2013年12月31日火曜日

潮騒のメモリー

 朝の連続ドラマ「あまちゃん」の特別番組、なんと朝始まった番組が夕方の5時頃までという、超ロングバージョンであった。まあ、半年間の番組を一日でまとめるのだから、無理もない。

「あまちゃん」は、出勤前に時々見ていたのだが、ところどころ欠けているところがあり、今日は良いチャンスだと思ってできるだけ見るようにした。

このドラマのひとつの小道具として、「潮騒のメモリー」という劇中歌がある。「薬師丸ひろこ」扮する女優「鈴鹿ひろみ」の若い頃の持ち歌であったのだが、彼女が歌音痴なので代役(シャドー歌手)をたてられる。
これが「小泉今日子」扮する主人公の母親「天野春子」であった。

さて、話が長くなるので、言いたいことだけをここに言おうと思う。
最終回では音痴であったはずの「薬師丸ひろこ」がシャドー歌手「小泉今日子」の前で、堂々と歌いきる設定になった。

「薬師丸ひろこ」の歌。
これが実に上手いのだ。
「薬師丸ひろこ」をリアルタイムで見ていない人は、信じられないかもしれないが、私に言わせると、上手くて当たり前である。
なんてたって、「夢の途中(セーラー服と機関銃)」を歌っていた歌手なのだ。

実際「潮騒のメモリー」を二人が前後して歌ってみると、彼女のほうが、音程も声量も上であることがわかる。

ウーン、懐かしいなあ。
薬師丸ひろこ万歳。

2013年12月30日月曜日

シーザーサラダ

北海道スキー三泊のうち、最後の夜は札幌にいつも泊まることにしている。
そして居酒屋。
私は、それほどお酒が好きなわけではないので、興味はどうしても居酒屋の料理の方にいく。
ここのところ何年かは、「魚や一丁」という居酒屋が定番となっており、今回もススキノにある「魚や一丁・ノルベサ店」に出かけた。

 写真の一番上が「ホッケ」、やはり北海道と言えば「ホッケ」である。
昔は庶民の魚の代表のような魚だったらしいが、今は立派な高級魚だ。
二番目の写真が「するめの天麩羅」、するめを天麩羅にするとは、なかなかである。
三番目の写真が「シーザーサラダ」。
ローマ帝国の基礎を築いたジュリアス・シーザーの好物であったとの俗説が未だに料理雑誌などで見られるそうだが、実際にはシーザーとの関連はないということである。
レタスの上にニンニク、塩、胡椒、レモン汁、オリーブオイルから作られるシーザードレッシング、パルメザンチーズとクルトンをトッピングして仕上げる。


 実際はアメリカの国境に近いメキシコの町、ティファナのレストラン「シーザーズ・プレイス」で、1924年7月4日、オーナーであったイタリア系の移民のシーザー(チェザーレ)・カルディーニによって調理されたのが最初なのだそうだ。

へーそうだったんだ。

一番下の写真が「インカのナンチャラ」いうジャガイモ。これも甘くてそれは美味しいものだった。

2013年12月29日日曜日

歳をとって得すること。

歳をとって得することもあるのだ。
今回のスキー、JALのツアーを利用したのであるが、このツアーには「60歳以上の参加者は往復の宅急便、荷物一個無料」という特典があった。
普通、スキーのバッグだと、片道1800円程度は覚悟しなければならず、「おおー、これはラッキーだぞ。」である。

というわけで、北海道スキーはスキーの板自体も毎年レンタルスキーを利用している私は、ほとんど荷物を持つことなく、(絶対に必要なものは、スキー用のズボンと帽子、手袋だけ。)まるで近所のスーパーに買い物に出かける格好で、北海道まで行ったのである。
さて、スキーのレンタルだが、最近のレンタルスキーは性能も極めて優れており、年に一度程度のスキーであれば、レンタルの方がよっぽどお得なのです。
しかも12月のこの時期は、スキー板も殆ど新品の状態なので、気持ちの良いことこの上ありません。

「何ももたないスキー、究極のスキーだね。」とニヤニヤしてしまう私がそにいました。

2013年12月28日土曜日

晴天スキー

スキーの二日間は、ここ何回かの北海道スキーではけっして実現しなかった絶好のスキーコンディションであった。

去年は二日間とも、滑ることは滑ったのだが、いささか風もあり、途中で切り上げてしまう態であったし、その前年は、大荒れの天気で、結局スキーを断念することになってしまったのである。(まあ、スキーがダメでも温泉があるがね。)

