2016年12月31日土曜日

今年もあと数時間

今年もあと数時間。

国民的行事の「紅白歌合戦」にはあまり魅力を感じる歳でもなく、(大体、乃木坂とか欅坂とか分からんし、演歌歌手も初めて名前を聞くような歌手ばかりだったのだ。)さて何を見ようかと、チャンネル動かしていたところ、総合格闘技の番組があった。
おおー、これかと見はじめたところ、格闘技はなかなか面白い。

中でも特に興味を引いたのが、シュートボクシングの女王、強すぎて美しすぎるのキャッチフレーズを持つ「RENA」という選手の試合だった。
外国人選手を相手に、ほぼ完璧な試合をして勝利したのである。
うーん、やはり強すぎて美しすぎるだなあ。

さて、今年の総括の言葉であるが、一言で言えば「痛い」であろう。
車をぶつけて「精神的(金銭的)に痛かった」し、テニスで靱帯を痛めて「肉体的にいたかった」、そして駄目押しは転んで頭を打って、「精神的にも肉体的にも痛かった」のである。






2016年12月30日金曜日

きゃりーぱみゅぱみゅ 「最&高」

札幌で知り合った金魚ちゃんからメールあり。
このブログを見てくれているとのこと。
それにしても北海道の人は、どうしてみんなおおらかなんだろう。
羨ましい限りである。

日本レコード大賞の発表番組を見ていると、ビジュアル系歌手のきゃりーぱみゅぱみゅが登場。
「最&高」という曲を歌っていた。

「最&高」ですぜ。
「にんじゃりばんばん」以来、その歌詞のインパクトの強さに感心していたのだが、中田ヤスタカ君、またやってくれましたね。

なんと言っても二字熟語をその真ん中でぶった切ってしまったのだ。
これはもう驚愕という他無い。
四字熟語であれば二字づつに切っても、二字の意味として、結構独立した意味での解釈が成り立つ。
例えば「傍若無人」であれば、それぞれ「傍若」と「無人」として意味を成すのだ。

しかし、「最高」という二字の場合は、「最」は「高」という文字を修飾しており、「最」&「高」なると、(&は等位接続詞であるが故)意味は「最」と「高」を並列させることになるのだ。
これでは意味がまったく通じないではないか。

ワタシはこの歌詞にケチをつけているのではない。
むしろ、その逆である。

今までのセオリーをまったく無視した斬新さに感心しているのである。
下の歌詞を見てもらうと分かるが、「最&高」が繰り返される部分は、奇数行の「最&高」に言わば「掛け声的」な意味を持たせ、偶数行の「最&高」には「&」を取って、「最高」の意味を与えている。
つまり、「最&高 みんなと今日は最高になりたいわ」と、なるのである。

うーん、なかなかやるな。



    作詩・作曲 中田ヤスタカ
    
    「最&高」

2016年12月29日木曜日

たんこぶ

27日に宿泊した札幌の「京王プラザホテル」の窓の外を見ると、写真のような景色が見えた。
なんでも、鉄道写真を撮る「撮り鉄」という人達には人気の部屋だとか。

さて、昨日は凍結した道路で転倒したことを書いたのであるが、その時に頭の後頭部を地面に打ちつけ、目から火花の思い、さらに「たんこぶ」まで出来てしまった。
身体のバランスを保つことが出来ずに転倒したのだろうが、歳には勝てないものだ。

ところで「たんこぶ」の「たん」とは一体どのような意味があるのだろうか。
ちょいと調べてみた。

「たんこぶ」が打撲などで、盛り上がった部分を指すのに対し、「こぶ」は臓器に出来るものや、物の表面の膨れあがった部分、あるいは紐の結び目など、幅広い使い方をされるため、それらと区別をするために「たん」を付けたということだ。
この「たん」は「叩く」の意や、叩いた時の音「タン、トン」。
「こぶ」の色から赤色を意味する「丹(たん」、また多くは頭に出来た「こぶ」のことから、「頭(とう)」の音変化と、いろいろな説があるらしいが、決め手はないようだ。

