2014年7月31日木曜日

「能」から見た「こころ」

またまた「こころ」である。
今日の夕刊では、「舞台人の視点から夏目漱石を読むと、何が見えてくるのか?」ということで特集がなされていた。

漱石自身、能楽に凝っており、自宅に能楽師を呼んで「謡い」を習っていたそうである。

さて、「能」の構造には「死者が生者に語る」という特徴があるという。
漱石は、この特徴を自身の小説に取り入れたのだ。
「夢十夜」の第一夜の女、そして「こころ」では、先生(死者)の長い遺書を主人公(生者)が読む、といった設定がなされている。

ふーん、そこかぁー。
思いもしなかった。

2014年7月30日水曜日

「先生(私)」のPTSD

朝刊に「漱石と私」という囲みの記事があって、夏目漱石の小説「こころ」に関する精神科医の意見が掲載されていた。

「こころ」で親友Kの自殺から何年もたって先生(教科書では私)が自殺するのは不自然だと言われる。これを先生がPTSD(心的外傷後ストレス障害)だと考えると理解しやすい。
自分が裏切った親友の自殺を目撃したことが心的外傷となり、その後人格が変化して孤立し自殺するのは、予後の悪いPTSDだと説明できる。
先生の性格変化の多くはPTSDの診断基準に合致する。

ふーん。
なるほどね。
精神医学では、そうなるんだね。
受験生諸君、二年生の現代文の授業で勉強した「こころ」だよ。

2014年7月29日火曜日

森永「アイスボックス」


吉田圭織・森永アイスボックスCM1
今日見て受けたコマーシャル。
森永「アイスボックス」のコマーシャル。

女子マネージャーの女子高校生に手渡された「アイスボックス」をラグビー部員たちが食べると、いきなり「シャキーンと爽快」となり、次々に服が破ける。
それを見た他のラグビー部員が「食べる?」と言って、マネージャーに「アイスボックス」を差し出す、といった設定なのだが、これを受け取った女子マネージャーの言葉がふるっているのだ。

「あんたらが想像していること、なんとなく分かる。」

この女の子は、吉田圭織という17歳の高校3年生なのだそうだ。


2014年7月28日月曜日

佐世保の事件

現在時刻は午後九時十五分。
気温は二十五度である。
涼しい。
さすが高原、御殿場である。
もっとも今日は、全国的に涼しいのかもしれない。

長崎県の佐世保で、高一の女生徒が同級生(女生徒)を殺してしまう事件が起きた。
この事件の特異性は、殺された生徒の首と手が切断されていた点だ。
加害者は、死体を切断するための工具も用意していたというから、これは計画的である。
何のための切断なのか。
いづれにしろ、加害者の精神状態は普通でないことが想像される。

ニュースでは、加害者の女生徒は、最近母親を亡くし、父親が再婚、自宅から出てマンションで一人暮らしをしていたと報道していた。
まだ中学校を卒業して数ヶ月。
子供と大人のハザマである。
精神の安定を考えると、問題がないとは言えまい。


2014年7月27日日曜日

再び天王山

今日のNHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」では、「天王山の場面」を放送していた。この場面、ドラマではあっけなく終わっていた。

さて、天王山の話である。
以前にも天王山のことはブログに載せたのであるが、未だ納得のいく答えが出ていない。

受験においては、頻りにこの「天王山」の言葉が使用される。
しかし、今日のドラマでもそうであったが、「天王山の戦い」というのは、あっけない戦いなのだ。
秀吉が勝利するまでの時間は、数時間だという。
つまり、天下分け目ではないのだ。
むしろ、最初から勝負の決まっている戦いが「天王山の戦い」と言える。

どうも「天王山の戦い」は、「天王山」の地理的条件(戦略的に重要なポイント)から、「勝負事において、ここを押さえると、後に有利になる」の意味で使用されているようだ。

