案の定、めざした「泉涌寺」には観光客の姿はほとんど見られず、平安神宮とか南禅寺において人の多さに辟易していたワレワレに、一時の心の安らぎを与えてくれることとなった。
写真はその「泉涌寺」の敷地内にあった「土蔵」の鍵である。意匠が素晴らしかったので撮った次第。
案の定、めざした「泉涌寺」には観光客の姿はほとんど見られず、平安神宮とか南禅寺において人の多さに辟易していたワレワレに、一時の心の安らぎを与えてくれることとなった。
写真はその「泉涌寺」の敷地内にあった「土蔵」の鍵である。意匠が素晴らしかったので撮った次第。
「東寺」の創建は平安京が出来て間もない頃、796年と云われている。その後823年に弘法大師空海が嵯峨天皇から「東寺」を下賜され真言密教の根本道場としたそうである。
「東寺」というからには、かつては「西寺」というお寺も存在していたのであり、「東寺」と「西寺」の間には「羅城門」があった。
そして、「羅城門(らじょうもん)=芥川龍之介の小説では羅生門(らしょうもん)」から北に向かって「御所」まで延びている大きな通りが「朱雀大路(すざくおおじ)」なのです。
カップルどうしが等間隔で並ぶことが面白く、よくテレビなどでも報道されていたが、実際この目でみてもカップルどうしは等間隔で並んで座っていた。
写真を撮っている場所は先斗町(ぽんとちょう)通りで、一本西が木屋町通りとなる。
そして木屋町通りに添って流れるのが「高瀬舟」で御馴染の「高瀬川」なのです。
日本で一番最初に地下鉄を走らせたのは京都であるし、珈琲文化やラーメン文化なども、京都ならではの独特なものを作り出している。
写真は「六角堂」の近くに合ったお店(何の店かは失念してしまったが)の外付けのディスプレイである。
この自転車、インパクト十分ではなかろうか。
場所は京都「錦小路」の東のはずれ、寺町通にぶつかる直前である。
おそらく、鳥居が先に出来ていて後から建物を建てる時に、鳥居を削るわけにもいかず、致し方なく建物の方に穴をあけたのだろうが、ワタシはこんなところに「いかにも京都」を感じるのです。
ところで、今の「錦小路」というところは、昔とはだいぶ変わってしまって、かつての京都市民の台所などという面影はまったくなくなり、あの狭い通りは外国人に奪われてしまって、ガタイの良い外国人(西洋人)がウジャウジャ歩いているような「小路」に変わってしまったのです。(外国人の皆さんゴメンなさい、すべての外国人をセメテいるわけではありません。)そしてワタシは、立錐の余地もないような「錦小路」など、「もう二度とは行きたくない」の感を持ったのです。
しかしながら、ほぼ昔人間のワレワレのグループは、どうしても「イノダ」に行こうということになり、出かけた次第。
ちなみにワタシは、京都の三大珈琲と云われる珈琲屋、すなわち「イノダ珈琲」「前田珈琲」「小川珈琲」の中では、圧倒的に「前田珈琲」が好きなのです。
いわゆる観光地と云われる所は、ほぼ外国人の歩く姿しか見ることが出来ない。
さて写真は南禅寺の境内にある「水路閣」である。(ここも例にもれず外国人ばかりだ。)
これは1887年に完成した琵琶湖疎水の水路橋であり、当時は境内の景観に配慮して設計・デザインを行なったレンガ、花崗岩造りのアーチ型の橋脚だと言われているが、皮肉なことに今となっては「お寺の境内にある妙な建造物」となっているような気がする。