2013年5月31日金曜日

五月も終了

今日で五月は終了。

五月は古語で皐月(さつき)。
語源辞典によると、皐月は、耕作を意味する古語「さ」から、稲作の月として「さつき」になった。 

早苗を植える月「早苗月(さなえづき)」が略され、「さつき」になったとする説もあるが、「早苗」の「さ」も耕作の「さ」が語源とされる。 

漢字「皐」には「神に捧げる稲」の意味があるため、皐月が当てはめられたらしい。



落語のまくらに使われる和歌風のコトバには
「江戸っ子は皐月の鯉の吹流し 口先ばかりで腹わたは無し」というのがある。
江戸っ子の気性を表したコトバで
江戸っ子は口先ではポンポン言いたいことを言うが、含むところは何もないさっぱりした人種である。」というような意味である。
鯉のぼりの季節はとっくに過ぎてしまったが、皐月というと、何故かこのコトバが頭にうかんでくる。

2013年5月30日木曜日

ブランジェ浅野屋

写真は軽井沢にある「ブランジェ浅野屋」というパン屋さん。

実は軽井沢には、「フランス・ベーカリー」と云って、ビートルズのジョン・レノン御用達のパン屋さんがあるのだが、この「フランス・ベーカリー」と間違えて入ったパン屋さんだった。
ミーハー度の高い私としては、「しまった、フランス・ベーカリーではないぞ。ジョン・レノンの面影は偲べないぞ。」
と思いつつ、こちらの「ブランジェ浅野屋」のパンも「おおー、なかなか美味そうだ。」
ということで、量り売りの葡萄パンを購入した次第。

2013年5月29日水曜日

アクセスデータ

このブログ 「は」の字日記 の閲覧データを見てみると、閲覧した人の国が表記されるのであるが、その国が結構、興味深い。
「おおー、こんな国の人が見てくれているんだ。」
と感動してしまうのだ。
当然、アクセス数は日本が多いのであるが、次が米国、そしてロシア、ドイツ、韓国と続く。
国の数では十カ国以上となり、中にはラトビア、モルドバ、そしてつい最近、英国領ケイマン諸島というのもあった。
「今流行りのケイマン諸島ですぞ。」
ウーン、いろいろな処からアクセスしてもらっているのだなあ。

2013年5月28日火曜日

「壇蜜」のこと

日曜日の夜に「情熱大陸」というドキュメンタリー番組を見た。
この番組では、グラビアアイドルの「壇蜜」の特集をしていた。

「壇蜜」という女性は、グラビアアイドルというだけあって、確かに外見も魅力的であるのだが、それ以上に魅力的なのは、今までの彼女の生き方であった。
大学で英語の教員免許を取ったかと思うと、専門学校に行って調理師免許も取る。さらに和菓子工場で働き、銀座のクラブでホステスもやる。
また知人の死をきっかけに、冠婚葬祭の専門学校に通い、死体処理の勉強もする。(実際、葬儀会社の社員となったそうだ。)

すごい生き方である。
彼女のすべてを達観したようなあの雰囲気は、ここから、すなわち今まで生きてきた自分の人生から来ているように思われた。
番組の最後の方に、「自分がしてみたかったこと」ということで、ヒヨコの雄雌の判別作業を経験するのであるが、その時の嬉しそうな顔が妙に印象的であった。

因みに、「壇蜜」の「壇」は仏壇を、また「蜜」はお供えを意味するそうである。


2013年5月27日月曜日

雛罌粟(ひなげし)

近所の花畑で雛罌粟(ひなげし)を撮ってみた。

雛罌粟はフランス語で「コクリコ」と云うらしい。
そういえば、昔、現代文の授業で与謝野晶子の「コクリコ」の短歌を講義した。
「ああ皐月 仏蘭西の野は 火の色す 君もコクリコ 我もコクリコ」
これは与謝野晶子が、夫、鉄幹を追いかけて、フランスに渡った時の短歌である。その情熱を雛罌粟の赤色で表現したのであろう。

また、雛罌粟は「虞美人草」とも云う。
漢文では「項羽と劉邦」において、項羽の愛人である虞美人(虞美人の美人というのは、後宮の女性のランク名のこと)が登場する場面を講義した。
ここでは虞は項羽と共に自決してしまうのだが、この自決した時の血が、この花の色になったという悲しいエピソードがある。

