2018年5月31日木曜日

八幡宮寺

昨日のNHK「歴史ナントカ(最近どうも物忘れが激しいのです)」という番組で、日本の神仏習合についての特集をやっていた。

日本に古くからある「神道」に後から文明とともにやってきた「仏教」が加わったのが「神仏習合」である。
例えば全国に数多くある八幡神社というのは、「神仏習合」の典型的な神社だという。
有名な鎌倉の「鶴ケ岡八幡宮」の以前の正式名は、「鶴ケ岡八幡宮寺」と「寺」がつけられていたそうだ。また、奈良にある「春日大社」の中には、隣の興福寺から僧ががやってきて、お経を読むための部屋があり、その空間は今でも残っているという。

「神仏」は江戸時代まで仲良くやってきたのであるが、明治時代になって、半ば強引に「神仏分離」令が出されたのである。
おそらく明治新政府の、徳川幕府と濃い関係にあった「仏教」を徹底的にたたく施策、或いは天皇を中心とする国家神道として、国民全体をコントロールするねらいがあったのであろう。

以後、「神」と「仏」は切り離され現在に至るのである。
「神棚」と「仏壇」が共存している家庭が多い実態を考えると、日本は「神仏習合」で良いと思うのですがね。

2018年5月30日水曜日

降水確率なんのその

水曜テニスは雨のため中止となるかと思っていたのだが、これが不思議、降水確率八十パーセントは見事にはずれ、テニスは最初から最後まで雨に降られることなく終了した。

しかしながら、雨予想のため愛鷹のコートは、がら空き。
従ってコート取り放題となり、二面テニスが始まったのである。
二面のコートでテニスを行なうということは、ほとんど休み無しということになる。
ジジイテニスはこんなに無理してはいけませんな。
おかげで身体は全身筋肉痛なのです。

2018年5月29日火曜日

恵比寿・大国

ここ数日、富士吉田の北口本宮浅間神社について触れたのであるが、今日も敷地内にある、もうひとつの人気パワースポットについて書いてみる。

北口本宮の祭神は、コノハナサクヤヒメ、ヒコホノニニギノミコト、オオヤマヅミノカミとされている。
しかし、本宮の裏にまわってみると小さな社があり、そこには「恵比寿社」書かれている。(右の写真)
さらに中を覗くと「恵比寿」様の横に「大国(大黒)」様もいらっしゃるではないか。
どうも「恵比寿・大国(大黒)」とこれはセットとなっているらしい。
親戚だという説も。

昨日の「稲荷(商売繁盛のシンボル)」に続いて「恵比寿・大国(これも商売繫盛の神)」の社。

ナンか神社も商業ベース盛んであるなあ。


2018年5月28日月曜日

富士守稲荷大神御寳

富士吉田北口本宮の参道にはどういうわけか「稲荷」の「お社(やしろ)」も存在している。
写真に見える社の前の赤い幟には「富士守稲荷大神御寳前(「寳」は「宝」と同じ)
」とある。
文字から考えると、富士山を守る稲荷(きつね)の神様の御寳前(神や仏の御前のこと)」とでも言うのだろうか。
勢いよく幟が立っているのは、きっとこの社にお参りをして「霊験あらたか」だった人が多かったのであろう。
幟に書いてある文字は、家内安全とか交通安全とか商売繫盛などである。

2018年5月27日日曜日

灯籠

写真は「富士吉田北口本宮」の灯籠である。
灯籠とは、庭先に据えたり、軒先に吊るしたりする装飾用の照明器具のこと。
庭先の石灯籠は時々目にするが、吊るされた灯篭というのは、あまり意識することがなかった。
物がかなり大きいので、よほど立派な神社でなければ持つことができなかったのだろう。
京都の神社などでは、よく目にしたと思うのだが。