この天候を与えてくれたスキーの神様に感謝、感謝である。

それにしても、ニセコスキー場の外国人の多さには唖然とする。
一番多いのはオーストラリア人らしいのだが、その他にもアメリカ、イギリス、ドイツ、ロシア、さらに中国人。
まるで、我々が外国のスキー場にやって来たみたいな錯覚を起こしてしまうのである。

(写真は滑り出す直前の私。ダウンジャケットというのはよくしたもので、気温が低くなればなる程ふくらんできて、寒さを防ぐようだ。)





2013年12月27日金曜日

北海道スキー

 昨日、一昨日とホテルの食事のことばかり書いてしまったのであるが、私が何故北海道にやって来たのかと言えば、それは当然スキーのためにやって来たのである。

そこでスキーについて。
なんと、北海道スキーを始めて今年は二十七年目でもある。
よくも毎年毎年、北海道まで来たものだ。

北海道でスキーをするのにはワケがある。
なんといっても一番の理由はゲレンデに人が少ないこと。
かつて長野のスキー場でやっていた時には、ゴンドラの待ち時間が一時間なんていう時もあった。

それがこちらではゼロ分。
これなんです。
つまり、ゲレンデの人間が少ないのです。
次の理由が雪質が良いこと。
所謂パウダースノーというやつで、それはそれは気分の良いものなのである。

もうひとつオマケニ多くのスキー場が、抜群の景色を持っていること。
下の写真は、ゴンドラの終点から見た景色である。
中央に山見える山が「蝦夷富士」と言われる「羊蹄山」なのだが、「蝦夷」の「富士」と言われるだけあって、我らが「富士山」に、とても良く似ているのである。

2013年12月26日木曜日

バイキング


ニセコグランドホテルの夕食は、バイキングというだけに、色々な種類の料理が並んでいるのであるが、これが曲者、やはり人間の悲しい性(さが)、目移りしてしまうのである。「あれも食べたい。これも食べたい。みんな食べたい。」となり、結局食べたいものを皆皿にもってしまうのである。そして皿には多すぎて、食べることができなかった料理のアレコレが残ってしまう。おおー、情けなや。(写真はスープカレーと天婦羅。)

2013年12月25日水曜日

蟹

蟹である。食べ放題の蟹である。しかし、食べ放題といってもこれがなかなか食べられない。人間の 食欲などというものは、かなり低い限界で設定されているのかもしれない。我々の食欲なんてえものはその程度なのだ。しかし、ナントイッテモ蟹。蟹の力は恐ろしい。 ニセコグランドホテルの夕食バイキングより。


2013年12月24日火曜日

ニセコ昆布温泉

タブレットブログの二回目である。
恒例の北海道スキー、今年も去年に続いてニセコ昆布温泉までやって来た。
実は昨日、千歳空港は雪のため一部の到着便がキャンセルされ、羽田空港で旅行を諦めた人もあったとか。
天気は我々に味方してくれたようだ。
ありがたや、ありがたや、。

ニセコは千歳からバスで三時間、バスに乗って驚いたのは日本人の乗客が少く、国は分からないが、たぶん英語圏の乗客が四割、中国系が四割、残りが日本人客と言った案配であった。

ニセコのホテル、ニセコグランドホテルのウリは庭園露天風呂である。
また、ここの温泉には「メタケイ酸」が多く含まれており、美肌効果には抜群であるとのこと。
これは、きっと美人になって帰れるぞ。

写真は浴衣と外の雪。

2013年12月23日月曜日

和風旅館の朝食

日本の朝ご飯。

和風旅館の朝ご飯には、そこはかとない(古語では「そはかとなし=理由がはっきりしない)」 色気がある。
色気と言ってはなんだが、要はカタチ・色・匂いが「食べてね」と懇願してくるのである。

洋風の朝食であれば、ハムエッグに野菜、主食にパンと、比較的品数は少なく、食事自体も短時間で終えてしまうような気がする。
そこには、懇願がほとんど表れてこない。

これに対して和食は品数が多い。
無論、旅館の朝食であるからそれは当然と言えば当然なのであるが、それにしても見事である。
写真の二品は、朝ご飯のメインたる「アジのひらき」と「湯豆腐」。

