左の写真は、札幌にあった喫茶店の看板である。
ナントナク面白かったので撮ったのだが、おそらく「garbo」という名前が先にあって、当て字として「我留慕」を当てたのであろう。
成り立ちだけを考えると、昔の暴走族のようだが、漢文的に考えれば、「われ、したうにとどまる」となるのだろう。
そしてこの「したう」が、「慕情」なのか「思慕」なのか、はたまた「恋慕」なのかは、皆さん勝手に考えてくださいねということなのだろうか。
もっとも、この名を考えた人物が映画ファンであったとすれば、かつて一世を風靡した映画女優「グレタ・ガルボ」からとったのかもしれない。
何れにしても、ナンか面白い看板であった。
2018年10月31日水曜日
2018年10月30日火曜日
知音
今日の三年生選択授業において、漢文「列子」を演習する。
演習したところは、よく知られた「知音(ちいん)」についての話である。
「知音」は「音楽を理解する」という意から転じて、「自分の心を理解してくれる友」の意を表すようになった。
琴の名手「伯牙」の友人「鍾子期」は、拍牙の琴の音を聴くと、彼の心境まで理解できたという話。
この文の最後には「吾何(いず)くに於いて声を逃さんや」という印象的な部分がある。
「私の琴の音はどうやっても君の耳をごまかすことはできない」の意であるが、すごいなあ、以心伝心なのだね。
演習したところは、よく知られた「知音(ちいん)」についての話である。
「知音」は「音楽を理解する」という意から転じて、「自分の心を理解してくれる友」の意を表すようになった。
琴の名手「伯牙」の友人「鍾子期」は、拍牙の琴の音を聴くと、彼の心境まで理解できたという話。
この文の最後には「吾何(いず)くに於いて声を逃さんや」という印象的な部分がある。
「私の琴の音はどうやっても君の耳をごまかすことはできない」の意であるが、すごいなあ、以心伝心なのだね。
2018年10月29日月曜日
初めてのテレビ映像
先日、展覧会へのケーブルテレビの取材があったことはこのブログで述べたのであるが、自分のところはケーブルを引いていない故、見ることができなかった。
ただ、テニス仲間のTさんが、折よく番組の録画をしてくれて、さらにその映像の入ったCDを渡してくれた。
というわけで、人生初めて自分のインタヴュー映像を見た次第である。
ナンダカナーという感じは否めないが、まあそれなり映っているのです。
最近のテレビカメラは、そりゃあスゴイもんだ。
ただ、テニス仲間のTさんが、折よく番組の録画をしてくれて、さらにその映像の入ったCDを渡してくれた。
というわけで、人生初めて自分のインタヴュー映像を見た次第である。
ナンダカナーという感じは否めないが、まあそれなり映っているのです。
最近のテレビカメラは、そりゃあスゴイもんだ。
2018年10月28日日曜日
幸せモンダ
本日をもって写真展「ひとりぼっち」の終了。
午前中に現れたのがN西国語科の同僚であったWさん。
いつもいつも美味しいジャムを有難うございます。
続いて、やはりN西国語科の同僚であったKさんご夫妻、毎年毎年感謝しています。
さらにN東で兄、N西で妹を教えた縁で来ていただいた、こちらもKご夫妻。
今日はN西デーとばかりに、芸術科のM先生の登場。
ほっと一息したかと思うと、F高時代の教え子Y君の再登場。
そして、去年も来ていただいた(ワタシの入院時にお世話になった)看護師のSさん。
ラス前は、N西から社会科のM先生。
ラストを飾ってくれたのが、これまた毎年顔を見せてくれるN西の卒業生Sさん。
Sさん、いつも有難う。
今年も沢山の人に来て頂いた。
終わった瞬間にいつも思うことは、こんなに大勢の方に来て頂いてワタシはナント幸せだろうということである。
午前中に現れたのがN西国語科の同僚であったWさん。
いつもいつも美味しいジャムを有難うございます。
続いて、やはりN西国語科の同僚であったKさんご夫妻、毎年毎年感謝しています。
さらにN東で兄、N西で妹を教えた縁で来ていただいた、こちらもKご夫妻。
今日はN西デーとばかりに、芸術科のM先生の登場。
ほっと一息したかと思うと、F高時代の教え子Y君の再登場。
そして、去年も来ていただいた(ワタシの入院時にお世話になった)看護師のSさん。
ラス前は、N西から社会科のM先生。
ラストを飾ってくれたのが、これまた毎年顔を見せてくれるN西の卒業生Sさん。
Sさん、いつも有難う。
今年も沢山の人に来て頂いた。
終わった瞬間にいつも思うことは、こんなに大勢の方に来て頂いてワタシはナント幸せだろうということである。
2018年10月27日土曜日
ガマガエルに遭遇
午前中にG南で土曜講習、その後写真展会場へ。
今日も写真展へのご来場有難うございました。
最初は中学の同級生Kさん、ご夫婦での登場、次に最近知り合いとなったOさんご夫妻、身内ののことではお世話になりました。
次に大学生時代の友人T君ご夫妻(今はO君だったね)、遠路静岡からのご来場、また同時にワタシの娘たち。
そして、最後はG南時代の同僚、ワタシと同じ姓のS先生、有難うございました。
そうそう、今日は記念館前で「ガマガエル」と遭遇。
今頃なぜ?
