2019年12月31日火曜日

人生の修行

高度何千メートル、よく分からないが、北海道帰りのジェット機の中から見た富士山である。
雲海からポツンとひとつだけ顔を出している。
さすが日本のシンボル富士山である。

さて、2019年も後わずか、今年はワタシにとって珍しく激動の年であった。
大きなつらいことがひとつ、精神的に落ち込むこともいくつか、一方では新しい出会いや素晴らしい再会もいくつかあった。
この歳になって、このように上がり下がりがあるとは思っていなかったが、これもきっと人生の修行なんだろう。

2019年12月30日月曜日

歴史

来年のNHK大河ドラマは、明智光秀を主人公にした「麒麟がくる」である。

今年の「いだてん」があまりにも視聴率が取れず(視聴率ばかりを気にしていては良いドラマなんぞつくれませんぞ)、おそらく「麒麟がくる」も相当なプレッシャーの中で始まるものと思われる。

さて、それはそうとして、明智光秀が謀反を起こした「本能寺の変」というのは、その動機について様々な議論があるそうだ。
中でも有力なのは、「怨恨・野心」の説らしいが、信長を討ったあと光秀はどうするつもりだったのかを考えると、これは疑問が残る。
では誰かが光秀を動かしたという「共謀・黒幕」説はどうかというと、共謀した相手や黒幕が、いまひとつ明確にならない。

要するに歴史というものは、何故そうなったのかという理由がはっきりしない、我々はそのはっきりした事実のまわりで、いつもウロウロしている。
そういうものが歴史なんでしょうね。

(写真は北海道からの帰り、隣を飛んでいるジェット機を写したもの。写真をクリックして拡大してみてくださいな。)

2019年12月29日日曜日

ホワイト・イルミネーション

ホワイト・イルミネーションと言えば、札幌大通公園である。

最近は全国各地に見られるイヴェントであるが、ここ(大通公園)のイルミネーションは歴史的にかなり古いもののように思われる。

ツルツルに凍った歩道をオッカナビックリ歩くこと、一体何回目になったのだろう。

(写真を大きくすると、撮影した時間が分かります。さて何時かな?)

2019年12月28日土曜日

札幌国際スキー場

札幌国際スキー場山頂の写真である。

ここから2キロのコースを一気に(一気にとは、途中で休んだり何回かに分けたりしないで、続けざまにし終えることを表す)滑り降りた・・・と言いたいところだが、ここ数年はジジイになったので、二気、あるいは三気に滑り降りなければならない。

まあ、それでも雪質のお蔭か、天候のお蔭か、一度も転倒することな滑り降りることができたのである。

ここ数年で気づくことは、スキー場にシニアの姿が目立つことである。
シニアの姿が目立つということは、若者の姿が少ないということだ。
このままスキーというスポーツは縮小していくのでしょうかね。


2019年12月27日金曜日

「BOSSA」のピザ

札幌での楽しみのひとつが、すすきの交差点近くにあるジャズ喫茶「BOSSA」でのんびりとジャズを聴くことだ。
そこは1970年代前半(当時ワタシは大学生生活を送っていたのです)の記憶をヨミガエラセテくれるところでもある。

今回は開店(十一時半)と同時に飛び込んで昼食もとることにした。
注文したのはピザであるが、このピザが実に美味い。
喫茶店のピザとは思えないほどの、クオリティーを持ったものなのだ。
このピザに、オレンジジュースと珈琲がついて880円なのだから、コストパフォーマンスも抜群である。

さて、ピザを食べながら聴きたいレコード(CDではなくレコードですぞ)をリクエストする。
今回リクエストしたのは、ケニー・バロンというピアニストの「スクラッチ」。
しばらくすると、JBL M9500K2(スピーカー)から、心地よいアナログ音が聴こえてくる。

かくしてワタシは至福の一時間を過ごすのであった。




2019年12月26日木曜日

レンタル異常

写真は十二月二十三日の札幌国際スキー場である。

全国的に雪が少ない中、このスキー場には十分な雪があった。
雪質もほぼ文句はなかったのであるが、マイナス要素がひとつ。

ここ何年かは、こちらからスキー道具は持って行かず、スキー場のレンタルスキーで済ましていた。
結局その方が楽ちんであるし、結構良い板を借りることができたからである。
しかしながら、今年はレンタルの手続き時間が、異常なほど掛かってしまった。
スキー場到着後、レンタルのカウンターを見ると異常な列、しかもその八割以上が外国人なのだ。
外国人であるがゆえに、スキーをやってみたいとなると当然レンタルでということになる。
しかも日本語が十分でないので、レンタルの手続き時間がきわめて長いのだ。
おいおい、いい加減にしてくれよと思いながら、ワタシ自身が手続き終了を終えたのは、列に並びはじめてから一時間をゆうに超えていた。

