2018年7月31日火曜日

日本橋

昨日は「まるで香港のような」新宿西口付近を写真で示したのであるが、今日は「まるでニューヨークのような(香港は行ったことがあるが、ニューヨークは行ったことがないので、これはあくまでも想像じゃ)」日本橋三越付近である。

言ってみれば、新宿の、あのごちゃごちゃした「庶民的」な空気から比べると、こちらは日本を代表するデパートが立ち並ぶ、どちらかというと「ハイソサエティー」の空気ぷんぷんの街なのである。
ええー、昔はこんな景色ではなかったような気もするがなあ。
当たり前だが、電柱・電線のないきれいに清掃された歩道、大きなビルが威容を前面に押し出してきている。

三越の裏には「日本銀行本店」があり、こちらもナンかチョットやソットの地震では壊れないだろう建物である。

うーん、これが東京なんだろうなあ。


2018年7月30日月曜日

久しぶりの東京


久しぶりに東京まで出掛ける。
最近の東京で驚くことは、外国人の多さである。

写真は新宿駅すぐそばのYカメラの前であるが、まるで香港にでも来たような錯覚をおこしてしまう光景だ。
勿論、資源の少ない日本がこれから生き残っていくためには、観光立国で行くしないのだろうが、この光景にはチョイト唖然としてしまった。

2018年7月29日日曜日

「キャー」

昨日「チコちゃんに叱られる」というテレビ番組を観ていると(この番組、最近のテレビ番組ではワタシ的にナンバー1なのです)、「女性は何故キャーというのか?」のお題が提示された。

言われてみれば、男はキャーと言わないし、「キャー」の言葉も何故「キャー」なの分からない。

どうも気になって続けて番組を観ていると、こんな答えが出てきた。
まず、女性が「キャー」であるのは、自分の方を振り向かせるための「キャー」であるという。
男性スターが登場した時に「キャー」と発生するのは、本能的に自分の方振り向かせるのだと。
一方、何故発生する言葉が「キャー」かというと、「キャー」は母音を含む言葉であり、さらに破裂音なので、大きな声を発生しやすいということであった。

うん、うん、なるほどね。

2018年7月28日土曜日

消火栓

昨日の「国調図根」の近くにあった「消火栓」の蓋である。
黄色で目立つように塗ってある。
火災のあった時に使う「消火栓」であるのだから、目立つのは当然であるが、蓋には赤い消防自動車の絵も描かれていた。

うーん、これには気づかなかったなあ。

台風12号大方の予想通り、東から西に向かう異例の台風となった。
ニュースでも盛んに「今までに経験のない」ということを告げている。
イヤハヤどんな台風になるのやら。

2018年7月27日金曜日

国調図根

近所を散歩していて、歩道に左の写真のような「フタ」があるのに気が付いた。
「フタ」には「国調図根(こくちょうずこん)」と表記されている。

ん?
「国調図根」とは一体何だろう。
今までまったく気付いていなかったなあ。
いろいろ検索してみると、次のようなことが分かった。


「国調」は、国土調査(国土調査法)の略
「図根」は、図根点(ずこんてん)の略

「図根点」の意味は、「国土調査(法)に基づいた基準点」といったところか。
平板測量などで、地図の作成を行なう場合、地域全体での地図の精度を保持するため、地域全体にあらかじめ設置して、位置と高さを測定した点だという。

うーん、何だか分かったような分からないような。

2018年7月26日木曜日

台風12号

記録的な暑さの次は台風である。

昨日、突然発生した台風12号は、今週の土曜日から日曜日あたりに本州に上陸しそうな雰囲気である。
どうも静岡県あたりを直撃するのではなかろうか。

今回の台風、直ぐに出来て直ぐに上陸という変な台風であるが、もっと変なのは上陸後、東から西へ移動して行きそうなことである。
普通は、九州や関西の方から東海や関東の方に移動するのだが、今回はまったく逆の動きをしそうなのだ。

2018年7月25日水曜日

命にかかわる危険な暑さ

全国的に「命にかかわる危険な暑さ(何だか変な言い回しだなあ、このフレーズは一体誰が考えたのだろう)」が続いている。
もっとも、今日の御殿場の夜は29.5℃で、比較的身体が楽な気温である。