受験が「勝負事」と言っていいかどうかは、わかりませんが。


2014年7月26日土曜日

大相撲

最近、相撲を観る時間が多くなった。
これは勿論、自分の勤務時間が少なくなって、早めに帰宅しているからなのだろう。

観ていて感じるのは、昔に比べると(昔といっても、十年、二十年の昔だが)、投げ技が増えてきたことである。
これは、大相撲の力士にモンゴル人が多くなったからなのではないか。
モンゴル人が相撲と出会うのは、おそらく自国のモンゴル相撲だろう。
モンゴル相撲は、多彩な投げ技を持っている(たぶん)。
当然の結果として、モンゴル人力士が使う投げ技がとても目立つ。、これが投げ技が増えているように思う原因ではなかろうか。

投げ技は見ていて面白い。
大きな力士が宙を舞うのだから。
しかしながら、横綱三人が三人ともモンゴル人というのは、どうも歯がゆい。
実力がすべての世界だから、しょうがないがね。

2014年7月25日金曜日

熟年高齢者

明日の天気予報を見ると、明日は本州のほとんどの地点で気温が35度を超えるようだ。
これから毎年こんな調子なんですかね。

今日のニュース。経済担当相が医療制度で使われている75歳以上を指す「後期高齢者」という名称を「熟年高齢者」に変更することを「厚生労働相」と相談していることを明らかにしたそうだ。
また、65歳~74歳の「前期高齢者」は、「若年高齢者」にすることを考えているという。

ったく、アホか?
「熟年」というのは、「中高年」を指す言葉である。「中高年」の「高齢者」とは、一体何だ?
「若年」の「高齢者」も訳の分からん言葉である。
なんでこんなセンスのない言葉を連発するのですかね。

N西では終業式、やっと終業だ。
式のあとには、全国大会に参加する部活の壮行会があった。
フェンシングも陸上もがんばれ。
総合文化祭に出場する美術、書道、そして箏曲部。
箏曲部は一昨年に続いて、日本一を目指しておくれ。







2014年7月24日木曜日

吉原裏同心

ここのところ、写真をずっと「立葵(たちあおい)」で賄ってきたのだが、そろそろ「立葵」の季節も終了のようだ。

さて、木曜日は、「吉原裏同心」である。

「吉原裏同心」とは、NHKの木曜時代劇で、ワケありの男女二人が縁あって、江戸の吉原で働くことになる。
男は吉原の用心棒、女は遊女たちへの教育を仕事として、日々過ごしている。
話は、その生活の中で起きる事件を、一話完結の形で描いて行く。
話がすべて「遊郭吉原」の中の出来事であるのがなんとも異色である。

結びは、一応「ハッピーエンド」となる如何にも「水戸黄門的」な筋立てで、私の趣味とは随分違っていたのだが、不思議なことに、毎週観てしまう。

これはきっと、私が歳をとって「ハッピーエンド」歓迎世代となったか、あるいはこの番組に「してやられた」か、どちらかであろう。




2014年7月23日水曜日

金目

ちょっと気になっていた言葉があった。

以前、環境大臣が、福島第一原発事故の放射性廃棄物中間貯蔵施設の建設をめぐって「最後は金目でしょう。」と記者に語った。

「金目」とは一体何じゃ?
である。

「金目」とは、辞書的に言うと、「お金に換算して高い値になること。または、金銭に換算した価値・値段」である。

環境相の言った意味は「最後は(補償の)金額でしょ。」なのであろうが、これを「価値あるいは値段」で置き換え考えてみると、「最後は(補償の)値段でしょ。」が、一番近いような気がする。

この言葉、日本語としておかしくはないだろうか。
「値段」とは、物を売買する時の金額なのである。
「補償」とは「売買」するものなのか?