滑りはじめると、天気はまあまあだし雪質も良いし、言うことはないのだが、あのレンタル時間がね、なのである。


2019年12月25日水曜日

北海道スキー

二日ほどブログを中止してしまった。
というのも、二十二日から北海道スキーを堪能してきたからである。
今回は天候に恵まれ、一度も雪にはお目にかからなかった。
スキー場でさえもパラパラとした雪でしかなく、こんなシーズンは極めて珍しいそうだ。
スキー場の方は雪がないと、商売あがったりであるゆえ、これからはガンガン降ってほしいとのことである。

今回驚いたのは、千歳空港で現在教えている生徒にバッタリ会ったこと。
こんなこともあるのです。

(写真は今回札幌で宿泊した、ホテル・モントレーのエレベーター。)





2019年12月22日日曜日

忘年会

昨日はT高校の忘年会。

勤務が非常勤になってからは、忘年会なるものは忘れていたが、久しぶりの忘年会の感覚を味わうことができた。
幹事の皆さま、御苦労さまでした。

今回の宿は伊豆長岡であった。
この宿、料理の魅力にはやや欠るが温泉の方は素晴らしく、十分に堪することができた。


2019年12月21日土曜日

プリンター

一月に富士川のカフェで展示する写真の準備に取り掛かったのであるが、プリンターの調子が今一つであり、何か無駄な時間を過ごしてしまった。

そろそろプリンターも変え時であるのだろうか。
このプリンター、今まで値段以上の活躍をしてくれたので、手放すにはとて勇気がいるのです。
今時、このような機器を修理すると、購入価格よりも高い金額を払わねばならないのです。
とてもオカシナ時代になったものです。

2019年12月20日金曜日

左右反対

今夜のテレビ番組で鏡に映る像のことを放送していた。

「鏡に映る像が左右反対に見えるのは何故か?」がテーマである。
解答は「よく分からない。」であった。
なるほど、「左右反対に見える。」というのは個人的な感想であり、「左右反対に見えない。」と言う人も多くいる。

よく考えると、上下は反対に見えないのだから、左右だけ反対に見えるというのは妙であるし、実際車を運転していて、バックミラーに映る後ろのウインカーは左右反対には見えない。

鏡に映る自分の姿が左右反対に見えるのは、気のせいなのだ。

2019年12月19日木曜日

栄花物語

「栄花物語(藤原道長の栄華を中心に記された物語)」という平安時代後期の歴史物語に次のような話がある。

道長が三位中将のころ、源雅信(当時左大臣の位であった実力者)の娘との結婚を希望した。
娘を将来の后(帝の妻)にと思っていた雅信は反対するが、道長を気に入っている雅信の妻(これがなかなかのやり手)は、この縁談に乗り気だった。
雅信は納得しないが、他に適当な相手もいないので、妻は早速支度を整え、道長を婿として迎えてしまう。

さて、雅信の妻は、何故まだ無名であり青二才である道長のことを、気に入ったのであろうか。
物語の中ではこのように書かれている。
「時々物見などに出でて見るに、この君ただならず見ゆる君なり。」
(時々祭りや行列の見物などに出て見るのに、この君は普通の人ではないと思われる君だ。)
祭りを見物している道長の様子を見て、この男将来大物になるぞと判断したのだ。
道長にはよほどキラリと光るものがあったのであろう。
果たして、道長はその後出世をし、天下人となるのである。

考えてみると、道長というのは要所要所において、このように年上の女性の強烈な支持を受けている。
「大鏡」には、この後も自身が摂政になるとき、乱暴者で周囲から人気のなかった道長を姉の栓子(せんし)が、周りを説き伏せて摂政にさせたという話も載っている。

やはり、大物になる人物というのは、年上の女性からも人気のあるものですな。

2019年12月18日水曜日

「緊急地震速報」

先週の水曜テニスの筋肉痛が、まだ抜けないまま今週の水曜テニスとなった。
従って今日は二週間分の筋肉痛がワタシの筋肉に襲い掛かっているのです。

さて、今朝テレビを観ていると、イキナリの「緊急地震速報」(「緊急地震速報」なのだから、イキナリに決まっいるのだが)。
震源地は九州の奄美大島付近だという。
テレビでは、進行している番組を中止して、地震関係の情報を流す番組となったのだが、地震の被害はほとんどなく、番組も元にもどった。

まったく人騒がせな「緊急地震速報」である・・・と思ってはいけないのです。
地震はいつどこで起こるか分からないのだから。

(写真は箱根仙石原にある大安寺の五百羅漢)

2019年12月17日火曜日

記述式見送り

今日の夕刊の一面に「記述式見送り」の大きな見出しがあった。
さらに「採点への懸念 解消できず」とある。
これで大入学共通テストで導入される国語と数学の記述式問題は、見送りとなった。