やはり、この花は「ポピー」などと軽く呼ぶよりは、「コクリコ」とか「虞美人草」の方が良いように思う。


2013年5月26日日曜日

「アルゴ」と「崖っぷちの男」

レンタルDVDの洋画、「アルゴ」と「崖っぷちの男」を観た。
「アルゴ」の方は、前評判も高くちょっと期待したのだが、イマイチだった。

これは実話から作られた映画ということで、かいつまんで言うと、

イラン革命の真っ最中の1979年。イスラム過激派グループがテヘランのアメリカ大使館を占拠し、52人のアメリカ人外交官が人質に取られた。だが占拠される直前、6人のアメリカ人外交官は大使館から脱出し、カナダ大使公邸に匿われる。CIA工作本部技術部のトニー・メンデスは6人をイランから救出するため、『アルゴ』という架空のSF映画をでっち上げて6人をそのロケハンのスタッフに身分偽変させるという作戦をたてて、無事救い出す。  

ゴールデン・グローブ賞とかアカデミー賞を受賞しているのだが、話の展開が緩慢で、「エエー、なぜこの映画が?」といった按配だ。

もう一本の「崖っぷちの男」の方が、はるかに面白かった。
超簡単に言えば、「無実の罪を着せられた男が、刑務所を脱走して、家族の協力により、その無実を晴らす」というストーリーだ。
典型的なハリウッド映画で、ストーリー自体は、よくあるパターンなのだが、展開もスピード感があり、役者の役も実によくはまっている。

楽しい時間を過ごしたいなら、こんな映画がもってこいなのである。

(写真は軽井沢の雲場池)

2013年5月25日土曜日

大地震

最近、南海・東南海地震について、その可能性ニュースがよく報道されている。無論、可能性について気になるところであるのだが、私がそれ以上に気になるのが、そこでよく出てくる「大地震」の読み方である。
つまり、「大地震」を「だいじしん」と読むのか?それとも「おおじしん」と読むのか?ということである。
ニュースでは「おおじしん」と読むことが多い。
私自身は「だいじしん」が正解であるような気がするのだが。
同じ災害をみてみると、「大洪水」は「だいこうずい」と読むだろう。「おおこうずい」は変である。

このことについて、いろいろ調べてみると、NHKの放送用ハンドブックでは、元来の慣用的な読みは、「おおじしん」であって、現在では「だいじしん」の方に揺れているそうである。
ただ、どちらが正しいのか、には触れていないようだ。

2013年5月24日金曜日

アウトレイジ ビヨンド

北野武監督の「アウトレイジ ビヨンド」をレンタルビデオで観た。
キャッチフレーズが「全員悪人」。
確かに全員悪人の設定なのだが、どうもそうでもないような人間も混じる。
早い話が、ビートたけし演じる主人公が悪人に描かれていないのである。
監督が自分自身を良い役にしてはイケないね。

私自身、監督としてのビートたけしが何故、「アウトレイジ」のような、やくざ映画を作るのかがよくわからない。やくざ映画は向いていないような気がするのだがね。
彼には「菊次郎の夏」という、素晴らしいヒューマンチックな作品があるではないか。

2013年5月23日木曜日

関羽のこと


昨日は漢文の諸葛孔明のことを書いたのだが、今日は、孔明が仕えた劉備、その劉備の部下であった関羽のことを書いてみる。
教科書にも、劉備が孔明を重用して、部下の関羽が僻む話が出てきているのだが、私が不思議に思うのは、劉備の部下にすぎなかった関羽が、横浜や神戸の中華街にある「関帝廟」でわかるように、どうして神のように人々から崇められるようになったのだろう、ということである。
そこで、いろいろ調べてみると、次のようなことが分かった。

関羽はもともと下層の出身だけに、上の者には反骨の意識が強かったようだ。下の者には厚く接する一方で、上の身分のものを蔑むようなところがあり、そのため恨みを買う事になった。
そして後に魏と呉が関羽を排除するための連合を組むという最悪の事態を迎え、関羽は養子の関平と共に呂蒙に討たれる事となった。
しかしながら関羽を討った呂蒙は直後に病死(219年末)、魏の曹操も220年3月に病死するなど。
関羽の死に関わった人物が幾人も関羽の死から時をおかず相次いで倒れた。
もともと中国には、通常の死ではなく非業の死を遂げた人は強い霊力が宿ると考えられており。関羽の死の後に起こった関係者の死に、超自然的な力を感じ取ったのではないかということである。

