2013年10月5日土曜日

ジャッキー・コーガン

「ジャッキー・コーガン」という映画を観る。
政治的なニュアンスの強い映画なので、娯楽的な爽快感はないのだが、「ウーンなるほど感」は、強いものがあった。
主演はブラッド・ピット。
監督がオーストラリア人のリチャード・ジェンキンス。

彼の作品は以前「ジェッシー・ジェイムスの暗殺(アメリカの西部開拓時代の伝説的なアウトロー、ジェッシー・ジェームスと、彼を慕いながら最終的には彼を背後から撃ち殺したロバート・フォードの皮肉な運命の話。)」を観たことがあった。

この時の主演もブラッド・ピットである。
監督、主演が同じであり、映画のトーンも当然同じようになるのだが、あえて相違点をいうのなら、今回の「ジャキー・コーガン」のほうが、よりメッセージ性が強いということだろうか。


さて、「ジャキー・コーガン」は、胴元を犯人にでっち上げる計画で賭場を襲ったチンピラ、その計画の立案者、さらに割を食った胴元と、すべてが、組織から依頼を受けた、凄腕の殺し屋「ジャッキー・コーガン」に始末されてしまう話である。

これは、「客から預かった金をパアにした銀行は、税金で助けられたが、客の金を盗まれた博打の胴元は、無実でも責任をとって処刑される。」という2008年のアメリカ金融危機に対する批判なのだそうだ。
映画の中で「ジャッキー・コーガン」は言う。
「国家には福祉と保障がある。でもアメリカは自己責任だから、それは国ではなくビジネスだろう。」




0 件のコメント:

コメントを投稿