灯籠は仏教の伝来とともに渡来し、寺院建設が盛んになった奈良時代から多く作られるようになり、多くは僧侶が用いたとされる。
平安時代に至ると、神社の献灯としても用いられるようになる。その後室内で用いるものは行燈(あんどん)、折りたたみ式で携帯も可能なものは提灯(ちょうちん)と分化したのだそうだ。
ふつう灯籠と言った場合、神社、寺院や旧街道などに多く存在する屋外の固定式を指すことが多い。

ただ「牡丹灯籠」という怪談話があるように、手で持つ灯籠もあるよね。

2018年5月26日土曜日

烏天狗

写真は昨日出掛けた山梨県の富士吉田にある「浅間神社(正式には北口本宮富士浅間神社」の烏天狗である。
何故ここにこのような「烏(からす)天狗」があるかというと、「浅間神社」は山岳信仰の神社であり、「烏天狗」は山岳信仰に関連したキャラクター(山神の化身的霊物)だからであろう。

因みにウィキペディアには次のようにある。

烏天狗は、大天狗(普通の天狗)と同じく山伏装束で、烏のような嘴をした顔をしており、自在に飛翔することが可能だとされる伝説上の生物。小天狗、青天狗とも呼ばれる。烏と名前がついているが、猛禽類と似た羽毛に覆われているものが多い。
剣術に秀で、鞍馬山の烏天狗は幼少の牛若丸に剣を教えたともいわれている。また、神通力にも秀で、昔は都まで降りてきて猛威を振るったともされる。

ただ天狗というのは、一説には仏法を守護する八部衆の一、伽楼羅天が変化したものともいわれる。カルラはインド神話に出てくる巨鳥で、金色の翼を持ち頭に如意宝珠を頂き、つねに火焔を吐き、龍を常食としているとされる。 奈良の興福寺の八部衆像では、迦楼羅天には翼が無いがしかし、京都の三十三間堂の二十八部衆の迦楼羅天は一般的な烏天狗のイメージそのものである。

うーん、元々は「仏法守護」の役目をもったものだったんだね。
それがどういう訳か(おそらく神仏混合の時代を経て)、今は「神社の守護」となってしまったのだろう。

2018年5月25日金曜日

アップルパイ

K3_24854
久しぶりに山中湖のケーキカフェ「ペーパー・ムーン」まで出掛ける。


ここはケーキが実に美味い。
特にアップルパイは特筆ものである。

アップルパイの横にはアイスクリームが添えられており、温められたパイと冷たいアイスクリームのコラボレーションが何とも言えない。
アップルパイ自体の値段も750円と、オオイニお高いが十分にその価値は認められるのである。

たまにはこんな贅沢もいいよなあ。

2018年5月24日木曜日

上がり

夜のテレビ番組で「寿司用語」についての「何故?」を扱っていた。
ふーん、なるほどと思ったのは、寿司屋で出される「お茶」を「上がり」と言っていること。
これは元々「花柳界」からきた言葉なんだそうだ。

「花柳界」では「お茶を挽く」という言葉があり、その意味は、遊里で暇な遊女が客に出す茶を挽く仕事をさせられたことから来た言い回しで、芸者・遊女・女給などが「客がなくて暇でいる」という意味の言葉であると。
つまり、お客商売の「花柳界」では、どちらかというと忌み嫌われた言葉が「お茶」である。
そこでこの業界では「お茶」のことを、縁起をかついで、「客が店に上がる」を意味する「上がり」と言ったのだそうだ。

へー、そうだったんだ。


2018年5月23日水曜日

面食らう

昨日のブログに「面を食らう」と書いたのだが、考えてみると「面」を「食らう」とは、意味的には「慌てふためくこと」だ。
そこで、この語源は一体何だろうという疑問にたどり着いた。
そこで研究熱心なワタシは早速辞書を引くのである。

