2016年7月31日日曜日

A3サイズ

夜になって俄雨。
久し振りの雨だ。

展覧会用のA3プリントを作る。
自分のプリンターではA4サイズまでが限界なので、A3サイズの場合はいつも借り物プリンターである。
市販のプリンターではA3サイズが最大のサイズなのである。
(正確に言えばA3ノビというサイズがあるので、こちらの方が大きいが。)
本当はA3より大きな、35ミリでいうところの全紙というやつに近いサイズでプリントアウトしてみたいのだが、懐と相談するとそれはとてもムリなのである。
まあ、しょうがないですな。
プロではないのだから。

東京都知事選挙の投開票あり。
8時に投票の締め切りがあるのだが、驚くべきは8時の時報とともに、当選確実が出ることだ。
いわゆる、出口調査というやつなんだが、味も素っ気もないシステムである。

結果は女性の小池百合子候補の初当選であった。
東京では初めての女性都知事が誕生したということだ。



2016年7月30日土曜日

えろいんぴつ

いきなり真夏日。
年寄りには日光は毒、と決め付け家に引きこもる。
その家の中でも御殿場では珍しく、29度もあったのだから、今日は本当に暑い日だったのだろう。

夜、「ブラタモリ」という番組をみていると、新潟が特集されていた。

現在の新潟の中心部はかつての信濃川の中洲であるとのこととか、新潟には西の祇園、東のなんちゃらに匹敵する花街があったとか(今でも鍋茶屋という料亭にその名残があるそうだ)、さらに、新潟の言葉のなまりで「色鉛筆(いろえんぴつ)」を「えろいんぴつ」と言うとか、結構面白かった。

I君みんな本当のことじゃろかね。

2016年7月29日金曜日

悪口にも小さな才能

写真は家の近所にある居酒屋の駐車場で撮ったものである。
何気なくナンバーを見ていると、なんと三台の車のナンバーの数字が皆同じなのだ。
さらに驚いたのは、このナンバーの数字が居酒屋の電話番号とも同じである。(写真右上)
いやいや、電話番号とナンバーが同じなのだろう。

 これは勿論、有料でナンバーを取得したのだろうが、ここまでやるとは。
拍手、拍手である。

夕刊に物まねタレント、清水ミチコの面白い文章があった。
清水ミチコの実家は飛騨高山でジャズ喫茶を経営しているということであるが、その時のエピソードだ。

高校生時代に実家でアルバイトをしていると、その時の常連さん達の会話がとても印象的でした。
「いかにオレがエバンス(ビル・エヴァンス)の良さをわかっているか」という話には誰もが「フーン、よかったね」で終わるのでしたが、「僕はこの人のジャズが大嫌い。なんでかというと、」で始まる話は、8割方めっちゃおかしい。
演奏が嫌いだ、なんていう話は、大体どこか滑稽なんですね。
本来は些末に思えるような事なのに、つい真剣に話しが熱くなってきている。
遠い外国のミュージシャンの演奏センスを、そんなに嫌えるなんて、なのです。
理論に実感もこもり出すので、(そこまで言うか!)と思えたりするほどでした。
ちゃんと向き合うからこそ、嫌いにもなれるのでしょうが、またそういった悪口にも小さな才能が必要で、そこまで言うべきではない、という加減がわかった人でないと、悪口もそうそう面白くないと悟りました。

うーん、これこそ「好い加減」ということなのだよな。





2016年7月28日木曜日

やや、蒸し暑いか。

数日前の「涼しい、涼しい」から一転、今日は蒸し暑くなってきた。
群馬県では水不足で、取水制限もあるということだが、一方では
長期にわたる梅雨ということで、何が何やらわからない状況になっている。
今日も北海道で洪水のニュースが流れていたのです。

N西の方では、一年生から三年生までが補講に精を出している。
みんな、あと少しだガンバレガンバレ。
もっとも、三年生はこれから本格的な勉強をしなければならないのですがね。


