昨日の続きの「藻塩」である。
藻塩は 「焼くや藻塩の」と百人一首にあることは昨日述べたが、もう少しここのところを詳しく説明してみる。
「焼くや藻塩の」の「の」というのは、比喩(連用修飾格)の格助詞であって、「~ノヨウニ」と訳す。
すなわち、「(夕なぎの頃)焼く藻塩のように」となるのだが、「私」の身も思いこがれる」ことと同時に、ここでは、もうひとつ「焼く」意味があるような気がする。
それは「嫉妬」というやつだ。
これは「焼きもち」とも言う。
女が(ここで定家は自分を女に仮託している)、自分のところにやって来ない時には、当然、やって来ない男の後ろに女のかげをみるのである。
その気持ちが「焼く藻塩」となるのだ。
そう考えると、この歌は至ってわかりやすい歌となってしまう。
どにでもあるようなテーマだ。
定家というのは、日本の歌人の中では、まちがいなく最高の歌人であるのだが、自分で、採択した百人一首の中にどうして、この歌を入れたのだろう。
あまりにもダイレクトな歌ではなかろうか。
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