さて、辞書には次のようにある。

面食らうとは「橡麺棒(とちめんぼう)を食らう」の略とされる。
橡麺棒(栃麺棒)は栃の実を小麦粉などに混ぜて麺をつくるときに使う棒のこと。栃の実を粉にして練り込んだものは固まるのが早いので、急いで麺棒をふるう必要があった。
栃麺を打つ時の急いで慌てるような様子を「狼狽する」の意を表す「とちめく」に掛けて、「橡麺棒を食らう」の形で狼狽する事態にあうの意を表すようになり、さらに、これを略して「面食らう」となった。

ふーん「面くらう」の「面」は「橡麺棒の麺」で、「くらう」は「ふるう」だったんだね。

2018年5月22日火曜日

行列の出来るレストラン

御殿場には行列の出来るレストランが二つある。

ひとつはテレビ番組などでも取り上げられている「さわやか」というハンバーグレストラン。
何でも三時間待ちとか四時間待ちもあるということだ。
この店は静岡県内しか出店しないそうで、それがかえってプレミアム感を演出しているということである。
そういえばいつも県外ナンバーの車で駐車場はあふれかえっているよなあ。

そしてもうひとつ、最近御殿場進出を実現した「いきなりステーキ」である。
なんてったって「いきなり」ですぜ。
「いきなり」なんて書かれた看板を見れば、誰だってギョッとしてしまう。
「面を食らう」とはこのことだ。
御殿場でもこの店は、「いきなり」登場して「いきなり」行列が出来ている。
今月の下旬には、沼津にも「いきなり」登場、営業を始めるようだ。

2018年5月21日月曜日

車のナンバー

考えてみると、車のナンバープレートの意味をよく把握していなかった。
そこでいろいろ調べてみると、これが結構面白い。
三ナンバーとか五ナンバーは、よく耳にする言葉であったので、車のサイズや排気量の区別だと理解していた。

さて、面白いのはプレートにある「ひらがな」である。

まず、普通自動車

  事業用→「あ行」「か行」「を」
  貸用(レンタカー)→「わ」「れ」
  駐留軍人用車両→「よ」

一般に「さ行」から「ら行」までが我々が使用する「ひらがな」となる。

また軽自動車は以下のようになる。
  事業用→りれ
  貸用(レンタカー)→わ
  駐留軍人用車両→AB

我々が普段乗る軽自動車には「あ行」から「ら行」までが使われる。
「ら行」の中でも「り」と「れ」は事業用軽自動車として分別される。

ちなみに・・・

ひらがなの中で使われない文字は「お」「し」「へ」「ん」。
  • 「お」・・・パッと見た感じで「あ」と区別がつきにくい
  • 「し」・・・不吉なものを予感させる(マンションの部屋にも4がないのと同じ)
  • 「へ」・・・おならの音みたいだから
  • 「ん」・・・発音しにくいから

「へ」はあってもいいような気もしますがね。

(写真は「時の栖」のサッカー場で撮った写真、背番号から見るとこの二人は控えの選手なんだろうが、きっと試合に出たかっただろうね。)

2018年5月20日日曜日

萌やし

我々がふだん食べている「もやし」、漢字で書くと「萌やし」と書くそうだ。

さらにこれを辞書で引いてみると、「芽を出させる意の動詞「萌やす」の連用形の名詞用法」とある。

ところで「もやし」とは、日光に当てないようににして出させた米・麦・豆類・野菜の芽なのだそうだ。
(我々が食べているのは「大豆もやし」、最近は「豆苗」と言って「エンドウ豆」の「もやし」をよく見かける。)
また大麦のもやしは麦芽といい(ふーん、そういえば「麦芽」はよく耳にするよなあ)、醸造用に使用されるという。

2018年5月19日土曜日

あり得ないこと

昨年、アメリカンフットボールで大学日本一なったチームが、トンデモナイ反則プレーを行ない(これが監督の指示であるのかどうかが問題となっている)、チーム自体これから試合ができない状況となっている。

