2012年9月1日土曜日

言いたかったこと

前回はオウムの事件を通じての僧侶の意見であったが、
私が言いたかったことを少し整理してみたい。
 
(清く正しい)若者が現在の(汚い)世の中に失望して、「社会を変えよう」と思う。(かつての学生運動がそれである。)
しかしながら、「社会を変える」のはなかなか困難であることがわかり、次に「社会を変える」のではなく「自分を変えよう」という方向に転換する。

 宇野常寛という評論家はこう言う。
1960年代から70年代に学生運動が挫折したあと、「社会を変える」のではなく「自分を変える」ことで世の中の見方を変えるという発想が、若者文化として支配的になってきた。
ポイントは、自分の中に「何か」を注入して、世界の見え方を変える、という発想である。

 さて、「何か」とは何か。
それは、ドラッグであり、オカルトであり、アニメなどのSF・ファンタジーなどの文化である。最近では、ゲームであるとか、インターネットを通じたコミュニケーションもそうであろう。

私自身、数年前まではアンチ・パソコン派であった。(自分がこうしてブログを書いていることなど、数年前には思いもよらないことである。)それが何故このようになったか考えてみると、やはり「自分を変えよう。(若者ではないのだが)」と思ったのではなかろうか。そしてそれは、個人的な居場所をみつけることで癒されたい、自分が何かを発信して自分の存在を確認したい、ということに他ならないような気がする。
 

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