なるほどね。
日本でも「菅原道真」の怨霊を鎮めるために、いろいろなところに「神社=天神」を造った事実がある。
「関帝廟」は「天神」の中国版なのだろう。いやいや「天神」が「関帝廟」の日本版なのだ。

(今日の写真、昨日の写真は軽井沢にある「雲場池」で撮ったもの。)


2013年5月22日水曜日

晏子のこと

今、漢文の授業では、「蒙求」より「孔明臥竜」を講義している。その中に、諸葛孔明は「『梁父の吟(斉の宰相、晏子を褒め称えた孔明作の詩)』を愛吟していた。」というくだりがある。

晏子(晏嬰)すなわち春秋時代の一二を争う名宰相。
しかし、彼は名宰相でありながら、チョイト人間性を疑ってしまう逸話も存在する。
それは、三人の勇士を二つの桃で殺した話だ。

公孫接・田開彊・古冶子の三人の勇将を晏子は退けたいと思い、二つの桃を用意して「功績の高い者から食べよ。」と言った。公孫接・田開彊が先に桃を取ると、古冶子が「私に功績が無いと言うのか。」となじった。公孫接・田開彊は自分の貪りを恥じて自殺し、古冶子も2人が死んで自分だけ生き残るわけにはいかないと自刎し、晏子の策略は成功した。
彼らの人となりをよく知り、あえて3人を罪に陥れて刑罰に服せずに(つまり自分の手を汚さずに)自決させた逸話なのである。

さて、「梁父の吟」は、この逸話を引用して、諸葛孔明が晏子のことをこよなく尊敬していたことを表した詩であるのだが、孔明はよりによって、何故チョイト人間性を疑ってしまうような、この逸話を好んだのだろうか。
表向きは、「力ばかり強くて無礼な三人の勇士を、たった二つの桃で殺した知恵者の話」なのだろうが。
うーん不思議だ。

2013年5月21日火曜日

上高地にも再び

 長野のワインビストロ・ベルジェでフランス料理を堪能した翌日、松本を経由して「上高地」に出かけた。
実は去年の十一月、(これはバスツアーの黒部アルペンルートからの帰り道であったが)「上高地」に寄っていたのである。

さて、今回、「上高地」から帰ってきて、撮った写真を見てみると、去年の十一月撮った写真とほぼ同じ位置からのものがあった。
左の上の写真が、2012年の十一月、そして右下の写真が、2013年五月である。

手前が大正池、バックに見えるのが活火山の焼岳。


別に意識をして撮ったわけではないのだが、同じような位置から写真を撮っていた自分に驚いてしまった。
人間というのは、好みの位置、好みの角度があるのだろう。

余談、「上高地」とは元々「神垣内」と書いて、神が降臨した場所であるそうだ。
そういえば、ここは、何度訪れてもても神々しい感じがする所だ。

2013年5月20日月曜日

ベルジェのデザート

ベルジェのデザート。
ベルジェのデザートはいつも魅力的である。
四種類だったか五種類だったか忘れてしまったが、その中から前菜・主菜同様に、一種類セレクトする。

右の写真が「グレープフルーツのジュレ・マンゴーのシャーベット添え」
これがまた美味なのである。
出来ることならドンブリで食べたい。
今回は前菜・主菜が比較的、味の濃い目の料理であったので、このさっぱりした感じが何とも
シアワセな気持ちにさせてくれた。

 次の写真が「生チーズ」。
生チーズそのもの、チーズを入れてあるカップ、下に敷いてある皿、すべてが白いので、写真で見ると実に分かりにくいデザートであるのだが、真ん中にちょっと盛り上がっているのが生チーズであり、まわりの液体状のものが牛乳である。
このデザートも美味。
まろやかでありながら、ガツンとした味なのだ。

最後の写真は珈琲であるが、右上の小さな器にのっているのが「カヌレ」。
ほんの一口であったが、珈琲のおまけに付けられていた。
そしてイウマデモナクこれも美味であった。

