古典の授業で現在「蜻蛉日記(かげろうにっき)」を講義している。
「蜻蛉日記」の作者は、藤原道綱母(ふじわらみちつなのはは)と言う。
夫は後に摂政となる藤原兼家、夫と言っても兼家には七人の妻?がおり、正妻には、あの藤原道長の母である時姫という女性もいた。
授業で講義する部分は、作者が夫の来訪(当時は男が女の所へ通う、妻問い婚である。)が少なくなって、嘆くシーンである。
中心となるのは、百人一首にもとられている和歌。
「なげきつつ一人ぬる夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る」である。
歌の最後に「かは」という係助詞を使って、反語表現をしている。
最後の部分はこうだ。
「(あなたは、この辛さを)知っていますか、いや知らないでしょうね。」
「蜻蛉日記」は女流文学の魁とされ、「源氏物語」をはじめ、多くの文学に影響を与えた。さらに、自分の心情や経験を客観的に省察する自照文学のはしりでもあるそうだ。
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