2016年9月25日日曜日

「ずんぶり浸る展」終了

「ずんぶり浸る展」の終了である。
帰りがけに記念館のIさんから「期間中の入場者は508名
ですよ。」の報告あり。
これは当然、観光客でふらりとやってきた入場者の数も、多少含まれるのであろうが、「それでもたいしたものだ。」と、自画自賛する私とSさんであった。
これも偏に来場して頂いた皆様のおかげです。

さて、今回Sさんと話をているうちに気づいたことがある。
「我々は実に理屈っぽい」ということである。

それは「感覚の中の理屈」とでも言うのだろうか。
書にしても写真にしても最初は感覚から始まる。
感覚で対象を決定するのだ。
従って「この対象は作品に出来る、これは出来ない。」と、感覚で決定する。
そして、次にすることが理由づけなのである。
これは所謂「後付け」というものではない。
謂わば感覚で選んだものから、何故その対象を選んだのかを引っ張り出す作業なのである。
なかなか上手く表現できないが、我々の感覚の中には「無意識の理屈」が含まれている。
それを探して引っ張り出すのである。
これが理由付けだ。

何はともあれ、「ずんぶり浸る展」が終わった。
ホッーである。



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