2013年6月19日水曜日

「兼家」のこと

「蜻蛉日記」の作者の夫、藤原兼家は豪快さと緻密さ(策略好き)を兼ね備えた人物であったようだ。
それが原因かどうか、宮中では大分苦労をする。

兼家は、伊尹(これただ)と兼通(かねみち)いう二人の兄を持っていたが、次兄の兼通とは出世争いに端を発し、犬猿の仲であった。兼通からは、兼通が死ぬ間際まで嫌がらせを受ける。

ひょっとすると、この出世争いのゴタゴタの裏返しが、「蜻蛉日記」のあのトボケタ態度かも知れない。
人間というものは、どかでバランスをとっていないと、破滅してしまうのだろう。





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