まあ、政治家は心を売買するのかも知れんがね。

2014年7月22日火曜日

新定番

昨夜、「月曜から夜更かし」を観ていると、「新定番について調べてみた件」というのがあって、最近のいくつかの新定番が紹介されていた。

(新定番①)
例えば、回転寿司の新定番として、「スシローのポテト」。
本来マクドナルドとかケンタッキーフライドチキンなどの定番商品であったフライドポテトが、回転寿司で出されていて、これがえらく人気なのだそうだ。
同様に「くら寿司のイベリコ豚丼」も人気商品であるという。
回転寿司もいろいろ工夫しているんだね。

(新定番②)
犬の名前の定番はポチだったが、2013年の犬の名前ランキングでは、ココが3年連続の1位、2位がチョコ、3位はマロンとか。
なお、ポチは圏外なのだそうだ。

(新定番③)
お年寄りの定番スポーツはゲートボールだったが、新定番はグランドゴルフ。競技人口でゲートボール超えている。
ゲートボールの人気下降はグループでゲームを行うので「老人特有の勝手状態」があり、そこは修羅場と化しているのだそうだ。
私も含めて老人は頑固だからね。

以上、昨日の番組を一部まとめてみました。





2014年7月21日月曜日

少女誘拐事件

静岡県も梅雨明け宣言が出たようだ。
なるほど、ジトジトした雨はないものの、すかっとした晴天にはまだほど遠い気がする。

岡山県の少女誘拐事件の犯人が逮捕された。
少女が無事であったことが何よりである。
しかしながら、ニュースを見ていて、犯人が四十九歳であることに何か違和感を覚えた。
四十九歳ですぞ。
世が世なら、人生五十年の時代なら、もう人生終わりの時である。
この歳に至って、金目的でもなさそうな誘拐(どうも犯人は少女趣味であるらしい。)は、やはり異常という他はない。
何でも、犯人の家の部屋のひとつには、少女アニメの絵が部屋中に貼られていたという。

これは異常だよね。


2014年7月20日日曜日

冷やしみぞれたぬき蕎麦

 昼食に蕎麦が食べたくなった。
冷蔵庫を開けてみると、大根と天かすがあったので、「冷やしみぞれたぬき蕎麦」を作ることにした。

近所のスーパーから「ゆで蕎麦」を買ってきて(なんと、このゆで蕎麦、7月29日が賞味期限であるにもかかわらず、半額の19円。)
早速作ってみた。
お湯を通すくらいに、蕎麦を簡単にゆで、よく水を切る。
あとは盛りつけ。



大根おろしに天かす、さらに貝割れ大根をのせる。
そして、最後に天つゆをかけたら出来上がりである。

食べたい時に食べるものは、なんでも美味い。

制作時間は8分。
材料費は19円であった。


2014年7月19日土曜日

シマノフスキ

昨日のN西芸術科演奏会では、トリを飾ったのが、シマノフスキ作曲 「主題と変奏 変ロ短調 作品3」の演奏であった。
ポーランドの作曲家、シマノフスキの4つの練習曲op4
Ⅰ 変ホ短調
Ⅱ 変トも長調
Ⅲ 変ロ短調
ⅳ ハ長調
からの、作品3である。

これは、シマノフスキのピアノ曲中、最も有名な作品で、ショパンやブラームスの影響が明らかな初期作品であるが、パデレフスキ(ポーランドのピアニスト・作曲家)が「この若さで『第9』を作曲してしまうとは、何と不幸なことか!」と絶賛したということだ。

芸術科の生徒は、やっぱりすごいなあ。
勿論、私は素人故、どこがどうということは分からないのであるが、長尺の演奏をこともなく演奏してしまうのだから、それだけでもすごいと思う。


2014年7月18日金曜日

芸術科音楽専攻演奏会

N西の「芸術科音楽専攻演奏会」が、沼津市民文化センターで行われた。
音楽専攻の三年生から「是非来て」の誘いがあり、「これは見てみにゃあ」の気持ちで出かける。

三年生は、ピアノ6名、声楽1名が演じてくれたが、素晴らしい演奏であった。
やはり、自分の将来を託すテクニックを見せるのであるから、その本気度は当然といえば当然なのだが、ベートーベンから始まって、ラフマ二ノフ、ドビッシー、シマノフスキまで、次から次へと繰り広げられるピアノ演奏は、感動ものであった。

普段、ジャズばかり聴いている私にとって、このように生のクラシックを聴くことは、とても良い刺激になるのである。


2014年7月17日木曜日

寂寥感

昨日に続いて、今日も火野正平の「こころ旅」を観てしまった。

昨日は北海道の石狩灯台だったが、今日は妹背牛町。
妹背牛と言えば「妹背牛商業高等学校」。
バレーボールの強豪校として有名な高校である。
この高校の卒業生から、「現在の学校はどうなっているのでしょうか。」という手紙にそっての旅であった。