2016年7月27日水曜日

蔓陀ヶ原

九月に展覧会を開く牛臥(うしぶせ)正確には我入道蔓陀ヶ原(がにゅうどうまんだがはら)の芹沢光治良記念館まで出掛ける。
今、このブログを書きながら思ったのだが、牛臥にしろ我入道にしろ、また蔓陀ヶ原も、実に個性的な地名だ。

牛臥とは、この地に牛臥山という山があり、地名となったのだろう。
蔓陀ヶ原は「蔓陀」という植物からその名がついたのだろうか。
それとも、「蔓」の字は違っているが、「曼荼羅」の「曼陀」からきているのか。

「曼陀」とは「曼荼羅」であり、「悟りの境地」を意味する。
蔓陀ヶ原の前に付く「我入道」=「我入る道」という仏教的な言葉からもそれは想像できるような気がする。





2016年7月26日火曜日

凶悪事件

若者が障害者の施設を襲い、そこの入居者19人を殺し、さらに多くのけが人を出すという凶悪事件が神奈川県の相模原市で起きた。
その若者は、以前は、襲った施設の職員だという。

抵抗できない人間を次々に傷つけて行く所業は「それでもおまえは人間か」であるが、ワタシがショックを受けたのは、犯人が自分の襲う計画を犯行予告の手紙として、公開していたことだ。
そして、かなりの部分が計画通りの行われたことである。
また、手紙の中で自分は殺人を犯しても、精神的に異常で有る故、結局は無罪になるだろうと述べていることである。


犯行時刻と近い時間に
ツイッターでつぶやいたという
「世界が平和になりますように」
の言葉がなんとも不気味である。



2016年7月25日月曜日

一学期終業式

N西では一学期の終業式であった。
しばらくは授業なしである。
物足りないと言えば物足りないのであるが、楽と言えば楽である。
三年生は、いよいよ勝負の夏休みだね。

以前、高校で前期、後期の二学期制が流行ったことがあって、この時期、非常にやりにくい思いをしたことがある。
つまり、この時期にはまだ成績が出ていないのだ。
したがって、夏休みの面談があまり意味のないものとなってしまったのだ。
へんなシステムだったなあ。
今、考えると。

テニスラケットのグリップが劣化してしまったので、三年生のテニス部生徒Kさんに頼んで、新しいグリップテープを巻いてもらった。
流石にテニス部。
あっというまに作業は終わった。
餅は餅屋だね。
Kさん、どうもありがとう。



2016年7月24日日曜日

ヤモリ君

ほとんど毎年のようにやってくるヤモリ君である。
ヤモリの寿命がどのくらいであるのかは、よくわからないが、ほとんど毎年のようにやってくる。

我が家の裏の入り口が良いえさ場になっているのだろうか。
ヤモリは決して俊敏とはいえない動きで、小さい虫や小さい蛾を捕獲する。
ワタシにしてみれば、蜥蜴のイメージがあるので、動きは速いものだと思っていたのだが、トンデモナイ。
彼は意外にドジであり、時々張り付いているところから落ちたりもする。

大変だね。
ヤモリがこの世の中で生きて行くってえのは。

2016年7月23日土曜日

御殿場の盆の入り

相変わらず夜が涼しい。

ドイツで先日の列車内事件に続いて、繁華街での銃の乱射事件が起き、9人が殺された。
殺された9人はほとんどが若者であるという。
またIS関係か?
と、一瞬思ったが、どうやら今回はISとは無関係のようだ。
今、世界は極めて恐ろしい時代になってしまったのだろうか。
いつ、どこの国でテロが起こっても不思議でないとは。

御殿場地方では、今日が盆の入りであるという。
ある家の前には三本の棒が立てられており、上部には藁のようなものが巻き付けられていた。
さらに、その藁のようなものは燃やされ、煙が出ていた。
おそらく先祖を迎える煙なんだろうね。