今日も写真展へのご来場有難うございました。
最初は中学の同級生Kさん、ご夫婦での登場、次に最近知り合いとなったOさんご夫妻、身内ののことではお世話になりました。
次に大学生時代の友人T君ご夫妻(今はO君だったね)、遠路静岡からのご来場、また同時にワタシの娘たち。
そして、最後はG南時代の同僚、ワタシと同じ姓のS先生、有難うございました。
そうそう、今日は記念館前で「ガマガエル」と遭遇。
今頃なぜ?
2018年10月26日金曜日
少々コタエル
この歳になると、ノンストップの一週間はかなり身体にコタエルのです。
展覧会を始めて、(確かに土曜日・日曜日は充実しているのだが)身体の休日がなかなか取りにくい状態が続いている。
やはり、ワタシは一日ボケッとする日が欲しいのです。
毎日忙しく働いている人にはぶっ飛ばされてしまうだろうが。
展覧会を始めて、(確かに土曜日・日曜日は充実しているのだが)身体の休日がなかなか取りにくい状態が続いている。
やはり、ワタシは一日ボケッとする日が欲しいのです。
毎日忙しく働いている人にはぶっ飛ばされてしまうだろうが。
2018年10月25日木曜日
姉妹都市
昨日テレヴィジョンを見ていると、岐阜市の姉妹都市がイタリアのフィレンツェであることが告げられていた。
何でも繊維関連からの繋がりらしい。
それは兎も角、ワタシが反応したのは、「姉妹都市」という言葉。
姉妹都市は、何故「兄弟都市」と言わないのだろうかということである。
こういう時はすぐにネットで調べてみる。
答えは意外と簡単であった。
この姉妹都市という言葉、どのようにして生まれたのか。
よく知られているのが、アイゼンハワー米大統領が1956年に提唱した「市民と市民のプログラム」であるそうだ。
第2次大戦で荒廃した欧州を元気づけるため、国境を越えた市民同士の交流を盛んにして相互理解を進めようと呼びかけた。このとき用いた言葉が「姉妹都市」提携で、英語でシスターシティー(sister cities)とあるそうだ。
では、なぜ、ブラザーではなく、シスターだったのか。
広くいわれている説は、シティーという英単語が「女性名詞」の流れをくむのでシスターを当てたものだという。
中学校の英語の授業で、船(ship)を代名詞にするときは、「彼女(she)」で言い換える、また国も「彼女」で受けることが多いという。
フランス語やドイツ語では町は女性名詞。英語でもシティーは女性名詞だったことが遠い昔にあったのかもしれないということある。
ふーん、「女性名詞」か、ワレワレ日本人にはなかなか理解が難しいですな。
何でも繊維関連からの繋がりらしい。
それは兎も角、ワタシが反応したのは、「姉妹都市」という言葉。
姉妹都市は、何故「兄弟都市」と言わないのだろうかということである。
こういう時はすぐにネットで調べてみる。
答えは意外と簡単であった。
この姉妹都市という言葉、どのようにして生まれたのか。
よく知られているのが、アイゼンハワー米大統領が1956年に提唱した「市民と市民のプログラム」であるそうだ。
第2次大戦で荒廃した欧州を元気づけるため、国境を越えた市民同士の交流を盛んにして相互理解を進めようと呼びかけた。このとき用いた言葉が「姉妹都市」提携で、英語でシスターシティー(sister cities)とあるそうだ。
では、なぜ、ブラザーではなく、シスターだったのか。
広くいわれている説は、シティーという英単語が「女性名詞」の流れをくむのでシスターを当てたものだという。
中学校の英語の授業で、船(ship)を代名詞にするときは、「彼女(she)」で言い換える、また国も「彼女」で受けることが多いという。
フランス語やドイツ語では町は女性名詞。英語でもシティーは女性名詞だったことが遠い昔にあったのかもしれないということある。
ふーん、「女性名詞」か、ワレワレ日本人にはなかなか理解が難しいですな。
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