先週、現代文の時間に養老孟司の「ゴキブリ殺しの文化論」という評論文を題材にした。
ゴキブリという日本人が異常に嫌う生き物がいる。
養老孟司は言う。
そのゴキブリを嫌うのは我々のせいであり、ゴキブリの性質に仮託(ゴキブリが嫌味なのはゴキブリのせいではない。ゴキブリは生まれつきあの姿、あの動きなのである。)して嫌うのは、「差別」である。
日本人は「感覚」を「行動」に直結させることにためらいがなく、ゴキブリ殺しを平気で許容する。
「感覚が行動に直結する」という「進化的にはもっとも下等な神経系」を日本人は持っているというのだ。
相手がゴキブリなら社会問題は生じないが、人間となると大問題を生じる。
「倫理」の代わりに「美的感覚」を導入するので、わりあい差別感を表明しがちになる。
「倫理」は行動の原則である。
政治家の発言は、その影響力から考えるならば、「行動」として捉えられる。
それなのに「感覚」のレベルから発言をするので、「差別発言」が止まらない。
最後に筆者は言う。
このような社会は、ゴキブリがすべていなくなれば、次の対象は人間にするのかもしれない、と。
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