昨日の天気予報には「警報級の雨」と脅されたが、実際にはそこまでいかないようであった。
昼の情報番組では連休明けに、仕事や勉学の意欲を失う「五月病」のことを盛んに取り上げていたが、「五月病」かどうかを判定する材料は、「体重が減ったか、睡眠がとれているか」であるそうだ。
「五月病」は、どうもワタシには関係ないようだ。
昨日の天気予報には「警報級の雨」と脅されたが、実際にはそこまでいかないようであった。
昼の情報番組では連休明けに、仕事や勉学の意欲を失う「五月病」のことを盛んに取り上げていたが、「五月病」かどうかを判定する材料は、「体重が減ったか、睡眠がとれているか」であるそうだ。
「五月病」は、どうもワタシには関係ないようだ。
やっと平常の生活に戻れるようだが、明日の天気はかなりの荒れ模様になりそうだ。
こういうのを「出鼻を挫かれる」と言うのだろう。
尚、「出鼻を挫く」の「でばな」には「出端」と「出花」の漢字を当てはめることも出来、何れも「物事をし始めたばかりのところを妨害して、中断させたり意欲をなくさせたりすること。」と言う意味ではマチガイないということだ。
さて、今日の朝刊のコラムにもあったが、最近一般家庭から「こいのぼり」の姿が見えなくなってなってきた。
やはり、「こいのぼり」をセットするのは、かなり面倒であることだろうし、苦労してセットしたところでそれに見合う評価が得られないということなのだろうか。
「雛人形」とは異なり、「こいのぼり」をセットするにはしっかりしたポール?を立てなければならないだろう、またセットしたポールを一年中立てておくにはそれなりの敷地の余裕もなければならないのだろう。
こう考えると、やはり庶民にはなかなか困難なことであるのかもしれない。
休みはもういいよ、と言う感じがしないでもないが、やはり休みはいいなと言う感じもしている今日この頃である。
特に今回の連休は、水曜テニスが雨天のために二回連続中止されており、身体のストレスがだいぶ発散できていないのである。
写真は今日も藤の花であるが、藤は平安時代から鎌倉時代にかけては、松の緑を背景として、そこに絡まって咲く藤の花が鑑賞の基準されたようだ。
「枕草子」の八十四段には「めでたきもの(賞美すべきもの)」として「色あひ深く花房長く咲きたる藤の花、松にかかりたる」とあるようだ。
最近のワタシの典型的な姿である。
まあ、順調に頭の方も老化していると言えばまさにそうなんだが、悲しいことだ。
全国的には良い天気ということで、ゴールデンウィークの休みを満喫している人も多いことだろう。
「急激な円安が進む昨今だけに思わず独りごちた。」
国語の教師をしているのに何だが「独りごちた」とは何ぞや?言葉の雰囲気からして、それとなく意味は想像できるのだが、正確な意味はシカとは分からない。
さて「独りごちる」とは、昭和期の文壇の小説などで使用されていた古語・文語的表現であり、 「独り言を言う・自分一人でぶつぶつと何かをつぶやく (特別誰に聞かせるわけでもない独り言を言う)」 という意味を持っているという。
うーん、なかなかシブい言葉だ。この記事を書いた記者はよっぽどこのフレーズを使いたかったのだろうな。