2017年7月31日月曜日

月曜テニス

三島で月曜テニス。
今日みたいな夏の陽射しが強い日は、ジジイにとって要注意な日である。
しかも今日は参加者が四人。
四人ということは、ダブルスでプレイすると、休みなしで常に動いていなければならない。
陽射しが強い+休みのない運動=熱中症 である。
クワバラ、クワバラ。
「まだ救急車で運ばれたくはないぞ」の思いでプレイをした。

幸いなことに、今日のメンバーはどちらかというと、プレイに関してはソフト派。
それほど勝敗にはこだわらず、最後まで(残り十五分でプレイをストップ)無事にプレイをすることが出来たのである。
めでたし、めでたし。

2017年7月30日日曜日

応仁の乱

数日前に録画しておいた「応仁の乱」を扱ったテレビ番組を見た。
なんと今、日本史の中でも「応仁の乱」はブームだという。
今までは何だかよく分からない「乱」だなあと思っていたのだが、この「乱」一言で言うと、「自分ファースト」なのだそうだ。

応仁の乱とは、1467年から約11年間にわたって継続した内乱であり、室町幕府管領家の畠山氏と斯波氏の家督争いから、幕府の実力者、細川勝元と守護大名の山名宗全の勢力争い、さらに室町幕府八代将軍足利義政の継嗣争いも加わって、ほぼ全国的に争いが発展したのだという。

まあ、日本史的には(日本史の教師ではないのであまり自信はないが)こんなふうにまとめられるのだろうが、今日の番組を見ていると、実際は、とてもそのように一筋縄では行かないようだ。
敵が味方になり、味方が敵になる。
ひたすらこれの繰り返し、乱の始まりから凡そ十年後、中心人物であった細川勝元や山名宗全が亡くなり、最後にやっとけりをつけたのが、どうも日野富子だとも言っていた。

何はともあれ、結局は登場人物のほとんどが自分のこと(自分の利益)しか考えておらず、「自分ファースト」とは、よく言ったものだ。

2017年7月29日土曜日

いい加減な褒め方

いい加減な褒め方をするのは、かわいそうなことだ。      植草甚一

ジャズ奏者、エリック・ドルフィーの吹くフルートやバスクラリネットには「死地におもむくような」切迫感があったと、評論家は言う。分類不能な前衛の試みは理解可能な型にはめて評されがちでレギュラーバンドももてない悲運を舐めた。晩年には「あそこへ」「どこへ」「昼食のため外出中」といった曲を吹いた。

植草甚一エッセー集「ぼくたちにはミンガスが必要なんだ」から。

さて、以上は今日の朝刊に掲載されていた鷲田清一の「折々のことば」である。
「折々のことば」は、鷲田清一が自分にとってインパクトのあった言葉を抜き出して、紹介するコーナーであるが、ジャズに興味にがない人にとっては、今日の言葉は少々難解ではなかろうか。

まず、「いい加減な」の言葉を使用したジャズ評論家(彼はジャズの他にも、欧米文学や映画の評論もしている)の植草甚一であるが、かつて「スィングジャーナル」などに論文を載せていた「トッテモオシャレなお爺さん」だ。
その多方面にわたる知識は驚愕すべきもので、ワタシは「このジジイ只者ではないぞ」といつも感心していたものだ。

そして、エリック・ドルフィー。
彼の超有名なアルバムには、「ラストデイト」という死の直前に録音されたアルバムがあり、「死地におもむくような」切迫感は、このことを踏まえた言い方なのだろう。
ドルフィーは、耳に心地よいジャズと理解が難しいジャズ(聴いていてあまり耳に心地よいとは言えない前衛ジャズ?)のハザマにたったような立ち位置で演奏していた。そしてそれは評論家にとって、「分類不能な前衛の試みが理解可能な型にはめた」演奏をしていたことになったのだろう。

つまり、植草甚一が言いたかったことは、ドルフィーが評価された(前衛ジャズを理解可能な型にはめた)のは、「死地におもむくような」切迫感が演奏に感じられたからだ。そのような切迫感がなければ、簡単には理解されなかっただろう。そのような、「いい加減な褒め方をされるのは(ドルフィーにとって)かわいそうなことだ。」ということではなかろうか。






