2014年5月2日金曜日

嘆きつつ

 N西の古典の授業において「蜻蛉日記」の講義をしている。
「蜻蛉日記」というのは、乱暴な言い方をすると、作者「藤原道綱母」の夫、「藤原兼家」に対する「愚痴」なのだが、教科書に載っているのは「嘆きつつひとり寝る夜」という「愚痴」の典型的なところである。

さて、ここには「三夜しきりて見えぬときあり。」の記述が見える。
これは、授業において、当時の結婚形態を説明するちょうど良い箇所なのだ。
(おお、なんか先生みたいなことを言うぞ。)

「三夜しきりて」とは「三夜続けて」であり、「見えぬ」とは、「兼家の訪問がない」ということである。
ここで重要なことは、「三夜」なのである。
「三夜」は、他の女のところへ、「三夜」通ったことであり、「三夜とは他の女との結婚」を意味する。

平安時代の貴族社会では、男女が恋愛関係を持つと、新枕(共寝)の夜から三日間、女の許に通うのである。三日目の夜「三日夜餅」とよばれる餅が供せられ、二人でこれを食べ、結婚が成立する。さらに、共に「住まふ」(「ふ」は状態が継続していること。)ようになると夫婦関係を持ったことになるのだと。

「藤原道綱母」という「本朝三美人」に例えられる美人妻があるのに、他の女と結婚するとは。
美人というだけではダメなんだね。










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