2013年9月30日月曜日

「なまはげ」の存続について

日曜の夕方、「おらが町のお悩み陳情」というテレビ番組を観た。
自分の町の困っていることをテレビ番組に陳情、その陳情内容によって番組で援助をするかどうかを決定する、といった体裁である。

例えば、秋田県の男鹿半島では、「なまはげ」という無形文化財の行事があるのだが、現在では「なまはげ」が民家を訪れても、訪れた家から家の中に入ることを断られてしまう、どうしたらよいか、の問題。

その中では「なまはげ」が嫌われる理由がいくつか挙げられていた。

まず、子供達に与える恐怖心、これがトラウマになるのではないかということ。
確かに責任問題がすぐに問われる時代にあっては、これは大きな問題だ。
迂闊に「脅し」はできないのである。
次に、この「なまはげ」の行事は12月31日、大晦日に行われるので、各家庭にとっては鬱陶しくもある。大晦日の忙しい時に「付き合っていられない」感があるのだろう。
そして、後継者の問題。
いつだったか、後継者不足に悩んだ主催者が、経験のない若者を雇ったところ、酔っぱらって旅館の女風呂に乱入してしまっった。
このような事件を起こしてしまってから、特に家庭では警戒心が増したという。
さらに、「なまはげ」が来たあとには、「なまはげ」が身につけている藁が散らかっていて、片づけるのが大変、などという理由もあった。

番組の結論では「援助」となったが、これはなかなか悩ましい問題である。



2013年9月29日日曜日

曼珠沙華

彼岸の頃に咲くから「彼岸花」。
ただし、この花には「曼珠沙華」という名もある。
花の姿態からすると、「曼珠沙華」のほうが似合っているような気もする。

「まんじゅしゃげ」の読みは、梵語からきており、梵語の意味は天上に咲く花の意らしい。
またこの花には、見る者から悪行を取り払う効果があるということでもある。

派手ではあるが、何となく厳かな感じのする花だ。

2013年9月28日土曜日

数字にこだわった戦略

北海道ではもう氷点下になったところがあるという。
御殿場も冷えてきた。
現在の気温が21度。
20度をきるのも時間の問題だろう。

東北楽天イーグルスが優勝した。
ニュース番組「報道ステーション」では、若い球団社長(42歳、慶応大学のラグビー部キャプテン経験者)の数字にこだわった戦略を紹介していた。

まず、数字から楽天のウィークポイントを見つける。それによって、勝つための選手補強を実施したのだそうだ。
楽天のウィークポイントは次の3つだった。

・左投手に弱い
・出塁率が低い
・長打が少ない

そこで、アメリカの大リーグから実績のある、そしてウィークポイントを克服できそうな、ジョーンズとマギーという右打者を補強した。
確かに楽天の優勝は、この二人の強力な右打者のおかげといっても過言ではない。
数字がすべてではなかろうが、数字のすごいところは、説得力があるところである。

数字が嫌いな私ではあるが、少し見習うことにしようっと。



2013年9月27日金曜日

不思議な事件

昨日、夏の花「カンナ」のことを書いたのに、今日は、もうすっかり秋の風情が感じられる。
現在、御殿場の気温は室内で23度、半袖だといささか肌寒い。
このまま季節は秋から冬に移って行くのだろうか。

千葉県の茂原市で、下校途中に行方不明になっていた県立高校三年の女子生徒が、自宅近くの神社から発見された。
なんと二ヶ月半の間、行方不明だったのである。
生徒は軽い脱水症状があるものの、怪我はないという。
生徒は行方不明になった時と同じ制服姿であり、事件に巻き込まれた可能性はないという。
不思議な事件だ。
二ヶ月半の間、彼女は一体どこで何をしていたのだろうか。


2013年9月26日木曜日

カンナ


カンナである。
裾野の本屋の駐車場に咲いていた。

カンナは不思議な花である。
ナリは派手であるのだが、どうもメジャーな花とは思えない。
「私はカンナの花が好きです。」という言葉もあまり聞いたことがない。
実に不思議な花だ。

カンナはカンナ科カンナ属のみで構成されるらしい。
純粋種なんだね。
日本には、江戸時代前期に渡来しているというから、歴史は結構古い。
ちょいと洋風なイメージがあるので、それほど古いとは思っていなかった。