2017年7月28日金曜日

フローレンス・フォスター・ジェンキンス

カーラジオを聴いていると、「伝説の音痴」フローレンス・フォスター・ジェンキンスという女性歌手(1868~1944、米国のソプラノ歌手。歌唱能力が完全に欠落していたことで有名。)のことが話題になっていた。

彼女のことをウィキペディアを見てみると、次のようにあった。

彼女の歌うレコードを聴くと、音程とリズムに関する感性がほとんどなく、極めて限られた声域しか持たず、一音たりとも持続的に発生できないこと、伴奏者が彼女の歌うテンポの変化と拍節の間違いを補って追随しているのがわかる。にもかかわらず、彼女はその型破りな歌いぶりで大変な人気を博した。聴衆が愛したのは音楽的能力ではなく、彼女の提供した楽しみであった。

ある意味すごい歌手である。
「百聞は一聴に如かず」、早速インターネットで検索して彼女の歌声を聴いてみた。
うーん、「こ、これは、というくらいの音痴」である。
やはり、すごい歌手だ。

写真は昨日の続きで「あぶらや」の「稲荷寿司とのり巻き」。

2017年7月27日木曜日

「あぶらや」と「君の名は。」の句点

二回目の「あぶらや」。
今日は、G南の同僚二人と出掛けた。

手前が手打ち蕎麦で、向こう側にあるのが、左からお茶、真ん中の上が薬味(本わさび・ネギ)下が蕎麦つゆ、いちばん右が蕎麦にセットされている稲荷寿司と干瓢のり巻き、さらに胡瓜の漬物である。
これで税込み五百円なのだからなんというコストパフォーマンス。

勿論、打ち立て、茹でたての蕎麦はマチガイなく旨い。

ところで、昨日のブログで「君の名は。」のタイトルを、最初に「君の名は」と、「。(句点)」無しにしてしまったところ、先輩の’cello bowさんから「君の名は」ではなく「君の名は。」であると、指摘を頂いてしまった。
おおー、そうだそうだ、まったく気に留めていなかった。
反省、反省。

さて、では何故ここは句点なんだろうと考えてみた。

「君の名は?」でも「君の名は・・・」でも良さそうな気はする。
「。(句点)」というのは、区切る点である、区切るというのはそこで完結することだ。従ってその後に疑問とか余韻は残らない。
では、疑問とか余韻を残さないために句点としたのだろうか。
普通、映画のタイトルであれば、そこに疑問とか余韻を残すものだろう。
うーん、考えれば考えるほど分からん。

こういう時にはネットだと、さっそくネット活用。
そこで出た結論。
ある記事に、新海監督へのインタビューがあり、そこにはこう書かれていた。
かつて、一世を風靡したラジオドラマ(後に映画)に「君の名は」があり、それと区別するために「君の名は。」としたのだと。

へー、意外とつまらない結論だったなあ。




2017年7月26日水曜日

「君の名は。」


水曜テニスが中止になったので(今年はどういう訳か雨が多いのです)、去年爆発的にヒットしたアニメ映画「君の名は。」をレンタルしてきた。
興行収入が249億円というから、これはトンデモナイ数字なのだろう。

さて以前、通勤途中に聴いていたラジオ番組のゲストに、この映画をプロデュースした川村元気という人物が登場したのだが、その彼がプロデュースするの映画のテーマに対するコメントが非常に印象的であった。

「何かを得るためには、何かをを失わなければいけない。」
以前、自分が携帯電話を落とした時に、電車の中で何もやることがないから窓の外を見ていて、虹が見えたことがあった。
他の人はというと、みんな携帯をいじっていて、虹に気づいていない。
そこで彼は思ったそうである。

「何かが(携帯が)なくなることで見つかる景色ってあるんだな」と。

既成の価値観を捨てることによって、新しい世界が見えるということはよくあることだ。
彼は「価値観を捨てるための一人旅」をよくするそうだが、彼の原点はきっとそこにあるのだろう。