さて、今日は水曜テニスの日であったのだが、現地に行ってみるとワタシを含めて三人しかメンバーがいない。

この暑さが高齢者に危険なのは分かるが、いつも八人から九人いるメンバーが一気に五、六人減ってしまうというのもなんだかなあ、である。
しょうがないので三人で一時間ほど基礎練習をして、スゴスゴと引き上げてきた。
まあ、こんな日もあるわいな。

2018年7月24日火曜日

チキンクリスプ

マクドナルドのメニューの中に「チキンクリスプ」という商品がある。
要はチキンバーガーなのだが、どういう分けか老人には覚えにくい「チキンクリスプ」としてある。
「チキン」は「鶏」であるから、まだ分かるのだが問題は「クリスプ」である。
「クリスプ」とは、crisp=「パリパリする」という意味らしい。
鶏ムネ肉に鶏皮を加えて粗挽きしたものになっており、その食感はまさに”パリパリ”しているのである。

単品はナント100円という低価格。
この魅力的な価格設定のため、「チキンクリスプ」を目的にやってくる多くの消費者を集客できるということである。

ただ、このチキンクリスプは”のどが渇くバーガー”としても有名で、マクドナルドとしては、プラスのドリンクを購入させるための「オトリ」でもあるようだ。
ウーン、マクドもなかなかやりますなあ。

チキンクリスプ






2018年7月23日月曜日

41.1℃

埼玉県の熊谷市で、日本観測史上最高の気温が観測された。
41.1℃である。
それ以前の記録は、2013年の四国四万十市で41.0℃であったそうだ。

確かに暑い。
御殿場の我が家でも、午後三時四十五分現在の室温が32.4℃である。
三十℃を超えることが、極めて稀な我が家の室温なのだが、ここまで気温が上がるとは。

こんなトンでもない日であったのだが、午前中に月曜テニスを敢行する。
まさに、このような日に激しい運動をすることは「命がけ」なのである。
まったく我々の「高齢者集団」は「命知らず」だね。

2018年7月22日日曜日

健気(けなげ)

健気(けなげ)という言葉がある。
かつては「健」または「勇」一字だけで(けなげ)と読んだようだ。
意味は、(年少にもかかわらず)困難なことに勇敢に立ち向かう様子、とある。

「勇」の字からも分かるように、本来の意味は「勇ましい」もしくは「気丈な」の意に用いられたという。
迂闊だったなあ。
ワタシはどうも、「勇敢」とか「気丈」というよりも「弱いものが一生懸命に」の意味として認識していた。

(今日の写真も電話で撮った写真)

2018年7月21日土曜日

kiss

ふらっとビデオ屋に寄ってみると、「kiss」というハードロックグループのライブビデオがあったので借りてきた。

「kiss」は1973年の1月にアメリカで結成されたロックバンド。
白塗りの化粧(コープス・ペイント=顔を白と黒に塗る化粧のことで、主にブラックメタルで用いられ、ライブやバンド写真で使われる。この化粧の目的は、ミュージシャンを非人間、もしくは死体や悪魔のように見せることである。)と、奇抜な衣装でストレートなロックンロール(ハードロック)演奏するグループである。
また、巨大なロゴを中心にした大規模なステージセットで、当初より炎やパイロテクニクスを多用している。

ワタシが彼らの存在を知ったのは、カメラメーカーのキャノンが「キャノン・キッス」というカメラを発売した時に、このグループをコマーシャルで使った時である。
ビジュアル的にもかなりインパクトのあるグループであり、メインボーカルのポール・スタンレーがワタシと同年齢であるということで興味を持ったことを覚えている。


ウィキペディアによると、彼らのファンは、キッスアーミー(KISSARMY)と呼ばれ、キャッチフレーズは、「You Wanted the Best!? You Got the Best! The Hottest Band in the World, KISS!!(最高を求めていただろう!? お前は手に入れた! 世界一熱いバンド、キッス!!)」であり、1975年のライヴから現在にかけて、オープニングアナウンスとして使用されている。
シングル、アルバム総売り上げは1億1000万枚以上にのぼる。

