2017年8月29日火曜日

『ない』ことの必要性

司馬遼太郎の「この国のかたち」の中に
「神道」について書かれた部分がある。

「神道には、教祖も教義もない。」
「神道には哲学はない。体系的な倫理も、抽象的な教理もない。しかし、そのまさしく『ない』ことによって、西洋の宗教思想の侵略に対抗できた。」

司馬遼太郎が評価した作家、小泉八雲=ラフカディオ・ハーン。
このハーンのひ孫、小泉凡氏は言う。
「ハーン、日本に来た当時、横浜に欧米の日本研究者の会がありましたが、ハーンはついに加入しませんでした。彼らはどうしてもキリスト教中心主義的目線で日本を見ている。『神道は宗教ではない』としました。聖書やコーランのような経典もなく、戒律もないためです。しかし、ハーンは『そこがいいんだ』と言う。神道は生活習慣と深く結びつき、民族の道徳基盤一切を統合したようなものしている。物の本質はハーンのほうが見ていたんじゃないかと思うんです。」

『ない』ことによって、西洋に対抗する。
まさにその通りである。
あの極めて日本の危機であった幕末期を、西洋の植民地となることなしに乗り越えられたのも、この『ない』ことよって、西洋に対抗したからである。

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