カンナはギリシア語で「アシ(葦)」を意味している。
その草姿がアシに似ているところに由来するという。

写真を撮ってから気がついたのだが、偶然トップの花びらと右下の花びらの間に蜂が飛んでいる。
(パソコンでこのブログを御覧になっている方は写真をクリックして拡大してみてくださいな。)

特に理由はないのだが、この花、暑い時が似合う花である。
その姿が暑さに妙にフィットするのだ。



2013年9月25日水曜日

きんきんに冷えたビール

今日のニュースに文化庁の「国語に関する世論調査」のことが書かれていた。
「きんきんに冷えたビール」「ざっくりした説明」の表現を使う人は、今、3人に1人に上るそうである。
この使い方は、従来の使い方から派生したもので、すでにマスメディアや日常会話に広く登場しているのだと。

「きんきん」はもともと、「音や声が甲高く、鋭く響く様子」、あるいは、「鋭く痛むこと」を示す。
文化庁は、これを「中途半端な状態ではない」というイメージから、よく冷えた様子を表す意味が派生したとみている。

また、「ざっくり」は編み目が粗いことを表す際に使われていたものだが、今では、「大ざっぱ」という意味に使われるケースが多い。
文化庁は「これらの擬音語は、これから新たな用法として定着する可能性は高い。」とも言っている。
確かに擬音語とか擬態語は、感覚的な言葉なので、「きんきんに冷える」とか「ざっくり説明する」のほうが、現代の感覚には合っているような気はするが。

2013年9月24日火曜日

ゴキブリ殺しの文化論

先週、現代文の時間に養老孟司の「ゴキブリ殺しの文化論」という評論文を題材にした。

ゴキブリという日本人が異常に嫌う生き物がいる。

養老孟司は言う。
そのゴキブリを嫌うのは我々のせいであり、ゴキブリの性質に仮託(ゴキブリが嫌味なのはゴキブリのせいではない。ゴキブリは生まれつきあの姿、あの動きなのである。)して嫌うのは、「差別」である。
日本人は「感覚」を「行動」に直結させることにためらいがなく、ゴキブリ殺しを平気で許容する。

「感覚が行動に直結する」という「進化的にはもっとも下等な神経系」を日本人は持っているというのだ。
相手がゴキブリなら社会問題は生じないが、人間となると大問題を生じる。
「倫理」の代わりに「美的感覚」を導入するので、わりあい差別感を表明しがちになる。

「倫理」は行動の原則である。
政治家の発言は、その影響力から考えるならば、「行動」として捉えられる。
それなのに「感覚」のレベルから発言をするので、「差別発言」が止まらない。

最後に筆者は言う。
このような社会は、ゴキブリがすべていなくなれば、次の対象は人間にするのかもしれない、と。




2013年9月23日月曜日

宮崎駿引退のこと

週刊誌(週間朝日)に面白い記事が載っていた。
アニメの宮崎駿監督が「もうアニメに関われない本当の理由」
という見出しで、スタジオジブリから撤退することが書かれていた。

以前、「耳をすませば」を制作した時のこと。
この作品を宮崎駿は、他のアニメーターに任せたのだそうだ。
しかしながら、制作後、宮崎駿が言った言葉は「もう二度とやらない。」であった。

話はこうだ。

すべてに関わってアニメを制作をすることが、体力的に厳しくなってきた監督は、「耳をすませば」において脚本・絵コンテを手がけたが、実際の作画を他のアニメーターに委ねた。
ところが、他のアニメーターの作画で、主人公の少女・雫の性格が宮崎駿の意図と変わってしまったのだという。

例えば、雫がしゃがみ込むシーン。
誰も見ていないのに他のアニメーターは、雫に「下着が見えないように手で押さえる演技」をさせた。
これによって雫は「考えてから行動する自意識過剰の子」になった。
しかし、宮崎駿の好みは「下着なんか気にせずにさっと座ってしまう子」。この違いが彼には堪えられなかった。

