「投げ出してまだ陽のある脚」
「草木塔」の鉢の子
昭和二年、三年、或は山陽道、或は山陰道、或は四国九州をあてもなくさまよふ。
ひとりで蚊にくはれてゐる
投げ出してまだ陽のある脚
山の奥から繭負うて来た
とある。
山の中を歩き続けている山頭火であろう。
山頭火の句の好きなところは、かなりツライだろう状況にあっても、その深刻さをまったく出していないところだ。
そのツラサをむしろ笑いとばしている。
まだ陽はあるが、脚を投げ出して休んでしまおう。ワタシはもう先には進まないぞ。
そんな山頭火の呟きが聞こえてくる。
書はその「投げ出した感」を表現している。
全力で力を抜いて(こんな表現あるだろうか?)筆を動かしているのである。
写真はマラソン大会、ゴール直後に息を切らして倒れ込んでいる女生徒だ。
写真を掲載するにあたって本人の許可を得なければならないのだが、快く引き受けた彼女に感謝である。
個人の写真ゆえ、このブログではあえてボカシテいる。
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