国語の教員からしてみれば、「当たり前だろう、そんなこと」である。
採点者によって、解答に差がでてくるのが記述なのだ。
また、それが国語という科目の醍醐味でもある。
そこを熟慮もせずに「共通」を断行しようとしたところに問題があるのだ。
まあ、ここで気が付いたのは、まだましだが。

2019年12月16日月曜日

ジーンズ


「ジーンズ前ポケットの中にある小さなポケットは何のため?」という問いが、夕方のテレビ番組で出ていた。

答えは、「懐中時計」を入れるためのポケットだった。

ワタシくらいの年齢であれば、ほとんどの人間が穿いたことのあるジーンズ、昔はGパンと言っものだが。

Gパンが出来上がったのは、ゴールドラッシュ当時のアメリカの労働者のニーズとして丈夫なズボンが欲しいというものがキッカケなのだそうだ。
当時のズボンは作業中にすぐに切れてしまっていた。
ネヴァダ州のリノで仕立屋を営んでいたジェイコブ・デイビス(ヤコブ・デイビス)がそのニーズに答えるためにズボンを作り出したことがGパンの始まりだという。
生地に利用したのはサンフランシスコの織物商人、リーバイ・ストラウスから仕入れた白い丈夫な綿帆布。(リーバイ・ストラウスがのちにジーンズメーカーの「リーバイス」を創る。)
百年以上経った現在でも、この帆布由来による頑丈さは受けており、ファッション性も広がっているようである。

そう言えば、かつて「ビッグジョン」というメーカーがあったのだが、今でもあるのだろうか?







2019年12月15日日曜日

塩味

「塩にとりつかれた人間の謎」を探るという番組があった。

人間がかつて(四億年以上前)海の中にいた時は、まわりが海水ゆえ塩分は豊富だった。(うん、うん、なるほど)
それが陸にあがったのだから、当然塩分が必要となる。(そのために発達したのが、舌と腎臓なのそうだ)

以来人間は塩分を摂らずには居られない生き物となったのだと。(麻薬同様、塩には中毒性があるとか)

ところで、最近料理関係の番組で「塩味(しおあじ)」を、「塩味(えんみ)」と言っているのをよく聞く。
マチガイではなかろうが、なんか違和感があるなあ。

2019年12月14日土曜日

銭湯の富士山

昨日のテレビ番組で、「銭湯の壁には、何故ゆえ富士山の絵が描かれているのか?」という問があった。
答えは「絵を描いた人物が静岡県の出身者であったから。」

うーん、単純と言えば単純な答えであるが、静岡県の人間としてみれば、銭湯の絵になんとなく親しみ覚えるのである。

ところでワタシが大学生の頃、下宿には当然風呂なんてえものはなく、よく銭湯に通っていたのだが、今でもよく覚えているのは、百円玉をポケットに入れて、銭湯で代金(五十円)を払い、帰りに缶ジュース(五十円)を買うことができたということである。

2019年12月13日金曜日

青春発信展


T高校創造デザイン科の「青春発信展」に行ってみた。

こ展覧会は、いわゆるデザイン科の生徒達の作品発表会である。
かつて再任用教諭として在任していたN西高校にも芸術科があり、美術専攻の発表会にも何回か出掛けたことがあるが、やはり若者の感性にはいつも驚かされる。

さて、ワタシも負けずに冬の展覧会の準備をしなければ。

2019年12月12日木曜日

「忘れ草」と「鬼のしこ草」

今日の古典の演習問題に、平安時代後期に成立した歌論書に「俊頼髄脳」という歌論書があった。



「髄脳」とは「物事の重要なところ」ほどの意味である。

さて、その「俊頼髄脳」の中には次のような和歌が出てきた。

「忘れ草垣もしみみに植ゑたれど鬼のしこ草生ひにけり」
現代語訳すると、「何もかも忘れさせてくれるという忘れ草を垣根いっぱいに植えたが、思いを忘れられないという鬼のしこ草がやはり生えてしまった」となる。

ところで、「忘れ草」とはどのような花であろうかと気になったので調べてみると、右の写真のようであった。
いわゆる「萱草」である。
野萱草 鎌倉市宝戒寺にて一方、思いを忘れられない「鬼のしこ草」とは何だと、これも調べてみた。
「鬼のしこ草」とは「紫苑」のことである。
下の写真が「紫苑」であるが、これはどこかで見たことのある花であるなあ。

シオン










2019年12月11日水曜日

師走

天気予報番組の前振りの言葉で、「十二月としては暖かい日が続いております。」が発せられていた。
確かに今日は少し運動しただけで、汗が噴き出してくるような気温であったような気がする。