ということである。
やはり、拘りのある人にとって、その拘りをブチ壊されるのは、たまらなく辛いことなのだろう。
すべてが出来なくなった時に引退を考えたのである。




2013年9月22日日曜日

たどるのは風の道


たどるのは風の道
誘うのは刻(とき)の余韻

生まれたばかりの風が
窓から飛び込んでくる
旅人のほろ苦い後悔は
やがて
美味しい溜息に
ときほぐされていく






久し振りに「大分麦焼酎 二階堂」のコマーシャル。
これは1999年の作であるが、二階堂のコマーシャルはどれを取っても秀逸である。





2013年9月21日土曜日

今年のコスモス

去年はコスモスの写真を撮りまくった。
しかしながら、今年はなかなかコスモスの花を見ることができないのである。
裾野の日帰り温泉「ヘルシーパーク」に咲き乱れていたあのコスモスは一体どこへ行ってしまったのか。

右の写真は、今週撮ったコスモス。
場所は去年同様「ヘルシーパーク」なのだが、ほとんど咲いている花は見られなかった。
畑にへばりついている花を無理矢理撮ったのである。

僅かな花ではあったが、写真としては、花が透けるように撮れたので、多少は面白いかもしれぬ。

コスモスというのは、ほんとうに面白い花」だ。
多ければ多いなりに、少なければ少ないなりに存在を主張するのである。

2013年9月20日金曜日

中秋の名月

近所から見た富士山。
ちょいとだけ夕焼けである。

今日(九月十九日)は中秋の名月。
まさに、欠けたところのない満月が空に浮かんでいた。

中秋の夜に雲などで月が見えないことを「無月(むげつ)」、中秋の晩に雨が降ることを「雨月(うげつ)と呼び、月が見えないながらも風情を賞するのが、かつての知識人であった。
兼好法師という「へそまがり」は、むしろそのほうが良い、とまで言っている。
「心であるはずの月を見てみろ」ということなのだ。

また、十五夜以前を「待宵(まつよい)」、以後を「十六夜(いざよい)」といって、名月の前後の月を愛でる習慣もあったそうだ。






2013年9月19日木曜日

しっとりカレーせん

先日、W先生に「えびカリ」を差し上げたところ、お返しに写真の「しっとりカレーせん」をいただいた。
写真はパッケージだけであるが、中身の「せんべい」は、写真の「しっとり」の字の「し」の斜め上、また「り」の横にあるような形の「せんべい」だ。

この「せんべい」を作っているのは、東京の「キャメル珈琲」という会社。
「サクサクの揚げせんべいに、秘伝のスパイスをたっぷりからめて、しっとり仕上げました。」とある。

実際食べてみると、「いかにもカレー」の感。
カレーの好きな人には、こたえられないだろう。食後も手の指や口の中に、カレーの後味が残っていて、水が欲しくなるにちがいない。

2013年9月18日水曜日

「えびカリ」ニューバージョン

今、N西の三年生の女子の一部と、教員の一部の間で、「えびカリ」がブームである。
それは「えびカリ」伝道師の私が、少々宣伝したからであると思われる。

さて、その「えびカリ」がニューバージョンとなった。パッケージが黄色から豪華な色の金色へと変化した。
そして、パッケージにはこう書かれているのである。

「お客様のご意見を参考に、一層おいしく仕上げました。」
・海老の風味アップ
・せんべいの割合アップ

海老の風味はわからないが、確かに「海老カリせんべい」の割合はアップした。
しかし、しかしである。
今まで6袋入っていた小袋が、5袋に減ってしまったではないか。
これは実質的な値上げである。
私は少し悲しくなってしまった。

(付録)

岩塚製菓のコマーシャルに、「余ったポテトサラダを使った簡単えびカリコロッケ」のレシピがあった。

①えびカリを粉々に砕く。
②余ったポテトサラダに砕いたえびカリをまぶす。
③レタスをひいた皿の上に「えびカリコロッケ」をのせる。

本当に簡単だ。


2013年9月17日火曜日

恋するフォーチュンクッキー

AKB48の新曲に「恋するフォーチュンクッキー」という曲がある。
通勤途中にこの曲を聴いて「ウン、なかなかいい曲だ。」と思った。
曲自体も、昔懐かしい60年代のアメリカンポップスといった感じがあり、スローテンポなのでオジサンもなんとなく付いていけそうなのである。
そしてなんと言ってもタイトルの「フォーチュンクッキー」だ。

「フォーチュンクッキー」というのは、中に「運勢の書かれたお神籤」の入っているクッキーで、アメリカとかカナダの中華料理店では、食後によく出されるらしい。
クッキーというよりも京都名物の八つ橋(生でなく硬く焼いてある方)を二つ折りにして、間に「お神籤」をはさんであるような感じだ。
山形に「からから煎餅(これも煎餅よりも食感は硬い八つ橋である。)」といって、中に「お神籤」ではなく、小さなオモチャを入れたお菓子があるのだが、どちらかというと是に似ている。
(「からから煎餅」、是非ネットで調べてね。)

