2015年12月14日月曜日

「理性の追求」より

センターテストの演習において、西村修「理性の追求」という、ちょいと面白い文章を見つけた。

「われわれは夜空の星を(現在)のものとして見るが、実際に見えているのは星々の(過去)の姿である。」

うーん、確かにそうだ。
われわれ目の前に広がっているものが(現在)の光景だと思い、これが(現実)の宇宙だと思っている。
だが、実はわれわれが見ているのは(現在)ではなく(過去)なのだ。
われわれは常に現在から過去を見ているのだ。

さらに作者は言う。

「人間の視覚は光のある空間に限られた能力であり、実際には宇宙空間に作用する(時間)を(見る)ことはできないが、それを見ようとして望遠鏡で観測することは、(見る)ことと離れて時間の痕跡を収集し、宇宙の(闇)を触知する。」

つまり、見ることはできないが「それでも人間は宇宙を見ようとする姿勢」を持つのである。


2015年12月13日日曜日

花輪くんのお母さん

三年生は最後の模試。
今日の模試は成績云々よりも、本番のセンターテストのシュミレーションである。
みんなしっかりシュミレーションできたかな。

帰宅途中に「ちびまる子ちゃん」を観ていると、花輪くんのことがいろいろ分かった。
まず、花輪くんのお母さんは二十代であるということ。
花輪くんは小学校三年生(八歳)らしいが、お母さんが花輪くんを生んだのが二十歳の時だとか。
したがって、現在花輪くんのお母さんは二十八歳か?

次に学級委員の丸尾くん(まるおくんというのは名前かと思っていたら、丸尾末男のまるおだった)。
この丸尾くんのお母さんは四十代後半だということ。
ということは、丸尾くんのお母さんは四十過ぎで丸尾くんを生んだことになる。
所謂、四十過ぎの恥かっきっこというやつだ。

丸尾くんは花輪くんのお母さんを見てショックをうけるのだが、結局、お母さんが外国に行ってしまって、めったに会うことがでない花輪くんよりも、いつも「お母様」から大事にされている自分のほうが幸せではないかと、思うのでした。



2015年12月12日土曜日

町内会忘年会

町内会の忘年会があった。
今どき、町内会で忘年会をやるところも珍しいのではなかろうか。
ただし、忘年会という名の会だが、実態は老人会の様相が強い会なのである。
恐らく、平均年齢は七十歳を軽く超えているであろう。

私の住んでいるところは、かつての新興住宅地というところで、同じような年齢の人がマイホームの夢を持ち、その実現場所として購入したであろうところだ。

したがって、それぞれの家が同じように子育てをし、子供たちは同じように巣立って行き、そして年寄りが同じように残ってしまっている。
私のように、定年間近になって移り住んできた人間は極めて珍しいのである。

たぶん、今の日本にはこのような場所がたくさんあるのだろうね。





2015年12月11日金曜日

お飾り

帰りがけにショッピングセンターに寄る。

世の中は、クリスマスと正月のムードいっぱい。
何がクリスマスと正月かというと、そのグッズである。
クリスマスの樅の木に吊す様々なグッズ。
六十を過ぎたジジイでも何となくワクワクする。
不思議なもんだ。

一方、正月グッズも出始めた。
正月グッズと言えばお飾り。

ところで、このお飾り、正月飾りの意味であるが、どうも今ひとつはっきりしない。
ネット検索をしてみると、「年神様をお迎えする」飾りというのが、その意味であるようだ。
では「年神様」とは一体どんな神様なんだろう。

年の神というくらいだから、毎年毎年異なった神様が来るのだろうか?
どこから来てどこに帰る神様なんだろう?
迎える時だけ飾りを用意して、送る時には何にもしないのか?

考えれば考えるほど分からない神様なのである。

尚、年神様のいる方角を「恵方」といい、平成28年は南南東らしい。



2015年12月10日木曜日

おやつ

朝の通勤の車の中、FM放送を聴いていると「三時のおやつ」の「おやつ」とは何か、と言う問題が出されていた。

これは江戸時代の時刻の数え方「八つ時(午後2時から4時前後)」に由来すると言う。

日本では、古くは食事が朝夕の一日二食であったが、農民たちが体力維持のため、休憩時に軽食をとった。
これを中食(ちゅうじき)、あるいは間食(かんじき)などと呼んだそうである。
さらに元禄時代に一日三食が一般化して、この頃に「おやつ」の語が出現したということである。

ヘー、なるほどね。



2015年12月9日水曜日

名声・権威

アキレス腱にやや不安があったので、抑え気味のテニスであった。
年寄りに無理は禁物である。

今朝の新聞に夏目漱石のことが書かれていた。

漱石が、国から博士号授与を断った話はよく知られる。そのときの言葉がいい。
「今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、これから先もやはりただの夏目なにがしで暮らしたい」
権威に向き合う自由な精神にあふれている。

さすが漱石である。

新聞はさらに
名声や権威に人は弱い。
巨匠の絵と知れば見え方は違い、国宝の仏像と聞けば背筋は伸びる。
とも言う

本当にその通り。
名声や権威と言われるもの、必ず自分の目で確かめるべきだ。

2015年12月8日火曜日

消しゴムの紙カバー

昨夜の深夜番組?
深夜0時をまわっていたので今夜か?
兎に角、深夜番組を見ていると、
身近な疑問が提示され、それに答える態の内容の番組があった。

例えば、「消しゴムについているカバーのような紙は、何のためにあるのか?」
とか、「台所の魚焼きグリルのトレイには、何故水を張るのか?」
などである。

さて、「消しゴム」の紙の役目は何のためかというと、
消しゴムの中には可塑剤と呼ばれるプラスチック製品を柔らかくする薬剤が使われている。
消しゴムに含まれるこの可塑剤がくせ者なのだ。
プラスチック製の筆箱と消しゴムが接する時間が長いと、消しゴムがプラスチックを溶かしてしまう。
(消しゴムがケースにくっついている光景はよく見る光景だ)
したがって、それを防ぐためにあるのが紙ケースであると。

ふーん、しらなかったなあ。
因みに、「グリルトレイの水」は、「水がないとトレイにたまった魚の油分が発火してしまうから」ということである。