2016年9月16日金曜日

「照れば鳴いて曇れば鳴いて山羊がいつぴき」

「照れば鳴いて曇ればないて山羊がいつぴき」

書は横長サイズに左右分割の趣きで書かれている。
素人が言うのも何だが、なかなか味のある書である。

写真は北海道の札幌丸山動物園で撮ったものだ。
山羊を探したのだが見あたらず、ふと見ると羊。
「おおー、これだこれだ。山羊と羊の差は山があるかないかだ。基本的には同じではないか。」と、勝手な理屈をつけて、これにすることにした。
「羊よ、君は山羊だ。」

さて、この句は「草木塔」の「雑草風景」の見出しの中の句である。
昭和十年の日記には、フクロウの句?が三句?並んだあとにこの句が出てきている。
日記には「正身心を持して不動の生活に入ることが出来たのである。」
と書かれているが、泰然自若の感がある句だ。


山頭火の日記(昭和10年4月21日~) 

四月二十一日 晴、そとをあるけば初夏を感じる。 
昨日は朝寝、今朝は早起、それもよし、あれもよし、私の境涯では「物みなよろし」でなければならないから(なかなか実際はさうでもないけれど)。常に死を前に――否、いつも死が前にゐる! この一ヶ年の間に私はたしかに十年ほど老いた、それは必ずしも白髪が多くなり歯が抜けた事実ばかりではない。しづかなるかな、あたたかなるかな。午後、歩いて山口へ行つた、帰途は湯田で一浴してバス、バスは嫌だが温泉はほんたうにうれしい、あふれこぼれる熱い湯にひたつてゐると、生きてゐるよろこびを感じる。晩酌一本、うまいうまい、明日の米はないのに。私はまさしく転換した、転換したといふよりも常態に復したといふべきであらう、正身心を持して不動の生活に入ることが出来たのである。 
 ふるつくふうふうわたしはなぐさまない(ナ) 
 ふるつくふうふうお月さんがのぼつた 
 ふるつくふうふとないてゐる 
    (ふるつくはその鳴声をあらはすふくろうの方言) 
 照れば鳴いて曇れば鳴いて山羊がいつぴき 
 てふてふもつれつつ草から空へ(ナ) 

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