さて、タイトルの「恋するフォーチュンクッキー」であるが、歌詞の内容から考えると、どう考えても「恋のフォーチュンクッキー」だ。
「恋するフォーチュンクッキー」では「クッキー」が「恋」をすることにならないだろうか。
「フォーチュンクッキー」は占いのための「クッキー」なのだから「恋」を占うクッキーに、自分の気持ちをこめて占う。
こうすれば、歌詞の内容とピッタリするのですがね。

2013年9月16日月曜日

これまでに経験のないような大雨

大型の台風18号に翻弄されてしまった敬老の日であった。台風は愛知県豊橋市付近に上陸、関東甲信越から東北地方に向かった。

今回の台風は雨台風のようで、京都とか滋賀に大雨を降らせ、気象庁の大雨特別警報が発令された。

さて、この「特別警報」の表現であるが、よく考えててみると、妙な表現だ。

警報には「これまでに経験のないような大雨になっている。(直ちに)命を守る行動をとってください。」とある。
つまり「これまでに経験のないような」の表現は、次に同じレベルの大雨になった時に、使えなくなってしまうのだ。
同様の大雨だったら「これまでに経験」があるからである。
「これまでに経験のないような」の表現を、この先使用する予定であるなら、それに従って大雨の程度もどんどん悪くなって行かねばならない。
これはもう地球の最後である。

メッセージ性を考えると、確かにインパクトがあって良いのかも知れぬが、もう少し気の利いたメッセージはなかったのだろうか。








2013年9月15日日曜日

現代文の試験(特に小説)で点を取るには?

昨日、生徒から「現代文の小説ができるようになるには、どうしたらよいか。」という質問があった。
「ウーン、これは難しいぞ。」
古典や漢文、あるいは現代文でも論説文の方であれば、セオリーもあるし、アドバイスもできるのであるが、「小説」に関しては、なかなか有効な手段がないのが現状だ。

そもそも「小説」は主観的なものである。
一方「試験」というものは、客観的でなければならない。
基本的に「小説」と「試験」はかみ合わないのである。
それでも「試験」を作るのは、作る方の横暴だ、とここまで書いたのだが、「そういう私も試験を作っているではないか。」
ナンタル矛盾。

さて、文句ばかり言っていてもしょうがないので、「溺れるものは、藁をもつかむ。」の「藁をつかみたい」と思っている生徒諸君に一言。

「小説」で点を取るには。

①感想で、答えを書かない。
②勝手な思いこみをしない。主観でなく客観を意識する。
③いつ、どこで、誰が、何を思ったのかという状況を正確に理解する。

と、こんなところだろうか。
これは、予備校の講師などもよく言っている言葉だ。
まあ、結局こんなことしか言えないのだよね、小説は。


2013年9月14日土曜日

結構

「結構」という言葉がある。
「結構」をジーっと見てみると、「結」と「構」を合わせている。
これが何故「十分」とか「よろしい」の意味を持つのだろう。
考えてみると妙だ。

そこで、語源を調べてみることにした。

漢語の「結構」は、「組み立て」や「構造」を意味する名詞である。(ウン、これは納得できる。)
この「結構」が日本に入って「計画」や「もくろみ」「支度」「準備」といった意味の名詞に変化。
(これも納得できる。)
さらに「準備」とか「計画」を「立派」や「よろしい」と評価する用法が生まれた。
(ここが、チョイト飛躍だな。「準備」とか「計画」がどうして、「立派」「よろしい」になるのだろう。準備をすること、計画を立てること、この動作が「立派」「よろしい」となるのだろうか。ここで納得するしかないな。)
その後、さらに「丁寧だ」「人柄が良い」といった意味でも使用されるようになったのだそうだ。

また、断りの言葉として用いる「もう、結構です。」は近代以降に見られる表現で「十分満足しているから、これ以上必要ない。」というニュアンスで生まれた言葉であるらしい。(フーン、なるほどね。)