うーん、スゴイね。
今でもまだ通用するのだから何ともスゴイ。

2018年7月20日金曜日

電話で撮った写真

電話で撮った写真である。

電話と言っても、電話機能以外の機能を多数持っているスマートフォンであるが。

イヤハヤ、最近のスマートフォンのカメラ機能は大したものである。
特に色彩に関しては、一眼レフ以上の実力なのかもしれない。
また、ビデオカメラにしても「スーパースロー」機能なるものがあり、鳥が飛び立つシーンなどはプロ並みの絵が撮れるのである。

2018年7月19日木曜日

相変わらずの暑さ

相変わらずの暑さだが、エアコンがなくても不快な感じがしないというのは、これは夏の御殿場の特権である。
何と言っても、御殿場は静岡県の「軽井沢」なんだから。
もっとも、その分冬の雪にはヤラレテしまいますがね。

学校の方は、今日と明日でワタシは終わりとなる。
授業で生徒の顔が見られなのは、チトさみしいが朝寝が出来るのは嬉しいなあ。

2018年7月18日水曜日

授業時間の確保

最近のガッコは、授業時間の確保という理由で、夏休みの前と後ろを削るカタチをとるところが多いような気がする。

そもそも、授業時間を確保せにゃあいかんのは普通教科以外に、総合ナンチャラとか何とかナンチャラという科目をプラスするようになってきたからである。
(総合ナンチャラが良いか悪いかは、また別の問題です。)

一週間の授業のコマは限られている。
従って、枠をはみ出した部分をどこかで補完しなければならない。
そこで考えられたのが、「長期の休みを削る作戦」とか「遠足を消滅させる作戦」なのだろう。

夏の気温が凄まじい勢いで上昇している昨今、夏休みを削って授業をするというのは、何だかなアという感じが否めないのです。
今の生徒諸君は本当に気の毒じゃ。




2018年7月17日火曜日

気象がおかしい

やはり、地球はどうにかなってしまっているのだろう。

ここ数年、チョイト理解の出来ない気象が続いている。
今年の冬、北陸地方での常識を超えた大雪、国道で多くの車が動けなくなり、雪のために死者まで出てしまった。

そしてこの夏の豪雨と猛暑、どう考えてもおかしい。
今年は、観測史上初めてとか、かつて経験したことのないという言葉を、一体何度聞いたことだろう。

すべては地球の温暖化に繋がるのでしょうかね。

2018年7月16日月曜日

「きっかけ」の意味

今日の日本の最高気温は三十九℃超えだったそうだ。
月曜テニスはそのような中でもやるのです。
おそらく、テニスコートは三十五℃を超えた温度であったろうと思われる。
ワタシ以外の皆さんは本当に元気なのです。

昨日、「きっかけ」という言葉を使ったのであるが、「きっかけ」は「切っ掛け」と書くのが正しいようだ。
しかしながら、昨今では、「切っ欠け」と書いているケースをよくみるそうな。

念のため、「きっかけ」の意味は

① 物事を始める手がかり。糸口。また、原因や動機。
② 歌舞伎などの舞台で、俳優の出入り、音楽・照明の変化などの進行上の合図となる動作 やせりふ。「下座 (げざ) に切っ掛けを渡す」
③ 符号。しるし。
④ 気勢。心意気。

などである。

2018年7月15日日曜日

応援のきっかけ

昨日、ワタシが高校野球の応援に行くきっかけになったのは、現在教えている生徒の二年生S君と三年生Y君が、ともにレギュラー選手であったからである。
やはり、自分と関係のある生徒がダイヤモンドを走る姿というのはいいものである。

そういえば、対戦相手のF高野球部監督は、ワタシがF高に赴任した時の三年生で、F高が初めて甲子園に出場した時のメンバーであり、部長は野球部ではなかったが、当時の一年生で教え子だった。

うーん、懐かしいなあ。


2018年7月14日土曜日

野球応援



高校野球のシーズンである。
ワタシも現在勤務しているG南の応援のため、裾野球場まで出掛けた。

前任校のN西は、前身が女子高校だったため、野球部が存在しておらず、多少さみしい思いがあった。
やはり、高校野球というものは独特の雰囲気を持つ。
それは試合と応援がワンセットになっているからなのであろう。