2016年12月28日水曜日

北海道神宮の奇跡

北海道最後の日。

今日はやや遅く起きて、北海道神宮まで出かけた。
ここは円山公園という言ってみれば、東京の神宮外苑のようなところである。
神宮は年始に備えて、いろいろな準備をしているところであった。

さて、ここから北海道の回転寿司でも食べようかということになり、寿司屋にむかったのであるが、道路が数日前に降った大雪により思うように歩けない。
さらに、道路自体が凍結しており、非常に危険な状態であった。

よせば良いのに、寿司食べたさにその凍結した道路を歩き始めたのであるが、案の定ワタシは途中で滑って転び頭をもろに打ってしまった。
また、転んだ瞬間に北海道神宮で購入してきた「トリの十二支お守り」が道路に投げ出された。
悪い時は悪いことが重なるもので、その投げ出された「お守り」の上を車が通過したのである。
ところが、ところがである。
おそるおそる中を見てみると、なんと「お守り」は無傷だったのだ。
勿論、「お守り」を入れてあった箱はぺちゃんこ。
これは奇跡という他はないのである。

北海道神宮の奇跡だ。


2016年12月27日火曜日

約束

今日は10時に人と会う約束をしていたのだが、交通機関の乱れによって相手の方が若干遅れることになってしまった。
実際には10分おくれるかどうかといった程度であったのだが、こちらに気をつかってくれて遅れる旨のメールを送信してくれた。
年は若いのに心のこもった応対にオジサンは感動したのです。

人間斯くありたいものです。                          

2016年12月26日月曜日

懲り懲り


いやはや、トンデモナいスキーとなってしまった。
札幌の大雪のおかげでこの地方の交通は大混乱。
要は二車線の道路が一車線になってしまったのだ。
道路は渋滞の連続。
スキー場まで普通一時間半の道のりが三時間。
帰りはもっと酷い状態で、一時間の道のりがなんと四時間かかったのです。
こんなスキーはもう懲り懲りなのです。


2016年12月25日日曜日

札幌市時計台

今年も北海道スキー。
実は昨日までビクビクの北海道スキーであった。
この数日間、北海道は大荒れの天候で、昨日、一昨日などは千歳空港の飛行機発着が乱れに乱れていたのである。
私も思わず祈ったものだ。
どうにか天候が回復して下さい。

さて、その祈りが神様に通じたのかどうか。
今無事に札幌のホテルに居ることができている。
これはきっと日頃の心がけが良かったのだろうと、自己満足している私であった。

2016年12月24日土曜日

クリスマス・イヴ

Christmas Singers Unlimitedクリスマス・イヴである。
恥ずかしながらクリスマス・イヴの「イヴ」の意味を自覚していなかった。

「イヴ」(eve)とは「evening(晩)」と同義の古語「even」の語末音が消失したものであるという。
なるほどね。
「イヴニング」の「イヴ」なのか。
これが転じて、12月24日全体を指すこともあるのだと。

まあ「クリスマス・イヴ」が24日全体のことを指すなんてえのは、日本だけのことなんだろうが、この日はすっかり日本に定着してしまったようだ。

左のアルバムは、ジャズでクリスマスによく聴かれるアルバム。
「ザ・シンガーズ アンリミテッド」の「クリスマス」である。






クリスマスとイブ0








2016年12月23日金曜日

阿多野天神

御殿場の隣町、小山町にある阿多野天神の鳥居である。
この天神の横には小山町の文化センター(金太郎会館)があり、図書館であるとかコンサートなどが行なわれるホールを併設している。