御殿場に住み始めてからもう三十年以上になるが、このようなものは初めて見たなあ。



2016年7月22日金曜日

アンデスメロン

涼しい日が続く。
今夜は昨日以上に涼しくて、部屋の気温は23度である。

さてさて、一学期の授業も今日ですべてが終了。
あとは来週の終業式を残すのみとなった。
考えてみれば、ワタシの再任用期間も今年ですべてが終えるので、いわゆる学校行事としての一学期終業式なんてえのは、これが最後となるのだろう。

またまた朝の情報番組から。
「アンデスメロン」の「アンデス」というのは、「安心です」の省略形なんだと。
ワタシはすっかり「アンデス山脈」の「アンデス」と思っていましたがね。

2016年7月21日木曜日

「くだらない」の語源

ここ何日かの暑さがウソのように今夜は涼しい。
温度計を見てみると、24度である。
冷夏では困るが、このままずっと涼しい夜が続くといいなあ。

朝のテレビ番組を見ていると、「くだらない」の語源について触れていた。
「くだらない」には諸説あるが、その中でも有力な説は次の説のようだ。

上方から関東に送られる物を「くだりもの」と言い、その中でも清酒は灘や伏見が本場であるため、「下り酒」と呼ばれていた。
反対に関東の酒は味が落ちるため「下らぬ酒」と言われ、まずい酒の代名詞となり、転じて現在の意味となった。

うーん、なるほどね。


2016年7月20日水曜日

音楽専攻演奏会

N西芸術科の音楽専攻演奏会があった。
みんな良く頑張っていたね。

ツインズAちゃんは、ベートーベンのピアノ・ソナタ第8番ハ短調作品13「悲愴」より第1楽章。
「悲愴」のタイトルがあるように、人生の重さを表現した曲を感情をこめて弾いていたような気がする。

一方、ツインズRちゃんの方は、ドビュッシーの映像第1集 水の反映という、私にとっては初めて聴く曲を演奏。
こちらは、如何にもドビュッシーらしいファンタスティックなイメージの曲であった。
Rちゃんは曲想そのままに、軽く気持ち良さそうに弾いていた。

自分で曲を選んだのか、誰かに勧められたのか、いずれにしてもそれぞれの個性にあった曲だった。

2016年7月19日火曜日

美空ひばりという歌手

昨日、一昨日に比べると大部過ごしやすい夜である。
気温自体は、さほど違いはないのだが、湿度の差であるのだろうか。

夕刊に面白い記事があった。
ジャズクラリネット奏者の北村英治が、歌手美空ひばりのことを書いているのだが、この記事により美空ひばりが如何にすごい歌手であったかを垣間見ることができる。
以下、その記事を引用してみる。

終戦後、まだ占領下だった沖縄の「美空ひばり」公演に、伴奏でついて行った時、ジュリー・ロンドンが歌う「クライ・ミー・ア・リバー」のレコードを買ってきて、楽屋で聴いていた。
するとそこに、ひばりがやって来て「何これ、いいわね、ちょっと貸して」と言ってレコードを持っていってしまった。
そして、翌日のリハーサルで「あの歌を歌うから伴奏して」と急に言い出した。
音をとるのが大変で、みんな真っ青になって演奏。
ところが演奏が終わると、アメリカの将校が来て、「すごい歌を聴いた。あんなに歌える日本人がいるのか。発音も素晴らしかった」と。
「彼女は英語が分からないよ」と、通訳すると「ウソだ、からかうな」と怒ってしまった。
実際ひばりは、英語などまったくできなかったのだ。
「レコードを一晩聴いただけで歌ったんだ」と説明しても、将校はまったく信じてくれなかった。

うーん、やはり美空ひばりってえのは、好きか嫌いかは別として、過去最高の歌手なんだろうね。


2016年7月18日月曜日

陽射しは弱いが暑かった。

夏の陽射しはそれほど強くはなかったが、気温は高く楽ではなかった。
こういう日は引きこもるに限るとばかり、一日中家に引きこもっていた。

トルコのクーデターが失敗した理由をニュース番組で説明していた。
そには3つの理由があると言う。

①クーデターを起こした軍の統制がとれていなかった。
②大統領を拘束できなかった。
③市民の賛同を得られなかった。

大体51万人の軍隊のうち、動いたのが数千人というのだから、これはチョイト無理だろう。
また大統領が避暑に行っていたホテルを攻撃したが、それは大統領が脱出してから30分以上もたっていたという。
ニュース映像でも流れていたが、市民が戦車を取り囲み、中の兵士を引っ張り出していたことからも、いかに市民の賛同が得られていなかったかが窺い知れる。


