2017年7月17日月曜日

possession(所有)

何日か前に鷲田清一の「顔の所有」という文章をブログの話題にしたのであるが、今日は、その続きである。

彼は言う。
「顔」という現象を「わたしのもの」として所有しようとしたとたん、人は「顔」に所有される。

ここは「自己所有」の考え方が孕む問題点、つまり「所有するものと所有されるものとの関係が、たえず反転すること」を挙げている部分だ。

たとえば、ある異性を「わがもの」としようとすればするほど、その異性のふるまいや言葉、表情のひとつひとつの変化に振り回されることになる。
異性を所有しようとして、異性に所有(憑依)されてしまうということになるのだ。
英語では、「所有(possession)」と「憑依(possession)=悪霊などに憑りつかれている状態」は、どちらも動詞「possess]から派生しているという。

さて、鷲田は最後に言う。
わたしは顔を自分のものとして「領有」(我が物とすること、自己固有のものと認めること)させられる。顔はどうも、「持たない」こと、非所有のままであることを許さない現象であるらしい。




2 件のコメント:

  1. まさに鷲田の『臨床哲学』の面目躍如ですね。

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    1. 鷲田清一の文章は、朝日新聞の「折々のことば」などを見ていると、非常に分かりやすいのですが、今回のように現代文のテキストとして読む場合、生徒に説明するのは至難の業です。

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