そういえば、かつてここで「ニューヨーク・ジャズ・クィンテット(MJQ)の演奏を聴いたなあ。

天神といえば学問の神様、菅原道真を祀った神社である。
その天神の横に文化施設である「金太郎会館」があるというのも、妙に納得がいくなあ。

2016年12月22日木曜日

忘年会

N西は忘年会。
この学校の忘年会は出席率が高い、きっと教員どうしの仲が良いのであろう。

場所は伊豆長岡温泉の「大観荘」という老舗旅館、老舗というよりも古い旅館と言ったほうが良かろう。
いろいろなところで老朽化が目立っていた。

笑ってしまったのは、トイレのドアの表示板が斜めに傾いでいた。さらに用をたして、手を洗おうとすると蛇口のレバーがとれてしまった。
ここまでくると、腹を立てるよりも笑ってしまうのである。

ただ、宴会の料理はまあまあで、満足のいくものであった。

新潟県の糸魚川で大規模火災。
百軒以上の家屋が燃えてしまったということである。
現在もまだ完全消火はしておらず、被害の全容は分かっていない。

2016年12月21日水曜日

自然治癒

N西のインフルエンザはまだまだ終息には向かっていないようだ。
やはり、団体生活をおくる学校という集団は、インフルエンザのウィルスにとっては恰好の攻撃目標なのだろうね。

インフルエンザを治す方法というのは、実は自然治癒しかないそうだ。
よく治療薬として用いられる「タミフル」とか「リレンザ」は治癒薬ではなく、ウィルスの増殖を抑えるための薬ということである。
やはり、人間が本来持っている治癒力というのは大したものですね。

メキシコで花火工場の火災があり、火が火薬に引火して大爆発を起こしたというニュースあった。
ニュースのテレビ画面を見ていると、まるで作られた映画のように見えたのは何故だろう。

ニュースの映像が投稿のように思えたのだが、きっと最近のスマホのカメラ機能がすごいのだろうね。
ほんとうに、死者が何人も出る悲惨なニュースなのに、不謹慎にも、その映像の美しさに見とれてしまったのはワタシだけだろうか。

2016年12月20日火曜日

無責任講座

御殿場図書館より古典文学講座講師のオファーあり。
おお、もう一年経ってしまったかと、時間の流れの早さを実感した。

去年は「現代文無責任講座」と銘打って、何が何やら分からぬ間に二回分の講座を何とか切り抜けたのであるが、今年は二回目であり、「いい加減なことはできぬぞ」の緊張感あり。

とは言ってみたものの、タイトルはやはり「古典無責任講座」だ。

普段高校生を相手にしているワタシが、ワタシよりもはるかに年上の受講生に、どこまで「無責任」が通じるか。

これは勝負なのである。


2016年12月19日月曜日

おカネ報道SP

N西では今インフルエンザが猛威を振るっているようである。
チョイト前にF高でインフルエンザが蔓延してしまい、登校禁止の措置がとられたというニュースがあったばかりであったが、インフルエンザは本当に恐ろしいものだ。

NHKの「クローズアップ現代」という番組を見たが、日本の銀行のいやらしさに聊かげんなりした。

金利の引き下げにより、だぶつくお金の融資先として銀行が一番大事にしているのは、不動産投資であるという。
銀行は元手がなくても個人の不動産投資にどんどん融資をしているのだそうだ。
理由は、もしその個人投資が失敗しても、不動産を担保にしているので、その不動産をとりあげてしまえば損はないという考え方だ。
自分たちが損をしなければそれで良いという考えが見え見えなのである。
一方、将来を見据えた優良な会社であっても、そこにはなかなか融資しない。
チョイトでもリスクがあれば、それを最優先させる。

こんな調子では日本の未来はないですね。


2016年12月18日日曜日

クラブワールドカップ決勝戦

FIFAクラブワールドカップの決勝戦を観た。

鹿島アントラーズの善戦が光った。
2対1と逆転した時にはイケると思ったのですがね。
レアル・マドリードをあと一歩のところまで追い詰めたことは事実である。
しかしながら最後は選手の収入の差か。
延長戦でロナウドに2発決められてしまい、万事休す。
(「休す」を「窮す」と書くのは誤り)
「休す」とは「休む」とか「憩う」の意味ではなく、「すべておさまる」という意味である。