残念ながら、G南はかつてのワタシの勤務校であるF高に2対4で負けてしまったのであるが、試合はどちらが勝ってもおかしくないような、拮抗した試合であった。

2018年7月13日金曜日

春照(すいじょう)という地名

NHKBS放送の「こころ旅」という番組を観ていると、滋賀県米原市の「春照」の地名が出てきた。
なんと「春照」と書いて「すいじょう」と読むのである。

「春照」は、米原と関ヶ原の間にに位置し、伊吹山南麓の扇状地に発達した小さな町ということである。
かつては北国街道に面していて、水の上に発達した町ということで「水上(すいじょう)」と書かれていたと言うのだが、それが何故「春照」と表記するようになったのかは分からないそうだ。
ワタシも漢和辞典で調べてみたが、「春」には「すい」という読みは一切見られなかった。

うーん、謎だ。

2018年7月12日木曜日

身を引く勇気

午後八時現在、室内の気温は26.9℃、湿度が73%である。
昼間の蒸し暑さから比べると、だいぶ過ごしやすいが、湿度の高さには参ってしまう。
まあ、温度が26℃ギリギリですんでいるのは、さすが御殿場というところであろう。

昨日の水曜テニスは、体調の悪さから始めて間もなくの時間にやめてしまった。
午後1時からの運動であり、これ以上やるとヤバイのではないかと、身体が感じたからだ。

これからは、身を引く勇気というのも必要ではないかと思うのです。


2018年7月11日水曜日

頑固さと判断ミス

西日本の豪雨で多くの方が犠牲になった。
中でも高齢者の犠牲が、特に多かったと聞く。

どこかのテレビ局のニュースの中で、ある被害にあった家のことを取り上げていたのだが、それは「うーん、これだな。」と妙に納得してしまうものであった。

被害を受けた家では、家が浸水してきた時に皆避難行動をとったのだが、一人だけその家の老人(老人と言っても、六十代もしくは七十代と思われる)が避難を拒否したのだ。
息子はガンコに拒否する父親を説得することができず、仕方なく一度は非難するが、気になってもう一度家にもどる。
そして、家に着いてから三十分もしないうちに、水嵩がさらまして危機一髪で父親を連れ出すことに成功したのであった。
父親は言う。
「まさか、こんなに早く水が上がってくるとは思わなかった。」

老人の頑固さと判断ミスが危機を招いたのである。

うーん、他人事とは思えませんなあ。


2018年7月10日火曜日

藤田嗣治 本のしごと

長泉町にある「ビュッフェ美術館」まで出掛ける。
(「ビュッフェ美術館」とは、フランスの画家ベルナール・ビュッフェの絵を、今話題の?スルガ銀行が買い取って展示した、日本ではチョイト珍しい美術館なのです。)

今日は三時過ぎまで授業があったので、
多少の躊躇があったのだが、「本日はビュッフェ生誕記念日につき無料開放日」ということで、急いで出掛けたのである。

さて、「ビュッフェ美術館」では次のような企画展を同時に開催していた。

開館45周年記念展
没後50年 藤田嗣治 本のしごと
文字を装う絵の世界

解説
「2018(平成30)年は、藤田嗣治の没後50年にあたります。これを記念してベルナール・ビュフェ美術館では、藤田の画業の中でも挿絵を中心に紹介する展覧会を開催いたします。
フランスで画家としての地位を確立した藤田は、絵画だけでなく挿絵本の仕事にも積極的に取り組みました。ヨーロッパでは挿絵本の歴史は古く、書物としてだけでなく芸術作品としての価値も有していました。特に19世紀後半から20世紀にかけて、希少性の高い挿絵本は愛書家たちの収集対象となっていました。藤田がパリに渡った当時のヨーロッパは挿絵本の興隆の時代であり、ピカソやシャガールら芸術家たちが挿絵や装丁を手がけた本が次々と出版され、その人気は高まる一方でした。1919年、藤田嗣治は初めての挿絵本『詩数篇』を手がけ、1920年代には30冊以上の挿絵本がフランスで出版されました。すでに挿絵を手がけていた他の画家たちをも凌駕するこの仕事量は、当時のフランスでの藤田の人気を反映したものであると同時に、藤田自身が挿絵本の世界に魅せられていたことを物語っています。画家は生涯を通じて100冊を超える『本のしごと』に携わりました。」

藤田嗣治をまともに観るのは初めてであったのだが、彼が十代のころ友人に宛てた「絵手紙」が展示してあり、なかなか魅力的であった。
閉館までの時間が迫っていたので、じっくりとはいかなかったが、もう一度観てみたい作品群であった。