師走とはよく言ったもので、チョット前に十二月になったのにもう十一日である。
師はそれほど走っていないのですが。

さて、師走の別称は調べてみると山ほどあるようだ。

「苦寒(くかん)」陰暦の師走は立春の直前となり、もっとも寒さが厳しい時期であり、寒さに苦しむという意味。

「三冬月(みふゆづき)」陰暦10月から続く、3番目の冬の月ということから「三冬月」とも呼ばれた。

「歳極月(としはすづき)」一年の最期、歳の終わりを指して「歳極月」とも呼ばれた。同じく、一年の終わりを指して「暮歳(ぼさい)」とも呼ばれたそうである。

そのほかの別名・異称を以下に記述してみる。
  • 黄冬(おうとう)
  • 弟月(おとづき)
  • 親子月(おやこづき)
  • 限月(かぎりのつき)
  • 建丑月(けんちゅうげつ)
  • 極月(ごくづき)
  • 暮来月(くれこづき)
  • 氷月(ひょうげつ)
うーん、こんなにあったのかあ。

2019年12月10日火曜日

ASMR

最近のトレンド(SNSの利用者の間で話題になっている事柄)になっている言葉にASMRという言葉がある。

ASMRは「Autonomous Sensory Meridian Response」という単語の略称だという。
簡単に言うと、「聞いていて気持ち良いと感じる音とか感覚」のことだとも。
少しセクシャルな表現だと、ASMRは「脳のオーガズム」とも例えられることもあるそうだ。
例えば、耳かきをしている時の「ゴリゴリ」という音、日常の中で見たり聞いたりしてゾクゾクしたり心地よい感覚になる音のことらしい。

いろんなトレンドがあるものですなあ。


2019年12月9日月曜日

生パスタ

今日は午後の授業がないゆえ、久しぶりの月曜テニスを。
水曜テニスとは若干メンバーが異なっているので、これはこれで楽しいのである。

夕飯に「生パスタ(オーマイプレミア生パスタ・フェットチーネ)」を作ってみる。
作ると言っても、市販されているものをちょこちょこッと茹でて温めるだけのことである。
パスタのソースには、レトルトのソース「和風アサリコンソメスープ」というのを使用してみた。

「生パスタ」は茹で時間が3分、そこに温めたソースをかけるだけのことだ。
味は、これが結構イケルのです。
便利な時代になったものですな。


2019年12月8日日曜日

必死さ

「THE MANZAI」という番組を観た。

番組の構成は、ベテラン(テレビ露出の多い芸人)がほとんどなのだが、その中にまだそれほど売れていない芸人が二組組み入れられて、ベテラン+二組(新鋭)の漫才という態である。

どうもテレビ露出の多い芸人のネタは総じて面白いとは言えなかった。
やはり、露出が多いだけにネタ合わせの時間がないことが原因なのだろう。
それに比べると、新鋭(と言っても二組とも結構いい歳)は、その「必死さ」が垣間見られ、質の高いものであった。
やはり、何においてもその「必死さ」というのは大事なんだろうね。

2019年12月7日土曜日

銀河鉄道を走る列車のこと

降る降ると言われていた雪は、結局降ることはなく、曇天が続く一日となった。

今日のテレビジジイは、七時ころからずっとテレビにかじり付いていた。
そのおかげかどうか、宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」の鉄道を走る列車は、いわゆるSL(蒸気機関車)ではなく、路面電車のような電車だということがワッカタし、ユニクロのヒートテックは、肌に直接着ること、さらにピッタリしたサイズのものを着ないと、効果がないことが分かった。

うーんテレビは見るもんだね。

2019年12月6日金曜日

明日は雪か?

夕方、温度が急激に下がってきた。
天気予報では、どうやら明日は朝から雪になるようだ。
御殿場も初雪である。

天気予報のせいかどうか、隣家では急にタイヤの交換が始まった。
冬用のスタッドレスタイヤへの交換である。
それを見たワタシも「おおー、これはこれは」と交換をすることにした。

午後からの授業の前の一仕事である。
腰へのダメージが大きい。
歳をとると、こんなこともキツクなってくるのです。

(写真は我が家の紅葉。)

2019年12月5日木曜日

ルマンド


何だか分からぬが、家の中には常にお菓子なるものが存在している。
この間もフトみると、「ブルボン・ルマンド・ホワイト」というやつがあった。
よく見るとパッケージには「冬季限定」とある。

ワタシ自身、お菓子自体嫌いではないので、何はともあれ、ひとつ取って口にしてみた。

おおー、これはこれは、結構美味いではないか。
コーティングしてあるホワイトチョコレートがなかなかの味なのである。
さらに、サイズがちょうど良い。
一本食べるとさらにもう一本というのは、製菓会社の戦略なのでしょうね。
ブルボンさん、やりますね。

