以前このブログにも書いた「小池龍之介」という僧侶の本が、図書館にあったので借りてきた。
やはり、なかなか面白い。
その本に曰く。
「自分」について、世の中には、「自分の個性を生かそう」とか、「かけがえのない自分を大切にしよう」とか、そいう言葉があふれています。しかしながら、私なりに仏道の立場から見ますと、これらの言葉はとんでもなく有害。民衆を騙してカモにするためのデマゴギィ(政治的な意図をもって、意識的に流す嘘)でしかない・・・・・と。
実は私も「自分の個性」という言葉の使い方には、少々疑問を持っていた。
「自分の個性」と同じく、近頃よく聞く言葉に「自分探し」という言葉がある。
「自分探し」とは、一体どのような「自分」を探しに行くのだろう。「自分」なんてえのは、自分が一番よくわかっていないのではないか。それを自分で探そうなんて、およそ滑稽である。
Aという他人がいて、私をAなりに理解する。またBという他人がいてBなりに私を理解する。Aの理解する私とBの理解する私が異なって良いのではなかろうか。
誰から見ても同様に見える私などないのである。
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