2017年7月25日火曜日

白い猫でも黒い猫でも




加計学園に関する参院予算委員会の国会中継を見ていると、参考人として、元愛媛県知事なる人物が出てきて、次のような発言をした。
「自分はずっと前から愛媛県に獣医学部のある大学を望んできた。加計学園を特に望んだわけではない。白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕まえる猫はよい猫なのである。」

ン?
「白い猫でも黒い猫でも」?
なんか聞いたことのあるフレーズだなあ、と思って手元にあった週刊誌を見ていると、偶然にもこのフレーズが書かれていた。

これは中国の鄧小平が使っていたフレーズであり、「社会主義(白い猫)でも資本主義(黒い猫)でも、経済を発展させる(ネズミを捕る)のが正しい政策だ」の意味となる。

もともとは、四川省のことわざであり、四川省出身の鄧小平が好んで使ったフレーズ、ことわざの意味は「見た目の違いよりも実質(実際の働き)が大事」だという。

2017年7月24日月曜日

最終MRI検査

K脳神経外科まで、最終チェックのMRI検査を受けに行く。
二月の手術・入院からすでにMRI検査は、4回か5回目だと思う。
何といっても頭の中の事ゆえ、外からではまったく判断ができない。
したがって、検査をするには、あの機械の中に入らねばならないのだが、あのガンガンとかカンカンとかいう音も、だいぶ慣れてしまったようで、まったく苦にはならなかった。

結果は「異常なし」ということで、まずは一安心。
ただし、今回は「特定検診」というやつも一緒にに受けたので、この結果の確認のため、もう一度病院には足を運ばなければならないようだ。

病院からの帰りに、市役所に寄って「限度額適用認定証」の申請をする。
市役所の国民年金課には、前回の申請の時に会ったN東の教え子Sさんが勤務しているのだが、採用されてから4か月、もうすでにテキパキと仕事をしていた。
Sさん、さすがだね。


2017年7月23日日曜日

曇り空

昨日までの天気とは、打って変わって、御殿場地方はどんより曇り空。
雨も降りそうで降らない、何か生殺しのような天気であった。
ここのところ日本各地で、水害が続いている。
したがって、こんな言い方は実に不謹慎であるが、「降るなら降ってくれ。」と言いたくなるような天気であった。

曇りのおかげで、午後五時現在の気温は26℃、風があるので比較的心地よい温度である。

2017年7月22日土曜日

一学期最後の土曜講習

一学期最後の土曜講習で、N西まで出掛ける。
かつては、昨日(21日)あたりが終業式であり、今日からメデタク夏休みとなることが普通であったが、最近は授業時間数の確保なる妖怪が出てきて、多くのの高校は、来週前半が終業式のようである。

哀しいね、今高校生は。

生徒は哀しいのであるが、ワタシもこの時期は悲しい。(哀しいではなく悲しいのである)
「悲しい」は、不幸に会った時など、取り返しのつかない事どもを思い続けて、泣きたくなる気持ち。また「哀しい」とは、悲しい環境にある主人公の気持ちに共感される様子(三省堂・新明解国語辞典)

非常勤講師という身分であるワタシは、授業がなくなると、その分収入もなくなってしまうのだ。
さらに、生徒と触れ合う時間が、昨年の半分程度の六時間となってしまった上に、夏休みはそれもなくなってしまう。
収入以上にこちらの方も悲しいのである。


2017年7月21日金曜日

ストレス

暑い日が続く。
さすがの御殿場も30度超え、例年それ程暑くならないところでも、結構な暑さとなっているようだ。
とりわけ、北海道の暑さは驚くばかりである。
ワタシの頭の中で、北海道が34度とか35度なんていうのはチョイと考えられないのだが。

今日は、久しぶりに床屋行ってみた。
二月の手術以来、床屋というところには行ってなかったので、半年ぶりだろうか。
髪をカットされながら鏡を見ていると、白髪の多さに驚く。
自分では意識していなかったのだが、手術によるストレスは、かなりのものだったのだろうか。

