2012年5月14日月曜日

「心」という字

車の点検を午前中にせねばならず、ディーラーまで出かけた。終わるまでには、一時間以上かかるということだったのだが、待っている間に「今日はフルーツゼリーをサービスしております。」と、どこかのしゃれたケーキ屋のフルーツゼリー。「おう、しめしめ。」一緒にでてきたアイスコーヒーも堪能。「これは何かいいこことありそう。」、近くにあった新聞を取る。そこに載っていた記事がこれである。(これは果たしていいことなのだろうか。)
 「心」という字は「うら」とも読む。広辞苑によると「うら」は「(おもてに見えないものの意)こころ・おもい」と意味が書き記してある。「うらさびしい」は心がさびしい。「うらさびれる」はどこか活気なく衰えていること。
 なかなか面白い記事であった。また「心」という字も、何か意味深長な言葉である。「表情」というのが「おもて」に出る「情」なら、「心」というのは、「おもて」に出ない「情」なのだろう。人間の裏の部分でもあるし、隠す部分でもあるのだろう。「心変わり」いう言葉があるが、「心」いうものは、もともと表に現れないものだとすれば、変わったのか、変わらないのか、わからない。従ってこれは意味のないことばなのかもしれない。(これが果たしていいことだったのだろうか。)

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