2016年7月17日日曜日

エルドアン大統領とギュレン師

昨日のトルコのクーデター未遂について、不思議に思ったことがいくつか今日の新聞で理解することができた。

まず、エルドアン大統領と、今回のクーデターの黒幕と言われるギュレン師について。
ふたりとも昔は同志であったようだ。

1923年のトルコ共和国建国以来、軍は厳格な政教分離で、公の場から宗教色を排除する世俗主義を自認していた。
(もともと、トルコはガチガチのイスラム国家ではなかったんだね。)
ところがエルドアン大統領が経済政策で成功し、「独裁色」を強めるにつれ、彼は公の場でもイスラム重視を語るようになった。
たとえば、公約機関でのスカーフの着用や酒類販売の規制強化など、宗教色を前面に出すようになっていったのだ。
(ガチガチのイスラム国家に近づき始めたわけだ。)

一方、ギュレン師は世俗主義(政教分離で公の場からは宗教色を排除する)とイスラム教は矛盾しないとする、どちらかというと穏健な思想を持つ。

後に、エルドアンから追われたギュレンはアメリカに亡命。
今回、クーデターを試みた軍の勢力は、ギュレンが提唱する「ギュレン運動」に傾倒していたとされる。
結果は国民の圧倒的な支持を受ける、エルドアン大統領側の勝利ということだが、ギュレン師の方は、クーデターへの関与を否定しており、大統領側が反勢力を一掃するために仕掛けたとの陰謀説もあるそうだ。


2016年7月16日土曜日

トルコでクーデター

ここのところ、世界が騒がしい。
フランスのトラックを使った無差別テロに続いて、今日はトルコで軍部によるクーデターの未遂事件があった。

トルコの内情についてはまったく無知であったが、今日のクーデター事件のことを新聞で読んでみると、なんとなくその背景が分かるような気もする。

構図としては、どうやらエルドリアン現大統領の政敵、イスラム説教師ギュレン(この政敵は現在アメリカに亡命中)が、アメリカから軍部を煽って実現したクーデターのようである。
ただ、よく分からないのは、現大統領はイスラム重視の政策をとっている。そこにイスラム復興をめざすイスラム説教師がクーデターを仕掛ける。
なんだかわけが分からん。
同じイスラムでも、派によって考え方が違うのだろうね。
また面白いのは、説教師を亡命させた国のアメリカが、エルドリアン大統領を支持しているというのだから、ますます分からん。

2016年7月15日金曜日

送電線

七月もあっという間に半分終わってしまった。
今夜はもうプロ野球のオールスター戦をやっているのである。
驚くべきは、試合前のホームラン競争でファイターズのピッチャー大谷選手が優勝してしまったことだ。
ピッチャーがホームラン競争で優勝してしまうなんて。
「天はニ物を与えず」というが、彼にはニ物も三物も与えているようだ。

昨日、今日と、写真は「送電線」を載せてみた。
実はワタシは「送電線フリーク」なのです。
というのは冗談だが、「送電線」の造形にはとても興味がある。
ある意味愛着も持っているのだ。
写真の「送電線」は、通勤途中に見つけた、沼津市と長泉町の境目あたりにある「送電線」である。
なんと堂々とした姿なんだろう。
ほんとうに惚れ惚れしてしまうのである。




2016年7月14日木曜日

今日も暑かった

今日もまた暑かった。
七月に気温三十度以上を記録する日が何日もあるとは、やはり今年の夏は暑くなるのでしょうかね。

さて、昼間の暑さとはことなり、夜は一転して、雷に激しい雨。
荒れた天気となる。
関東地方の何箇所かでゲリラ豪雨があったもよう。
ゲリラ豪雨など、かつては多くなかったような気がするのだが、これも地球環境の変化なんでしょうかね。