2017年7月20日木曜日

儚くなる

商売がら、妙な言葉遣いがあると気になって、ついつい確かめたくなってしまう。

BS放送の「心たび」という番組の中に、投稿者の手紙を読む場面がある。
その手紙に「父は儚(はかな)くなってしまいましたが」とあった。

「儚くなって」とは何だろう。
今ではあまり使われないのかもしれないが、これは成句で「人が亡くなる」という意味となる。

しかしながら「儚く」だけを考えると、「儚く」は「儚い」という形容詞の連用形で、意味は「将来確実にどうなるという目当てがない」という意味である。
それが「儚くなる」と動詞化して、「人がなくなる」意味になってしまった。

「儚く」は「人」の「夢」と書くのだから(たぶん当て字だとは思うが)、「確実性がなく、目当てがない」だけでよいと思うのですがね。

2017年7月19日水曜日

大納言殿参り給ひて

現在、G南二年生の古典の授業では、枕草子より「大納言殿参り給ひて」という教材を扱っている。

これは、清少納言が仕えている中宮定子のところへ、兄の大納言(藤原伊周)が訪れている場面である。
何のための訪問かというと、定子の夫(一条天皇)に対して、漢詩の講義をするためだ。
大納言は熱が入ってきて、天皇に一生懸命講義をするのだが、夜もだんだん更けてしまい、定子に仕えている女房たちは、一人二人と姿を消していく。
結局、残ったのは清少納言と定子、そして定子の夫である一条天皇だけ。
さらに、天皇も眠くなってウトウトし始める。

「かれ、見奉らせ給へ。今は明けぬるに、かう大殿籠もるべきかは。」と申させ給へば、「げに」など、
(あちらを見申し上げてください。夜も明けてしまったのに、このようにお休みになられてもよいものでしょうか。(いやよくない)。

たいへん微笑ましい風景だ。
この時、それぞれの年齢は、大納言が大学生、定子が高校生、そして一条天皇は中学生程度と推測される。
言ってみれば、大学生が中学生に漢詩の話をしていたのだが、中学生は夜が更け眠くなってしまった。
大学生は自分の妹である高校生の妹に言う。
「あれでよいのでしょうか」。
妹は微笑みながら答える。
「ほんとうに困ったものです。」
高校生が中学生の夫を、優しく思いやっている様子が見てとれるのである。

作者清少納言もこの光景をニコニコしながら見ているのであろう。
それにしても、高校生に中学生の夫ですぜ。

2017年7月18日火曜日

異常気象

夜のニュースは、どこの局も天候異変を告げていた。

新潟の佐渡から始まった「線状降雨帯」は関東地方を通過、各地に急激な天候の変化をもたらしたのである。
幸いなことに、人身の被害はなかったようであるが、東京での大きな雹や突風、神奈川県での短時間豪雨など、これらの異常さは、「いつ、どこで、何が起きても不思議ではない」ことを暗示しているようであった。

昨日と今日の写真は、秩父宮記念公園のユリ。
公園の入り口から受付までの、アプローチ両側に咲くユリは、特に圧巻である。

2017年7月17日月曜日

possession(所有)

何日か前に鷲田清一の「顔の所有」という文章をブログの話題にしたのであるが、今日は、その続きである。

彼は言う。
「顔」という現象を「わたしのもの」として所有しようとしたとたん、人は「顔」に所有される。

ここは「自己所有」の考え方が孕む問題点、つまり「所有するものと所有されるものとの関係が、たえず反転すること」を挙げている部分だ。

たとえば、ある異性を「わがもの」としようとすればするほど、その異性のふるまいや言葉、表情のひとつひとつの変化に振り回されることになる。
異性を所有しようとして、異性に所有(憑依)されてしまうということになるのだ。
英語では、「所有(possession)」と「憑依(possession)=悪霊などに憑りつかれている状態」は、どちらも動詞「possess]から派生しているという。