2013年9月13日金曜日

大和物語

明日の土曜講習では「大和物語」を講義する予定であるが、講義する箇所はなかなか面白いところだ。

小野小町が清水寺に参詣したところ、どうも昔の知人のような気がする法師(実は昔馴染みの僧正遍照)を見つける。
小町は確認しようと、次のような歌を贈ってみた。

・岩の上に旅寝をすれば いと寒し 苔の衣を我に貸さなむ
「岩の上で旅寝をしているので、たいそう寒いのです。(あなたの)僧衣を私に貸してほしい。」

すると、その僧から見事な返歌がある。

・世をそむく 苔の衣はただひとへ かさねばつらし いざ二人寝む
「世をそむい(て出家し)た私の僧衣はただ単衣(ひとえ)です。(しかし)貸さないとあなたには、薄情と思われる。さあ、二人で一緒に寝ましょう。」

「これは間違いなく遍照である。」そう思った小町は、人に探させるが、遍照の姿は消えてしまったのであった。
「いざ二人寝む」ですぞ。
「む」は意志を表す助動詞だ。
何という思わせぶりな歌なのだろう。
さすがに「あまつ風 雲の通い路 吹き閉じよ」の作者である。










2013年9月12日木曜日

案内標識の変更

道路にある案内標識の表示が変わるという。

今までは、「皇居」には下に「koukyo」のローマ字の表記で「読み」が書いてあった。
しかし、これからは「皇居」の下には「the Imperial Palece」と英語の「意味」が表記されるらしい。

確かに「意味」の表示は、外国人にとってはありがたいだろうが、日本人にはあまり「意味」のないことである。
道路にある標識というものは、あれは外国人用のものなのか?
しかも英語圏用の。

なんか納得がいかないなあー。

2013年9月11日水曜日

ブラインドマン

リュック・ベッソンの「ブラインドマン」を観た。
リュック・ベッソンはフランス人の監督で、ジャン・レノを一躍有名にした「レオン」の監督でもある。
彼の作品は「トランスポーター」とか「TAXI」とか非常にドライブ感のある作品が多く、どちらかというとハリウッド映画的である。
しかしながら、さすがにフランス人、(フランス映画てぇーのは、どこかエスプリが感じられる。)初期の作品には、「グランブルー」や「つめたく冷えた月(プロデュース)」がある。
特に「つめたく冷えた月」というのは、アメリカの作家チャールズ・ブコウスキー原作の作品で、仕事もせず酒ばかり飲んでいる中年男が主人公なのだが、この男が相棒と病院から死体を盗んできて死姦をするという変態ストーリーだ。映画の音楽にジミー・ヘンドリックスの楽曲を使っているのも、なかなか興味深いのである。

さて「ブラインドマン」は、パリの高級マンションで若い女性が惨殺され、その捜査をする刑事の姿を追っていく、といったストーリー。
刑事と視力を失った犯人(ブラインドマン)の両方が心に闇を持っており、その闇を炙り出していくところが「ミソ」である。

2013年9月10日火曜日

新潟は何地方?

昨夜も「月曜から夜ふかし」を観てしまった。
その話題の中に「新潟の件」というのがあって、これがなかなか面白かった。

「新潟県は何地方?」である。
この番組、以前は「三重県」をターゲットにしたことがあったのだが、今回はそれが新潟になったのだ。

「新潟県は何地方?」
地図上は「中部地方」
電波管理局では「信越地方」
国税庁は「関東信越」
NHKの天気予報だと「関東甲信越」
気象庁は「北陸地方」
そして、電力会社は「東北電力」

もう何がなにやら、わからなくなってしまう。
この優柔不断さは、一体なんだ。
新潟に親友がいる筋金入りの新潟ファンとしては、ちょっと情けない気がするのである。

まあ、北陸自動車が行き着くのも、関越自動車道が行き着くのも新潟なので、これはしょうがないことなのだろうか。(新潟のI君、ごめんなさい。)





2013年9月9日月曜日

東京オリンピック

9月8日、2020年のオリンピックは、東京で行われることが決定した。
前回、東京で実施されたのが、1964年。
私は12歳の中学一年生であった。
オリンピック招致が、良いか悪いかは別として、極めて大きなイベントであることには違いない。