2016年7月13日水曜日

羊と鋼の森

故あって、「羊と鋼の森」という本屋大賞の本を読んでみた。

本の帯びにはこのように書かれていた。
ピアノの調律に魅せられた一人の青年、彼が調律師として、人として成長する姿を温かく静謐な筆致で綴った、祝福に満ちた長編小説。

およそ、250ページほどの小説であるが、40分弱で読むことができた。
(ワタシは斜め読みの技術を持っているのです。)

この小説の主人公に絡んで行くのが、将来ピアノのプロフェショナルを目指す双子の姉妹である。
ン?
ピアノ?
ン?
双子?

どこかで聞いた話だぞ、と思いながら読みすすめると、私の好きな作家、原民喜も登場してきた。
小説の中で、民喜の言葉が重要な役割を担っているのだ。

「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しい現実のようにたしかな文体」
これは要するに、小説家原民喜の目指す文体なのだろうが、調律師の目指す究極の音を表現しているのだろう。

うーん、なかなか奥が深いぞ。


2016年7月12日火曜日

三度(みたび)ビル・エヴァンス

三度ビル・エヴァンスである。
今日、図書館に行くと、中山康樹の「エヴァンスを聴け!」という本があった。
以前にもブログに書いたのだが、御殿場図書館には時々「エッ」と思うような本があるのです。

家に帰って早速読み始めたのだが、これが結構面白い。
ほんのサワリだけを紹介してみる。

ビル・エヴァンス(本名ウイリアム・ジョン・エヴァンス・・・ウィリアム・ジョンが何故ビルなんだろう?)は1929年8月16日、ニュージャージー州プレインフィールドで生まれた。
ウェールズ系の父親とロシア系の母親、そして2歳年上の兄との4人家族。
その兄がピアノを習っていたことからヴァイオリンに手を染め、しかし兄が受けていたレッスンに付き合ううちにピアノに転向した。
面白いのはピアノは後に、ドッグ・ブラウンという盲目のピアニスト兼レスラーからレッスンを受けたことである。
エヴァンスのピアノの才能は、このあたりから目立ち始め、地元では「フィンガーズ」とも「88キーズ」とも異名をとるほどの神童ぶりを発揮した。

うーん、なかなかだぞ。

2016年7月11日月曜日

再び「モントルー」

今日もまた「ビル・エヴァンス」を聴いてしまった。
先日ブログで書いたのは、1970年の「モントルー・ジャズ・フェスティバルⅡ」であったが、今日は1968の「モントルー・ジャズ・フェスティバル」である。
ビル・エヴァンスのピアノの特徴というのは、一言で言えば「リリカルなタッチであるが、この「モントルー」ではⅠにしろⅡにしろ「かっこよさ」なのである。
何はともあれ、「ガンガン」弾いている。

ジャズ評論家の中山康樹はこう言っている。
「他のピアニストが絶対に思いつかないような洒脱でハードボイルドなフレーズを間断なく弾き続け、そこには停滞も質的低下もない。つまりエバンスの演奏とは、すべてが『かっこいいフレーズ』によって構成されている。」

うーん、その通りなんだよな。









2016年7月10日日曜日

参議院選挙

参議院選挙の投票日であった。
ワタシも御殿場の投票所に出かけたのであるが、ちょうど高校生らしい若者の姿も見え、今回から始まった「18歳以上に投票権」が、実感できた。

果たしてN西の投票権のある生徒は、投票に行ったんでしょうかね。

今回の選挙は「憲法改正」に関わっていく大きな選挙のような気がするのであるが、国民全体のムードは、どうもそのような重大さが感じられないようである。


2016年7月9日土曜日

「マシューランド」


「マシューランド」というスペイン映画を観た。
スペイン映画は(スペイン映画だけでもなかろうが)、映像が印象的なのである。

スペインの田舎町を舞台に、連続少女惨殺事件を追う二人の刑事の目を通して町にうごめく深い闇を描き、スペインのアカデミー賞にあたるゴヤ賞で作品賞・監督賞など十部門を獲得したクライムミステリーなのだそうだ。