不思議なのは、その反則が素人の我々が見ても明らかにトンデモナイ反則なのに、もっというとビデオカメラで撮られていれば、それが公開されることにより、チームはどん底に落とされる危険性があるのに、反則が実行されたということだ。(余りにも稚拙)

どうも今の世の中ってえのは、明らかにマズイ(あり得ない)ことをしているのに、そのマズイ(あり得ない)ことに対してしらを切る態度が流行っているようだ。

2018年5月18日金曜日

隘路

九時のNHKニュースで将棋の藤井六段が、今日の結果により、七段に昇格することを告げていた。
最年少記録の七段である。
スゴイなあ。

またそのニュースの中で、彼の情報処理能力の凄さにも触れていた。
例えば、ちょっと前まで中学生であった彼が、「隘路(あいろ)=狭くてけわしい道。物事をやり遂げる上での困難)」とか「僥倖(僥倖)=予想もしなかったような幸運」などの言葉を、インタビューの中で普通に使用しているのだと。

うーん、ますますスゴイなあ。

2018年5月17日木曜日

あんかけ焼きそば


「秘密のケンミンショー」という番組を見ていると、北海道小樽の「あんかけ焼きそば」というやつが出てきた。

要するにこちらでは、「かた焼きそば」の麺をやわらかくしたような「焼きそば」である。
小樽ではパターンがいろいろあって、中にはホルモン入りの味噌味というのもあった。

小樽には何度も行ったことがあるが、「あんかけ焼きそば」が小樽のソウルフードだとはまったく知らなかったなあ。


2018年5月16日水曜日

週二テニス

水曜テニスであった。

今年は月曜テニスも加わったので身体がシンドイのである。
特に今日は真夏日に近いような陽射しであり、やはりジジイには応えた。
まだ身体が週二回のテニスに慣れていないので、週三日の営業日プラステニス運動は健康に注意しなければなるまい。

これで身体を壊してしまっては元も子もないのである。

2018年5月15日火曜日

心地死ぬべくおぼえければ

現在授業で「伊勢物語」を講義しているのであるが、その「伊勢物語」の最終段(125段)は次のように終了する。

「昔、男、わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ、
つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふ今日とは思はざりしを」

(昔、男が、病気になって、死にそだと思われたので、(詠んだ歌)
最後には誰もがゆく道とはかねてから聞いていたが、昨日今日のこととは思わなかったことだよ。

「伊勢物語」は「初冠」という貴族男子の成人式の話で始まる。
これは一人の男としての人生のはじまりを語っているのであり、その後は恋の話がずっと続き、そして最後が臨終なのである。
「死」を「つひに行く道」として受け入れ、一方では「死が昨日今日やってくるとは思わなかった」と言う。
まあ、人生これが本音なのでしょうね。

しかしながら、この教材は十六・十七歳の高校生にはチョイトです。

2018年5月14日月曜日

チーズフランス?

真夏並みの気温の中、月曜テニスを行なう。
テニスやっていながら言うのもおかしいが、強い日差しの中、激しい運動をするのは健康に良くない。

夏のテニスは健康な身体を蝕むのである。

さて、テニス帰りに「時の栖」のパン工房に寄って「チーズフランス」を購入する。これは今ワタシがハマっているパンだ。
特にどうということもない、フランスパン一本をタテヨコに切って、そこにチーズをたっぷりとのせた、シンプルこの上ないパンである。

シンプルイズベスト。
これが実に美味いのである。

2018年5月13日日曜日

ウィントン・マルサリス

スタンダード・ライヴ予想通り、午後からは雨降り。
外には出られないので家で読書、以前購入していた中山康樹著「現代ジャズ解体新書」を読む。

著者は言う。
作家、村上春樹がジャズを評した文章「誰がジャズを殺したか」は、彼がジャズ業界人や評論家の住人ではないところにいる、つまり経済的利害関係にいない人間として、一読するに値する。
さて、村上春樹は「誰がジャズを殺したか」において、「誰が」の部分について具体的な触れていないが、全体を通して読めば、犯人はウィントン・マルサリスであろう。

