いよいよ卒業式。
N西もN東も。
どちらの三年生も私には、縁の深い三年生なのである。
N東の方からも卒業式に招待されたのであるが、やはり道理としてはN西の三年生と一緒に卒業式に参加するのが筋だろうと、N東の方は欠席することにした。
身体が二つあればなあ、とつくづく思う今日である。
このブログを見てくれているN東の三年生諸君、ごめんなさい。
本来なら、前任校の卒業式には「電報」でも打って、卒業式に披露してもらう、というのが習いなのだろうが、私はそのようなことはしません。
なぜなら、「電報」の短い文では、とても自分の気持ちなど伝えきれないからです。
さて、卒業して行くN西、N東の三年生諸君。
おそらく多くの諸君は、国公立の二次試験の結果が出ていない状態なので、落ち着かない気持ちではなかろうか。
でも明日は卒業式。
明日だけは、「卒業」をかみしめてみよう。
高校において、16歳・17歳・18歳という、感受性豊かな時期を過ごした諸君は、中学卒業とは比べものにならない程の成長をしたはずである。それは大人になるための重要な一つのステージなのだよ。感受性が豊かゆえ、他人を傷つけ、自分が傷つけられ、希望と絶望を繰り返して成長して来たのです。(なんだか、熱血先生みたいなことを言うね。熱血先生というのは、私の対極にある言葉です。)この時期傷ついたり、傷つけたりして過ごせない人間は、きっと後でそのツケがまわってくような気がするよ。傷つけ傷ついた挙げ句にわかるのが、「痛み」だ。
諸君にただひとつ望むことは、「他人の痛み」のわかる人間になって欲しいということです。
(やっぱり、熱血先生みたいだ。)
では諸君、ボン・ヴォヤージュ(よい旅を)。
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