実は、妹背牛商業、地域の少子化・過疎化の影響を受けて生徒数が減少し、2009年に閉校してしまったのである。

廃校となった高校のグランドで、火野正平が手紙を読む。
そこは、草ぼうぼうのグランドだった。
元の建造物が、大きければ大きいほど、その存在価値がなくなった時の寂しさも、これまた大きい。

時間は晴天の真っ昼間であったのだが、この天気、この時間に、このような寂寥感があるとは。





2014年7月16日水曜日

逃げ水

中高年に人気の番組に、BS放送の「にっぽん縦断こころ旅」という番組がある。

俳優の火野正平が、視聴者から番組に寄せられた手紙をもとに、その視聴者の「こころ」にある忘れられない風景を、自転車に乗って訊ねる、といった按配だ。

さて、今日の放送は、北海道の石狩にある石狩灯台を訪れる旅であった。
この日はよく晴れた日。
石狩川の土手のまっすぐな道を自転車で走っていると、そこに出現したのが「逃げ水」というやつだった。

「逃げ水」
夏、地面が熱せられ、草原や舗装道路の表面が水で濡れたように見える気象光学現象。
近づくとそれが遠方に逃げて行ってしまうように見えるため、こう呼ぶ。

なかなか、お洒落な呼び名である。
古くは、武蔵野の名物として和歌にも詠まれているようだ。










2014年7月15日火曜日

為体(ていたらく)

蒸し暑い。
N西のある場所は、海岸に程近いので、湿度が半端ではないようだ。
特に今日のような、午後に三時間も授業のある日は、もうたまらないぜ。

教える方の私は、このように「為体(ていたらく)」なのだが、生徒諸君は流石受験生。
蒸し暑さをモノともせず頑張っている。
エライなあ。

尚、「為体」は、「体たらく」とも書き、「体たり」の未然形「体たら」+接辞「く」。
意味は、「情けない(言いようもないほど酷い。)有様」ということだ。



2014年7月14日月曜日

ワールドカップ終了。

サッカーのワールドカップが終了。

大方の予想通り、ドイツの優勝でそれは幕を閉じた。
なんと言っても圧巻だったのは、準決勝でブラジルを7対1で破った試合である。
ブラジル国民の悲嘆も、容易に想像できる。
「完膚無きまでに打ちのめされた。」とは、こういうことだろう。

今大会のドイツの特徴は、パスサッカーだという。
もともと、体幹の強いドイツ人が素早いパス回しをしたら、これはむかうところ敵なしに決まっている。
決勝のアルゼンチンこそ1対0の僅差ではあったが、ドイツの方には決定的なピンチというのもなかったような気もする。

さて、予選リーグで敗退してしまった日本である。
これからイロイロなヒトがイロイロなことを言うのだろうが、そのイロイロなヒトの意見をイロイロやってみて、じっくり結論を出して欲しいものだ。



2014年7月13日日曜日

黒いチョーク

「黒いチョーク」というものが出来たそうだ。

「黒いチョーク」、考えてみれば、今までなかったことが不思議である。

というのも、最近はホワイトボードなるものが、結構増えてきていて、学校外での講習などでは、必ずこのホワイトボードを相手にしなければならない。
ところが、ホワイトボードというやつは、我々が普段使用しているチョークが使えないのである。
使用するのは、使い慣れていない、黒とか青のマーカーなのだ。

マーカーの弱点は、滑りやすいこと。
字を書いていても、筆先がつるつる滑ってしまい、字がまっすぐに書けないのである。
また、我々には直接関係ないが、マーカーのコストもチョークに比べると大部高価となる。(チョークが一本10円以下なのに、マーカーは、どうしても100円以上。)

