ワタシの好きなアルトサックス奏者にジャッキー・マクリーンがいるが、彼は実に不思議なプレーヤーであり、ある評論家は「ピッチのズレ、くすんだ感じの音色、スムースとは言い難い詰まった感じのフレージングが特徴である」と言っている。
それでも多くのファンに支持されたのがジャッキー・マクリーン、ジャズにおいて大事なのはピッチを超えた何かなのだ。
ワタシの好きなアルトサックス奏者にジャッキー・マクリーンがいるが、彼は実に不思議なプレーヤーであり、ある評論家は「ピッチのズレ、くすんだ感じの音色、スムースとは言い難い詰まった感じのフレージングが特徴である」と言っている。
それでも多くのファンに支持されたのがジャッキー・マクリーン、ジャズにおいて大事なのはピッチを超えた何かなのだ。
ジャズとは何だろう?
と考えた時に、ワタシの頭の中に最初に浮かんだのが、リズムの「ズレ」という言葉である。ただこの「ズレ」を論理的に説明することが出来ずにいたのであるが、先日「インターネット」を見ていると、「 Mistletoe Music School」の「Mistletoe Jazz Class」というテキストの中に、次のような部分を見つけた。
とあった。
よく「アフタービート」なる言葉は耳にしていたのだが、その正体は「音を少し遅くする」ことであり、ワタシの考えていた「ズレ」だったのだ。
今回の雨雲は、ほぼ日本中をオオっており、しかも雲がなかなか抜けて行かないというイヤらしいものであった。
これからの日本列島は、これが当たり前となって行くのだろうか。
写真は昨年撮った「晴れている時の富士山」である。
「じょうろ」とは、植物に水をかけるために使う道具のアレである。漢字で書くと「如雨露」、「雨露の如し」である。江戸時代には「上漏」とか「上露」といった当て字も存在したと言う。
語源辞典には「じょうろ」は「水の噴出」を意味するポルトガル語「jorro」、もしくは、「水差し」を意味する「jarra」からと考えられる、とある。
ふーん、知らなかったなあ。
ワタシはこれをチャンスとばかりに、写真展用の作品を作ることに熱中したのです。
不思議なもので、時間は有り余るほどあるのに、作品を作ろうとする気力が湧いてくるのは限られた僅かな時間しかないのです。
ナンカ芸術家みたいな物言いだなあ。
キャスター曰く「危険が予想される地域の方は、これからの大雨に対して五感を研ぎ澄まして注意して下さい」。
「土砂崩れなどに注意してください」と、言いたいことは十分かるのだが、「人間の五感」とはなんぞや。
これは勿論、自分の周りの状況を見ることの「視覚」、聴くことの「聴覚」、臭いを感じる「嗅覚」、さらに肌で感じる「触覚」、まあここまでは良いのだが、残りの「味覚」はどう注意しろと言うのだろう。
別に「揚げ足を取る」つもりはないが、どうも妙だぞ。
雑誌に曰く「ミュージシャンの演奏技術に巧拙があるのと同じように、リスナーの聴取・鑑賞にも技術が必要である。勿論音楽はただ楽しめばそれで良いし、人それぞれの聴き方がある。しかし、音楽を聴く技術は確実に存在する。音楽を聴いてそのその面白さをどこまで感じとることができるか。文章であれば『読解力』というところか。この『読解力』がなければ新聞や小説は理解することが出来ないのである。」
うーん、確かにその通りである。ただ単に「良い悪い」の判断でジャズを聴く分には、この「読解力」など必要ないのだろうが、より深く理解するためには「読解力」は必ず必要となってくる。
考えてみれば、ワタシのような教員が、教材をより深く生徒に理解させるために行なっているのが、「読解力」を身につけさせる作業なのだ。