その他にも「卵焼き」「「塩から」「おから」「生野菜のサラダ」「みそ汁」、後は忘れてしまったが、それぞれのオカズが自己主張するのだ。
そして、懇願する。

それがきっと色気なのだろう。


2013年12月22日日曜日

忘年会の変質

 今年の忘年会は、長岡温泉の「楽山やすだ」という旅館であった。

最近よく感じることは、忘年会自体の有り様が変質しているということだ。
かつてはほとんど全員参加の態をなしていたのであるが、今はどこの団体でも三分の二程度の参加が普通のようだ。
個人の尊重は当然なのであるが、一面、ややさみしい感じも否めない。

忘年会は文字通り、「年を忘れる会」である。
もっと言えば「今年あった嫌なことを、ここで来年に持ち越さず忘れて、また新たな気持ちで来年を迎えよう。」である。

忘れること、水に流すことが得意な日本人の、良いシキタリだとおもうのだが。

2013年12月21日土曜日

タブレットより。

N西の忘年会であった。今回は、初めてタブレットの投稿にチャレンジ。パソコンと違って、なかなか要領がつかめない。写真は現地に向かう途中で「冬の海」を撮ってみた。   

2013年12月20日金曜日

ラクトアイス


雪は早い段階で雨になった。
この時期らしからぬ冷たい雨であった。

昨日はアイス「雪見だいふく」であったが、このアイス、日本では三種類に分かれるようである。
すなわち、アイスクリーム・アイスミルク・ラクトアイスの3つである。
アイスクリームとは、重量百分率で乳固形分15.0%以上、うち乳脂肪分8.0%のもの。
アイスミルクは、同じく乳固形分10.0%以上、乳脂肪分3.0%以上のもの。
ラクトアイスが乳固形分3.0%のもの。
ラクトとはラテン語で「乳」を意味するそうだ。

要は、乳固形分の比率の違いで分けられ、おのずと商品の値段も変わってくるということなのだ。

ラクトアイス、結構美味しいのだがね。







2013年12月19日木曜日

「雪見だいふく」



天気予報通りの雪。
御殿場地方の初雪である。

雪と言えば「雪見だいふく」。
何だか唐突ではあるが、私の頭の中はこれである。
「雪見だいふく」は1981年の発売というから、もう三十年以上も販売している。
ダイタイこのアイスクリームが登場した時には「これは果たして売れるのだろうか?」の思いが強かったのであるが、何と何と現在までしっかり生き残っているのだ。




炬燵のある日本家屋の内を「大福」のイメージに、窓や庭先から眺める雪景色を「アイスクリーム」のイメージに重ねて、「大福」と「雪見」を自然な光景の中の馴染みある取り合わせとして演出したのだと。

元来、餅は低温だとカチカチに固まってしまう。そのため、糖類やデンプンなどを加え、柔らかく口当たりが加工された。

「雪見だいふく」は名前の通り、雪の時期、すなわち冬季販売が中心である。
夏のように気温が高い場合。、餅はすぐに食べないとドロドロに溶けてしまうからなのだそうだ。

2013年12月18日水曜日

紅葉の次は雪だろうか。

先週撮影した我が家の紅葉である。
今年の紅葉は、以前にも書いたのであるが、まったく予想ができない(何時、何処での予想)紅葉であった。

紅葉の季節が過ぎると、次は雪ということで、どうやら天気予報では御殿場地方、明日は雪らしい。

ところで「雪」は、名詞であるが「雪」を動詞にすると、「雪ぐ(すすぐ)」となる。
「雪ぐ」には、「祓い清める」の意味がある。
例の「雪辱」である。
「雪辱」とは「辱(恥」を「祓い清める」ことなのだ。

なんでも朝鮮語にも「雪辱」という言葉があり、意味は日本語と同じ意味なのだそうだ。

2013年12月17日火曜日

「仕事の流儀」

NHKのプロフェッショナル「仕事の流儀」という番組を観た。
大リーガーの「イチロー」にインタビューするスタイルであったが、これがなかなか面白かった。

イチローの技術の最もすごいところは、「バットを持つ手の位置」なのだとライバルが語っていた。
極端な言い方をすると、まず体が出てきて、その後にバットが出てくるのだと。
それだけボールを長い間見ているのだと。
また別の話では、「イチローの練習は宗教の儀式のようだ」と。
毎日同じ時間に同じことをする。
それは精密機械であると。
細かいことを言えば、練習の前にとる食事までも同じなのだそうだ。
同じ事を単純に際限なく繰り返す、これがイチローを作っているのだろう。