2019年12月4日水曜日

ピアノの鍵盤

先日のテレビ番組で、ピアノの鍵盤が白と黒の理由を紹介していた。

ピアノの前身であるチェンバロやクラヴィコードが作り出されたバロック時代には、鍵盤の白い部分には象牙、黒い部分には黒檀(こくたん)が使われるのが主流であり、その理由は、材質が鍵盤にもっとも適していたからだという。

象牙は高級感があるだけでなく、汗を吸収し指がすべらない、またどのような温度や湿度にも適応して肌触りがいいという特徴があるのだそうだ。
また黒檀は、緻密で堅く耐久性に優れ、鍵盤に適した材質のものがたまたま白と黒だったため、それが定着しそのままピアノの鍵盤にも使われるようになったという。

しかしながら、白と黒の位置関係はモーツァルトの時代まで現在のものとは逆のものも多く存在、その理由は、高価で手に入りにくい象牙を面積の狭い方に使うほうが合理的だったためらしい。
18世紀後半になると、ピアノは富裕層の富の証し、また美術品としての価値も兼ね備えるようになり、高価な象牙を面積の広い方、つまり現在のピアノの白鍵の部分に使うようになり、そのままそのスタイルがピアノの鍵盤の配色として定着したという。


2019年12月3日火曜日

ふっくらバーガー

ソース画像を表示T高校からの帰り道、小腹がすいたのでスーパーに寄り道。中に入って店内を見渡すと、「ふっくらバーガー」という文字が目に入ってきた。「おおー、これはまだ食したことがないぞ。」と早速購入、車の中で試してみた。「うんうん、なかなか美味いではないか。」

パッケージには、「テリヤキソース&キャベツマヨネーズ風味」とある。
今まで食べたことのあるこの手のバーガーとはカナリ異なった印象を受けた。
まず、パテがそこそこのクオリティーを持っている。
さらにソースとマヨネーズが何とも言えないバランスを保っている。
これは相当研究したんでしょうね。
上出来、上出来。

今日はできなかったのであるが、次は購入した後にレンジで温めてみることにしよう。

2019年12月2日月曜日

高尾祭2

昨日は御殿場の「高尾祭」について述べたのであるが、今日もその続きである。
高尾祭の二大イベントは、どうやら「福引」と「歌謡ショー」のように思われる。

神社隣りにある公民館(だと思う)に向かって長蛇の列が三列、その先には福引に使用されるガラポン抽選器(正式には新井式回転抽選器というらしい)だ。
確認もしなかったが、一体何が当たるのだろうか。

もう一つのイベントが「歌謡ショー」である。
おそらく地方回りの歌手(ワタシが見た時には、どう見ても七十代のオジサン、ワタシも当然オジサン、いやいやオジイサンかもしれぬが)が、二人続いて演歌を熱唱していた。

二つのイベントには何か郷愁(過ぎ去った事態や環境に身を置きたい気持ち)を誘うものがあったのです。

2019年12月1日日曜日

高尾祭


御殿場には高尾祭という十一月の終わりに開催される夜の祭りがある(沼津や裾野にも規模は異なるが、同様に高尾祭があるが)。
昨夜、三十数年ぶりにその高尾祭に行ってみた。

夜の祭りだけあって、(今は分からないが)以前は夜中に近づくほど賑わっていく祭りであった。
高尾祭を主催しているのは、高尾山穂見神社というサイズ的には極めて小さな神社であるのだが、その小さな神社の狭い参道にびっしりと露天の店が立ち並び、そこには「なんでこんなに多くの人が」と思われる人が押し寄せるのである。

御殿場の穂見神社は、山梨県の南アルプス市にある高尾集落の「高尾穂見神社」からの分祀だという。もともと徳川家康の命令で建てられた御殿跡に東照宮を祀る「丸の内神社」の社内神社として、元和元年(1616年)に創建された。
神様は別号御崎大明神、古来五穀豊穣商工業繁盛の神として、甲州・信越・駿州・武州の諸国に多数信者のある神なのだそうだ。









2019年11月30日土曜日

聖ニコラウス

朝のテレビ番組で「聖ニコラウス」の話題が出ていた。
いわゆる「サンタクロース」のモデルとなった人物である。

ネット検索をしてみると次のようなことも分かった。

サンタクロースは、4世紀頃の東ローマ帝国・小アジアのミラの司教(主教)、教父聖ニコラオス(ニコラウス)の伝説が起源である。

ある時ニコラウスは、貧しさのあまり三人の娘を身売りしなければならなくなる家族の存在を知った。
ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、窓から金貨を投げ入れた。
このとき暖炉には靴下が下げられていており、金貨はその靴下の中に入ったという。
この金貨のおかげで家族は娘の身売りを避けられたという逸話が残されている。
この逸話が由来となり、「夜中に家に入って、靴下の中にプレゼントを入れる」という、今日におけるサンタクロースの伝承が生まれているのだそうだ。

