2014年10月13日月曜日

「三四郎」

夏目漱石の「三四郎」である。

九月まで掲載された新聞小説「こころ」の次は「三四郎」だった。
「こころ」においての拭いきれない違和感、つまり、「私」にしろ「先生」にしろ、どこにも就職せずに毎日を生活している。
一体収入はどこから?
親の残してくれた遺産だけで、食っていけるのか?
を感じていただけに、「三四郎」場合は、かなり現実的で、その違和感がなく、安心して読むことができている。

本日は漱石が「現代日本の開化」で同様のことを言っている「明治の思想は西洋の歴史にあらわれた三百年の活動を四十年で繰り返している。」である。
三四郎が田舎から大都市東京に出てきた時の心象だ。
「自分はこの動揺を見ている。けれどもそれに加わる事は出来ない。自分の世界と、現実の世界は一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。」

西洋が三百年かかって経験してきたことを、日本は四十年で経験しようとしている。
この異常を漱石自体が感じ、それを三四郎という田舎から出てきた学生の口から言わせているのだ。

うーん、やっぱり漱石は凄いね。

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