49年前の10月。
日本中は、初のオリンピックに浮かれていた。
覚えていることといえば、沼津の国道一号線(現在のトーアスイミングスクール前)まで聖火ランナーを見にでかけたこと、何かの授業の時に陸上競技(男子100メートルの決勝)をテレビで観戦したことくらいだろうか。(この決勝では、前評判通り、アメリカのボブ・ヘイズという選手が圧倒的な強さで優勝した。記録は10秒00である。ウーン今の日本人最速が、49年前のオリンピック記録と同じくらいか。チョイト残念。)

そうそう、もうひとつ。
マラソンにおいて、エチオピアのアベベという選手(前回のローマオリンピックを、裸足で走って優勝)が、圧倒的な強さで二連覇(東京オリンピックではシューズを履いて走った。)したことも覚えている。(この時私は、何だ裸足の英雄アベベではないのか、と少々がっかりしたのだった。)


2013年9月8日日曜日

倍音(ばいおん)

昨日はサックス奏者のガトー・バルビエリについて書いたのであるが、彼の吹くサックスという楽器の特徴に「倍音」をきれいに出すという特徴がある。
この「倍音」、頭の中ではこんなものと、大体理解ができるのだが、この説明となると、これがなかなか難しい。

ネットで調べたところ、一番わかりやすい説明は、次のような説明であった。

ある音が鳴っている時には、「一つの音の高さ」が聞こえる。
ピアノの鍵盤のドの音を打てば「ド」の音が鳴るし、「ド」の音程になるように発生すれば、「ド」の音が聞こえる。
しかし、音を分析すると、鳴らしている「ドの音」以外の音が同時になっているという。
この時には、鳴らしている音よりずっと高い音、鳴らしている音の2倍・3倍4倍・・・の周波数を持った、すごく高い音が複雑に混じりあいながら、同時に鳴っているのだそうだ。
このような現象が起きている時に最も強く鳴っている、元になる音のことを「基音」といい、かすかに鳴っている「基音」以外の音が「倍音」である。

基本的には、どんな音でも必ず「倍音」を伴うのだそうだ。
ウーン、なかなかだぞ。



2013年9月7日土曜日

ガトー・バルビエリ

ガトー・バルビエリというテナー・サックス奏者がいる。1934年アルゼンチンのロサリオ生まれというから現在活躍しているようなら、79歳となる。
ガトーはスペイン語で、「猫」のこと。サックスを吹く時の顔が「猫」のようだ、ということで、そのあだ名がついたらしい。
ジャズのCD売り場にCDがあるので、ジャンルはジャズなのだろうが、言ってみれば「ラテン・ジャズ」である。
ジャズファンの間では彼の演奏は邪道のように考える人も多く、なかなか「私が好きなのは、ガトー・バルビエリです。」とは言えない空気がある。
しかし、私は「へそ曲がり」であるので、あえて言う。
「私はガトー・バルビエリ」が好きだ。
何と言っても、彼の演奏には人間臭さがある。哀愁がある。決して上品とは言えない音色だが、その一音、一音に魂がこもっているのだ。

さあ、今晩も「ラストタンゴ・イン・パリ」でも聴きながら寝るとしよう。


2013年9月6日金曜日

くもん、いくもん♪

山形で見た家の壁に、面白いコマーシャル。

この家は学習教室の「KUMON(ウーンなんか、漢字に直すと苦悶にも思えるのだが)」を開業しながら同時に「ピザ屋ジローズ」も開いているという家だ。

学習にピザか、なかなかやるな。
勿論、ピザの方は持ち帰り専門らしいが。

さらに「くもん、いくもん♪」
この言葉をジーッとみてみると
「くもん、くいもん」
「くもん、食いもん」
に見えてくる。

さすがにピザ屋だ。




2013年9月5日木曜日

ヤモリが落ちた。

「は」の字日記、7月8日付けで紹介した「ヤモリ君」が今夜もやって来て、ドアのガラス越しにピタリとくっ付いた姿を見せた。

しかし、次の瞬間である。
虫を捕まえようとして(何を失敗したのか)二メートルくらいの高さから、ポトリと落ちてしまった。

「猿も木から落ちる」という慣用句があるが、まさに「ヤモリもポトリと落ちる」である。
足には吸盤がついているだろうに。
何故ポトリと落ちてしまったのだろうか。

ヤモリの油断か。
それとも、老齢化か。?
かなりの高さから落ちたので、生死が気になり、ドアを急いで開けてみた。

「おおーよかった。」
とりあえず外には姿が見えない。

きっと、「俺もドジをふんだものだな。」 
などと言いながら、腰をさすり、さすり、ねぐらに帰っていったのだろう。

2013年9月4日水曜日

とんかつ弁当

水曜日のテニスが早朝テニスとなっているので、起きるのがチョイト辛い。
普段はフクロウ型というか、すっかり夜中を楽しんでいる、まさに不良おやじであるのに、急に早起きテニスというのもナンダネ。
チョイト気恥ずかしいモノダネ。