さて、鷲田は最後に言う。
わたしは顔を自分のものとして「領有」(我が物とすること、自己固有のものと認めること)させられる。顔はどうも、「持たない」こと、非所有のままであることを許さない現象であるらしい。




2017年7月16日日曜日

「滅相もない。」

日曜の大河ドラマ「女城主直虎」を観ていると、「滅相もございません」の語が出てきた。
はて?
「滅相もない」の「滅相」とは何だろう。
「滅相もございません」とは、言い換えれば「とんでもございません」の意である。
したがって、「滅相」とは、おそらく「とんでもない」という意味であることは想像できる。
では何故「滅相」が「とんでもないこと」なのか。

どうも文字からいって、仏教関係の語であることは、見当がつく。
そこで「語源辞典」調べてみた。
以下は語源辞典による。

滅相とは仏教語で物事や生物の移り変わりを四段階に分けた四相のひとつ。四相では事物がこの世に出現することを「生相」、存在・持続することを「住相」、変化することを「異相」といい、消えてなくなることを「滅相」という。
「滅相」の業が尽きて命が終わる段階の意味から「とんでもない」という意味の「滅相」が生まれ、「滅相」どころではないの意味で、「滅相もない」と使われるようになった。

この説でいくと、「命が終わる」相の「滅相」もないのだから、これはもう「とんでもないこと」という訳なんだろうね。









2017年7月15日土曜日

褌無からしむ

古代中国女性の下着 に対する画像結果N西の土曜講習であった。

本日は、漢文、劉義慶「世説新語」の問題演習。
「世説新語」とは、後漢から東晋までの貴族・武将・学者などの逸話を、徳行・言語・故事・文学などに分類して収めたものである。
今回は、その中から「徳行」の一説を演習したのであるが、そこには「人寧可使婦無褌邪」という部分が登場した。
これは「寧くんぞ婦をして褌無からしむ」と読み、「人(夫たる者)は、どうして妻に下ばきをはかせないことができようか、できまい」という意味である。

清廉潔白な人物であり、賄賂など絶対に受け取らない男、范宣に対し、その潔白さに惚れ、どうしても布を贈りたい韓予章が、これだけは受け取って欲しいと、最後に言った言葉である。
結局、范宣は極めて少ない布を受け取るのだが、演習ではこの文に登場する「下ばき」とは何ぞや?ということで盛り上がった。

「下ばき」とは所謂、女性用パンツなのだろうが、では、古代中国の女性はどのような下着を付けていたのか?
講習とは言いながら、こんなことをマジメな顔をして言えることの幸せ。
うーん、こんな商売、他にはないぞ、である。

さて、生徒諸君には次回までにチャンと調べてくる旨を伝えて、講習は終了した。

(写真はインターネットで検索した「古代中国女性の下着」であるのだが、これが「下ばき」に該当するかどうかは、良く分からないのである。)
               

2017年7月14日金曜日

ダリ版画展

授業が二限だけだったので、河口湖美術館まで出掛けてみた。

この美術館、毎月14日は入館料が無料」なのである。
現在の展示は「ダリ版画展」、あのシュルレアリスム(超現実主義)の巨匠にして、歴史に名を刻む二十世紀の代表芸術家のひとり、サルバドール・ダである。
最近、「私はダリの娘」という女性が現れたということで、ワタシ的にはタイムリーな画家でもあった。

ダリは、版画、彫刻、舞台美術、宝飾デザイン、映像、文筆と多方面の創作活動を行なったのであるが、今回は生涯に1600点を超える膨大な作品を制作したという版画の中から約200点ほどの展示であった。

版画作品のメインは、ダンテの叙事詩「神曲」の挿絵としてイタリア政府から依頼された作品(ダンテ生誕700年記念)であったのだが、どうも「神曲」を理解していないワタシにとっては、難解中の難解といった按配であった。
各作品に対して、感覚的には同調できるのだが、それはただの感覚であって、理解ではない。
うーん、これは少し「神曲」を理解してからもう一度版画を振り返るしかないね。