うーん、ウィントン・マルサリスかあ。
ジャズに興味のない方に補足すると、ウィントン・マルサリスというのは、ジャズ界の優等生という形容がピッタリのトランペット吹きである。
その人間性は勿論、クラッシックの基礎をみっちり学び、テクニック、またその創造性(アドリブ)においてもピカ一の人物だ。
どこをとっても優等生なのである。
しかし、そこが「ウィントン・マルサリスの音楽はなぜ(どのように)退屈なのか?」と、村上に言われる一因でもある。
ようするに、演奏にスリルがなく面白くないのだ。
真面目に一生懸命努力しているのに、何という言われ方だろう。

もっとも、これがジャズというものなんだろうね。

2018年5月12日土曜日

ぶんぶく

ワタシの家の近所に右の写真のような看板がある。
店は現在営業していないが、看板だけが残っているのだ。

さて、それは兎も角、この看板の店名「ぶんぶく」とは一体なんぞや?
むろん、看板の絵からも分かるように、「ぶんぶく」は「ぶんぶく茶釜」の「ぶんぶく」から採ったのだろうが、では「ぶんぶく茶釜」の「ぶんぶく」とは何だろう。

看板の絵をよく見てみると、たぬきが楽しそうに踊っている。
これは昔話の「ぶんぶく茶釜」の絵だ。
江戸時代の赤本や絵本に、茶釜から顔や手足を出した狸の姿や傘を持って綱渡りをする姿がデフォルメされたことによって、そのイメージが広範にそして甚だしく笑話化されて伝えられてしまったのだそうだ。
もともとは狐の恩返しをテーマにしたものであり『日本昔話大成』の中の「狐と博労」、「狐遊女」と同種の昔話であるという。

おおー、もともとは狐なんだ。
「あらすじ」をウィキペディアで調べてみた。

古道具集めが一番の趣味である和尚さんが茶釜を買って寺に持ち帰る。茶釜を見ると汚れていたので弟子の小僧さんに茶釜を磨くよう命じるが、洗っている途中に茶釜が痛がったので、和尚さんに報告する。和尚さんは茶釜を水で満たし火に懸けたところ、何事もなかったので「雑念があるからだ」と小僧さんを叱る。しかししばらくすると茶釜が熱さに耐え切れず動き出したので気味が悪くなった和尚さんはたまたま近くを通りかかった貧しい古道具屋に茶釜を売ることにする。古道具屋はその夜奮発して鯛を買うが、食べようとしたところ鯛がなくなっていた。途方にくれる古道具屋だったが、茶釜を背負ったタヌキが「魚を食べたのは自分です」と白状する。茶釜は仲間との化け比べで元に戻れなくなったタヌキが化けたものだった。同情した古道具屋はタヌキが元に戻れるまでの間家に泊めることにする。タヌキはお礼に、綱渡りをする茶釜で見世物小屋を開くことを提案する。この考えは成功して古道具屋は豊かになり、タヌキも寂しい思いをしなくて済むようになったという恩返しの話。

「ぶんぶく」という名の由来については諸説あるという。
この茶釜はいくつもの良い力を持っていたが中でもける力が特に強くかったことに由来し、「福を分ける茶釜」という意味から分福茶釜と呼ばれるようになったという説や、水を入れると突然「ぶくぶく」と沸騰することから「ぶんぶく」となったのではないかという説もあるが、どれが本当かははっきりしていない。

うーん、ワタシとしては「福を分ける」を支持したいですがね。


2018年5月11日金曜日

御用聞き

非常勤講師という立場は、授業の時だけの顔合わせなので、実際に授業を担当している生徒との関係が何となく希薄になってしまう。

ワタシの場合、この希薄さがどうしても許せず、授業担当の当番(いわゆる御用聞き)の生徒がやってくると、何だかんだと話しかけることしている。
(これは生徒にしてみると、大いに迷惑なことなのかもしれませんがね。)
幸い当番の生徒は、皆気遣いのできるコばかりで、ジジイの質問にも嫌がらずに答えてくれるのです。
おおー、なんという幸せ。