来シーズン四十歳を迎える彼のもっとも大きな前に進む原動力は「かつての屈辱感」だとも語っていた。

ウーン驚いた。


2013年12月16日月曜日

雲

N西の校舎からみた雲である。

最近は妙な雲が多い様な気がする。
(歳をとって空を見上げる機会が多くなったからだろうか。よく変な雲を見るのだ。)

気候が妙なのは、今年の全般的な特徴であったようだが、果たしてその影響か?
延びていたのだが、それがだんだん広がって行って写真の雲になった。

何かの前触れなのでしょうかね。

2013年12月15日日曜日

「ふぐ」②



「フグ料理」は一般的に高級料理として旬の冬場に食べられ、食用のフグの七割が京阪神地域で消費されており、特に大阪での消費量は全消費量の六割に達するそうだ。
また近年は養殖により季節を問わず食べることが可能だという。

ところで、私は勿論食べたことなどないが、フグの肝臓は多くの食通をうならせる美味であり、「フグは食いたし命は惜しし」の言葉があるように、中毒を覚悟で食べようとする者もいるということである。



さらに、何故か分からないが、フグ毒に当たった人間は、「頭だけだして、体を地面に埋めると治る。」などの俗信もあったようだ。(そう言えば落語でこのような話を一度聞いたことがある。)
しかし、これは、完全な迷信であり、そのような効果は、まったくないらしい。

人間以外では、ネコはフグを食べても中毒しないという俗信もあるが、ネコの中毒死は、実はよくあるという。

きっと、フグのあまりの美味さに、人々がいろいろな伝説を作ってしまったのだろう。



写真の上は「てっさ」
下は「唐揚げ」である。

2013年12月14日土曜日

「ふぐ」を食べたぞ。

「ふぐ」と言えば大阪。
この「ふぐ久」という店は大阪の「鶴橋」にある。
もう20年以上前になるが、この店でかつての教え子がアルバイトをしており、その紹介でふぐを初めて食べた。

ここのコースは

湯引き(ふぐの皮)
てっさ(ふぐの刺身)
下てっちり(ふぐ鍋)
唐揚げ
雑炊

と食べることができて、5000円以下という格安のふぐ料理である。
なんと言ってもオススメは「唐揚げ」。
一度たべたらヤミツキになること間違いなしなのである。


2013年12月13日金曜日

京都で見つけた妙なもの

京都で見つけた妙なもの。
これは錦天満宮の鳥居であるのだが、鳥居の端をよく見てみると、なんとビルの中にめり込んでいるのだ。

これは、昭和十年に鳥居が作られた後、ビルを敷地いっぱいに建てたためにこうなったのだそうだ。
実際ビルの中には鳥居の先端があるらしい。
考えてみれば、土地の空中権はビルの持ち主のものだものね。

大阪だったらこんなことは良くありそうな気がするが、京都の街の中でこのような風景を見るとは。(これは決して大阪をバカにしているのではありません。)


京都で見つけた妙なもの②。
四条河原町から祇園に向かって鴨川を渡ると、京福電鉄の祇園四条の駅がある。
地下の電車ホームに降りようとした時に現れたのが、所謂ユルキャラ「うどんくん」。

どうやら「うどんくん」は饂飩のドンブリが顔になったようだ。
しかし、不思議に思うのが「何故京都なのか」ということである。
例えば、讃岐うどんの四国あたりにこのキャラクターがいるのならまだわかる。
大阪のキツネうどんも有名だ。
しかしながら、ここは京都ですぞ。

結局、この「うどんくん」は祇園に昨年出来た「うどんミュージアム」のイメージキャラクターということが判明したのであるが、どう考えても妙だ。
「にしんそば」だったらまだ分かるがね。

まあ、「うどんくん」がカワイイからいいか。

2013年12月12日木曜日

「ずっと」 spicy chocolate

今、私の好きなコマーシャルに「ドコモ LTE Strong Xi(クロッシィ) 想いをつなぐ篇」というのがある。
コマーシャルの雰囲気は、以前ヒットしたJR東海の「クリスマス・エクスプレス」に似ているのであるが、JR東海同様、バックに流れるレゲイ調の歌「ずっと」が何とも言えない良い味を持っている。

