遠景と近景、または不変の富士と波の変化の対比、素人の私でも十分に説得されてしまう。
    1831年頃の作品だというから、これは本当に驚きである。

    今日の番組では、この作品の波について触れていた。
    この波の先端の形状が、高速度カメラによる映像の形状と、非常によく似ているのだと。
    北斎の物への観察力に脱帽だ。

    この作品から着想を得て、ドビュッシーが交響詩「海」を作曲したということも、実に納得できることである。

    2016年2月7日日曜日

    お肌のゴールデンタイム

    桜島の噴火に続いて、台湾で地震。
    さらに日本でも、昨日から今日にかけて地震がいくつか続いている。
    何も無ければ良いのだが。

    「お肌のゴールデンタイムは夜十時から深夜二時」というスローガンは実は正しくはなかった。
    現在見ている「ウソ・ホントSP」で、こんなことが話題になっていた。

    要は、寝ている時刻ではなく、寝ている時間ということらしい。
    そりゃあそうだよな。
    十時から二時の間だけに「特別な何かが起こる」なんてえのは、どう考えてもおかしい。
    私何ぞは、この時間寝ていることなど、まず有り得ないのである。
    だからと言って、お肌がボロクソなんてことはないもんね。

    2016年2月6日土曜日

    オオイヌノフグリ


    昨日の朝日新聞「天声人語」に次のような文が見られた。

    駅まで歩く道で、日だまりにかたまって咲く空色の小花を見た。ぱちりと開いた早春の花はオオイヌノフグリだ。犬のふぐり、すなわち「犬の股間のふくろ」という、いささか不憫な名をつけられて、花の精はお怒りか。

    オオイヌノフグリは、オオバコ科クワガタソウ属の越年草。
    路傍などに見られる雑草。
    和名はイヌノフグリに似てそれより大きいためにこの名が付けられたそうだ。
    フグリとは陰嚢のことで、イヌノフグリの果実の形(写真下)が雄イヌの陰嚢に似ているからつけられたのだと。

    うーん。
    そう言われてみると、似てないこともないな。

                        











    2016年2月5日金曜日

    桜島の噴火

    桜島が噴火したという。

    夜、七時のニュースが始まった途端にテロップで第一報が入った。
    ニュース放送中の臨時ニュースなのである。

    桜島については、ちょっと前からその噴火の可能性が指摘されていたが、今回の噴火レベルは一体どの程度なのだろうか。

    今からちょうど四年前、まだN東に勤務していた時に、国語科の旅行で鹿児島に出かけた。
    その際、桜島にも行ってみたのだが、過去の噴火の凄まじさを資料で知り、「これはエライコッチャ」と驚愕したことを覚えている。
    もし、桜島が最大レベルの噴火をすると、なんと関東地方まで影響が及ぶというのだから、「これはエライコッチャ」なのである。


    2016年2月4日木曜日

    二次試験過去問題より

    二元性を基底にもつ西洋思想には、もとより長所もあれば短所もある。
    個々特殊の具体物を一般化し、概念化し、抽象化する、これが長所である。
    これを日常生活の上に利用すると、すなわち工業化すると、大量生産となる。
    大量生産はすべてを普遍化し、平均にする。
    生産費が安くなり、そのうえ労力が省ける。
    しかし、この長所によって、その短所が補足せられるかは疑問である。すべて普遍化し、標準化するということは、個々の特性を滅却し、創造欲を統制する意味になる。

    (鈴木大拙「東洋文化の根底にあるもの」)


    これは2009年度の「一橋大学 前期二次試験」に出題されていた文章の一部だ。
    一橋大学の問題はいつも読み応えのある良問だ。

    西洋文化の根底には「分けて制する」という思想がある。それは世界を認識する主体と、認識される客体とに知的に分割するところから始まる二元的世界観である。この世界観は人類の知識を発展させる一方で、対立と闘争の社会を作り出した西洋思想の長所と短所がある。

    まず、こう振っといて東洋思想を述べる。

    東洋の文化にはこういう分割的知性が見られず、むしろ知性発生以前の老子や荘子などの根源的世界への関心が強い。
    そしてそれは万物を生成する母にたとえられた。
    西洋の宗教は、力と律法と義で世界を統御する父を神とするが、東洋文化の根底には、無条件の愛ですべてを包容する母性が存在する。

    二元的世界では、人間は常に緊張を強いられることになるのです。







    2016年2月3日水曜日

    「らしい」の文法的意味

    国公立大学の二次試験対応の指導が始まったのであるが、生徒と一緒に問題を解いていると、「おおー、これはなかなか面白い問題じゃ。」という問題が出てくる。

    例えば、「娘らしい享楽」の「らしい」を文法的に説明する問題。
    「らしい」には「いかにも~の様子である」の意を添える接尾語と、根拠に基づく推量、婉曲的判断、ふさわしい様子の形容などで使われる推量の助動詞がある。

    ここの「娘らしい」の「らしい」は、当然、接尾語であるのだが、「来るらしい」の「らしい」と区別するのは、普段、口語文法など練習していない受験生には難しいだろう。

    2016年2月2日火曜日

    長距離走大会

    N西は長距離走大会。

    ここ数年は愛鷹にある総合運動場で実施している。
    N西の場合、愛鷹に移る前は、学校のすぐ前に千本浜という海岸があり、その防潮堤を利用していた。
    こちらは走っている時の景色もよく、移動の手間もなかったのだが、安全上の問題があるということで変更したのそうである。
    残念だね。

    さて、大会は午前中で終了したのであるが、同じ場所で午後から、以前の勤務校であるN東の長距離走大会が実施された。
    N東もN西と同様、千本浜で行なっていたのであるが、同じ理由でこちらに移ったのである。
    さてさて、知った顔はいるかな?
    と、N東の方へ近づいていってみると、たまたまであろうか、知った人ばかりに出会った。
    もう、N東を離れて四年。
    半数は知らない人になっているはずだろうに。

    懐かしい人たちに会えて、私自身とてもハイテンションとなってしまった。


    2016年2月1日月曜日

    マイナス金利

    日本銀行がマイナス金利を導入。

    一般の銀行が日本銀行にお金を預けると、マイナスの金利が発生するシステムなのだそうだ。
    お金を預けて、お金を取られてしまうという不思議なシステムでもある。

    我々庶民にとって、銀行のメリットがほとんどなくなってしまうシステムだ。

    ニュースを見ていると、この導入により、一般行預金の利子も極めて低くなり、百万円を預けて10円の利子だという。
    そもそも、自分のお金を引き出すのに手間がかかる、イヤイヤ時には手数料がかかる。
    こんなバカなシステムがあるもんか。

    もしかしたら、ある日突然自分の預金が無くなってしまうことだってあるかもしれないね。