(写真は時の栖で飼われている「木曽馬」)

2018年5月10日木曜日

オープン授業

G南は5限の授業がオープン授業となった。
6限にPTA総会が予定されており、そのための「客寄せ授業」とでもいうのだろうか。
「客寄せ」結構、でもそのために50分の授業が45分に短縮されてしまったのは、非常に痛かった。
来週は中間テストなんですぜ。

さて、オープン授業ともなると、教室の後ろや廊下に保護者の姿がチラホラチラホラ出たり入ったり、ワタシはジジイゆえ(相当ずうずうずうしくなっているのだ)、なんてえことはないのだが、気になる人は気になるんだろうなあ。

2018年5月9日水曜日

人生で消したい汚点

先週の暖かさとは異なり、御殿場ではまた冬に逆戻り、ホットカーペットの登場となった。

日本テレビに「笑ってコラえて」という番組がある。
ワタシはこの番組が好きで、よく観るのだが、今日のテーマに「今までの人生の中で、消してしまいたい汚点」というのがあった。
番組では複数人にインタビューし、その回答をオンエアーする。
最初ワタシはいろいろな回答パターンを想像していたのだが、意外とパターンは決まっていた。
ひとつは男女関係のこと、そしてもうひとつが仕事のことである。
すなわち、過去の男女関係の失敗か仕事の失敗である。

うーん、考えてみればワタシの汚点もこのパターンだよな。

2018年5月8日火曜日

月やあらぬ

現在授業をしている「伊勢物語 第四段」の中に「月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして」という和歌が出てくる。
これは主人公が昔付き合っていた女性を偲ぶ場面に出てくる和歌なのであるが、少々悩ましい。

「月や」の「や」は係助詞であり、「あらぬ」の「ぬ」が結びとなり(「春や」の「や」も同様)、係り結びが成立するのであるが、モンダイはこの係り結びの意味なのである。

「や」を使った係り結びは「疑問」か「反語」を表す。
文意により、「疑問」か「反語」かどちらかが明確になればモンダイはないが、これが両方どちらでも成り立ってしまうと困るのだ。

「や」を疑問にとれば、「去年と同じであるはずの月も春も、まるで変ったように感じられる。それは自分だけ前と同じ場にあっても、いるはずの恋人がいないからである。」となる。
一方「や」を反語にとると、「月は昔のままの月でないのであろうか(いや昔の月だ)、春は昔の春でないのであろうか(いや昔の春だ)、二つとも昔のままである。わが身も昔のままであるのに、身の上はすっかり変わってしまった。」ということになる。

要するに、「月や春」が「変わったように感じられる」のか、「変わってないように感じられる」のかということになるのだ。
これは以前より説の分かれるところであり、「教員泣かせ」の部分でもある。

まあ、ワタシとすればどちらでも良いのですがね。


2018年5月7日月曜日

コンセント

「ほとんどの人が勘違いしている言葉」で「コンセントを差し込む」というのがあった。

実は「コンセント」とは、電源などを供給するために、電気器具のプラグを接続する差し込み口のうち、壁などに固定できるもののことを言うのだそうだ。
ようするに、「コンセント」とは「差し込み口」のことである。

したがって、「コンセントを差し込む」のではなく、「コンセントにプラグを差し込む」というのが正しいと。

フーン、知らなかったなあ。

2018年5月6日日曜日

鯉幟

昨日この「鯉幟」の写真を載せるべきだったのだが、うっかりしていて今日となってしまった。

よく雛人形は仕舞うのが遅れると、嫁に行くのが遅くなるなどと言われるが、「鯉幟」も同様に婿となるのが遅れるのだろうか?
もし、そう言われないのであれば、これは男女差別だよな。