今年の4月から発売されているというから、まもなく我々も手にすることが出来るのだろうが、早く試してみたいものだ。








2014年7月12日土曜日

靱帯の損傷

先週のテニスで靱帯を痛めてしまった。

近頃は、自分の怪我や病気が一体何なのか、その症状や原因を正確に把握すれば、インターネットによって、その正体は掴めるように思う。

今回の原因は、急激な膝の回転によるものと考えられる。
急激な捻りによって、右膝の外側の靱帯、つまり、「外側側副靱帯靱帯」を損傷した、ということになるのだろう。

靱帯というのは、骨と骨とをつないで離れないようにしている筋状の結合組織で、薄くて硬い丈夫なゴムのようなものらしい。
また靱帯は、筋肉のように自由に伸び縮みする伸縮性はなく、膝の安定だとか、動きを制御する働きをするのだと。
そうか、伸縮性がないので「捻挫」のように痛めてしまったのだろう。

さて靱帯損傷の治療法であるが、その症状の重さに応じて、「手術」と「保存療法」があるのだそうだ。
私の場合、まだ痛いながらも歩けるので、「手術」の必要はなく、安静が一番の治療法のようだ。

よし、明日からは安静、安静。


2014年7月11日金曜日

沼津ラクーンよしもと劇場

国語科にY先生が現れ、沼津駅前に「沼津ラクーンよしもと劇場」が7月7日にオープンした、との情報を提供していった。

フーン、あの「よしもと」かあ。

もう何年前になるのか、大阪のミナミにある「なんばグランド花月」で初めて大阪漫才を観た。
「グランド花月」の昼間は、所謂「吉本喜劇」を上演しており、そちらの方は、チケットが5000円以上という金額であったのだが、土曜の夜だけ「土曜ナントカ」と言って、1000円のチケットで若手の漫才を観ることができたのである。
それ以来大阪に行くと、この「土曜漫才」を観たものだ。

さて、その「よしもと」が沼津にオープンとは。
Y先生情報によると、漫才をする芸人の中には、N西のOBもいるとのことである。

へェー、観てみたいものだ。


2014年7月10日木曜日

台風8号

昨日、決勝進出はオランダだろうと書いたのだが、失礼、失礼、進出したのは、アルゼンチンであった。
メッシ御免なさい。
PK戦とはね。

台風8号の方は予想通り、静岡県に向かっている。
現在、午後の8時過ぎであるが、まだ影響はほとんどないようだ。
明日の未明にかけて、静岡県のどこかに上陸するする可能性があるとのことなので、風雨が強くなるのはこれからだろう。

ニュースでも言っていたが、今回の台風の特徴は、台風に程遠いところで被害を出している。
すでに長野県の土石流、山形県の河川の氾濫の被害、これは台風が梅雨前線を刺激することによって、大雨を降らせるのだそうだ。

今のところ「嵐の前の静けさ」である。




2014年7月9日水曜日

ミッフィー


早朝にサッカー・ワールドカップの準決勝、ブラジル対ドイツの試合が行われた。
な、なんと結果は、7対1でドイツの勝ち。
一体、誰がこの結果を予想しただろうか。
ドイツ有利の前評判はあったにしろ、ブラジル国民の落胆ぶりが想像できる。
明日の早朝には、準決勝のもう一試合、アルゼンチン対オランダがあるが、こちらも何となく、ヨーロッパのチーム、オランダが来そうな気がする。

そのオランダであるが、テレビの旅番組を観ていると、ちょうどオランダ特集をやっていて、その中に、オランダの生んだ世界的なキャラクター、「ミッフィー」を取り上げていた。
オランダが生んだというよりも、オランダ人の「ディック・ブルーナ」が作り出したキャラクターなのでしょうが。

さて、その「ミッフィー」であるが、地元オランダでは「ナインチェ」と言うそうだ。
「ナインチェ」とは、オランダ語で「ウサギ」のことなんだと。
分かってしまえば何ということもないがね。





2014年7月8日火曜日

特別警報

学校での職員研修あり。
防災に関する研修なのだが、本日は台風8号接近のおり、台風関係に話題が至った。
台風8号は、数十年に一度の大型で強い台風であり、
「特別警報」が発令された。