歌を担当しているのは、「spicy chocolate feat(フィーチャリング) HANーKUN&TEE」とある。

オジサンには何だか直ぐには理解しかねるものがあったが、「spicy chocolate」というのは、東京出身のレゲエサウンドシステムで、(レゲエサウンドシステムとはレゲエグループらしい。ったく、最近のネーミングは実に難解だ。)日本のレゲエシーンにあっては、トップグループ?だという。
(グループという言い方も、どうも適当でないような気もするのだが。)


さて、肝心の「ドコモ」のコマーシャルであるが、「LTE Strong Xi(クロッシィ)」である。これもまたよくわからないコマーシャルだ。
まず、LTEは、Long Team Evolutionの略であるという。
これは、ドコモの高速通信サービスで、mova(2G)、foma(3G)、fomaハイスピード(3.5G)の流れを汲む、次世代の通信規格なのだそうだ。

まあ、ドコモの言いたいことは、「どこでも・いつでも・速くしっかりつながる」通信サービスが「ドコモ LTE Strong Xi(クロッシィ)」ですよ。
ということなのだろう。






2013年12月11日水曜日

前田珈琲

京都の珈琲といえば、「イノダ珈琲」が有名だが左の写真の「前田珈琲」もなかなかである。

「京都の皆様に愛されて40年、老舗喫茶前田珈琲」というキャッチフレーズのとおり、観光客は比較的少ない京都人の多い喫茶店だ。
(イノダ珈琲は実に観光客が多いのです。)

店の前の自転車やバイクを見れば、それは証明されるだろう。
したがって、この店に、地元の人間然とした顔でいると、なんとなくニヤニヤしてしまうのだ。
「もしかしたら私も京都人に見られているかもしれない。」である。
(まあ、リュック背負って、カメラをぶら下げていれば、そんなことはないがね。)


外観も、京都らしさとでもいうのか家紋入りの幕が下がっており、「前田珈琲」の看板も屋根に個性的に立てられている。

肝心な珈琲の味はというと、創業者が「イノダ珈琲」で修行した人ということで、濃いめの「イノダ」の味にかなり似ているようだ。
この店を代表するブレンドには何故か「龍之助(龍之介ではない)」という名前がついているのも何となく面白い。



2013年12月10日火曜日

錦天満宮

錦小路の東の端、錦天満宮である。

天満宮は菅原道真を祀る神社。
(本来は、非業の死を遂げた道真の怨霊鎮めのための神社である。)
怨霊は兎も角、菅原道真は学問に秀でた平安時代のインテリであり、学問の神様と言われている。(天神さまとも言う。)

さて、私が現在N西で教えている生徒は受験生。
これはナントカお願いしなければ。
というわけで、受験生のために天満宮にお参りした。



お参りしたのは良いが、天満宮の入り口に写真のような牛がいたのである。
これは一体ナンジャロ?
普通は神社の入り口は狛犬である。
牛とは珍しい。

そこで調べてみると、
①菅原道真が「丑年」であること。
②道真が太宰府に落ちて行く途中命を狙われた時に白牛に助けられた。
③「車を牛に引かせて、牛の行くままに任せ、牛の止まった所に葬ってくれ」との遺言にしたがって墓所を定めた。(ここが太宰府天満宮)
ということが判った。

なるほどね。それで牛なんだ。

2013年12月9日月曜日

錦小路

京都には「京の台所」と言われる「錦小路 」商店街がある。
幅三メートル前後の通路をはさんだ両側に商店が並ぶ。
京都を南北に走る、繁華街「新京極」とか「寺町」通りに突き当たるので、いつも観光客や地元の人で混雑している。
私はこの小路が大好きで、今回もこの「錦小路」に行ってみた。

さて、烏丸通り側からこの小路に入ろうとしたのだが、ふと上を見上げると「伊藤若沖」の垂れ幕がぶら下がっているではないか。(下の写真)
「おやおやこれはナンジャロ?」
と思ったのだが、ふと気づいた。

そう言えば「伊藤若沖」の実家は「錦小路」の青物問屋だった。

「伊藤若沖」は江戸時代の画家。
静岡県とも関係が深く、県立美術館は下の屏風「樹花鳥獣図屏風」を収蔵している。
(この絵はドット絵として有名。)

