「青空したしくしんかんとして」
「したしく」は親しく
「しんかん」は深閑もしくは森閑であろう。
あたりに、音のしない、ひっそりとした様子である。
「青空には親しみを感じる、そしてその青空は実にひっそりとして静かである。」
こんな意味ではなかろうか。
写真は富士吉田の神社にあった枝をおとされた杉の木である。
中心に集まって行く木の間に「青空」が見える構図だが、主人公はあくまでも「青空」だ。
一方、書の方は中心を開けて、左右に字が広がって行く。
二人で意図したわけではないが、対照的な構図となった。
この句も昨日の「おちついて」の句と同様「草木塔」に記載されている句。
山頭火の昭和九年六月十二日の日記にはこう書かれている。
六月十二日
早朝、砂君を見送つて駅へ。砂君はまろい人だつたが、二十年の歳月が君をいよいよまろくした、逢うて嬉しい人だ。何だか遣りきれなくて飲む、酔うて辛うじて戻つて寝た。或る時は善人、或る時は悪人、或は賢、或は愚、是非正邪のこんがらがるのが人間の生活だ。
てふてふよつかれたかわたしはやすんでゐる
ふつと逢へて初夏の感情(追加)
青空したしくしんかんとして
朝じめりへぽとりと一つ柿の花
けさはじめての筍によつこり
こんなところに筍がこんなにながく(再録)
あひびきの朝風の薊の花がちります
酔ざめはくちなしの花のあまりあざやか
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