2014年7月7日月曜日

今何故、漱石の「こころ」か?

7月5日付の朝日新聞に掲載された、イラストレーター山藤章二の寄稿文「奥深きこころの世界」には、ちょいと考えさせられた。
これは、サブタイトルを付けるとすれば、「今何故、夏目漱石の『こころ』か?」であろう。

山藤章二は言う。
「こころ」は、およそドラマチックな要素のない小説である。
売れ筋の意外性やら、起伏やら、事件やらの情報を盛り込むような現代の読者サービスは、いっさい無い。

文芸だとか演劇などの、ツクリモノ分野に通用する要諦は、「非日常感」である。そしてこれは万古不易の定理でもある。
日常が退屈な「凪(なぎ)」であれば、ツクリモノには「乱」を求めるのは人情の常。したがってこの定理は正しい。

ところがである。
現代という時代は大きく変化し始めた。
とりわけ退屈で平凡であったはずの日常が、激しく様変わりしている。
「天変地異」と「人変心異」、日々とび込んでくるバッドニュースが、人々の心を陰鬱にしているのである。
もはや日常は「凪」ではなく、「乱」の状態に入ってしまった。
さればこういう時代に人々(ふつうの感受性を持つ大人)が求めるツクリモノは、平穏、思索、瞑想といった言葉で括られる哲学的気分なのだ。

うーん、「乱」の時代か。
日本中を揺り動かした大地震、一歩誤ると戦争に突き進む憲法解釈、確かに「乱」の予兆かも知れんね。




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