その中で「ウン、成程な」と思った意見は、「手を抜くこと」に「手を抜かない」、すなわち「手を抜くときには思い切って手を抜こう」というものであった。
ところで、ワタシのように「いつも手を抜いている」人間は一体どのようにしたらよいのだろう。
その中で「ウン、成程な」と思った意見は、「手を抜くこと」に「手を抜かない」、すなわち「手を抜くときには思い切って手を抜こう」というものであった。
ところで、ワタシのように「いつも手を抜いている」人間は一体どのようにしたらよいのだろう。
しかしながら、こんな時には思いもよらぬアクシデントがやってくるのである。
今日のアクシデントは試合中に仲間のAさん、チョイと足がもつれて転んでしまった。
そして転んだ拍子にどうも膝を捻ったようで、その後のテニスができなくなってしまったのである。
ワタシも他人事ではない。
次のテニスは用心することにしよう。
理由は定かではないが、このタイミングは、チョイと微妙なタイミングであって、十一時三十五分からの授業は何か間が抜けた感じなのである。
つらつら考えるに、朝起きてからの待ち時間が長すぎるからなのであろうか。
生活のリズムというのは大切なんだなあ。
代休で一日休み。
そして今日は一日雨。
日本列島全体が雨のような一日であった。
昨日のニュースでは「オーロラ」が日本で観ることが出来たということを、盛んに報道していた。
「異常気候」が最近の注目ワードになっているが、まさか「オーロラ」がその注目ワードになるとは。
日本は外来種の雑草に苦しめられているとばかり思っていた自分の頭を、ここで少々変えねばならない。
というのも、昨日のテレビ番組では日本の雑草?が外国へ進出して行って、外国の植物を苦しめていることを紹介していたからだ。
例えば、虎杖(いたどり)という雑草はイギリスに上陸、その後イギリスでは相当やっかいなものとして嫌われており、葛(くず)はアメリカに上陸、同様に迷惑をかけているとのことであった。
へー、日本の雑草は結構強いのですね。
そう言えば、何日か前にスリランカからの電話があった。
この電話の電話番号には国名が明示されていたので、スリランカなどに縁のないワタシは、その怪しさで電話に出ることはなかったのだが、もし国名が明示されていなかっら、電話に出てしまったかもしれないなあ。
ところがである、いざ到着してみると、ナント実家の庭の草はすでにきれいになっていたのだ。
隣のお宅のTさんがワタシのダラシナサを見かねたのであろうか、草取りをしてくださっていたのである。
Tさん御迷惑をおかけいたしました。次はナントか頑張ります。
やや寒い感じであるのだが、今週はまた夏のようながやってくると、天気予報で告げていた。
何たる気温の変化、これで老人はコンディションを狂わせてしまうのである。
昨日は久しぶりの水曜テニス、二週続けて雨天中止となってしまい、お顔をみることが出来なかったのであるが、皆さん元気でよかった、よかった。
よく見ると、「紫式部」がチラッと登場している珍しいお札なのだが、残念ながら最近は(いや最近でなくても)見たことはほとんどない。
これはつまり、世の中に流通していないということなのだろうが、その理由が
紙幣取扱機器の対応状況は十分と言えるものではなかった。金融機関の現金自動預け払い機(ATM)や自動販売機での利用環境が整わず使用できなかったことや、一般商店のレジにも二千円紙幣を収納する場所が存在せずつり銭として払い出されなかったことなどが二千円紙幣の普及を阻害する要因となったとされる。
とあるのは残念だ。
昨日の天気予報には「警報級の雨」と脅されたが、実際にはそこまでいかないようであった。
昼の情報番組では連休明けに、仕事や勉学の意欲を失う「五月病」のことを盛んに取り上げていたが、「五月病」かどうかを判定する材料は、「体重が減ったか、睡眠がとれているか」であるそうだ。
「五月病」は、どうもワタシには関係ないようだ。
やっと平常の生活に戻れるようだが、明日の天気はかなりの荒れ模様になりそうだ。
こういうのを「出鼻を挫かれる」と言うのだろう。
尚、「出鼻を挫く」の「でばな」には「出端」と「出花」の漢字を当てはめることも出来、何れも「物事をし始めたばかりのところを妨害して、中断させたり意欲をなくさせたりすること。」と言う意味ではマチガイないということだ。
さて、今日の朝刊のコラムにもあったが、最近一般家庭から「こいのぼり」の姿が見えなくなってなってきた。
やはり、「こいのぼり」をセットするのは、かなり面倒であることだろうし、苦労してセットしたところでそれに見合う評価が得られないということなのだろうか。
「雛人形」とは異なり、「こいのぼり」をセットするにはしっかりしたポール?を立てなければならないだろう、またセットしたポールを一年中立てておくにはそれなりの敷地の余裕もなければならないのだろう。
こう考えると、やはり庶民にはなかなか困難なことであるのかもしれない。
休みはもういいよ、と言う感じがしないでもないが、やはり休みはいいなと言う感じもしている今日この頃である。
特に今回の連休は、水曜テニスが雨天のために二回連続中止されており、身体のストレスがだいぶ発散できていないのである。
写真は今日も藤の花であるが、藤は平安時代から鎌倉時代にかけては、松の緑を背景として、そこに絡まって咲く藤の花が鑑賞の基準されたようだ。
「枕草子」の八十四段には「めでたきもの(賞美すべきもの)」として「色あひ深く花房長く咲きたる藤の花、松にかかりたる」とあるようだ。
最近のワタシの典型的な姿である。
まあ、順調に頭の方も老化していると言えばまさにそうなんだが、悲しいことだ。
全国的には良い天気ということで、ゴールデンウィークの休みを満喫している人も多いことだろう。
「急激な円安が進む昨今だけに思わず独りごちた。」
国語の教師をしているのに何だが「独りごちた」とは何ぞや?言葉の雰囲気からして、それとなく意味は想像できるのだが、正確な意味はシカとは分からない。
さて「独りごちる」とは、昭和期の文壇の小説などで使用されていた古語・文語的表現であり、 「独り言を言う・自分一人でぶつぶつと何かをつぶやく (特別誰に聞かせるわけでもない独り言を言う)」 という意味を持っているという。
うーん、なかなかシブい言葉だ。この記事を書いた記者はよっぽどこのフレーズを使いたかったのだろうな。