2017年7月13日木曜日

中年のおっさんのウメキ声

非常に不安定な天気で、県下には「大雨警報」なるものも出ていたようだ。
最近よく耳にする「線状降雨帯」が静岡県を通過、沼津も一時的な大雨にさらされた。
御殿場地方は、若干その線からそれていたようで、降ったり止んだり、大雨というほどの雨ではなかった。

先日、「月曜から夜更かし」という番組を観ていると、「名古屋東山動物園のテナガザル」が登場。
その鳴き声に驚かされた。
それはまるで「中年のおっさんのウメキ声」だったのである。
ええッと耳を疑うような声だったので、再度ユーチューブで確認したのだが、それはやはり「中年のおっさんのウメキ声」だった。

ぜひ試してみてくださいな。

2017年7月12日水曜日

妙な天気

妙な天気であった。

午前中は夏の強い日差し、これは今日のテニスは陽に焼けるなあと思っていた矢先、Y先生からテニス中止の連絡。
何でも下界は雨降りなのだそうだ。
こちらが雨で、下界は晴れというパターンはよくあったのだが、本日はまったく逆であった。

予定がすっかり狂ってしまったワタシは、写真の整理と読書。
十月の展覧会に向けて、そろそろイメージを作っていかねばならない。
一応半分ほどはイメージできたのだが、難解なテーマのやつが幾つか残っている。
さあ、これからどうしようである。

午後からの御殿場は曇り空。
それでも最後まで雨が降ることはなかった。

2017年7月11日火曜日

所有とは何か

「顔の所有」について続編である。
果たして「顔」というのは、自分の「所有物」であるか否か?
という問題だ。

西欧の思想史において、「所有」という観念は常に「意のままにしうること」=(随意性・自由裁量権)という観念に置き換えられてきた。
この視点から考えると、「自分の顔」は「身体」と同様である。

身体が痛い時「自分の意」ということで、その痛みを治すことはできるだろうか。
「自分の顔」も同様、「意のまま」にはならないのである。
つまり、「意のままに」ならないということは、自分の「所有物」とは言えないのだ。



2017年7月10日月曜日

月曜日は病院が混んでいる。

月曜は病院が混み合う。
そんなことは分かり切っていることだが、今日もやはり混んでいた。
母親の薬をもらうために(薬をもらうためには診察が必要となる)、実家の近所の病院に、母親を連れて出かけたのであるが、九時半に病院の受付に診察券を出し、診療される大よその時間が十二時だと言われた。
うーん十二時か、多少めげたが一度実家に戻って出直す。

その後、十二時から病院へ。
それから待つこと一時間半、やっと診察。
九時半に始まりすべてが終了したのが、十三時半。
全部で四時間の行程であった。

主治医の先生は丁寧に診察してくれて、とても好感のもてる方であるのだが、この待ち時間どうにかならいものなんだろうか。
もっとも、これからは老人が増える一方なので、これは絶対に無理な願いなんだろうね。



2017年7月9日日曜日

写真とは何か。

三年生の現代文の授業で、鷲田清一の「顔の所有」という評論を授業する。
これは、三年生最後の評論ということで、指導書曰く「難解中の難解」の文章である。

要旨は「顔は自分の意のままにならないものである。その顔を所有しようとして人は逆に顔によって所有されることになる。そこで人は反転の起こらない絶対的所有の夢を見る。そして顔を自分のものとして⦅領有⦆させられる。」といったものだ。
まあ、教科書の文章を提示しないと、全体の把握はできないので、評論自体へのコメントは差し控える。

ところで、鷲田清一が研究しているのは「現象学」という学問だ。
現象学とは、二十世紀のドイツの哲学者エドムント・フッサールが創始した哲学(的立場)のことで、あらゆるものの考え方の前提を疑ってかかる方法だという。

この「現象学」の説明部分を読んでいて、チョイト気になるところがあった。
それは、著者が引き合いに出す言葉、詩人長田弘の「みえてはいるが誰もみていないものをみえるようにするのが、詩だ(アウシュビッツへの旅)」だ。