今回も食事が終わるとシェフがテーブルまで挨拶に、さらにドアの外まで見送ってくれた。
シェフの人柄には本当に感心する。

ワインビストロ・ベルジェは、店を出たとたんに「また来ようと思う」、そんな店である。





2013年5月19日日曜日

ベルジェ 主菜編

 主菜編である。
上の写真は料理と共に出されるパン。
手前のパンがイチジクパンである。
小さい器にあるのがバター、どこのメーカーかは聞き忘れたが、このバターがまた美味い。
パンも美味すぎて、三回もおかわりしてしまった。

さて、主菜は右の写真が
「カニのクネルとサンマのベーコン仕立て」
(「クネル」とは、西洋風のすり身だんごのこと。
鶏肉・牛肉・魚・カニなどをすり身にして、つなぎに卵・小麦粉・パン粉・牛乳などを加え、だんご状にゆでたり、蒸したり焼いたりしたもの。)

真ん中にあるサンマおよびベーコンの下からカニのクネルが登場してくるという嗜好だ。

下の主菜が「信州牛ホオ肉の赤ワイン煮」
白い付け合せは、マッシュポテトである。
肉の美味さ、これはもう「言わずもがな」である。
柔らかいことこの上ない。
肉の表現としては、妙になってしまうが、口の中に入れると、とろけてしまうような肉なのである。
ホオ肉だけあって、「ホオが落ちてしまうような美味しさだった」なんちゃってね。




2013年5月18日土曜日

ワインビストロ・ベルジェに再び

 再び、ワインビストロ・ベルジェ。
去年の夏、長野にあるフランス料理の店「ワインビストロ・ベルジェ」のことをブログに載せたのであるが、その「ベルジェ」にどうしても行きたくなって、再び出かけた。

食事の場合、最初に食べた印象が強烈であればあるほど、二回目は幻滅が伴うものだが、この「ベルジェ」は、まったく期待を裏切ることがなかった。
左の写真の黒板には白いチョークでこの日のメニュウがかかれている。
前菜が六種類、主菜七種類、デザートが三種類、この中から客は、それぞれ前菜、主菜、デザートを一つずつ選択する。

本日、私の連れが前菜に選択したのが、左下の写真。
「ニシンの夏みかん酢漬け」である。
私は去年と同様「フランス産エスカルゴ、マッシュルームのオーブン焼き」を注文した。
何でもニシンは北海道から直接取り寄せ、大量に酢漬けしたそうである。
またニシンというのは小骨が多く、骨の処理が大変なのだが、これも一本一本丁寧に処理してあった。

右下の写真が、「エスカルゴとマッシュルームのオーブン焼き」。
写真で見ると、なんか茶色っぽくてあまりパッとしないが、ニンニクの香りが香ばしく、これも絶品である。
特に、一緒にでてくる自家製のフランスパン、普通のバケットとイチジクが入ったパンにつけて食べると、もう最高。



遥々長野にやってきて良かったなあと、思うのであった。

すっかり書き忘れていたが、ブログ五月十六日の写真は、「ベルジュ」のトイレの中に置いてあった小型のオルガン(何故こんな所に?)。
また十七日の写真は、テーブルに敷かれた紙のテーブルクロス。


次は主菜・デザート編。



2013年5月17日金曜日

元同僚と飲み会

久しぶりにN東の元同僚四人で、飲み会。
三島の駅に程近いところにある「直よし」という和食の店であった。
ここの名物は「玉子焼き」。
所謂、卵だけの玉子焼きではなく、幾つかの具が入っている卵焼きで、美味しいもの。

