2017年1月28日土曜日

水戸黄門は何故人気があったのか。

「ブラ・タモリ」という番組で、水戸黄門は何故人気があったのか、についてふれていた。

その中に、彼が編纂させた「大日本史」のことが出てきた。
ナント「大日本史」は、水戸黄門つまり水戸光圀が1662年に編纂を命じてから1906年の明治時代の完成までに250年もの歳月がかかったということが告げられた。
へー、250年と言ったらそれ自体が「日本史」となってしまうのではないか。

さて、最初の水戸黄門は何故人気があったのか?であるが、テレビに登場する「黄門さま」は当然フィクション性が高い。
それが、かくも人気が高いのは何故か。

番組では、このような解釈をしていた。
それは「大日本史」が250年かかったことに関係しているのだと。
つまり、「大日本史」を編纂するにあたり、水戸藩の藩士が日本全国を調査した。
その過程において、藩士が黄門の偉大さを説いてまわったのだと。

これで「黄門さま」は、全国区の偉人となったのだ。


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