テニスのあとは、裾野にある温泉で汗を流すことにした。。
「ヘルシーパーク裾野」という名の温泉である。
10時開場なのに、時間前についてしまい、団体でやってきたオジイサン・オバアサン(私もオジイサンだがね。)たちといっしょに並んでしまった。

さすがに朝の10時から温泉に入る人は少なく、広い露天風呂を「ひとりじめ」の気分を味わうことができた。

昼も近づいて、弁当を買うことにした。
本日は、天神屋の「とんかつ弁当」390円である。
この弁当はコストパフォーマンスに優れておりチョーお勧めである。
一見すると、野菜のキャベツが少ないように見えるが、実はとんかつの下には沢山のキャベツが隠れているのである。
とんかつとキャベツ。それだけで良い。
シンプル・イズ・ベストだ。

パセリ愛好会のメンバー?である私は、つけ合わせのパセリもしっかり食べたのである。



2013年9月3日火曜日

気象庁の会見

昨日・今日と、続けて気象庁の記者会見があった。
気象庁というのは、どうしてあのように物言いが慎重なのだろうか。

昨日の会見では、「竜巻と見られる突風」とのたもうた。
「おいおい、映像をみる限り、あれは立派な竜巻だぜ。」
そして、今日の会見では、「今年の夏の気象は、異常気象と考えられる。」とのコメントだった。
大雨、高温、竜巻。
誰がどう考えたって、今年の気象は異常である。「一体どう考えると、異常気象でなくなるのだ。」
慎重なのは結構だが、あまり慎重すぎると何か滑稽に思えてしまうね。

2013年9月2日月曜日

「スーパーセル」

埼玉と千葉で竜巻の被害。

やはり、昨今の気候は異常である。
局地的な大雨や気温の上昇、そして竜巻。
私の人生においても、これだけ自然現象が異常な状態を続けるのは初めてだ。

気象庁やテレビ局では、「竜巻と見られる突風」などと、慎重な物言いをしているが、視聴者から送られてきた携帯の映像(最近は映像を撮ることのできる携帯電話の発達により、多くの映像が残されるようだ。)などを見てみると、これは明らかに「竜巻」だ。
しかも、アメリカ大陸などで見られる、上下がつながっている巨大な
「竜巻」である。
日本もとうとうアメリカなみの「竜巻」国になったのだろうか。

「竜巻」のもとになるのは、「スーパーセル」と言って、「巨大な積乱雲」なのだそうだ。
「スーパーセル」か。
なんだかアニメの「ドラゴンボール」に出てきそうな名前だね。

(三枚続けた「浴衣の写真」は、山形の上山の商店街にあった、「客寄せ浴衣」。足がないのに、どういうわけか顔はついている。)


2013年9月1日日曜日

「スロー・クエイク」

NHKの日曜特番「南海トラフで続く謎の振動」を見た。
「見え始めた予兆」の副題もついている。
要は、南海トラフを震源としたマグニチュード9クラスの巨大地震が確実に近づいているということである。

四国東部の地下深いところで、プレートの境界の岩盤がゆっくり動く「スロークエイク」なる振動が続いているのだそうだ。
今までこの振動は、大きな振動に至らぬように、小さな振動により力を解放していると解釈されていた。
しかし、2011年の東日本大震災の直前に、この振動が起こっていたことが、最近の研究でわかったという。

そして、現在。
どうも南海トラフにおいて、「スロークエイク」が観測されているらしい。
巨大地震が起これば、四国から伊豆半島、さらに三浦半島あたりまで津波が押し寄せ、最悪の場合には、(名古屋、大阪の大都市をかかえているだけに)32万人の死者が想定されるという。
1995年の阪神・淡路大震災での死者が6434人、2011年の東日本大震災が15883人とくらべると、いかに被害が甚大かがわかる。

そろそろ「真面目な覚悟」をしなければなるまい。