2025年6月18日水曜日

炎天下

炎天下の水曜テニスは「命がけ」である。

特に愛鷹のコートは日差しを避ける場所がほとんどなく、常にコートの上の灼熱状態の場所に居なければならない。

今日の夕方のニュースでは、全国的に「熱中症」の患者が増え、中には亡くなった方もいるということを告げていた。

老人集団(ほとんどが後期高齢者)であるワレワレの集団は特に注意なのである。

(写真の花は先週撮った「ムラサキツユクサ」)

 

2025年6月17日火曜日

おかしな暑さ

「おかしな暑さだ」と、テレビの情報番組の気象コーナーで言っていた。

六月の中旬なのに全国的に「猛暑日」の地点が多く見られるのだ。(全国一は甲府の38.2℃だということである。)

幸いなことに我が御殿場は気温が30℃に届かず、チョイと暑いかな程度なのだが、先が思いヤラレル今年の夏である。

明日は水曜テニス、老人は特に注意だ。


 

2025年6月16日月曜日

順応

御殿場は快適なのだが、下界に仕事に行くとそこは真夏日であり、帰宅後の身体の調整に難儀している。

歳を取ると、暑さにたいしての身体の順応が鈍く、馴れないまま戻ってくると身体の方は何が何だかわからなくなってくるのです。

チョイと前まではこんなことは思ってもいなかったのだが、これが現実だ。
 

2025年6月15日日曜日

ん?「花海棠」

静岡市はフェーン現象のせいか、本日真夏日の33℃だという、ごめんなさい御殿場は快適な温度の24℃です。

これからは「御殿場の天下」ですな。

右の写真は、昨日「秩父宮記念公園」で撮ったバラである、「花海棠(はなかいどう)」にもよく似ているが「秩父宮記念公園」のバラ園にあったので、たぶんバラなのだろう。

ただ、「花海棠」も中国原産のバラ科の植物らしいので、本当は何なのかワタシにもよく分からないのである。
 

2025年6月14日土曜日

咲き乱れる

昨日の「秩父宮記念公園」、紫陽花はまだ咲いていなかったが、入り口近くにある「バラ園」ではバラの花が咲き乱れていた。

さて、今「咲き乱れる」と書いたが、「咲くこと」に関してもう一つの似た表現に「咲き誇る」というのがある。

早速ネット検索をしてみると、「咲き乱れる」とは「たくさんの花が一面に咲いている様子」、一方「咲き誇る」のは一輪であっても複数であっても「周囲を圧倒するほどの存在感のある花が咲いている様子」だという。

つまり、威圧感があるのが「咲き誇る」、ないのが「咲き乱れる」ということだ。

記念公園のバラは威圧感はなかったなあ。

2025年6月13日金曜日

ドクダミの花

曇りの天気であったが、ネタの写真が無くなったので「秩父宮記念公園」まで出かける。

そろそろ紫陽花かと思って出かけたのだが、「紫陽花の花」は、まだほとんど咲いておらず、目についたのが「ドクダミの花」であった。

「ドクダミの花」を見ると思い出すのが、北原白秋の歌 である。

「どくだみの花のにおいを思うとき 青みて迫る君がまなざし」


ドクダミは独特の薬草臭い野草である。歌にある「君」」とは当時不倫関係にあった人妻のことであるが、禁断の恋をしていた白秋にとって、その恋は一般的な甘い香りのするものではなく、鼻にツーンとくる近づいてはならない恋だったのであろう。

2025年6月12日木曜日

深夜にネットサーフィン

今のところまだ許せるような気温であるが、来週はそうもいかなくなるらしい。

静岡県の軽井沢である御殿場は、これから素晴らしい季節となるのである。冬寒いのだから、このくらいの恩恵はないとね。

ここのところ、「深夜にネットサーフィン」を続けている。

家族が寝静まってからヘッドホンを耳にあててジャズを聴く、これですなあ。


 

2025年6月11日水曜日

雨降り

ほぼ一日雨、したがって今日の水曜テニスは中止となってしまった。は何だか物足りないのである。

この先、土曜日、日曜日までは雨降りの予想が出ているが、なんと来週の火曜日以降は、三十℃超えの真夏日が続くということである。

ちょっと前に「梅雨入り」だと言っていたのに、やはり異常気象はこれからもずっと続くのだろうか。
 

2025年6月10日火曜日

若者たちのタイパ

昼の情報番組で、最近の若者の「タイパ(タイムパフォーマンス)の考え方=無駄な時間を排除しようとする考え方」について紹介していた。

すべての若者がそうではなかろうが、極端な例として、結婚式場での「三十分結婚式」というプランがあって、金額も七万円程度で行なうことが出来るらしい。

当然、披露宴の食事などは省略されるのだろうが、良い悪いは別として「とうとうここまで来たか」である。

一日をほぼ「無駄な時間」で過ごしているワタシなんぞ、これから一体どうしたらいいのだろう。


 

2025年6月9日月曜日

驚愕の目

二年生の授業中に、大型の蚊のような虫?が教室に入ってきたので、素手で捕まえて窓からポイと捨てたところ、生徒から驚愕の目で見られてしまった。

蜂のように刺されることはないと判断して行なった動作なのだが、生徒にしてみれば「有り得ない」行動だったのだろう。

イマドキの若者は虫も触れないのか?