「鯉幟」を写真で撮るのは意外と難しい。
「鯉幟」の姿は風に左右されるからだ。
風をはらんでいない「鯉幟」は、それはもうだらしがない。
また、はらんだとしても、吹き流しプラス四匹の鯉がそれぞれしっかり写るには、それ相応の風が必要となるからだ。

うーん、何度撮っても難しいなあ。

2018年5月5日土曜日

ユキヤナギ

右の写真の花を「雪柳=ユキヤナギ」というらしい。
ひと月ほど前に富士霊園で撮った。

「ユキヤナギ」、ウィキペディアで調べてると、次のような記述があった。

手を掛けなくても成長し、大きくなると1.5mほどの高さになる。地面の際から枝がいく本にも枝垂れて、細く、ぎざぎざのある葉をつける。花は、3月から5月にかけて、5弁で雪白の小さなものを枝全体につける。そのさまから和名がついた。
公園や庭先でよく見かけるが、自生種は石川県で絶滅危惧I類に指定されているなど、地域的には絶滅が危惧されている。

小っちゃくてみえなかったけれど、花は5弁だったんだね。

2018年5月4日金曜日

余計なお世話

明日の東京は夏日になるとの予想が出ているそうである。
夏日となれば、観測史上二番目に早い夏日とか。
一体この日本は、イヤイヤこの地球はどうなってしまうのでしょうかね。

パソコンというのは、とても便利なものであることはマチガイないのだけれど、時に余計おせっかいがあって、とても迷惑している。

ワタシのパソコンのOSは「ウインドウズ7」なのだが、そこに「ウインドウズ10」のマワシモノがやってきて、一生懸命バージョンアップをしようとするのだ。
パソコンの能力上バージョンアップは無理なのだ。
マワシモノは、途中でそこに気づくのであるがこちらは、その間の仕事が出来ずにエライ迷惑をするのだ。

おおー、鬱陶しい。


2018年5月3日木曜日

夜明けに雷?

昨日の予想に反して、御殿場は思ったほど大雨とはならなかったようだ。
もっとも、夜明け近くには雷がひどく鳴っていたらしい。
ワタシは昨日の疲れからか、まったくその音には気づいていなかったのであるが。

憲法記念日である。
日本国憲法の前文には次のような部分がある。

「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」

どこかの大統領に読んで聞かせたい文言だよね。



2018年5月2日水曜日

テニス疲れ

予想通り夜になって雨。
未明からは大雨となるそうだ。

平日でも結構混み合っている沼津愛鷹のテニスコート、今日はどういうわけかあまり人の姿は見られなかった。
数日前からこの日は雨、という予想が出ていたからだろうか。
人がいないお陰で、我々のグループがコートを二つ貸し切り、みっちりとテニスをやった。
結果、身体はバリバリですわ。
今週は月曜テニスがあったので、今日身体休めの日でも良かったのですがね。

2018年5月1日火曜日

皐月

五月、皐月となってしまった。

「なってしまった」と、別に力む必要もないのだが、三月頃の「何となく落ち着かない時期」を考えてみると、担当している生徒の顔もだんだん分かってきたような気もするし(もちろん顔と名前は一致しない)、「気持ちも落ち着いてきたのだろう。

以前のブログを見てみると、こんなことが書かれていた。

五月は古語で皐月(さつき)。

語源辞典によると、皐月は、耕作を意味する古語「さ」から、稲作の月として「さつき」になった。 

早苗を植える月「早苗月(さなえづき)」が略され、「さつき」になったとする説もあるが、「早苗」の「さ」も耕作の「さ」が語源とされる。 

漢字「皐」には「神に捧げる稲」の意味があるため、皐月が当てはめられたらしい。


今年の四月は、かつて無いほど暑かったのだそうだ。
また、今年の夏もトンデモナク暑くなるということである。
おおー、イヤじゃ、イヤじゃ。