2018年7月9日月曜日

炎天下テニス

炎天下の中のテニスはツライ。
ツラケリャア、やらなければイイだろうということになるのだが、これがヤメラレナイのです。

気力だけはジジイにしては立派なのだが、体力が伴わないのです。
伴わないというよりも、身体が悲鳴をあげるのです。

今日も家に帰っきてから、熱中症ぎみ症状あり。
身体がだるく、身体の中にまだ熱がこもっている感じなのです。

写真の石仏はどうも「馬頭観音」のようである。
「馬頭観音」には、三面(顔が三つ)四臂(腕が四本)のパターンが見受けられるのでマチガイないと思うのだが。

2018年7月8日日曜日

嫌われSNS

何日間も続いた大雨は、やっと一区切りのようだ。

今回の雨は、四国や広島、倉敷などに甚大な被害を与えていった。
おそらく最終的な死者・行方不明者は100人超であろう。
ここ数年「かつてない」とか「未曾有の」とかの言葉を非常によく聞く。
このブログで、もう何回も書いていることだが、これからの日本列島は、どこで何が起こっても不思議ではない時代に突入行くのだろう。

ナントカいうテレビ番組で、どのSNSを利用している女子が嫌われるのかという、「嫌われる女子のSNS」ランキングを発表していた。

トップはフェイスブック、2番目がインスタグラム、そして3番目がツイッターということらしい。
うーん、「フェイスブック女子が」一番嫌われているというのは、ナントナク分かるような気がするなあ。



2018年7月7日土曜日

牽牛と織女

今日は七夕、考えてみると「七夕伝説」の牽牛と織女の話、何故牽牛と織女の逢瀬は一年に一度なのか、よく理解していなかった。
慌てて調べてみると、これはどうも中国の伝説から来ているらしい。

むかしむかし、天帝という神様が星空を支配していたころ、天の川の西の岸に、織女という天帝の娘が住んでおりました。織女は機織り(はたおり)がたいへん上手で、彼女の織った布は雲錦と呼ばれ、色も柄も美しく、丈夫で着心地も軽い、素晴らしいものでした。
一方、天の川の東の岸には、牛飼いの青年、牽牛が住んでおりました。牽牛は、毎日、天の川で牛を洗い、おいしい草を食べさせたりと、よく牛のめんどうをみる、働き者でした。
天帝は、くる日もくる日も、働いてばかりいる娘を心配して、娘の結婚相手をさがすことにしました。そして、天の川の向こう岸に住む牽牛をみつけると、2人を引き合わせました。
織女は、働き者の牽牛をたいへん気に入り、2人はめでたく夫婦となりました。
ところが、一緒に暮らすようになると、2人は朝から晩まで天の川のほとりでおしゃべりばかりをしています
織女が布を織らなくなってしまったため、機織り機にはホコリがつもり、天界にはいつになっても新しい布が届きません。また、牽牛が世話をしていた牛たちも、やせ細って、次々に倒れてしまいました。

業を煮やした天帝はとうとう、2人を引き離し、1年に1度、7月7日の夜だけ、天の川を渡って、会うことを許しました。

うーん、なるほど。
牽牛と織女はイチャイチャしすぎて離されたんだね。
天帝も勝手なものだ、自分でくっつけといて、あまりにも仲良しすぎるので次には思い切り離してしまうとは。

もっとも、かつての中国は儒教の色濃い国であったろうから、これは儒教的な説教かもしれんがね。

2018年7月6日金曜日

馬頭観音





馬頭観音と思われる石仏である。

ネットで調べると、馬頭観音とは忿怒相をもち、人身で、頭が馬のものと、馬の頭飾りを戴くものとがあり、馬頭は諸悪魔を下す力を象徴し、煩悩を断つ功徳があるとされる。
しかし一般には馬の無病息災の守り神として信仰され,3面8臂、4面8臂などのものもある。
また八大明王の一つとして馬頭明王、あるいは馬頭大士の形でも信仰されている。

御殿場というところは、かつては農業中心の地域であり、
その農作業に必要不可欠な馬、その無病息災の守り神であるこの観音様がある理由もよく分かる。

2018年7月5日木曜日

十万人に避難勧告

日本中に降雨。
京都では十万人に避難勧告が出たというニュースがあった。
十万人とはすごい人数だ

線状降雨帯が、日本すべてにかかっているような状況の昨日今日である。
不思議なことに、昨日に続いて沼津に出掛けたのであるが、今日も沼津では雨の降った形跡がなかった。