おおー、何故クリスマスプレゼントは靴下の中なのか、これで謎が解けました。

2019年11月29日金曜日

氷点下

御殿場では今冬、静岡県で初めて氷点下の気温を記録したということである。
さすが御殿場ですね。
そう言えば、朝起きて富士山を見ると、かなり下の方まで白いものがきていた。

家を出るときに、今日は久しぶりの晴天ゆえ紅葉の写真でも撮ろうかの気持ち強く、カメラを車の中に入れておいたのだが、残念ながら期待した紅葉は発見できず、無駄な準備となってしまった。
まあ、こんなこともあるのです。

2019年11月28日木曜日

髭ダンディズム

「髭ダンディズム」というポップバンドを聴いてみた。
今、ノリにノッテいるバンドだという。
正確には「Official髭男dism(オフィシャルヒゲダンディズム)」略して「ヒゲダン」。

ユーチューブで聴くと、実にキャッチーな感じのするグループであり、さらに曲であると思ったのだが、なるほど彼らは「熱闘甲子園」のテーマ曲や、ヒットしているドラマのテーマ曲を歌っていた。
まあ、時代が彼らを要求したということなのだろうか。

面白いのはメンバーのうちの二人が、地方の国立大学(島根大学)の軽音部出身であり、学外の友人を誘ってグループを結成したのだそうだ。
地方から中央に攻めてきたんだね。

バンド名もなかなかユニークであるが、その由来は「髭の似合う歳になっても、誰もがワクワクするような音楽をこのメンバーでずっと続けていきたい」という意思が込められているということである。
ふーん、そういうことか。



2019年11月27日水曜日

晴れ男がいる

水曜テニスは雨のために中止になるかと思いきや、なんと開始時刻の1時頃になると雨はピタリと止み、いつものように問題なくやることができた。
我々のテニスグループには、相当強烈な晴れ男がいるようである。

昨日よりファンヒーターを使い始める。
以前は室温が10℃を下回るまでは使用しなかったのであるが、年々身体の方が贅沢になってきたのだろうか。
うーん、軟弱である。

2019年11月26日火曜日

「ほだし」と「きづな」

三年生の古典演習問題の中に、「ほだしまでこそおぼさざらめ」を口語訳せよという問があった。

解答は「(仏道修行の)妨げとまではお思いにならないだろうが」であるが、ここでは「ほだし」の意味が分からないと解答することが出来ない。

さて、「ほだし」とは何か?
古語辞典では
①手かせ・足かせ・綱などの道具。
②心を引き止めるもの・自由を束縛するもの・障害となるもの。
とある。
「ほだし」は名詞であるが、現代語でもよくつかわれる言葉には、「ほだされる」がある。
これは、「情に引きつけられて、心や行動の自由が縛られる」
「情にひかされて自分の考えにない行動をとる」の意だ。

ところで、面白いのは「ほだし」を漢字で書くと、「絆」となることだ。
「絆」は「きづな」とも読むのである。(古語辞典では「きずな」ではなく「きづな」なのです。)

では「きづな」とは何か?
同じく古語辞典には
①馬・犬・鷹などをつなぎとめるための綱。
②人と人との断ち切れないつながり。断ちがたい情愛。
とある。

うーん、一つは「自由を束縛するもの」であり、一つは「断ちがたい情愛」なんだね。
「絆」は表裏一体なのだ。
何か分かる気がするね。




2019年11月25日月曜日

六時間睡眠

週刊誌を見ていると「眠りの処方箋」という記事があり、「シニアが目指すべきものは、自分にあった眠り」とあった。

要するに、巷で言われている「理想は八時間睡眠」はほとんど根拠のないことで、メタアナリス(世界中の研究まとめ分析したデータ)によると、加齢による睡眠時間の変化は、二十五歳で七時間、四十五歳で六時間半、そして六十五歳で六時間だという。
ここからわかることは、シニアに必要な実質的な睡眠時間は、六時間前後であると。
むしろ、睡眠時間と死亡率のデータによると、睡眠時間が八時間は六時間の1.1倍、九時間は1.2倍と死亡リスクが高くなるそうだ。