「マシューランド」とは、湿地帯のことで、この映画の主題たる「人間の心の闇」を意味しているようだ。
ストーリー自体はよくあるやつで、二人の刑事の設定はベテラン刑事と若い刑事、さらにベテラン刑事の方は、過去に他人には言えないような闇をもっている。
この二人の刑事が衝突しながらも、事件を解決していくといった設定である。

さて、最初に映像が印象的と書いたが、今回の映画は田舎の景色を空の上から俯瞰するように描いている。
それが何か不思議な模様のように見えるのだ。
さすが有名な画家を多く輩出している国だね。














2016年7月8日金曜日

期末テスト最終日

N西では期末テストの最終日であった。
今回の試験では、ワタシの担当している古典が最終日となったので、採点を考えると、そりゃあもうタイヘン。
ともかく、採点する時間がないのじゃ。
まあ、採点というのはタイヘンだけでなく、どのくらい頑張ったかなと、確認が楽しみでもあるのですがね。

九州の方で大雨をもたらした雲が明日は本州までやって来るとのこと。
明日は学校で模試がある。
朝から大雨ではないようだが、生徒諸君も通学には十分注意してくださいな。

2016年7月7日木曜日

バランス

昨日、一昨日と沼津の方へ足を向けなかったので、久しぶりの学校であった。
やはり、人の顔を見てしゃべるということは大切なこと。
特にもうすぐ高齢者といわれる歳に達するワタシなどは、人と話すことはとても大事なことと、位置づけなければなるまい。

学校ではSさんから「ずんぶり浸る展3rd」の案内ハガキとポスターを受け取る。
いよいよ今年の「ずんぶり」のスタートである。

今年のコンセプトは「綱引き」。
「ずんぶり」は、言ってみればワタシとSさんの「綱引き」なのだ。
どちらへ引き寄せるか、勝負なのである。

もっとも、一番良いのは両方の力が均衡した時なのかも知れない。
これが所謂「バランス」というやつなのだろう。
何事も「バランス」だよね。



2016年7月6日水曜日

「寂れる」と「廃れる」

テレビを観ていると、「寂れる」という言葉がでてきた。
意味は
景気が悪くなって(魅力が無くなって)人が集まらない状態になること。

ところで、この「寂れる」と似た言葉で、「廃れる」という言葉もある。
意味は
①使われなくなる。
②行なわれなくなる。
③それまでなんとか保っていた面目や名誉が失われる。


「街が寂れる。」とも「街が廃れる。」とも言うような気がするが、その違いは「人がいない状態」が寂れるであり、「人がいなくなり、街が使われなくなる状態」が廃れるなのであろう。

まあ、辞書だけの意味を考えると、こんなものですかね。

2016年7月5日火曜日

イエスタディ

先週、ビートルズ特集の番組があったのだが、それに触発されて今日は再び以前録画しておいたビートルズの「レッド・アルバム」を観た。

今さらながらポール・マッカトニーとジョン・レノンの作曲家としての才能には驚く。
ただ、ポールとジョンの作曲の仕方にはかなり差があるようだ。
ポールが感覚にまかせて楽々と作曲するのに対して、ジョンの方は苦しみながら、そして攻撃的な作曲をする。作曲のためにはアルコールや瞑想、さらにLSDにまで手を出してしまうといった「生みの苦しみ」を経験したりもする。
それは自分の命を削るような作業だ。
一方、ポールの方は楽しそうに、あっという間に曲を作ってしまういう。

有名なエピソードがあの名曲「イエスタディ」だ。
この曲はポールが就寝中に出来上がったのだと。
朝、起みると頭の中に曲が出来上がっていた。
あまりに簡単にできてしまったので、周りの人間にその曲を披露して、過去に聴いたことがあるかどうか確認したところ、誰も聴いたことがないと言う。
そこで、その曲を自分の曲とした。
なんと、最初この曲には「スクランブル・エッグ」なるタイトルが付けられていたそうだ。
「スクランブル・エッグ」ではきっと流行らないだろうね。