楽しいひと時であった。
六年の月日を共に過ごしている人達である。
近況と思い出、このふたつが交互に出てくる。
やはり、仲間というのはこういうものなのであろう。

2013年5月16日木曜日

手相の続き



上のオルガンの写真は、少々考えられない場所にあったオルガンである。(真相は明日)
さて、昨日の手相の続き。
(仏眼)
 親指の第一関節に現れる目の形。これは神仏の加護に恵まれていることを表していて、スピリチュアル系の人に多く現れる吉相。困ったときには先祖や神仏の守護があり、なかには九死に一生を得る体験をする人も。
(ソロモンの環)
人差し指のつけ根を取り囲むように出る線。めったに見られない相で、ずば抜けた強運の持ち主であることを暗示。この線がくっきりと出ていれば頭脳明晰。相当な社会的地位が約束されている。また、物ごとが好転しやすかったり、ビッグチャンスを次々と与えられることもある。
(造形線)
 頭脳線と感情線を結ぶ線。人差し指と中指の下あたりに斜めにかかる。この線は、ものを作り出す才能があることを示していて、手先が器用な証となる。手芸、絵画、書道、陶芸、生け花など芸術的な才能を発揮している人には、よく見られる相である。
(神秘十字)
 感情線と頭脳線の間で、運命線と交差する線が作り出す十字架。これは神秘的な才能を持っていたり、信仰心の厚い人によく現れる。先祖に守られているというありがたいサインであり、このサインが出ている人は事故や病気といった災難から不思議と救われることが多くなる。また、直感力に優れるため、芸術の分野に進むと活躍が期待できる。


いづれもインターネットからひろった手相占いであるが、当たるも八卦、当たらぬも八卦というから、是非自分に都合のいいように考えてみよう。(尚、左手がうまれ持った性質、右手は自分で切り開いた人生ということである。)

2013年5月15日水曜日

今日も手相


 tesousine.jpg

昨日に続いて手相のこと。
上の図は手相において、好運のサインと言われるものらしい。
その中には昨日の「聖職紋」も含まれているのであるが、その他にも
いくつかあるようだ。

因みに、自分の手をじっと見てみると、上の図の「太陽線」と「直感線」があるように思えてきた。
「太陽線」というのは、成功線とか人気線といわれ天賦のカリスマ性を持つそうだ。(ちょっとこれはあてになりそうもないね。)
また「直感線」というのは直観力にすぐれ、ひらめきで人生を切り開いていけるという。(これも、そうは思えないのですがね。それともこの才能は、この歳になっても、私の中でまだ眠っているのだろうか。)


2013年5月14日火曜日

聖職紋

寒暖差アレルギーというアレルギーがあるそうだ。
「寒さ」と「暖かさ」が交互にやってきて、体調をくずしてしまう。
くしゃみや鼻水が伴うそうである。
そういえば、私もくしゃみ、鼻水がよくでてくる。
これだろうか。
なんちゃって、すぐに流行に乗りたがるのが私の悪い癖である。

ところで、手相の中に「聖職紋」というのがあるそうだ。
(「聖職」というのは、キリスト教の僧職。広義では、教師・牧師など、単なる労働者・サラリーマン以上の奉仕が期待される職業をも指す。)
サラリーマン以上の奉仕とは一体何じゃ?

何はともあれ「聖職紋」というのは、人さし指の下にある格子状の線のことで、この線がある人は、人を育てる才能を持っているため、教育者として適性をもった人だということである。
私も恐る恐る自分の手を見てみた。
オー、あるある左手の人さし指の下に、確かにそのような「線」がある。
そうか私は教員になるべくしてなったのだ。
もっとも、ちゃんと人を育てたかどうかは保証できないがね。

2013年5月13日月曜日

バレエ鑑賞

この春卒業した生徒が、バレエ(フランスの宮廷で発達した音楽を伴った芸術的踊り)の発表会の案内状を渡してくれたので、「おおー、これは行って見なければ。」と、沼津の市民会館まで出かけた。
動機は勿論、「卒業生の踊っている姿を見てみよう。」であるが、なんといっても、踊りのバレエである。
「なんだ、あの気取って上品ぶったダンスは。」
以前の私は、そのくらいにしか思っていなかったのだ。
私の人生において、バレエという世界は、今までも、そしてこれからも関係のない世界だと思っていた。ところが今回、ひょんなことから鑑賞することになったのだ。

実際に経験したバレエという芸術は、想像していたように気取ってもおらず、上品ぶってもいなかった。
印象的だったことは、舞台に何十人もの踊り手があがっている時に、それぞれの踊り手がそれぞれの表情をして、さらにそれぞれの体の動きをしていることだった。
観客は、舞台にいる何十人もの踊り手をいっぺんに見ることは、当然できない。したがって、踊り手にとっては、誰も自分を見ていない時間が存在するかも知れないのだ。しかし、踊り手はしっかり表情と動きを作っている。
私には、とてもマネなどできない。
すごいね、バレエは。