その「特別警報」とはなんぞや?
簡単に言えば、大雨・暴風・高潮・波浪・暴風雪・大雪・地震・津波・噴火で「数十年に一度の災害」が予想され、ただちに命を守る行動が必要と、気象庁が判断した時に発表する警報。
ん、簡単ではなかったか。

ところで、この台風、朝鮮語でタヌキを表す「ノグリー」と名付けられた。
ん?「ノグリー}

台風の命名というのは、台風委員会(日本を含む14カ国が加盟)が2000年から、北西大平洋または南シナ海で発生する台風を加盟国が提案した名前をつけることにしたのだそうだ。
今回はリストの53個め、ちなみに54個めはタイの「ラマスーン(雷神)」となる予定らしい。
へえー、そうだったんだ。

2014年7月7日月曜日

今何故、漱石の「こころ」か?

7月5日付の朝日新聞に掲載された、イラストレーター山藤章二の寄稿文「奥深きこころの世界」には、ちょいと考えさせられた。
これは、サブタイトルを付けるとすれば、「今何故、夏目漱石の『こころ』か?」であろう。

山藤章二は言う。
「こころ」は、およそドラマチックな要素のない小説である。
売れ筋の意外性やら、起伏やら、事件やらの情報を盛り込むような現代の読者サービスは、いっさい無い。

文芸だとか演劇などの、ツクリモノ分野に通用する要諦は、「非日常感」である。そしてこれは万古不易の定理でもある。
日常が退屈な「凪(なぎ)」であれば、ツクリモノには「乱」を求めるのは人情の常。したがってこの定理は正しい。

ところがである。
現代という時代は大きく変化し始めた。
とりわけ退屈で平凡であったはずの日常が、激しく様変わりしている。
「天変地異」と「人変心異」、日々とび込んでくるバッドニュースが、人々の心を陰鬱にしているのである。
もはや日常は「凪」ではなく、「乱」の状態に入ってしまった。
さればこういう時代に人々(ふつうの感受性を持つ大人)が求めるツクリモノは、平穏、思索、瞑想といった言葉で括られる哲学的気分なのだ。

うーん、「乱」の時代か。
日本中を揺り動かした大地震、一歩誤ると戦争に突き進む憲法解釈、確かに「乱」の予兆かも知れんね。




2014年7月6日日曜日

コーラの話

再放送であったが「マツコの知らない世界」という番組を観た。
取り上げていたテーマは「コーラ」であった。
ウーン、たかがコーラと思っていたが、奥は深いぞ。

まずアメリカの二大コーラと言われる「コカ・コーラ」と「ペプシ・コーラ」である。
これら二つは元々「清涼飲料水」ではなかったそうである。
「コカ・コーラ」の「コカ」は「コカイン」とも関係のある「コカの葉」だという。
そして、これは当初は「強壮剤」として用いられたのだと。
また「ペプシ・コーラ」の方は「胃腸薬」として販売されたのだそうだ。
「ペプシ」は「ペプシン」と関係があるとか。

ところで、コカ・コーラの風味については、トップシークレットであり、七つの香料と柑橘系及びスパイス系のフレバー、七~八種類の配合によると言われている。
その成分を知っているのは、最高幹部のみだと。
アメリカで調整された原液が世界各地のボトリング会社に流通し、現地各社によって、コーンシロップや砂糖などで薄められ、さらに炭酸で割られて、瓶詰め・缶詰となるという。

つまり、日本は、日本の「コカ・コーラ・ボトリング」で調整された日本味の「コカ。コーラ」を飲んでいるというわけだ。

へえー、知らんかったね。







2014年7月5日土曜日

玉勝間

今年初めての土曜講習であった。
文Sの諸君、ご苦労様でした。
期末試験の直前に、期末試験とは関係のない受験問題を解くなんてえのは、聊か不満もあるのかもしれないのに、誰一人文句を言う者もいない。
君達の自己コントロールには、恐れ入ります。

さて、今日の講習の「お題」は「玉勝間」でした。
江戸時代後期の随筆ですね。
「玉」が美称、よく「玉のようなナントカ」というヤツ。
「玉のような肌」とかね。
そして「勝間」とは「目の細かい籠」
したがって、両方合わせると「美しい籠」の意味だが、内容は作者「本居宣長」の人生論、芸術論といったところでしょうか。

