2013年2月18日月曜日

会津藩

今日もNHKの大河ドラマ「八重の桜」観た。
主人公の「ハンサムウーマン・新島八重」のことはどうであれ、当時の会津藩が如何についていなかったが、よく分かるドラマである。
 そもそも会津藩は京都の守護にあたる任などはなかったのである。本来守護にあたるのは彦根藩であったが、井伊直弼が「桜田門外の変」で殺されてしまい、その役が会津にまわってきたのだと。
 やがて、会津藩は「蛤御門の変」でも活躍するが、その時の火事によって京都が火の海となり、京都の人々は皆、会津藩を恨んだのである。
元々の責任は、御所に攻撃をかけた長州藩にあると思うのだが。

 それにしても、会津藩というのは、殆(ほとほと=①切実に体験したり、痛切に感じたりした事を、何遍繰り返し言っても、繰り返し過ぎることは無いという心境を表す。②十中八九、そう言っても差し支えないという判断を表す。)ついていない藩なのであろう。

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