2013年5月12日日曜日

キリン生茶のコマーシャル

キリン生茶のコマーシャル。
キリンヴィバレッジのコマーシャルには時々ドキッとさせられる。
今回は狂言役者の野村萬斎編。

「あなたの味覚を信じてください。」
「タレントの言葉や表情にふりまわされず。」
と言う。
さらに、「美味いかかどうかは、あなたが決める。」である。


結局のところ、「美味しいかどうか、まず飲んでみてくださいな。」ということなのだろうが、注目したいのは二番目の「タレントの言葉や表情にふりまわされず。」である。
「振り回されず」とありながら、我々が、このお茶を飲んだとすれば、我々は野村萬斎というタレントに、見事に「振り回され」たことになるのである。
これは非常に逆説的な手法だ。
無論、コマーシャルのプロが作っているのだから、そのへんは計算しつくしてあるのだろうが、それにしても見事だね。

2013年5月11日土曜日

やけくそ

今日、国語科準備室において、「やけくそ」ということばが話題になった。
漢字で書けば「自棄糞」である。
「焼け糞」が本来の書き方であるのだろうが、こう書くとどうも下品なのだ。
だから、「自棄糞」にしたのか?
(「くそ」を「糞」と書く時点でもう十分下品なのだがね。)
「自棄糞」は、「やけになる」の「やけ」が「どうにでもなれ」という意味なので、「自暴自棄」の「自棄」を当てはめたのだろうが、これはあくまでも当て字に他ならない。

新明解国語辞典によれば「やけになる」の「やけ」は(一度焼けてしまった物は取り返しがつかない事から)どうしようもない結果に心の平静を失い、ついに不摂生を重ねたり、むちゃな事をやったりすること。
とある。
つまり、「やけくそ」の「やけ」は、やはり「焼け」なのである。
しかし、「心の平静を失う」ことと、「くそ(糞)」がどうして結びつくのだ。
これは結びつくまい。
とすると、「やけくそ」は「焼け糞」となり「糞」を焼いたものなのだろうか。「糞」を焼いて一体何に使用するのだ。
考えれば考えるほど、「?」が付き纏う。

そこで「くそ」を調べてみた。
「くそ」は「糞」で間違えがないのだろうが、この「くそ」もなかなか奥深い言葉だ。
基本は勿論「大便」の意味であるのだろうが、二番目として、人を罵って言う語。(自分の気持ちを奮い立たせる時にも用いられる)ともある。これなどはプラス方向の語ではないか。
さらに三番目の意味として、
①その存在を呪わしく思う気持ちを表す。
②常人ばなれがしていて、むしろイヤになる気持ちを表す。
③その語の持つ否定的な意味を強めることを表す。
とある。

つまり「焼け糞(やけくそ)」とは、「どうしようもない結果に平静心を失い、呪わしく、イヤになり、否定的な気持ちとなること」である。
決して下品な言葉ではないのである。

2013年5月10日金曜日

デュアン・オールマン

デュアン・オールマンというギタリストがいた。
「いた」というのは、1971年、その絶頂期にバイクで事故死をしてしまったのだ。
彼は、オールマンブラザース・バンドというブルース、ロックバンドを率いていた人物で、一つのコードで一時間以上もソロを弾き、聴く者を厭きさせなかったそうだ。
その独特なギター奏法には、あのエリック・クラプトンも注目しており、クラプトンのバンドにも誘われていた。実際「いとしのレイラ」というクラプトンの曲には、ギタリストとして参加しているという。

何故、突然デュアン・オールマンかというと、今日はどうしてもマイルス・デービスのアルバム「カインド・オブ・ブルー」が聴きたくなった。そこでCDを聴いてみると、そのクレジットに、彼の言葉が書かれていたからである。

「カインド・オブ・ブルー」と言えば、ジャズの歴史的名盤だ。
その中でデュアンは言う。
「私のプレーの原点になっているのが、『カインド・オブ・ブルー』のマイルスやコルトレーンのソロなんだ。」

おおーそうか。そういうことなのか。
妙に納得してしまう私であった。




2013年5月9日木曜日

本日筋肉痛

今日はテニス日和。
ということで、本日も二時間ほどテニスで体を動かしてきた。
しかしながら、運動後必ず訪れるのが筋肉痛である。
そこで「筋肉痛」について、少々調べてみた。

筋肉痛の主原因となる運動は、筋肉が収縮方向とは逆方向に引きのばされながら力を発揮(伸張性収縮、或いはエキセントリック収縮)する運動である。

ここでいう運動がテニスか。
果たしてメカニズムは?