御殿場では一日中台風のような雨風だったのに。

G南は昨日から期末テストに入っている。
この時期はG南というよりも、日本全国の高校生が期末テストに入る時期なのであろう。


2018年7月4日水曜日

教科当番

午前中、御殿場は台風並みの荒れた天気であったのに、沼津ではその荒れた天気の「あ」の字もないような天気であった。
そんなわけで、「今日の水曜テニスは中止じゃ。」と思っていたのが、急遽「テニスあり。」に変更された。
今日は、身体休めの日だと決めいたのですがね。

N西にしろG南にしろ、高校には教科当番という係があり、授業の前に当番の生徒が顔を見せてくれる。
こちらも特にこれと云った用事はないのだが、毎回顔を見せてくれることが嬉しい。
正規の教員でなくなってからは、授業以外で生徒と接する機会が減ってしまったので、何気ない会話でもワタシ自身嬉しいのだ。

カワイイ教科当番さん、これからもよろしくね。

(写真は六観音のうちの「聖観音」と思われる石仏)

2018年7月3日火曜日

如意輪観音

今日も印野の石仏から。

左の写真は「如意輪観音」である。
「如意輪観音」の「如意(にょい)」とは、如意宝珠(チンターマニ)、輪とは法輪(チャクラ)の略である。

右手にかざした如意宝珠は、全ての願いを叶えるものであり、左手にかざしている法輪は、元来古代インドの武器であったチャクラムが転じて、煩悩を破壊する仏法の象徴となったものである。

「如意輪観音」は、如意宝珠三昧に住して意のままに説法し、六道の衆生の苦を抜き、世間・出世間の利益を与えることを本意とする観音なのだそうだ。

簡単に言うと、「如意」と「法輪」の力によって、衆生(しゅじょう=我々庶民)の願いを叶えてくれるアリガタイ観音様なのだ。

うーん、次に行った時には、もうちょっと熱心に拝んでくることにしよう。

2018年7月2日月曜日

三十三という数字

御殿場印野、光真寺の千手観音(正確に言うと千手観世音菩薩)の石仏である。

以前書いたように、このお寺の石仏は三十三体仏だ。
ナンデ三十三体なのかということに疑問を持ったワタシはさっそく調べてみた。

これは、三十三観音・三十三間堂(京都にある)共に法華経の普門品(観音経)に説かれる観音菩薩の「三十三応現身」に由来しているのだという。
観音菩薩が三十三の姿に変化してあらゆる衆生を救ってくれるというもので、日本ではそれを発展させて独自に三十三観音を生み出すなど、とても人気があったのだそうだ。


では何故三十三に変化すればすべての衆生を救うことが出来ると考えられたかと言うと、一説にはヒンドゥーの世界観などを見てもわかるように、古代インド人にとって「三」は神聖な数字であると共に「多数」を意味するものでもあったということがある。
一つで「多数」を意味する「三」を重ねた「三十三」は数え切れぬほど多い、つまり無限をあらわすことになると言われたのだそうだ。

ふーん、そういうことか。

 

2018年7月1日日曜日

阿弥陀三尊

印野の三十三体仏であるが、正確に言うならば、三十三体仏プラス左の写真の「阿弥陀三尊像」を加えた三十四体仏となる。
この像だけは、左右に脇侍を持つ(左が観音菩薩、右が勢至菩薩)「如来像」である。
他の石仏は、千手観音とか聖観音などの「菩薩像」だ。

「如来像」は仏の悟った姿表す、それに対して「菩薩像」は、まだ修行中の仏姿を表すのだ。
つまり、「如来像」は「菩薩像」よりもワンランク上の仏像なのだ。
ちなみに、「如来」には「阿弥陀如来」とか「釈迦如来」とかのいろいろな「如来」様がおり、また「菩薩」にも「観音菩薩」とか「地蔵菩薩」などの「菩薩」様がいらっしゃる。

ここ光真寺でも「如来」の名にふさわしく、「石仏群の中央に位置してドンと構え、如何にも「ワタシが中心」といった姿で立っていらっしゃるのである。