彼は実家の青物問屋「桝屋」を長男として継ぐが、絵を描く事以外、世間のことには興味を示さなかったという。
当然商売にも熱心でなく、酒も飲まず、妻も持たなかった。
一時、家業を放棄して二年間丹波の山奥に隠棲してしまったことも。

四十歳の時に、家督を三歳下の弟に譲り、隠居する。
若沖の絵描きとしての活躍はこの後であったのだ。




伊藤若冲《樹花鳥獣図屏風》毎年ゴールデンウィーク期間に展示予定






2013年12月8日日曜日

京都ラーメン


 京都ラーメンを久し振りに食べた。
京都ラーメンというのもおかしいが、昔から京都にあるラーメン屋さんのひとつ「第一旭」だ。

京都駅から徒歩数分ののところ、いつも行列の絶えない「第一旭」がある。
実は、このお店の隣には、「新福菜館」という、これまた京都ラーメンの店があるのだが、こちらの方もいつも行列が絶えない。
古さで言えば、ここにある二軒が京都では双璧のようで、「第一旭」の創業が1953年、「新福菜館」は1938年ということである。

京都ラーメンはコレダと一言でまとめることは、できないのであるが、この二軒は豚骨醤油で九条ネギ、チャーシューは薄く切ったものが何枚ものっている。
このへんが特徴のようだ。



他にも、「天下一品」とか「ますたに」など東京でも食べることのできる京都ラーメンはあるが、私にとって京都ラーメンと言えば、やはり「第一旭」か「新福菜館」なのである。

左が「第一旭」のラーメン。
チャーシューがいっぱいのっているように見えるが、これはチャーシューメンではない。
普通のラーメン650円である。

隣の「新福菜館」のラーメンは色がもう少し濃く、もやしが入っているのが違いだろうか。

いずれも見た目よりはあっさりしていて、毎日食べても飽きない味である。





2013年12月7日土曜日

家族の新しいカタチ

先日、「大戸屋」という和食のレストランで見た風景。

大学生ぐらいの息子ふたり、その両親といった家族四人だった。
注文した料理を待っている間に何をしているかというと、これが驚きであった。
五十代と思われる父親がスマートホンでゲームを始めた。
次に母親、やはり自分のスマートホンに、やおらイヤホンを接続したかと思うとなにやら音楽を聴いている様子。
そして長男、タブレットを見ながらニヤニヤしている。何かの動画を見ているのだろう。
最後に次男、スマートホンでメールを見ているようだ。

この家族、注文を待っている間、家族の会話が一切なかったのである。
へー、これが家族の新しいカタチか。



2013年12月6日金曜日

裾野 普明寺

通勤途中に見つけたお寺。
裾野の御宿というところに、「普明寺」という曹洞宗のお寺である。
寺の山門の前には、「武田信玄ゆかりの寺」とあった。
ん、武田信玄?
武田信玄と言えば甲斐の武将、それがなぜ裾野なんだろう。

気になったので、チョイと調べてみた。

普明寺には武田信玄がこの地で狼藉を禁止した書面残っているのだそうだ。
戦国時代は、戦いが始まると乱暴狼藉、人さらいなどが当たり前、そこで土地の有力者は、いち早く侵略軍へ接触し、多額の金品を贈与し、狼藉禁止の書面を得ていた。
当時は北条氏康がこの地を含む東駿河を領有していたが、今川義元ががその奪還を目論み侵攻を開始、義元と同盟を結んで信玄もこの地に出陣、書面はその時のものであるという。

へーなるほどね。
しばし歴史を感じる瞬間であった。

2013年12月5日木曜日

今どきの吹奏楽

先週、N西の駐車場から見えた雲。
写真では分かりにくいが、二列の帯のようになっていた。

夜、「笑ってこらえて音楽祭」というテレビ番組で高校生の吹奏楽部の特集をしていた。
私もはるか昔に、吹奏楽部に籍を置いていたことがあるのだが、今の高校生はほんとうに凄い。
初見の楽譜を2時間で演奏できるようにしてしまうのだから。

これは勿論、個の能力が昔とは格段の差があるのだろうが、やはり情報の広がりということが大きく影響しているような気がする。
いつでもどこでも良いもの、良いと言われる演奏を手に入れ、聴くことができる。
つまり、優れた手本を手に入れることができるのである。