まあ、レフリーに対しての疑問は残るが。
残念。

厳しい寒さと、その寒さの緩みが、交互にやってきてなかなか過ごしにくい今日この頃である。
明日から金曜あたりまで、寒さが緩み暖かくなるとのこと。









2016年12月17日土曜日

ロシアからのアクセス

昨日のことである。
何故だか分からないが、このブログ、「は」の字日記に対して、ロシアから信じられないほどのアクセスがあった。
プーチン大統領の訪日と関係があるのだろうか。
それともロシアの誰かが、日本に大きな興味を急に抱いたのだろうか。
ロシアには知り合いはいないはず。

うーん、謎だ。

我が家の洗面所の蛇口が突然壊れた。
水道の蛇口なんてえものは、普段はあまり気にすることはないとおもうが、この蛇口というもの、購入するとなると意外に高価であることを認識する。

安いもので三万円から四万円、高いものになると七万円から八万円ほどするのである。

うーん、これは驚いた。


2016年12月16日金曜日

「君の名は」のプロデューサー

朝のテレビ番組にアニメ「君の名は」をプロデュースした川村元気という人物が登場していた。
すでに「電車男」「告白」「モテキ」「バケモノの子」などの映画を手がけており、現在の日本映画界で最も注目を集めているヒットメーカーだという。

さて、彼の話の中で非常に興味を覚えたのは、「何かを得るためには、何かをを失わなければいけない」というテーマの話であった。

彼が以前、携帯電話を落とした時に、電車の中で何もやることがないから窓の外を見ていて、虹が見えたことがあった。
他の人はというと、みんな携帯をいじっていて、虹に気づいていない。そこで彼は思ったそうである。
「何かが(携帯が)なくなることで見つかる景色ってあるんだな」と。

既成の価値観を捨てることによって、新しい世界が見えるということはよくあることだ。
彼は「価値観を捨てるための一人旅」をよくするそうだが、彼の原点はきっとそこにあるのだろう。









2016年12月15日木曜日

杜陰(もりかげ)


N西の同窓会を「杜陰(もりかげ)同窓会」という。
なかなか素敵な名前ではあるのだが、この「杜陰」の「杜」の意味がよく分からない。

「杜」とは辞書で見ると、「森」と同じとある。
では「森」とは何か?
「森」とは、「遠くから見ると濃い緑が盛り上がって見え、近づいて見ると日のさすことがほとんど無い所の意」のことらしい。
また、まわりに比べて際立って高く大きな木が茂っている所でもある。
さらに、わが国では、多く神社や旧家が有って、その一帯が四辺から顕著に区別されるところともある。
(わが国では云々の意味は、如何にも三省堂の明解国語辞典らしい意味だね。)

要するに、「遠くから見ると、高く大きな木が濃く茂っている」所なのだ。
これが「杜」である。
しかしながら、N西のある場所はどう考えても「高く大きな木が茂って」いる場所ではない。
すぐ傍にあるのは「千本松原」という「松林」ではないか。

もっとも「杜」というのは、古来「神の来臨する」所らしいので、N西の生徒は「神」と考えるとツジツマがあうのかもしれないね。

(写真は富士吉田の漣神社)

後日談。
「杜陰」の「杜」はやはり神社であった。
かつてN西が立地していた場所は、現在の山王神社の近くであったという。
現在のように海の近くではなかったのだ。


2016年12月14日水曜日

クラブワールドカップ

南米王者アトレチコ・ナシオナルとJリーグチャンピョン鹿島アントラーズによるクラブ選手権準決勝の試合があった。

大方の予想に反して、アントラーズが3対0で勝利してしまった。
「してしまった」とは失礼な言い方であるが、実際、過去のJリーグチャンピョンはベスト4止まりを何回も繰り返してきたのである。

ボール支配は圧倒的にアトレチコのほうが上回っていたのであるが、これが勝負の怖さというもの。
前半のラッキーなPKで1点を取ったかと思うと後半は完全にアントラーズペース、結果的にはアントラーズの圧勝だったのである。