今日講習した箇所は、宣長の先生である「賀茂真淵」から宣長が、「古事記」を勉強せよと、叱咤激励されるところである。
真淵先生が言うのだ。
「オレハ古事記を勉強したいが、もう歳である。だから御前オレの代わりに勉強せよ。」

「勉強しないのを歳のせいにするのは、何だかなあ。」と、一応つっぱるのであるが、自分に置き換えてみると「歳だったらしょうがないなあ。」と妙に納得してしまう私であった。


2014年7月4日金曜日

OK

昨日、古典の授業中に「『OK』」は何故『OK』なのだろう?」という問を投げかけたところ、ある生徒が早速調べてみてくれた。

H君曰く、「『OK』は『all correct』らしいです。」
『all correct』とは『すべて正しい』とでもいうのだろうか。
そして『OK』は、『all correct』の表記の揺れである『oll korrect』の略語なのだそうだ。
ふーん、そうか。

ただ、『OK』には、いろいろな説があって、

「O・K club」説。
1840年、第8代アメリカ大統領 Martin Van Burenを支持する一派が、彼の出身地であるニューヨークの「kinder hook」に「出身」の意味で「old」をつけて、「old kinder hook」の略が「OK」。
この一派が承認の態度をとる時にクラブ名を略した「OK」を使用した。

他にも説はあるようだが、本当のところはどうなんだろうね。







2014年7月3日木曜日

老子

三年生の古典で「老子」を授業する。
「老子」とは人の名前でもあるし、本の名前でもある。

まず、人の名前だが、「老子」は固有名詞ではなく、「偉大な人物」を意味する尊称だと考えられ、どうも存在は不確かなようだ。

また、書物にしても「老子」という人物が著した「老子(またの名を老子道徳経)」は、著したと伝えられるだけで、真実はわからない。
このように謎の多い書物ではあるが、その内容は結構知られており、今回授業では
「無用の用」を講義した。

「無用」、つまりカタチのないものの働きこそが、「用」、カタチのあるものの働きを成立させている。
というやつだ。

他にも
「天網恢々、疎にして失わず。」

天の網は大きく粗く、一見簡単にかいくぐれそうだが、実はどんな小事であれ見逃すことはない。だから、悪い事はできないし。君子ならこの自然の法則に気づくべきだ。

なんてえのもある。

2014年7月2日水曜日

理由

歳をとると、物事に理由をつけたがるそうである。
逆に言えば、物事に何でも理由をつけるようになったら、これは歳をとってきた証拠なのだろう。
そういう観点からみると、私も十分に歳をとってしまったようだ。

職業柄、物事に理由をつけるのは、嫌いなことではない。
毎日毎日、物事に理由をつけて生活しているような気がする。

理由、これががないと、変に不安になるのだ。
理由、理由と騒ぐ理由?は、そこにあるのだろう。

遥か昔、私がまだクラス担任をやっていたころ、遅刻してきた生徒がいたので、私はその理由を問うた。
すると、その遅れてきた生徒が言った。

「空を見ていたら、悲しくなったんです。」
おおー、そうか。
私はその答えに感動して、思わず許してしまった。



2014年7月1日火曜日

ミステリーとサスペンス

昨夜の深夜番組「月曜から夜更かし」での話題。
「ミステリーとサスペンス」とはどう違うのか?
番組では、
「始めから犯人が分かっているのがサスペンス」で
「最後まで犯人が分からないのがミステリー」ということであったが、よく調べてみると、それほど簡単にはいかないようだ。

一般的には「ミステリー」は幅広い傾向の作品を含むジャンルの総称で、「サスペンス」もその「ミステリー」の一部と見なされるということである。
そして、「ミステリー」において、謎解きの面白さや論理の整合性などでなく、事件の不明さによって生み出される焦燥感や、追いつめられた時の圧迫感など、ハラハラドキドキの展開の面白さを重視したものが「サスペンス」なんだと。

ウーン、なんだか分かったような、分からないような、あまりスッキリしないぜ。