著者は「てつがく」(哲学ではない)は詩と同じであると言っている。
哲学も詩も「みえないものをみえるようにする」作業なのである。
実は、我が敬愛する詩人西脇順三郎にも次のような言葉がある。
「詩とは、このつまらない現実を一種独特の興味(不思議な快感)をもって意識させるひとつの方法である。」

うーん、 この言葉を借りれば、写真というのもこれと同様に、「ごく当たり前の近所の風景に、不思議な快感をもってもらう、ひとつの方法」ということになるのだろう。



2017年7月8日土曜日

富士川のカフェ



F高時代の教え子が、富士川町(現在は富士市)でカフェを開いているというので、出かけてみた。

沼津から旧一号線をひたすら西へ。
富士川を渡り、さらに旧富士川町のちょうど新幹線と旧一号線が交差するところに、そのカフェはあった。
駐車場も比較的広く、おしゃれなカフェである。

扉を開けて、いざ中へ。
卒業以来、もう三十年以上も顔を合わせていなかったのであるが、多少のタイムラグの後、お互いの確認ができた。
もっとも気づいてくれたのは、ワタシがクラス担任をしていたN君ではなく、彼の細君の方だった。(細君の方も担任ではないが、教え子だったのである。)
こういう記憶力は、男性よりも女性の方が圧倒的に良いのでしょうね。

しばらく懐かしい話をして外へ出る。

帰りに富士宮を回って、以前訪れたことのある「安養寺」に行く。
石仏(釈迦の十大弟子?)を撮ってみたくなったからだ。
時代はそれ程たっているものではないが、なかなか味のある石仏であった。

2017年7月7日金曜日

馬頭観音

九州地方の大雨の被害は、実態が明らかに
なるにつれて、より酷いものとなっている。
何故そこまで九州をいじめるのだろう。
雨の神様というのは、実に気まぐれだ。

右の写真は、以前にもこのブログで登場した石仏であるが、一体どういう意味を持った石仏か、自分でもよく理解していなかった。
そこで、手が六本(仏像の世界では六臂という)を手掛かりとして調べてみたところ、どうもこれは「馬頭観音」であるらしい。

馬頭観音は6~7世紀ごろ日本に伝えられ、鎌倉時代の武家社会で馬が貴重さを増すことによって、馬頭観音の信仰が一気に盛んになった。
さらに江戸時代には家畜の守護神、旅の道中の安全を守る菩薩(馬頭観世音菩薩)として、路傍や田舎のはずれなどに石仏が置かれるようになり、民間信仰化したということである。
天台大師の魔訶止観(まかしかん)では、この観音は六道世界(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)のうち、畜生道救済にあたる菩薩とされるそうだ。

路傍とか田舎のはずれの石仏となると、御殿場にはぴったりだものね。

2017年7月6日木曜日

七夕は何故「たなばた」と読むのか。

明日は七夕。
節句のひとつである。
ところで、七夕を「たなばた」と読むのはどうしてだろう?
どう考えても「七」は「たな」とは読まないだろうし、「夕」も「ばた」とは読まないだろう。

こんな時、「ナンデモシラベルオジサン」は直ぐに調べるのである。

七夕とは、陰暦七月七日及びその日に行なわれる「星祭」の行事を言うのだそうだ。
ではなぜ「たなばた」かというと、中国の牽牛と織女の伝説が、日本固有の棚機女(たなばたつめ=棚に設けられた機によって神の来臨を待ち、神とともに一夜を過ごす聖なる乙女)の信仰と習合して成立したということである。
(折口信夫 説)

つまり、「棚機女」の「棚(たな)と機(はた)」が独立して、「星祭」の行事に割り込んできたのだろう。



2017年7月5日水曜日

グリーンレモン




久しぶりの水曜テニス。

二週間のブランクで、体調的に結構厳しいところがあり、途中でプレイを棄権してしまった。

体調ことも勿論なのだが、やはり一番気になったのは、二月に手術した頭部の内出血の方である。
「これ以上やると、危険だぞ」と自分自身でブレーキをかけてしまうのだ。
頭の中のことなので、不安は常にあり、万全というわけにはいかない。
まあ、これは一生付き合っていかねばならないことなのでしょうね。