こんなこともあるのですなあ。


2016年12月13日火曜日

成績でもつけようか。

つい最近まで、ファンヒーターの助けなど必要なかったのであるが、ここニ、三日は本当にお世話になっている。
急激に冬がやってきたようだ。

もっとも今年は、御殿場もすでに積雪を記録しているので、こんなことに驚いてはいられないのだろう。
何れにしろ、冬がやってきたことはマチガイないだろう。

週休日の火曜日。

時間があるので二学期の成績でもつけようと思っていた。
しかし、である。
肝心なデータを昨日学校に忘れてきてしまって、結局N西までそのデータを取りに行く。
なんてこったである。
どうも「老い」というのは「忘れる」ことらしい。

今更ながらではあるが。



2016年12月12日月曜日

「無理に言葉にしなくていいさ。」

ちょっと前に撮った自宅の紅葉である。
今年は自前で紅葉を楽しむことができたのであった。

「無理に言葉にしなくていいさ。」

今日、テレビのコマーシャルを見ていると、こんな台詞があった。
大和ハウスのコマーシャルで、中年夫婦の夫であるリリーフランキーが、急に旅に出てしまった妻からの電話に応える台詞である。

妻は何か理由があっての旅なのだろうが、人間というものは、言葉にするとかえって正しく説明できない場合もある。
そこの心理を極めて的確に表現しているのが、この「無理に言葉にしなくていいさ。」ではなかろうか。

なかなか味のある言葉でる。







2016年12月11日日曜日

ウィルキンソン・ミキシング・グレープフルーツ

「ウィルキンソン・ミキシング・グレープフルーツ」という炭酸飲料を飲んでみた。

先日、ディスカウントスーパーの「ドン・○○ーテ」でナント1本38円の値段で販売していたのである。
1本38円だと、販売利益であるとか原価ってのはどのくらいになるのでしょうかね。

さて、その「ミキシング・グレープフルーツ」、ボトルにはこのように書かれている。
Supervisor TOSHIYUKI WASHIZAKI (N.B.A.推薦、新進気鋭のバーテンダー監修。グレープフルーツにハーブ&ハチミツフレーバーをMIX。ほどよく甘く、強めの炭酸に仕上げました。)

ウィルキンソンと言えば、強めの炭酸、特に特にジンジャーエールは強烈な辛さで有名なのであるが、ジンジャーからグレープフルーツの方にも進出したのだね。

チョイト前にに「濃いめのカルピスソーダ」について書いたのだが、今回は「刺激、強めのウィルソン・ミキシング・グレープフルーツ」である。
ワタシは今、濃くて強い刺激が欲しいのだろうか。







2016年12月10日土曜日

三年生最後の模試

十一月に撮った薊(あざみ)である。

以前「ずんぶり浸る展」用に、アザミの句を使いたいとSさんから申し出があったのだが、どうしてもアザミの写真を用意することが出来ず、断ったことがあった。
今だったらこの写真を使ったのだがね。

N西の三年生は最後の模試。
ワタシめも監督として参加した。

今日の模試はセンターテストの本番を想定しての模試ということで、九時半始まりの六時十分終わりという、かなりハードな模試であった。(模試の監督の先生もね。)
しかしながら、十月、十一月と、まるで模試祭りとも言うべき怒涛の月日を過ごしてこた三年生にとっては、こんなことは平気の平左、みんなしっかり受けているのでした。





2016年12月9日金曜日

クリスマスソングが・・・

毎年今頃になると、ショッピングセンターとかスーパーなどでは、クリスマスソングを只管流しているのだが、今年はどういうわけかあまり耳にしていない。
ワタシの訪れたところがたまたまそうだったのか、はたまた毎年毎年のクリスマスソングに、国民がウンザリしてきたのか、理由は分からんが、何はともあれ今年のクリスマスソングは少ないのである。
(気のせいか?)