2013年12月4日水曜日

老いの嘆き

昨日、江戸時代の俳文「鶉衣」で「老いの嘆き」の説明をしたのであるが、私の頭の中にはもうひとつ「老いのあつかましさ」について書かれた「徒然草」が浮かんでいた。

住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも四十路にたらぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
(いつまでも住みおおせることのないこの世に、老い衰えた醜い姿を迎え得たところで、なんになろうか。なんにもなりはしない。「長生きをすれば恥ずかしい思いをすることが多い。」と古人も言っている。長くても四十歳に満たないうちに死ぬようなのが、実に無難であろう。)

「徒然草」は14世紀に書かれたものなので、18世紀の「鶉衣」とは人生の長さには若干のずれがあろうが、何れにしても「老いの嘆き」には違いない。
長生きが「良い悪い」の問題ではなく、人間にはきっと「良いタイミング」というものがあるのだろう。

2013年12月3日火曜日

「鶉衣」

今年の我が家の紅葉は結構キレイだ。

さて、「鶉衣(うずらごろも)」という江戸時代中期の俳文集がある。作者は横井也有(よこいやゆう)。
(「鶉衣」は、つぎはぎした衣のこと。)
その俳文のなかに、「歎老辞」と題する文章があり、今日その講義をした。
文字通り、「老いを歎く辞」であるのだが、也有は次のように言っている。

五十三歳の秋を迎え、老いの嘆きを次第に思い知るようになった。
年来の友はほとんど亡くなり、耳が遠く流行語に疎いので、若い人の仲間にも入れない。
楽しむためには老いを忘れるべきであり、人に嫌われないためには、老いを忘れてはならないが、この境目に達するのは難しい。
できれば早すぎず、遅すぎず、ほどよいところで一生を終えたいものである。

江戸時代と現在とは、「老い」の認識が異なっているとは思うが、「老い」を「忘れるべき」であり、かつ「忘れてはならない」とは、これはなかなか難しいぞ。(高校生には、さらに難しいぞ。)

2013年12月2日月曜日

模試監督

日曜日。
朝8:20より18:20まで模試監督であった。
さすがに10時間は老体に応える。
もっとも、N西の受験生諸君はこの拷問に等しい時間を、私よりもっとシビアに過ごさねばならなかったのだ。

凄いねー。
感心、感心。

18:00を過ぎると、今はもう真っ暗である。
なんか心まで真っ暗になってしまうね。
でも、これが青春かもしれない。
今の私に、10時間試験を受けることなど絶対に無理だろう。

受験生諸君、今だからこんなことが出来るのだぞよ。





2013年12月1日日曜日

西行が泣いた。

土曜講習において「古今著聞集」を講義した。
所謂「説話」のジャンルに含まれる作品であるが、なかなか面白い話であった。

今日の話は西行。
西行という男、古典に登場する歴史上の人物の中では抜群にカッコいい男である。
腕っぷしは強いし、頭はきれる。
さらに、和歌の名人でもあるのだ。
この男、当然女性にもモテるのであるが、これが災いして、自ら出家してしまう。

今日の話は、このカッコいい男が思わぬ戒めにあって、さめざめと泣く話である。

「へぇー西行が泣くのか。」と驚き、驚き。
どんなスーパースターにも災難は降ってわくものだね。

2013年11月30日土曜日

岡林信康というフォークシンガー

報道ステーションというニュース番組に、かつて「フォークの神様」といわれた「岡林信康」が出演していた。
彼の話は、なかなか考えさせられるところがあった。
なかでも印象深い話は、彼の「友よ」にまつわるエピソードである。
東京では左翼の学生が、この歌を自分たちのテーマソングのように歌っていた。
一方、北海道の自衛隊の隊員も「友よ」を自分たちの仲間で歌う歌にしていたというくだりである。

人間のイデオロギーなんてえものは、根底のところでは大差はないのだろう。

さらに岡林は言う。
政治に幻想を抱くな。
そのようにしてしまったのは、自分自身なのだと。

2013年11月29日金曜日

「野球は年齢でするものではない。」

スポーツニュースに、今年大リーグのボストン・レッドソックスで活躍した上原投手が出演していた。
印象深かったことは、彼の「野球は年齢でするものではない。」という言葉であった。
39歳のピッチャーは、自分のことを「まだまだ発展途上だ」という。

この言葉を借りれば、「教師も年齢で」するものではない。」ということになる。

よーし、明日も老体にムチ打ってやるとしようか。