右の写真は、今ワタシがはまっている、三ツ矢サイダーの「グリーンレモン」という清涼飲料水。
キャッチフレーズは「最高に酸っぱい」である。
無果汁というから、レモン果汁は使用していないのだろうが、どうしてこんなに酸っぱいのだろうかと思うくらい酸っぱいのである。
(メーカーの説明によると、通常の六倍のクエン酸の濃度ということらしいが)

この夏は、当分これで楽しめそうだ。




2017年7月4日火曜日

期末テスト二日目

G南は期末テスト二日目。

中間テストでは、テスト監督の機会もなかったのであるが、今回は二回ほどテスト監督が充てられた。
久しぶりの監督である。

授業でなく、無言で生徒のいる教室に居るというのは、一見楽そうに見えるのだが、しゃべることを生業にしているワタシとしては、なかなかツライものなのである。

夕方より台風三号の影響で雨風が強くなる。

台風の進路は、九州より四国、紀伊半島をへて静岡県の海寄りを通過して行くようだ。
幸いなことに、台風の規模は小型であり、速度も速いようなので、それほど甚大な被害はないということである。

(写真は東山観音堂の石仏②)





2017年7月3日月曜日

岩風呂

天気も良かったので、紅富士の湯まで出掛ける。

月曜日は比較的空いているので、露天風呂を独り占めに出来る日だ。
今日もその例にもれず、岩風呂の露天風呂を独り占めすることが出来た。
右の写真でわかるように、露天風呂は内風呂から、階段を下りた庭に造られている。
右が木で出来ている風呂、また左は岩風呂である。
晴れていれば、写真のように富士山を望むこともできる。(残念ながら本日は姿が見られなかった。)

ワタシがいつも入っているのは、岩風呂のほうだ。
どちらかというと岩風呂の方が人も少なく、また風呂の中に腰掛ける石があり、ちょうどいい感じでリラックスすることができるからだ。

何はともあれ、庭の中にある露天風呂の解放感、そりゃあグッドなのである。


2017年7月2日日曜日

側溝清掃

町内会の七月清掃ということで、朝八時から側溝の掃除と公園の草取りを行なう。
遅寝、遅起きの習慣が身についているワタシとしては、これが結構ツライのである。

昨日より急に気温があがり(上がったといっても、午後五時現在、御殿場は27℃程度なので、下界と比べると楽なものであろうが)、身体が妙に怠い気がする。
やはり、歳をとると温度変化に身体がついていけないのであろう。

これが「歳をとる」ということなのだ。

写真は東山観音堂の石仏(正確に言えば仏ではないのかもしれぬ。手が六本あるので、おそらくナントカ天といったところなのだろう。)




2017年7月1日土曜日

西行

土曜講習あり。
ただし、本日はN西のみであった。
掛け持ちでないことは、ちょいと気分を楽にする。

N西の講習では、鴨長明「発心集」の西行についてふれている部分の演習を行なった。

西行法師は「山家集」でも有名な優れた歌人である。
しかしながら、その歌人としての才能以上に有名なのは、彼の生き方のエピソードだ。
もともとは、佐藤義清(さとうのりきよ)という北面の武士であり、平清盛を友人に持つという話もある。
つまり、腕っぷしも強く華麗に和歌も詠む、極めて魅力的な人物だったのである。
魅力的な人物だったがゆえに、女性も興味を示さないはずがない。
西行の出家の原因も、高貴な女性との恋愛が絡んでいるという話もあるくらいだ。

さて、今回補習でふれた部分は、西行が出家するにあたって、かわいがっていた娘を弟にt託したのであるが、数年間修行したあと京を訪れる機会があったので、娘をそっとのぞきに行った。
すると、娘は粗末な身なりで身分の低い子供たちと外で遊んでおり、西行の姿を見た娘は、父とも知らず恐れて身を隠した。
という話である。

なんとも可哀そうな西行だ。