まあ、「遅寝遅起きの六時間睡眠」を実践しているワタシにとっては、とても勇気づけられるデータであった。

2019年11月24日日曜日

寒暖上下

昨日・一昨日の寒さから一転して、随分暖かい日となった。
今年の気温は上がったり下がったり、予想のつかない日が続いている。

こんな年は、得てして雪の日が早めにやって来るような気がするのですがね。

もっとも、このようにに騒いでいるのは周りを見渡してもワタシだけであり、実際、ワタシの予想は大きく外れ、雪が降るのはずっと後になるかも知れないね。


2019年11月23日土曜日

もってのほか

山形には「もってのほか」という食用の「菊」の花がある。

食用の菊にはいろいろな種類があるようだが、特に、独特の香りと味の良さで『食用ぎくの横綱』と評されるのが、淡い紫色の「もってのほか」だ。
正式には「延命楽」という品種だが、県内では「もってのほか」の愛称が一般的だという。
この名は、「天皇家の御紋を食べるとはもってのほか」とか、「もってのほかおいしい」といったことから転化したらしい。
写真は観賞用の大菊であるが、じっと見ると、何となく食べることができそうな気もする。

2019年11月22日金曜日

大菊

朝から冷たい雨がショボショボと降っていた。
いよいよ冬か。

T高校はマラソン大会ということで、午後の授業がなくなる。
雨の中、ワタシの教えている生徒諸君は皆無事に走り終えただろうか。
風邪などひかないと良いのだが。

写真は、以前秩父宮記念公園で撮った「大菊」である。
日本にはタンポポなど多くの野菊が自生するが、家菊・栽培菊は日本になかったという。『万葉集』には多くの植物が登場するが、菊を詠んだ歌は一首もなく、飛鳥時代・奈良時代の日本に菊がなかったことを暗示する。
中国から奈良時代末か平安時代初めに導入され、『古今和歌集(905)』あたりから盛んに歌にも詠まれるようになったということである。

ウィキペディアによると、明治時代になって、花型の変化よりも大輪を求める傾向が強まり、次第に「大菊」が盛んになった。
花型としては厚物、管物、大掴み、一文字などに収束し、花の直径が30センチメートルに達する品種も現れた。
この傾向は菊を日本の象徴として見る思想と関係していると思われ、戦後にまで続いているそうだ。





2019年11月21日木曜日

なのめなり

古語に「なのめなり」という形容動詞がある。

意味は
①いい加減だ。
②まあまあ無難だ。たいしたことがない。
③ありふれている。平凡だ。
④(程度が)並々でない。
などがある。

(④の「並々でない」の意味は妙に思われるかもしれないが、中世以降の「なのめなり」は「なのめならず」と同じ意味で使用されたためにこのようになった。)

もともとは「斜め」であり、山や丘などがなだらかに傾いている様子を表ことばであったが、「斜め」は水平でも垂直でもないところから「中途半端・いい加減」、さらに「平凡だ」などの意味を表すようになったということである。

「なのめなり」、何か趣きのある言葉だなあ。

2019年11月20日水曜日

一度仕様

水曜テニスであった。

週一のテニスは、良いようで悪いようで、何だかよく分からない。
昨年は週二だった、それが一度になるときっと身体の方も一度仕様となるのだろう。
週一の方が身体は楽なのだが、回復に時間がかかる。
うーん、どっちもどっちだ。

(写真は、先週訪れた箱根仙石原大安寺、五百羅漢像)

2019年11月19日火曜日

ロックは滅びるのか

数日前の新聞の特集に「ロックは滅びるのか」という記事があった。

2017年、アメリカで「ヒップホップ/R&B(リズム&ブルース)の売り上げが初めて「ロック」を超えたという。
さらに記事はこう続く、2018年には老舗楽器メーカーのギブソンが破産を申請(後再建)し、エレキギターが売れない時代の象徴となった。

1970前後に学生時代を過したワタシにとって「あのギブソンが潰れたのか」と、驚きを禁じえなかった。

そもそもロックとは何か?
記事で音楽評論家の萩原健太氏は「音楽の形式(フォーマット)か、生き方(既存の価値へのカウンター、ありがちなものに対し自分が創造していく姿勢や生き方)と説明、またナレーター・ラジオDJの藤田琢己氏は「自由であること、自己表現ができること」を挙げていた。

フォーマットで言われると、しかとは理解できかねるが、生き方(自由な自己表現)であれば何となく分かるような気がする。
したがって、表題の「ロックは滅びるのか」の答えは「ノー」であろう。


2019年11月18日月曜日

久しぶりの喋り

T高は先週二年生の修学旅行に伴い、午後の授業がカットされたので、今日は久しぶりの授業であった。
G南の方も現在三年生だけを担当しているので、授業は問題演習を中心に行なっており、いわゆるシャベリの時間が少なく、一時間の授業をフルに喋っていることは、ほとんどなくなっている。