写真は「イエスタディ」の入っているアルバム「HELP」

2016年7月4日月曜日

暑い

暑い。
隣の山梨県甲州市では37.8度だったという。
いよいよ、夏本番か。
今年の夏も暑くなりそうなのである。

今日は本年度の台風1号が発生した日でもある。
1号の発生時期としては、かなり遅い時期らしい。
そして、このように遅い時は、台風の発生する数はすくないのだと。
さてさて、今年の台風の数はどうなるやら。

ところで、暑いの「暑」はもともと「煮」であるという。
暑くて物を煮るようだからだという。
へー、そうなんだ。
今日などは、まさに鍋で煮られているような感じだものね。




2016年7月3日日曜日

バングラディシュ

睡蓮の左横に黒い点のように見えるのは蜂である。
たまたまレンズを向けた時に飛んできた。
花弁が大きいので、きっとその蜜も多いのだろうなあ。

7月1日(金)にバングラディシュのダッカにおいて、日本のJICAのプロジェクトに携わっていた職員7人を含む、20人が射殺される事件が起きた。
外国で日本人が射殺された事件では最大級のものだろう。
犯人についてはISが犯行声明を出しているという。

ひどい話だ。
無抵抗の人間を殺すとは。
人に悖(もと)る所業とはこのことだろう。
神がこのようなことを許すはずがないではないか。
たとえそれが、どのような神でも。





2016年7月2日土曜日

ワルツ・フォー・デビー

Waltz for Debby昨日はビル・エヴァンスの「モントルーⅡ」というアルバムについて書いたのだが、ビル・エバンスの最高傑作と言えば、やはり「ワルツ・フォー・デビー」であろう。
「モントルーⅡ」を聴いたあとに、どうしても「ワルツ・フォー・デビー」が聴きたくなり、早速聴いてみた。
この二つのアルバムの共通点は、どちらもライブ録音であるところだが、聞き比べると、演奏も録音も、これはもう圧倒的に「ワルツ・フォー・デビー」のほうが優れている。
「なんと言っても、ベースがスコット・ラファロだもんね。」
エディー・ゴメスも上手いんだが、ビル・エヴァンスへのフィットとなると、ラファロにはとてもかなわないだろう。
ただ、悲しいことは、スコット・ラファロはこのライブの数日あとに、自動車事故で亡くなってしまったことである。

さて、ニューヨークの「ヴィレッジ・ヴァンガード」というライブハウスでの録音であるが、実はこのライブハウスの下には地下鉄が通っており、電車の通過する音がこの録音に入っているのだ。
ニューヨークの地下鉄なので、当然通過する電車の本数は多く、何カ所かでその音が聞こえるのだと。(これは有名な話)
残念ながら、私の再生装置ではすべてを聞くことができないが、「おおーこれか」というところは、あることはあるのである。


2016年7月1日金曜日

モントルーⅡ

モントゥルーII
ビル・エヴァンスの「モントルーⅡ」というアルバムが欲しくなって、セブンネットで購入した。

早速聴いてみたのだが、以前聴いた時に「おおー、なんていい音だ。」の感動少なく「それは何故だろう?」の疑問に変わった。
それはどうもベースの音割れに原因があるようだった。

このアルバムは1970年にジャズフェスティバルが行われたスイス、モントルーの地元の放送局の録音だという。うーん、その辺が原因だったか。

さて、音割れのベースであるが、奏者はエディ・ゴメスというベーシストである。
実は遥か昔、私が大学生であったころ、東京の新宿だったか、郵便貯金ホールというところで、ビル・エバンストリオのコンサートを学生の友人と、聴きにいったことがある。
その時のベーシストがエディ・ゴメス。
いい音だなあ、上手いなあと、感動したものだ。

おおー、郵便貯金ホールのコンサートは1973年なので、この三年後だったのだと、今更感慨にふける私であった。