現在最も有力なのは「筋線維とその周りの結合組織の損傷が、回復過程において炎症を起こし、この際に発生した発痛物質が筋膜を刺激する」という説であるが、実際にどのようなメカニズムで炎症を起こしているのかについては、詳しいことがわかっていない。

なんだかさっぱり分からないが、「筋肉痛」のメカニズムはまだ謎なのである。
イズレニシテモ次のテニスまでには、「筋肉痛」を治しておこう。

2013年5月8日水曜日

奇妙な風景

事情を知らなければ、奇妙な写真だと思う。

右下に見える女子高生は両手を挙げて何かをしている。
天気は晴れているようだが、真ん中、上にはドンよりとした黒い雲がある。
さらに屋上の通路には、なにやら男子高校生と女子高校生の集団が見える。
ただし、目を向けている方向は、手前の女子高生とは別の方向、画面右手を一生懸命に見ている。
極めつけは、真ん中の集団の上方にある、赤と白の棒状のようなもの。
煙突にしては煙も出ていないし、妙に細い。

さて、種明かし(種明かしもなにもあったものではないが)。

N西の関係者であれば、別に奇妙ではないだろう。
放課後の合唱練習だ。
明日がコンクール本番ということで、それぞれのクラスが校舎のあちらこちらで練習を始めたのだ。
夕方、この時点では陽が射しているが、黒い雲が示す通りこの後天候は急変し、雨が降り出す。
そして、赤と白の棒状に見えるものは、クレーンである。




2013年5月7日火曜日

セシル・マクビー

セシル・マクビーというジャズベーシストがいる。
普通、セシルマクビーと云えば、若い女性向けのファッションブランドである。
私にはセシル・マクビー=ジャズベーシストなんだが。
ブルーノート(レーベル)には彼の演奏が多くあり、いつもウマイナアと思って聴いていたプレーヤーだ。

実はかつて、ベーシスト「セシル・マクビー」は、ブランドの「セシルマクビー」に対して、商標権の無効審判を請求したことがあったそうだ。
そりゃあそうだろう。生まれた時から使っている自分の名前が、女性ファッションブランド名として使用されてしまったのだから。

しかしながら、裁判所の見解は

a.セシル・マクビーは本名ではない。同氏の本名はミドルネームを入れたセシル・リロイ・マクビーである。
b.ゆえに、「セシル・マクビー」は「セシル・リロイ・マクビー」氏の略称である。
c.「セシル・マクビー」という略称はジャズの世界では有名かもしれないが、それを超えて著名とは言えない。

ということであったそうだ。うーん残念。
今日も、DVDの「ONE NIGHT WITH BLUE NOTE」を観ながら、「やっぱり、セシル・マクビーはうまいなあ。」と思う私であった。


2013年5月6日月曜日

忘れん坊の「かよちゃん」

アニメ「ちびまるこ」に普段はそれほど登場しないキャラクター?が出ていた。
わすれん坊の「かよちゃん」である。
女の子なのに「坊」はおかしいが、何はともあれ
忘れん坊の「かよちゃん」である。
どうでもいいことだが、噂によるとお母さんは美人らしい。
おっちょこちょいの「まるこ」と、忘れん坊の「かよちゃん」のコンビは、これは最強である。
今回はこのコンビに、永沢、藤木、山根の三人が加わって、遠くの鉄塔まで冒険の旅に出るという設定であった。

「忘れん坊」と「おっちょこちょい」に非常に親近感を覚えるのは自分の姿そのものだからであろうか。

2013年5月5日日曜日

寺山修司の短歌

ゴールデンウイークもいよいよ終盤に差し掛かってきた。
といっても何があったわけでもない。
ひたすら家にコモってウダウダしているのである。

唐突ではあるが、寺山修司没後三十年だという。
昨年、三年生の現代文の授業において、彼の歌を講義した。

ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし
(都会に出てふるさとの訛りをなくしてしまった友人と久しぶりに会っていると、モカ珈琲がこんなにも苦く感じられる。)

