2012年8月7日火曜日

習慣的に行動する

N西の夏休み補習の問題に、経済学者?塩沢由典の「人はなぜ習慣的に行動するのか」という文章があった。
 「人間が習慣的に行動する理由は、注意と思考の節約のためである。すなわち、合理性の限界のために、なるべく少数の、整理された情報から結論を出すことが要請されるため、経験を通じた学習によって決定の思考過程そのものが定型化される。」
 要は「人間の行動はある程度は制限されていた方が考えやすいこともある。」ということだ。
情報が多すぎては、合理性に限界が出てきてしまうということである。
 朝、起きて顔を洗い、歯を磨く。
例えば、ここにいろいろな選択肢(散歩をする・座禅をする・歌を歌う・体操をする等々)があると、これは時間がいくらあっても足りない。従って、ここは経験を通して学習し(何が適当なのかを判断)、情報を手に入れることにより、注意と思考を節約することになるのだ。
 同じことの繰り返しが習慣なのだろうが、同じことは同じことなので、とても退屈となる。でも、この退屈さに打ち勝つことで、きっと何かを手に入れられるのだよ。
 ねえ、N西とN東の受験生諸君。

2012年8月6日月曜日

同窓会

沼津のキャッスルホテルで中学の同窓会が行われた。
同学年の同窓会ではなく、縦のつながりでの同窓会である。
 従って、八十歳近くの高齢者から三十代あたりまで、幅広い
年齢層での年齢が集まった。
同窓会自体は、懐かしい顔を見ることができて、それは満足の行くものであった。
 さて、このような同窓会で、もれなく実施されるのが、校歌斉唱であるが、私自身、どうもこの校歌というものに疑問を感じてしまう。
それは何か。
それは、半世紀以上昔に使用されたものを、今だに使用していることである。「それが校歌だ。」と言ってしまえば、それはそうなのだが、高校生は兎も角、小学生・中学生に古文を使うのは、いかがなものか。
 私は沼津第三中学校の出身であるが、校歌の中には、次のような歌詞がある。「明日の光をかかげんと 希望は燃ゆる 共に歌はん」
 「かかげん」んの「ん」は意志をあらわす推量の助動詞であるし、「希望は燃ゆる」の「燃ゆる」はヤ行下二段活用の動詞「燃ゆ」の連体形である。
 何れも古語文法で表記されている。
小学校では、古文などもっと分りにくいことだろう。
なんてったって
「みどり色こき香貫山」である。「色こき」の「濃き」は形容詞
「濃し」の連体形なんて、どうやって小学生に理解させるのか
はなはだ疑問である。
歌っている意味のわからない校歌など、むなしいのではなかろうか。

日本の学校の多くの校歌が、このように出来ている気がする。
このことを問題と思わないのが、問題ではなかろうか。


 (写真は昨日と同じ場所での「松の葉」)

2012年8月5日日曜日

CheNelle


TSUTAYAに行って、CheNelle(シェネル)という女性歌手のコンパクトディスクを借りてきた。
マレーシア生まれのオーストラリア育ちなのだそうだ。このCDは、いろいろな歌手のカヴァーバージョンであるのだが、なかなかである。
「BABY I LOVE YOU」から始まって、「Missing(久保田利伸)」まで、全部で13曲。本当になかなかである。
秀逸なのは、やはり「BABY I LOVE YOU」であろうか。
斉藤和義とかTEEとか何人かが歌っている。ウィキペディアで調べてみると、
この曲のオリジナルは、「くるり」というロックバンドが歌っていて、このバンドの岸田繁の作詞・作曲であるそうだ。
以前、同様に女性歌手のカヴァーアルバムでBENIの「COVERS」を聴いたが、こちらも優れたアルバムであった。
最近の女性歌手の実力はすごいね。



(写真は須坂「豪商の館」で見た「蓮の花の蕾」)