N西では期末試験が終了。
終了後に防災教室が行なわれる。
三年生は「火災の際に発生する煙体験」というなんだか分けの分からん疑似体験を実施。
要はテントの中に煙を充満させ、その中をくぐり抜ける体験なのだが、あれは臭いが良すぎますな。
訓練用なので、人体に害のない煙を作っているのだろうが、本当の火災とはきっと程遠いものなのだろうね。

2016年12月8日木曜日

当たり前

試験の監督をしながら教室の中を見回すと、黒板の上にそのクラスのスローガンのような言葉が大きく筆で書かれていた。

「当たり前のことをしっかりと」
うん、なかなか良い言葉だぞ思いつつ、ハテ「当たり前」とは一体どういう意味だろうと考えた。
「前」という字が書かれているが、「当たり」の「前」とは何だろう。
早速、辞書を引いてみる。
「当たり前」は「当たり」プラス「前(ぜん)」である。
辞書によると、「前」は「然」のあて字。
つまり、「当然」が「当前」となり、「当たり前」となったということである。
さて、「当たり前」の「前」は分かったのであるが、では「当たり」の方は何じゃということになった。
そこでまた辞書を引く。
「当たり」とは、「当たり」とは「当(とう)」のことである。
「当」とは「道理にかなうこと」を言う。
「然」は「然り」なので、「そうだ。その通りだ。」という感動の語気だと言う。

総括すると、「当たり前」とは「道理にかなうことを、そうだその通り」と思うことなのである。
したがって、「当たり前のことをしっかりと」は「道理にかなっていることを、そうだその通りだと思ってしっかりやろう」ということになるのだ。(チョイト理屈っぽいだろうか。)

2016年12月7日水曜日

N西は期末テスト

N西では一、三年生の二学期の期末テストが始まっている。
二年生は修学旅行。
ナント、ハワイですぞ。
ワレワレのバスに乗って、日本の中部地方をウロウロしていた修学旅行とは雲泥の差ですな。

さて、今日は水曜日ゆえ水曜テニス。
膝の痛さは相変わらずであるが、動きに制限を加えると出来ないこともない。
むしろ出来ないことのストレスを考えると、多少痛くてもやった方が精神的に良いのだろう。

というわけで、午後はしっかりテニス三昧。
ああ、すっきした。

2016年12月6日火曜日

久保田利伸「Neptune」

商品の詳細

CDの棚を見ていると、久保田利伸の「Neptune」というアルバムが目にはいった。
CDの製造が1992年となっているので、今からおよそ四半世紀も前の作品である。

このアルバムには「夏の子午線」というヒット曲もあるのだが、当時はどの曲を聴いても、馴染みやすい曲だと理解していた。

さて、目に付いたついでにCDを聴いてみたのだが、これが凄い。
二十年以上前のものとは思えないのだ。
チョイト前のブログでジャズのアルバムに関しても同様なことを言っているのだが、流行廃れの速度が速いポップスの中で、今聴いてみてもまったく古さを感じさせないのは何故だろうか。

ツラツラ考えるに、それは完成された強烈なリズムのような気がする。
彼の音楽は、リズム&ブルースとかファンクとかヒップホップなどと言われている。
静岡県の蒲原で生まれ育った少年が、一体どこでどうやってあの「黒さ」を身につけたのだろうか。
不思議といえば不思議だ。

いずれにしろ、あのブラックミュージックの根幹をなす強烈なリズムが、古さを感じさせない原因であることはマチガイないと思われる。















2016年12月5日月曜日

本当の勝負

写真は富士霊園の紅葉である。
十一月の半ばくらいに撮ったものなので、今はもう散っているにちがいない。
富士霊園は、春の桜の名所でもある。
その桜の葉の落ちた木が紅葉の周りにあるのである。

さて、この時期になるとN西でも推薦入試の結果が出始める。
合格した諸君おめでとう。
まずは合格の余韻につかって欲しい。
しかしながら、合格してもツライのはこれからだよ。
周りはまだ受験勉強の真っ最中、あまり浮かれた態度はとれない。
ほんとうだったら大声で「バンザイ」と叫びたいのに。