 

2025年6月8日日曜日

水無月

今週からいよいよ「梅雨入り」をするということである。

雨は降らないと困るが、降り過ぎても困る、実にやっかいなもののようだ。

六月は「水無月」と書くが、雨が多く「水」があるはずなのに「水」の「無い月」と書くのはこれ如何に。

「水無月」語源の有力な説は、「無」の字は助詞であり、「~の」という意味だという説である。したがって「水無月」は「水の月」、つまり「水が豊富にある月」となるのである。

なるほどね。


2025年6月7日土曜日

草取り

夏である。

この暑さは夏なのである。

暑くはあるが、暑いことを覚悟して空き家になっている沼津の実家まで、草取りに出かける。

あまり草茫々となって、近所から苦情でも出たら困るからだ。

しかしながら、暑い時期の草取りはやりシンドイなあ。
 

2025年6月6日金曜日

句点無し

金曜日は休業日ゆえ、今日は隣の山梨県にある日帰り温泉までと思って出かけたのであるが、到着した温泉(10:00到着)は、今までと異なり11:00の営業開始の張り紙、久し振りに行くとこのざまである、狼狽えたワタシは時間つぶしと近くのホームセンターに立ち寄りウロウロ、しかしながら時間をつぶしているうちに温泉に入る気持ちが萎えて、結局そのまま無様に帰ってきたのである。(本日は句点無しの文にしてみたのです。)

2025年6月5日木曜日

面目ねえ

昨日はミスターの引退の件について、ブログに「友人の下宿」でこれを聞いたと記したのだが、さっそく友人からメールがあり、「友人の下宿」で聞いたというのはお前の記憶違いだとあった。(ミスター引退の時にはすでに府中にはいなかったのだと。)

面目ねえ、これは完全にワタシの記憶違いである。

では、何故このような記憶が残っていたのだろう。これはまったく分からない、ただ単にワタシの思い込みなんだろうね。これが歳を取るということなのです。


 

2025年6月4日水曜日

ミスター

昨日から今日にかけて、マスコミはミスター(元ジャイアンツの長嶋茂雄監督)が亡くなったことについて大きく取り上げていた。

彼の印象をつらつら考えてみるに(個人的にはあまり興味のある人物ではなかったが)、ミスター(ミスターだけで誰であるか通じてしまうのはすごいなあ)があの有名な「巨人軍は永久に不滅です」という言葉を残した引退のセレモニー時に居た場所が、東京の府中にあった友人の下宿であったことくらいだろうか。



 

2025年6月3日火曜日

目安かるべけれ

朝から雨、一日雨であった。

これは今年の梅雨なのであろうか。

今、三年生の古典では「徒然草」の「あだし野の露消ゆるときなく」という教材を講義しているのだが、そこには「命長ければ恥多し。長くとも四十に足らぬほどに死なむこそ、目安かるべけれ。」と書かれている。

「目安かるべけれ」とは、「見苦しくないだろう」という意味だが、「人は長生きすると恥をかくことが多くなる、四十までには死ぬべきだ」と言っているのだ。(おおー、兼好はすごいなあ。)

当時は人生五十年の時代なのであろうが、確かに歳をとってくると「恥」は多いのです。
 

2025年6月2日月曜日

億劫

気がつけば六月である。

うかうかしているとスグ七月、七月には期末テストと古典講座が控えている。

そろそろ準備をして行かねばと考えるのであるが、年々準備が億劫になって行くのである。

ところで億劫とは何か?

「億劫」とは、「面倒くさくて気が進まないこと」、簡単な言葉に直すと「やる気がおきない」という意味の言葉である。何かをすることがわずらわしく、実行する気にならないさまを表現する。読み方は「おっくう」が基本であるが、「おっこう」と読むこともある。

これは仏教用語から来た言葉で、「億劫」の「劫」は仏教において長い時間の単位を表す言葉、昔のインドでは「カルパ」と言われ、その漢字「劫波」、さらにこれを略したのが「劫」だという。さらに「劫」の億倍が「億劫」であり、それほど長い時間を表す言葉が「億劫」ということだ。

2025年6月1日日曜日

オリンポス火山

朝刊に「太陽系で最大の山と言われるオリンポス火山は標高20キロ以上だが、それはどこにある?」のクイズが出されていた。

さて、その答えは「火星」であるのだが、20キロといえば、高さ20000メートル、想像を絶する高さだ、そしてその裾野はなんと600キロメートルにも及ぶそうだ。

もっとも、はるか昔の日本にも高さ10000メートル級の山が、穂高連峰あたりに存在していたらしいので、「なるほどな」である。