2012年8月4日土曜日

アゼルバイジャン

ロンドンオリンピックの話。
日本人選手のボクシングの試合で妙な判定があった。
 相手の選手はアゼルバイジャンという旧ソ連から分離した国の選手であった。
 疑惑は、最終ラウンドにアゼルバイジャンの選手が三回以上ダウンしているのに、レフェリーがダウンをとらなかったことである。
 勝敗は判定となり、アゼルバイジャンの選手の勝ちとなってしまった。
結局、これは日本の抗議によって、判定が覆ったのであるが、じつに妙なレフェリーの態度であった。


疑うわけではないが、今アゼルバイジャンは石油によって国自体が非常に潤っているらしい。汚職もはびこっており、賄賂などは当たり前。またレフェリーがトルクメニスタンというアゼルバイジャンの近くの国の人間である。これはもう怪しいというほかないではないか。
 どうも、今回のオリンピックは変な判定が多いようだ。
柔道なども、「これが柔道なのか?」と思うような試合ばかりのような気もする。


(写真は長野 車山高原)

2012年8月3日金曜日

「秘密のケンミンSHOW」


「秘密のケンミンSHOW」というテレビ番組がある。
それぞれの都府県の名物などを、ちょっと斜めの角度から紹介していく番組であるのだが、これがなかなか面白い。
今晩は京都の特集であった。
京都の有名なパン屋に「志津屋」というのがあり、そこの代表的な商品「カルネ」について説明をしていた。
「地元ではかなり有名だが、他県の人間には、あまり知られていないもの」がこの番組のコンセプトでもある。
さて、「カルネ」とは、丸い形のパンに、ハムとたまねぎをはさんだ、わりとシンプルなパンであるのだが、とても美味そうであった。
まさか京都の特集でパン屋が登場するとは思っていなかった私は完全に裏をかかれてしまったようだ。
やはり、京都は奥が深いのである。

三年生の勉強合宿で、今日も講義をした。
90分を二回、講義したのだが、90分があっというまに過ぎてしまった。みんな一生懸命なのだ。

2012年8月2日木曜日

天王山

今日、国語研究室で国語科のH先生と話をしていたのだが、
その時、ふっと思ったことがある。
 勉強合宿のマニュアルを見ていると、最初のページにこう書いてある。「受験の天王山である夏休みの学習へのスムーズなスタートを切る。」
 不思議に思ったことは、「天王山」という言葉だ。
何故「天王山」なのだろうか。何故「関が原」ではないのだろうか。
 「受験の関が原」なんて聞いたことはないのである。
 「受験の天王山」というのは、「ここで勝敗が決まってしまう時期」という意味で使われているのだろう。この意味に関しては、特に異議はないが、「天下分け目」ということで使うのであれば、「天王山」よりも「関が原」のほうが、ポピュラーではないだろうか。
 「関が原の戦い」=1600年、徳川(東軍)対豊臣(西軍)
はすぐに頭に浮かぶのであるが、「天王山の戦い」
「んー何時だっけ。誰と誰の戦いだっけ。」となってしまう。
(試しに、これを見た人は、天王山が何年で誰と誰が戦ったのか考えてみてください。)
 こんなこと考えるのは私だけなのだろうか。



今晩の「怒り新党」。
印象に残った言葉、「義務教育なんて牢屋にいるようなもの」
さも、ありなむ。



(写真は昨日の続きの八島湿原)

2012年8月1日水曜日

勉強合宿



三年生の勉強合宿ということで、御殿場の水土野(みどの)にある「ゆ~らいふ御殿場」という研修所に出かけた。
懐かしいところである。
この研修所は、G南でもN東でも勉強合宿に参加したことがある。むかしは「自動車労連御殿場研修所」とかなんとか、言っていたような気がする。
 とりわけ、G南の合宿の時に起こった事件が忘れられない。
それは、日本全体が震撼した「地下鉄サリン事件」である。
1995年の3月であるので、今の三年生は生まれたばかりの頃だろう。
講義のあいている時には、ずっとテレビにかじりついていた。
 もう、あれから何年たったのだろうか。
月日というのは、知らず知らず過ぎていくことを実感した。




(写真は長野の八島湿原で見つけた「ナントカうど」の花)