これは故郷から離れ都会に出て変わってしまった友への苦い思いである。きっと寺山は裏切られたような思いにとらわれたのだろう。しかしながら、もう一方ではスマートに標準語を話す都会人となった友人への羨ましい気持ちも含まれる。
矛盾した若者の気持ちを見事に表している歌だ。
ところで、寺山修司の代表的な作品に「書を捨てよ、街に出よう。」という評論集がある。
このタイトルから考えても「ふるさとの」の短歌は明らかな矛盾が想像できるのである。


2013年5月4日土曜日

定期演奏会

N西の吹奏楽部の定期演奏会。
N東の定演は3月であったが、N西は5月である。
ちがいは3年生が登場するか否か。
すなわち、1.2年で演奏するのか、2・3年で演奏するのかである。
技術的な部分で考えると、2・3年生の方が良いのでしょうね。
いづれにしても、吹奏楽部の皆さんご苦労様でした。

演奏会の応援に、この春卒業していったN西のOB・OGが来ていたが、ちょっと見ない間にだいぶ大人っぽくなっていて驚いた。

さて、演奏会が終わりに近づいてきたので、帰りの準備をしようと思って駐車券を探すと、なんとこれがない。
駐車券の紛失である。(歳はとりたくないものです。)
慌てて駐車係りの人に、紛失した場合にはどのようにすれば良いのかを尋ねた。
係りの人は申し訳なさそうに言った。
「1500円頂くことになっております。」
オオマイゴッドである。
帰りの御殿場までの道のりの遠いこと。
またよりによって、カーラジオのFM放送からは、小椋佳の「駐車場ナントカ」という暗い歌が流れていた。

2013年5月3日金曜日

ペッパー・ビーフサンド

 ペッパービーフサンド。
今、私がハマっている朝食のである。
材料。
まず、フランスパン(バケット)
これは100円ショップ(ダイソー)にいつも置いてある。
ヤマザキ製パンのバケットだ。
次にペッパービーフ。
セブンイレブンで198円。
これもいつでも置いてある。
最後にワイン明太チーズクリーム。
これは、置いてあるところと、ないところ、両方考えられるが、必ずしもこのメーカーでなくても良いと思う。
いくつかのメーカーで作っているようだ。
また、キューピーから明太スプレッドというチューブも出ているのでこれでも十分である。

作り方(作り方もなにもないのだが。)
バケットを適当に切って、ワイン明太チーズクリームを塗る。
トースターで軽く焼く。(この軽くが大事。)
焼いたバケットに、ペッパービーフ、レタス、ゆで卵のスライスなどをサンドする。
以上で出来上がり。(右の写真)

バケットもペッパービーフも三回くらいは使えるので、コストパフォーマンスも極めていいのです。
是非試してみて下さいな。



2013年5月2日木曜日

富士山が世界文化遺産に

富士山が世界文化遺産に登録される見通しとなった。

日本では、奈良法隆寺から平泉中尊寺まで、過去12の文化遺産が認められているという。
富士山は、自然遺産の方では認められず(ゴミの問題などで)、文化遺産として認められたわけである。
富士山という山なのに、文化遺産とは今ひとつ納得がいかないような気がするが。

そもそも、この世界遺産というのは、エジプトのアスワン・ハイ・ダムがつくられる時に、ダムができることによって、失われてしまう古代の遺跡を守るためのユネスコのキャンペーン。
お金を集めるためのキャンペーン、これがもとになってつくられたのだという。

果たして、世界遺産になっただけで、ゴミいっぱいの富士山は守られるのだろうか。
もっとも、このニュースによって、地元の富士急行の株が上がったというから、経済効果は確かにあるのだろう。

2013年5月1日水曜日

鳶(とび)

鳶(とび)のことを英語でカイト(kite)という。
いわゆる「凧」のカイトである。

今日はN西の授業が終わってから、千本浜に出てみた。
西風がかなり強く、海岸に立っていると、ちょいと辛いほどである。
その強い風に向かって、気持ちよさそうに飛んでいるのが右の写真の鳶であった。
飛ぶというよりも、滑空と言ったほうが良い。
まるでグライダーである。
羽の先端をよく見てみると、片方は少しちぎれそうになっている。
鳶どうし、あるいは他の鳥との戦闘の証であろうか。
しかしながら、鳶は影響などまったくないといった様子で飛んでいる。

鳶の風にのっている姿を見た私は、英語でカイトという理由(わけ)が素直に納得できた。