で、何を云わんとしているかと言うと、久しぶりに喋ったので疲れたということである。
ああ、疲れた。

2019年11月17日日曜日

タイヤ交換

車のタイヤを冬用のスタッドレスタイヤに交換する。

例年ならもう少し後(十二月中旬)になってからの交換なのだが、今年は何となく雪が早めにやってくるような気が気がするのだ。

もっともこれはワタシだけの思い込みであって、現実は十二月には雪など降らず、暖冬となり、雪降り一月下旬になったなんてえことも考えられるのですがね。

2019年11月16日土曜日

驚愕のページビュー

昨日一日だけで、このブログのページビューが2593を記録した。

普段の一日のページビューは、30から50程度であるので、これは驚愕の数である。
一体これはどうしたことなのだろう。
しかも、ブログを閲覧した人の国がドイツなのである。
うーん、わからん。

いづれにしても、一日で2500という数は、ジジイのブログとしては驚きである。

2019年11月15日金曜日

箱根日帰り温泉

写真は箱根仙石原にある「大安寺」の紅葉である。

午後の授業がなくなったので、「日帰り温泉でも行くベ。」と思い、箱根の湖尻にある「箱根高原ホテル」まで出掛ける。
以前知り合いのご主人がこのこのホテルのマネージャーをしていて、何回かお風呂に入れさせていただいた。
ホテルは二本の源泉を所有しており、まさしく源泉かけ流しの湯でもある。

到着したのがちょうど昼食時だったので、他に湯に入っている人はおらず、露天風呂も独り占めすることができた。
おおー、極楽、極楽。

帰り道には昨年石仏を撮った「大安寺」に寄り道。
午後の陽ざしが、写真を撮るにはもってこいの光であり、ファインダーを覗いていても実に楽しかったのである。

2019年11月14日木曜日

昼食に蕎麦

昼ご飯を久しぶりに「あぶらや」で食べる。
御殿場塚原にあるこのお蕎麦屋さん、通りすがりの客はまずないだろうと思われるお蕎麦屋さんだが、十二時前後になるとそれなりに席が埋ってくる。
ワタシは他のお客がまだ現れない十一時過ぎをねらっていくのであるが、お蕎麦屋さんの空間を独り占めにしたような気分が何とも言えない。

もりそば、稲荷寿司付の五百円は、相変わらずコストパフォーマンスに優れている。
本当に安定の味であり値段である。

どのようなお蕎麦かは、2017年の7月のブログを見ていただきたい。

2019年11月13日水曜日

「小童(ひち)」


火野正平の「心旅」という番組を見ていると、広島県三次市甲奴町(ひろしまけんみよししこうぬちょう)の「小童」という地名が出てきた。
三次市や甲奴町の読みさえ難解なのに、「小童」とは一体何と読むのだろと狼狽えていると、「小童」は「ひち」と読むことが分かった。

ん?
「ひち」?
どこをどう読めば「ひち」になるのだろう。
これは調べねばということで、さっそく調べることにした。
まず、分かったことは「小童」は当て字だということである。
その由来にはいくつかの説があるらしい。
いづれも説得力にはやや欠けるが、ネットで調べた説を挙げてみる。


①古事記や日本書紀に登場する稲田姫(イナダヒメ)のことを小童と呼び,その稲田姫が素戔嗚尊(スサノウノミコト)と結婚され,この地に住まわれたの で,その名をとって,地名を小童とした説。
 
②素戔嗚尊がこの地を巡幸の時,大騒ぎした童を「ヒチぐるうな」
といってしかられた。その「ヒチぐるうな」の上の二文字をとって,地名をヒチとした。
   
③この地に小童(こわらべ)が現れて,いつしかひち(しち)の地名を表すのに当て字として小童と書くようになった説。

2019年11月12日火曜日

紅葉

T高校の方が午後の授業なしということで、久しぶりにカメラを持って出かけてみた。
今年の秋は、秋らしさに欠けているように思うのだが、その証拠が紅葉の少なさである。
写真は御殿場高根地区にある「高根西ふれあい広場」というところの紅葉だ。
葉自体あまキレイには紅葉していないのだが、ちょうど午後の陽ざしが強い時だったので、葉に光が当たってこのように撮れた。

2019年11月11日月曜日

違和感

テニス仲間の入っている写真グループの写真展があり、沼津の静岡銀行のギャラリーまで出掛ける。

入り口には、グループのコンセプトとして「写真には一切のコンピュータでの処理をしていない」旨の注意書きがあったのだが、この注意書きには何か違和感があった。

デジタルカメラで撮った写真というのは、言うなれば、そもそもが「現実をデジタル化」をしているものなのだ。
恐らく言いたいことは、「カメラで撮った画像をパソコンでいじってはいない」ということなのだろうが、「デジタル化」する時点でこれはもうコンピュータのお世話になっているのである。

さてさて、とんだ悪口になってしまいました。
ワタシは違和感を申しただけで、攻撃するつもりはありませんよ。