さらに、四月の入学式までの緊張感の維持もなかなか難しい。
一般入試で入ってくる連中は、少なくとも二月までは集中してやっているのだから、四月当初に実力の差が出てしまうことも心配だ。

推薦入試で合格した諸君、四月までのモチベーションをどう保つか。
本当の勝負はこれからだぜ。

2016年12月4日日曜日

富士山撮り

以前、自宅のベランダから撮った富士山である。

富士山を撮ることはあまり好きではない。
その理由は、どのように富士山を撮っても、その写真は必ず誰かの撮った富士山に似てしまうからである。
静岡県ともなると、「富士山撮り」は山ほどいることだろう。
それだけに写真のオリジナリティーというものが保てないのだ。

おおー、ヤダヤダ「富士山撮り」は。


2016年12月3日土曜日

土佐日記の「も」

土曜講習で「土佐日記」の問題演習をやってみた。

「土佐日記」と言えば、冒頭の「男もすなる日記といふものを、女もしてみんとてするなり。」が極めて重要な部分となる。
口語訳は「男も書くものだと(かねて)聞いている日記というものを、女(のわたし)も試みてみようと思って、(こうして)書くのです。」となる。

作者の紀貫之は男性なので、最初の一文で「わたしは女」宣言をするのは何じゃろなというところがミソだ。
多くの解説には、和文使用のための仮託とある。
当時、男性が日記を書く場合漢文で書くことが通例であった。
しかしながら、日記などの心情表現には漢文よりも和文のほうが圧倒的に適している。そこに目をつけた紀貫之が女性仮託のスタイルを試したのである。

ところで、この日記の一番の凄さは、「男も」の「も」にあるのではなかろうか。
この「も」は「の」となるべきで、「男のすなる日記」となる方が理解しやすい。
先に述べたように当時の常識として、日記を書くのは公的立場の男性であり、役所などの仕事の内容を漢文体で表記した。
女性の日記など公には認められていなかったのだろう。
したがって、「男が書いているという」日記を「女の私も」書くのですよとなる。
ところが貫之は「男も」とした。
「男の」ということにすると、男のすることを主とし女がそれにならう関係となるが、そこをチョイト変えたのである。
すなわち、「男の」を「男も」にすることによって、下の「女も」と対応、両者が同類・同列であることを示したのだ。
「男も書くものだと(かねて)聞いている日記というものを、女(のわたし)も女性風にアレンジして、(こうして)書くのです。」なのだろう。

心情を吐露するような日記というジャンルに関しては、女性の方が男性よりも余程面白いものが書けますよ、ということなんだろうね。







2016年12月2日金曜日

マイルス・デイヴィス「フォー&モア」

フォア&モア

ジャズという音楽の凄さは、その「永遠の新鮮さ」にあるように思われる。

今日、マイルス・デイヴィスの「フォー&モア」を聴いてみた。
この演奏は1964年2月12日、今から52年前に演奏されたものであるが、誰かに「この演奏は昨日のものだよ。」と言われれば、そのまま信じてしまうだろう。
そのくらいこの演奏はビビッドなのである。

この日、マイルスは黒人の公民権運動推進団体が主催するベネフィクト・コンサートのためにノーギャラでステージに立つ。
場所はニューヨークのリンカーン・センターにあるエイブリー・フィッシャー・ホール。
すなわちこの録音はライブなのである。
しかしながら、CDという媒体を通して聞こえてくる音の新鮮さは一体何だろう。
天才トニー・ウィリアムスのチッチッチッというシンバルを叩く音。
後ろの方からロン・カーターの力強いベース音、そして若かりしハービー・ハンコックの知的なピアノ。このリズムセクションに刺激されたマイルスは凄まじいトランペットソロを吹く。

うーん、よくぞこの音を残してくれたと、感激してしまうのである。