2013年10月9日水曜日

距離感

以前にも紹介したのだが、小池龍之介という面白い僧侶がいる。
自身で、お経を唱えず葬儀や法要に関わらない、東大出の異色僧侶である。

彼はエッセイ「仏典を読み込む時の距離感」の中で、次のように言う。

宗教(たとえそれが仏道であれ)には、宗教に執着する人間の微妙な危うさがある。
熱心な人ほど、教典に記されていることが一言一句すべて真理であるかのように受け取る傾向が見られるものだ。しかし、究極的に教典は単なる文字にすぎない。

例えば「経集」中、護身の呪文として唱えられることの多い「宝経」では、何度も「僧団」をほめたたえ、いかに布施を受けるにふさわしいかが力説されている。そのような自画自賛的なことを釈迦がわざわざ説法するとは考えにくく、これは後で教団が権威づけのために作ったと、疑いたくなる。

ウーンなるほど。
「聖典」と言われるものほど、少しさっぴいて読み込むくらいの距離感が必要なのだろう。
このことは、人にものを教えることを生業としている私自身も、大いに注意しなければならないことだ。




0 件のコメント:

コメントを投稿